4-1
わずか一晩で十八人が死んだ。
ムルガ一家をふくめると死者は二十三人。これは村の三分の一以上だった。
何よりナジルが死んでしまったことが大きかった。村民たちの精神的な支柱となっていた人間が失われたということだった。
夜が明けても村民たちは動けなかった。
カクリは、夜明け前にネロス宅にて目を覚ました。
幸い肉体的に大した負傷はなく、すぐに立ち上がることができた。しかし間もなく、父の死と村民たちの大損壊を聞かされ、彼は再び卒倒した。
次に目を覚ました時には昼になっていた。
日は差さず暗い日だった。
雪は降ってないが、風が強く、外に出るには厳しい日だった。
カクリは動ける者たちを連れて、ナジル宅に向かった。
同胞の遺体を放っておくわけにはいかない。
また、村民たちには没頭できるものが必要だった。
そうでないと、一歩も動けそうになかった。
それはカクリも同じだった。
家からあふれる遺体を見ても、彼らの心は動かなかった。麻痺していた。
何百年も、何一つ変わることのなかった村の中で、それはまるで現実味のない光景だった。
彼らはほとんど夢心地で、粛々と遺体の処理をしていった。
処理は一日では終わらず、翌日に及んだ。
重い雲は空一面に広がって、途切れる気配を見せなかった。しばらくは、蜘蛛の襲撃を気にしなくてもよさそうだった。
アーシャがやって来たのは、昼過ぎだった。
生きていたのか。と、カクリはまず思った。
彼女の姿を見ていなかったことに、この時初めて気づいたのだった。
「お前、どこにいたんだ」
それは単なる問いかけだったが、アーシャは神妙に頭を下げた。
「こんな時にすまない。私とサフィは家に戻っていた。あいつが少し熱を出して、昨日は動けなかったんだ」
「サフィは生きているのか」
「生きている。怪我もない」
「そうか。そうか。……」
カクリは笑おうとした。
久しぶりに耳にする良い知らせだった。
しかし心に浮かんだ喜びは、かえって絶望の影を深くした。
アーシャはすまなそうに言った。
「私たちはこのまま家にいようと思う。いいか?」
カクリは無言でうなずいた。
一つの場所に避難していたことが、今回の大量殺戮に繋がったのは明らかだった。
他の村民の多くも、すでに我が家へと居を戻していた。
「スフェラさん、ミーアさん、ロシウ、ラミュも生きている。だけどそれだけだ。ここにいた他の者は皆死んだ。父さんも……。父さんが、死んだんだ」
アーシャは無言だ。痛みをこらえるような顔をしている。
自分はどんな顔をしているのだろうと、カクリは思った。身内の遺体がごろごろ転がるこの場にふさわしい顔だろうか。
「これからどうする」
と、アーシャが言った。
「死んだ人たちを弔わないと」
「その後は」
その後。どうするのだろう。カクリはぼんやり考えた。
頭を働かせたのはあの夜以来だった。
するとそのとたん、ナジルを失ったという現実が圧倒的な重量となって彼の双肩にのしかかった。
カクリはうめき声を上げた。
それは、今まで彼の父が感じていた重みだった。
思いつくことなどあるわけがなかった。
だが言葉は自然と口から出た。
「あの蜘蛛は生かしておけない」
言ってから内容が腑に落ちた。
そうだ。あの蜘蛛を殺さなければならない。
「殺せると思うのか」
アーシャは言った。
「あれは、人がどうにかできるものじゃないだろう」
「そうかもしれない。しかしこのままにはしておけない。だってそうだろう。あの蜘蛛に村の皆は殺されたんだぞ」
「今は死んだ者の仇より、生きている者のことを考える時じゃないのか」
「だからこそ、仇を取るんだ。獣を殺して」
自分は意地になっているらしい。カクリは思った。
しかし止まらなかった。ここで止まってしまえば、何もできなくなるような気がした。
アーシャは、あわれむような目をした。
「あれは、仇を取るとかそういうものじゃない。冬の寒さとか吹雪とか雪崩とか、そういうものと同じだと思う」
「違う。あれは生きているじゃないか」
「本当にそう思うか」
「何?」
「私にはあれが、私たちと同じこの大地に生きるものとは思えなかった。獣や人とは根本的に違う、何か別の種類の存在のように思った」
「だから、逆らうなってことか?」
カクリは愕然とした。この女は誰だと思った。
他の誰でもない、彼女がこんな弱気なことを言うとは。信じられなかった。
彼女の目をまじまじ見つめた。
アーシャはすっと目をそらした。
「お前、どうしたんだ」
「どうもしない。私は間違っているか」
カクリは考えた。首を振った。
「分からない。だけど」
間違っていようといまいと、俺はきっと、あの蜘蛛を生かしておけないのだと思った。
愚かな情動だと思った。
だから口に出しては言わなかった。
そこに女たちの一団がやってきた。
「皆の肋を取り終わったよ」
「ありがとうございます」
「これからのことを話したいんだけど」
「それならアリムを」
「そうじゃない。それは他の連中に任せればいい。あんたは生き残った者たちをどうするのか考えなくちゃいけないだろう」
カクリは女たちに振り返った。
女は三人いた。
カクリはすぐ気づいた。子のいない若い女たちだった。
それはつまり、二日前の夜に夫と親を失って一人になった女たちということだった。
女の一人が言った。
「あんたたちに従って、私たちの家族は死んだんだ。もちろん皆で納得して従ったわけだからそのことを今さらどうこうは言わない。だけど、生き残ったあんたは最後まで責任を持たなくちゃいけない」
言葉と裏腹に、女たちのカクリを見る眼差しにはかすかな憎悪の気配があった。
気がつけば、その場の全員がカクリの動向に注目していた。
カクリは、彼らを見つめ返した。
村民たちの様々な視線は、ほとんど物理的な圧力となってカクリにからみついている。
彼らの心の動きは、手に取るように読み取ることができた。それは、先ほどまでのカクリ自身の心と同じだった。
皆、不安でたまらないのだ。
しかしどうすればいいのか分からず、決められない。
委ねたいのだ。
そしてナジルがいない以上、その思いを受け止められるのはカクリしかいないのだった。
カクリはうなずいた。どうしてか、妙に冷静だった。
「それじゃ、今からシーラさんの家で話しましょう。他の人たちは、続けてここで皆を弔ってください。それから、ムルガさんの家にも数人いるので、そちらもお願いします。アリムはネロスさんの家で作ってください」
続けてカクリは、シーラ宅にて今後の方針を話し合う人間を選定した。
アーシャはその中にふくまなかった。
そうした方がよさそうだと直感で判断したのだった。
彼女の代わりに二人の男を選んだ。
行動を細かに指示されて、村民たちはほっとしたように動き始めた。
女たちも散っていった。
アーシャが一人カクリに近づいて、耳打ちした。
「お前、今どこに泊まっている」
「ネロスさんの家だ」
「声を落とせ」
と、アーシャは言った。
どうしてか、密通じみたやり取りを望んでいるらしい。
カクリの胸に不快なものがわいた。
しかし彼女の言う通り声を落として言った。
「何が言いたい」
「話し合いが終わったら、私の家に来い」
「なぜだ」
「話がある」
「ここで話せばいいだろ」
「ここでは話しにくいことなんだ」
本格的におかしい。
カクリはアーシャをにらみつけた。
「お前、何を企んでいるんだ」
「それを話したいんだ」
「どういう話だ」
「今後のことだ」
「さっきの続きか。それならもう」
「サフィも会いたがっている。頼む、カクリ」
頭を下げられれば断れなかった。彼女は親友だった。
カクリは渋々うなずいた。
ほっと息をつく彼女の姿を見ないですむよう、すぐに目をそらした。
カクリは速足でシーラ宅に歩いて行った。