4-2
シーラ宅には十一人集まった。
カクリと、蜘蛛との戦いに生き残った男が二人と、先ほどカクリに迫った三人の女。
それから比較的冷静さを保っている老人が三人。
老人たちは、子や孫など守るものをまだ持っている者たちだった。
三人の女の一人がまず言った。
「次に獣と戦う時は、私たちにも戦わせてほしい」
他の二人も彼女と同意見のようだった。
他の者は顔を見合わせた。
直接蜘蛛を見た男の一人、シーラが言った。
「無駄だ。お前たちがいても、どうにもならない」
女はするどい目つきでシーラをにらんだ。
「どうにかするんだ」
「どうにかしようとして、皆で万全の態勢を敷いていた。それは蜘蛛に一蹴された。アルクも死んだ。俺たちのしたことなんて何にもならなかった」
シーラが言ったのは女の夫の名前だった。
まだ若い男だった。結婚して数年。これから村を背負っていくはずの男だった。
女の顔が怒りで赤くなった。
「うるさい! あんたはただおびえているだけだ」
「違う。俺は事実を言っている」
「この、ちくしょう!」
女はシーラにつかみかかった。しかしそれはたやすく取り押さえられた。
「離せ!」
暴れる女を床に押さえつけて、シーラは言った。
「おびえているんじゃない。俺も、誰も、あの夜おびえた者はいなかった。勇敢に戦った。アルクもそうだ。お前の夫は誇るべきグランダの男だった」
嘘だ。
アルクは、最後には弓を放り捨てて逃げようとして死んだのだ。
しかしそんなことを言う意味はなかった。
「それが、十三人がかりで蜘蛛には傷一つつけられなかった。恨みは分かるが、お前たちが使い慣れない槍や弓を持っても意味はない。頭を冷やせ」
「だったら、どうすればいいんだ!」
「それをこれから決めるんだ」
「離せ!」
「話を聞くつもりになったら離してやる」
「黙れ、この腰抜けめ!」
シーラはもう何も言わなかった。
女はしばらくじたばたしていたが、拘束は抜けられず、やがて全身の力を抜いた。床にはいつくばったまま嗚咽し始めた。
「なんで、あの人が死んだ。なんで死ななきゃいけなかった」
シーラは答えなかった。黙って女を離した。
女は起き上がらなかった。
こらえようのない悲しみが、今になって襲ってきたのだった。
それは、これまで憎悪で心をぬりつぶして必死に目をそらしていた、愛する者との別離の悲しみだった。
他の二人の女は殺気立ちながらも、二の足を踏んでいた。
シーラは彼女たちをじろっとにらみつけた。そしてカクリに顎をしゃくった。
話を進めろということである。
「俺たちだけでは蜘蛛には勝てません」
と、カクリはまず言った。
女たちの意識がカクリに移った。
それまで布でくるまれていた敵意が、針で刺すようなするどいものに変わった。
俺は若いのだとカクリは思った。だから侮られている。
今さらながら、カクリは父の存在の大きさを知った。
数日前まで、カクリが獣の迎撃準備のために自在に村の人間を指揮できていたのは、彼の言葉の正当性を、ナジルが担保していたからに他ならなかった。
「それでどうするつもりなの。死んだ人間の無念も晴らさず聖樹を捨てて逃げるの? それでこの先、どうして生きていけるの?」
どうするのか。どうしたいのか。
カクリの心は決まっていた。
真正直に自分の思いをそのまま伝えた。それが一番いいはずだった。
「村は捨てない。そして、蜘蛛も必ず殺す」
「どうやって?」
「もうじき、ローディ市から衛兵の応援がやって来る。俺たちと違って、彼らは争いを生業としている。武器もよほどいいものを持っているはずです」
「何? 人任せにするっていうの?」
「もちろん俺たちも戦います。できれば皆の仇はこの手で取りたい」
「なら、私たちも」
「それは認められない」
「なぜ!」
「あなたたちは戦う力を持たない」
「戦う力? 笑わせないで。獣相手に何もできず逃げてきたあんたたちはどうなるの。あんたたちだって戦う力なんて持ってないくせに!」
「この村を!」
カクリは、女のわめき声に負けない声をあげた。
「この村を、なくすわけにはいかない。蜘蛛を殺して、それで終わりにはできない。俺たちはこれ以上、もう誰も死ぬわけにはいかない。生きて子を産み、育て、語り継がなくちゃいけない。忘れさせてはいけない。この村を守るため、邪悪な蜘蛛の化け物と戦って死んだ、多くの勇敢なグランダがいたことを」
ナジルがいた。
ムルガがいた。
多くの善良な、勇猛な、賢明な人が、この村にいた。
それがわずか十日の間に、失われてしまった。
彼らがこのまま忘れ去られることだけは、認めるわけにはいかなかった。
彼らの生きた証を、必ずこの地に残さなければならない。
そしてそのためには、タララ村をなくすわけにはいかない。
「あなたたちの役目は戦うことじゃない。戦いが終わった後で村を立て直すため、生きていてほしい。俺はもう、誰にも死んでほしくないんだ」
女たちは黙った。
彼女らも馬鹿ではなかった。
自分たちが道理に合わないことを言っているのは分かっていた。
それを押さえられなかっただけだ。
だから一度勢いを止められてしまった以上、それ以上続けることはできなかった。
女たちはうなだれ、打ちひしがれた。
沈黙と一緒に、室内に気まずい空気がただよった。
心の内を全て口に出したのに、カクリはまるですっきりしなかった。
ただやるせないだけだった。
衛兵が来るまでどうすごすかの話に移った。
誰も異を唱えることなく、現状維持。各々の家に二、三人で暮らして待つことになった。
馬をムルガの家とナジルの家に置いて、蜘蛛の餌とすることも決まった。
それで全体の話は終わった。
蜘蛛とどうやって戦うかは、衛兵がやって来た後で彼らとともに話すことだ。
女たちと老人たちが家を出た。
続いて出ようとしたカクリをシーラが止めた。
「率直に聞く。衛兵が来たとして、本当にあれに勝てると思うか」
「分かりません」
カクリはそう答えるしかなかった。
「俺は衛兵を見たことがありませんから」
「俺はある。ローディ市でな。確かに俺たちとは雰囲気の違う男たちだった。白い制服を着て腰に剣を下げていた。三人並んでいたが、どいつも体が大きく迫力があった。だけど、彼らはただの人間だった」
人間ではあの蜘蛛には勝てないと、シーラは言いたいのだった。
それはカクリも同感だった。
衛兵の応援部隊がやって来ただけで、あの化け物を殺せるとは思っていなかった。
「ですが勝てなければ、次はもっと多くの応援が来てくれるでしょう。それでも倒せなければまた次が」
「数さえそろえば勝てると思うか」
「集団の力で倒せない化け物なら、いずれは紅令師や、もしかしたらティシリア王家に連なる御方が来られるかもしれません」
そうなれば、どんなものであろうと倒せないはずがなかった。
五王国の王族は、それぞれ彼らの祖となった神の血を受け継いでおり、人間には想像もつかない力を持っている。
蜘蛛の化け物は確かに恐ろしかったが、見渡す限りの凍土を大陸一の豊かな土地に変えたというリブルム神の力が、それに劣るはずはなかった。
紅令師とは言葉の使い手だ。
六柱神の一柱ハクラ神の力を、血統ではなく学問によって修めた者たちである。
彼らは王族とは違い、生まれはただの人にすぎないが、この世の理を知り、ハクラ神が地上に残したという力ある言葉を学ぶことで、神の力を使うようになる。
彼らは言葉で、地を割り天を轟かせ、世界を変容させる。
カクリは、紅令師についてはほとんど何も知らない。
彼らの自治する都市が、はるか南のアラド王国に存在するという話を、アーシャからちらりと聞いたことがあった。
また、カクリの家には、食人の怪物と戦う紅令師のおとぎ話が一部存在し、幼い頃、文字を学ぶのに触れたことがあった。
その程度の関わりだ。
文字の読めない他の村民にとっては、さらに遠い存在だ。都市におもむいた際、酒家などで詩人の歌で耳にするくらいである。
しかし、言葉一つで世界を変容させるという超人と、あの蜘蛛の化け物は、人の世から外れているという意味では、同じもののように思えるのだった。
「王族。それに紅令師か。来てくれるだろうか」
「蜘蛛がいる限り、いずれ必ず。あの蜘蛛は人の敵だ。存在していてはいけないものだ。誰であろうとそう判断するはず」
しかしこの冬には間に合わないだろう。
あと二十日もすれば、厳冬期に入る。ミスラ山中はほとんど連日猛吹雪の天候となって、人も獣も山には立ち入れなくなる。
しかしそれは同時に、蜘蛛の活動も休止するということである。
そして厳冬期が終われば、じきに応援も来てくれるはずだった。
「この二十日が勝負ということです」
シーラはそれでひとまず納得し、ようやく話は終わった。
彼らとともにカクリは家を出た。
そこで別れて下流に向かった。アーシャに会わなければならない。