5-1
薄暮れの雪山を、馬に乗った五人の男たちが上って来た。
馬は、膝まで雪に埋まりながらも危なげなく走っている。タララ村にいるものより、一回り大きく力強い馬だった。
男たちは、輝くほどの白い制服を着ていた。
手に持つ槍剣は、獣や樹木を断つためのものではない。グランダの敵、『狼の信徒』を打ち倒すために磨き抜かれたものだ。
彼らはタララ村へ到着すると、村の最も下流に位置する家の前で馬を止めようとしたが、そこに強烈にただよう臭気に眉をひそめ、さらに先に進んだ。
次の家で馬を止め、訪った。
女が出てきた。
彼女は警戒をあらわにしたが、彼らが村の救援に来た衛兵だと分かると、安堵のあまり涙を浮かべた。
五人の代表、隊士長エドラルが、村の代表はどこかと聞いた。
女は彼ら五人を、シーラの家に先導した。
実はこの時、村に明確な代表者はいなかった。
蜘蛛を探して山中で行方不明になったカクリを、村の人間で隊を組んで捜索したのが、ちょうどこの前日のことだった。
カクリは発見されたものの、傷を負って、現在もほとんど意識がないありさまだった。
女は、そんな状態のカクリに衛兵を引き会わせても意味がないと判断し、カクリの捜索隊を率いたシーラのもとに、彼らを案内したのである。
エドラルたちは、案内された先でシーラと対面した。
シーラは雪の上に膝をついて、五人を迎えた。
衛兵たちはシーラ宅に入り、外套を脱ぐ。
下もまた白い服だった。純白の服は、ティシリア王国の兵である証である。
神々の御世の終わり、リブルム神は、自らに従った者から三人を選び、一人に精を、一人に白い衣を、一人に苗木を授けた。
三人はそれぞれ、王を産んで国母となり、百人を集めて国を守る力となり、万人に種子を与えて国を支える力となった。
だからティシリア王国では、王は神の血を受け継ぐし、兵は白い衣をまとうし、民は聖樹を中心に暮らす。
純白の衣は、国を守る力の証である。
雪を払って炉の火に当って、彼らはようやく人心地着いた。
ほとんど不休で、雪の吹きつける冬山を飛ばしてやって来たのである。
エドラルは四十半ばほどの、あごひげを生やした男で、猛禽のようなするどい目をしていた。
消耗してなお、全身から生気を噴出しており、目の前に座っているだけで、シーラは圧迫されるのを感じた。
背後にいる四人も、火に当たるのに一切姿勢をくずさない。
村の人間とはまるで違う、規律と訓練に裏打ちされた肉体的な強さを感じられた。
彼らの姿に、シーラは村にいる一人の女を連想した。
しかし、それはあまり愉快な想像ではなかった。
その女は確かに人としては恐ろしい頑強さを持っていたが、それでも蜘蛛の化け物には何の痛痒も与えられなかったのである。
エドラルが火から離れ、シーラと向かい合った。
「お前が村の代表だと?」
「今は、そう思って頂いて構いません」
「今は?」
「代表を務める者が、怪我で動けない状態なんです」
「ナジルが傷を負ったのか」
「いえ、ナジルさんは亡くなりました。その息子、カクリという男です」
エドラルは、目を見開いた。
「死んだ。ナジルが?」
「ナジルさんを、ご存じなんですか?」
「いや。ああ、いや。そうか、あいつ、逝ったのか……」
つぶやきには、強い哀惜の念がこもっている。
ため息をついてかぶりを振った。
それで次に顔を上げた時には、もとの冷静さを取り戻している。
「あいつから届けられた書状には、くわしい事情は記されていなかったが、それほどの獣が現れたということだな?」
シーラはうなずいた。
彼の知る限りのことを、できるだけ細かく話した。
「馬を食う巨大な蜘蛛か。容易には信じられんな」
「しかし事実です」
「分かっている。尋常な獣に、あの男が殺されるわけがない」
不安な目をするシーラに、エドラルは言った。
応援は我々だけではない。
ローディ市近くの村にも男たちをよこすように通達している。
おそらく明日か明後日には、数十人単位の若い男たちが集まってくるだろう。
シーラは感謝した。
それほどの男たちが、衛兵の秩序ある統制の下で戦えば、もしかするかもしれないという気になった。
翌朝から、さっそくエドラルは動き始めた。
吹雪いていたが、それは彼の行動を妨げる理由にはならなかった。
彼はまず、ネロス宅にて怪我の療養をしているという、村の本来の代表、カクリという男に会うことにした。
カクリは暗闇の中で目を覚ました。
一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。
生きているのか死んでいるのかもはっきりしない。頭が働かなかった。
だが体中が熱を持っており、特に左腕が熱かった。
その熱が、彼に状況を思い出させた。
カクリは体を起こそうとした。
しかし意に反して全く動けなかった。体が自分のものでなくなってしまったようだった。
明かりがついた。女。村の女だった。
ここは?
「ここはネロスさんの家だ。あんたは『狼の爪痕』のそばで倒れていたんだ」
俺は何日眠っていた。サフィはどうなった?
しかし女は答えなかった。
もう一度尋ねた。やはり答えない。
それで理解した。サフィは死んだのだ。
死んだ。彼女が……。
分かっていたことだった。
しかし、その事実は彼に、暗い底なしの穴に落ちて行くような感覚を与えた。
女は、カクリが眠っていた間のことを話し始めた。
衛兵の応援が到着したという話に、カクリは表情をゆるめたが、アーシャのことを聞いて、またすぐに暗くなった。
彼女は今、剣鉈を持って自分の家の前に陣取っているらしい。
村の誰も、家に入れまいとしているのだった。
カクリには、アーシャの気持ちが何となく理解できた。
彼女は妹を守っているのだ。
そうすることに、何の意味があるのかは分からなかった。
おそらくアーシャも分かってないのだろう。
もしかしたら彼女は、気が触れてしまっているのかもしれない。
だけど、あいつを責めることはできない。
と、カクリは思った。
サフィの死がもはや避けられないのだと悟った時、カクリはとっさに、姉妹を離してはならないと思った。
その判断が間違っていたとは思わない。
間違いなく、サフィはそれを望んでいたはずだった。
しかし、アーシャにとってはどうか。
彼女には、酷なことをしてしまったのかもしれないと思った。
ふと、サフィが死んだというのに俺は冷静だなと、カクリは思った。
俺はこんなに冷たい人間だったのか?
どこか他人事のような、冷めた思考の中で、彼は思った。
とにかく起きなければならない。
無理にでも体を起こそうとした。やはり動けず、代わりに反吐を吐いた。
こらえようと思う間もなかった。
何だ、これは。
あまりのことに呆然とした。胃液にまみれてうめいた。
動けない。彼の心身は、すでに限界だったのである。
もがきながら、カクリは再び気を失った。
次に目を覚ましたのは、夜が明けてからだった。
吐き出した物は掃除されており、枕もとに純白の服を着た男が座っていた。
「お前がカクリか」
あなたは。
と、カクリは聞いたつもりだった。
だが、それはうめき声にしかならなかった。
この時初めて、カクリは言葉を発せない自分に気づいた。
「ローディ市で白護衛士隊、隊士長をしているエドラルという。ナジルからの書を受け取って、この村の救援に来た」
カクリはうなずいた。目だけで感謝を伝えた。
「話せないのか」
「……」
「私たちはこれから、村の防衛と蜘蛛の始末に全力を注ぐ。次に蜘蛛が来るのは、ナジル家かムルガ家か。私はおそらくナジル家の方だとにらんでいる。戦力の分散は避けたい。ナジル家に全戦力を集めるつもりだ。異論は」
カクリは小さく首を振った。
「では、準備にかかろう」
「俺も……」
しかしやはり起き上がれない。
「その様でよく言う。邪魔になるだけだ。体が癒えるまで休みなさい」
「いや、だ」
冗談じゃないと思った。歯を食いしばる。
父が死に、友が死に、愛する女が死んだ。自分は何もできなかった。
このうえ、彼らの仇も取ってやれないというなら、自分の生には何の意味があるのか。
必死にもがいた。
しかし体がついていかなかった。
「お前は父親似だな」
その言葉にカクリは動きを止めた。
「父を」
「よく知っている。終生の友と決めていた。互いに」
そうか。
この男は、父が若い頃を過ごした都市から、父に請われてやって来たのだ。
自分の知らない父を、彼は知っているのだ。
「父は、どんな、人でした、か?」
「今の自分を顧みろ。それがそのまま、若い頃のあの男だ」
「嘘だ」
「本当だ。なぜ嘘だと思う?」
「俺は、馬鹿だ」
「あの男もそうだった」
「俺は」
「休め。今は、お前が戦う時ではない」
「馬鹿に、するな。俺は」
知ったような口をききやがって、ぶん殴ってやろうと思った。
だが動けない。
そうしている間にエドラルは去った。カクリは追いすがれなかった。
カクリは歯を食いしばり、涙を流した。悔し涙だった。
俺はなぜ生きているのか。
その思いが、頭の中をずっと巡っていた。




