01-1
~二三五年 七月六日 八時四五分 武器庫~
「……い……起き……おい……」
……なんだよ、静かにしてくれ。
「レイ……きろ……」
俺は眠いんだ、頼むから放っておいてくれよ。
「起き……なぁ……」
だから、静かに――
「クレイ! 朝食の時間が終わるぞ!」
「――嘘だろオイ!」
一瞬で目が覚めた。今までの眠気がまるで最初から無かったかの如く意識は明瞭だ
「おはようクレイ。もうとっくに仕事の時間だぞ」
そう横から微笑んで声をかけてくるのは中肉中背、どこにでもいそうな普通の男。
それは、昔からの友人の姿だった。
「……おはよう、レン。もうそんな時間だったか」
「明日のことについて会議があるから早めに集まるようにって、昨日伝えただろ? なのにいつまで待ってもお前が来ないから、探しに来たんだ」
やれやれといった表情で、レンは手に持った書類を振って見せる。あの二枚の紙が、さっき言っていた会議の資料なのだろう。
「悪い、昨日はなかなか眠れなくてな」
素直にそう言ってみたが、レンは疑うような目でこちらを見てくる。
「本当か? ただサボりたかっただけじゃないだろうな」
「どうせサボるなら、もっと見つからない場所に行くっつーの」
それもそうか、とレンは納得したようで、床に座ったままの俺に手を伸ばしてきた。
差し出された手を取って立ち上がり、ズボンを叩いて皺を伸ばす。
「顔を洗ったら作戦室に来てくれ。もう他も集まってるから、少しは急げよ?」
「あいよ、すぐ行くさ」
それを聞いて、レンは武器庫から出て行った。
打ち合わせは八時からの予定で、それからしばらく経ってるってことは……今は八時半くらいか?
生憎、手持ちの時計が壊れていてよく分からない。
「……食堂に行ってみるか」
あそこなら掛け時計があるし、正確な時間が分かるだろう。
●
~八時五〇分 食堂~
「なんだ、誰もいないのか?」
いつもなら誰かがいるのだが、どうも今は無人らしい。珍しいこともあるものだ。
「……美味そうな匂いがする」
誰もいないはずだが、キッチンの方から何やらスパイスの効いた料理の匂いがする。料理の匂いがするということはつまり。
「誰かが食材を勝手に使ってるな」
食材の無断使用は厳罰の対象だ。犯人を見つけて捕らえなければ。そしてその料理は俺が頂く。
スイングドアで仕切られたキッチンに入ると、スパイスのみだけでなく、食材の特定が出来るほどの匂いを感じ取れた。
肉だ。ステーキの匂いがする。
入り口で匂いを堪能していると、朝食がまだの俺の腹が唸り声を上げた。
そういえば昨日の晩も食っていない気がする。意識すると余計に腹が減ってきた。
「……誰もいない」
軽く見まわしてみたが、やはりキッチンは無人のようだ。朝食の時間が終わるのは九時だから、まだ誰か調理場にいると思ったんだが。
しかし無人でも肉が焼かれているのは事実。油の跳ねる音がなんとも心地良い。
誰もいないなら……この肉、食ってもいいんじゃないか?
近年この国でも紛争続きで、食料を手に入れるのだって一苦労だ。今はまだ『一苦労』程度で済んでいるが、安定した供給が限界を迎えるのもそう遠くないだろう。
ならば、食える時に食っておかねば。いつか食えなくなってしまった時に酷く辛い思いをしてしまうことだろう。
「つまりこれは未来のための必要投資であって、決して盗み食いと言うわけではない……って、誰に言い訳してるんだ、俺は」
強いて言うならレンか。この現場をあいつに見つかれば、今日の打ち合わせの内容が俺への詰問に変わってしまうことは免れない。
なら、見つかる前に食べてしまうのが最適解だ。流し場に置かれたままのフォークを手に取って軽く水で流し、今なお焼かれ続けるステーキの正面へ立つ。
「てなわけで、いただきま――」
「あーっ!!」
フォークをステーキに突き立てようとした瞬間、入り口の方から叫び声が聞こえた。マズい、誰かに見つかったか?
どうにかしてこの場を立ち去ろうと思案していたが既に手遅れ。叫び声の主が腕をぶんぶん振りながら此方へと駆け寄ってきた。
「先輩! その肉はあたしのっすよー!」
その姿には見覚えがある。そいつは俺より一つ年下の女で、俺のことを『先輩』と呼ぶ。そう呼ぶのは一人だけしかいない。
「なんだ、クロか……」
「『なんだ、クロか……』じゃないっすよ! その肉はあたしが狙ってたんす! いくら先輩でも、これは譲れないっすよ!」
クロは俺からフォークを奪い取り、ステーキに刺して食らいつく。さっきまで自分がやろうとしていたことだが、豪快な食べ方だな……。
「……ん?」
幸せそうに肉を咀嚼するクロを見ていると、あることに気付いた。
「なぁクロ」
「肉なら分けないっすよー」
「いや、そうじゃなくて」
「じゃあなんすか?」
「その肉、どこから出した?」
「……今日は天気がいいっすねー」
ふいっ、とあらぬ方向に顔を向け、露骨に話題を逸らそうとしている。
「生憎、今日はまだ外に出てないから天気の話には乗れないな」
一歩詰め寄って、再度肉の出所を問う。
「で……その肉、どこから出した?」
「……乙女の秘密っす」
「怒らないから正直に言ってみろ、な?」
「嘘っす! そう言う人に限って本当のこと言ったら怒るんすよ!」
そう言ってクロは意地でも隠し通そうとする。そして肉を食う手を止めない。
ここまで教えてくれないってことは、ほぼ確実に食糧庫からくすねてきたんだろう。まぁ別に俺は怒らないが、レンは違う。あいつは怒る。それはもう酷い罰を課せられるだろう。
「どうせ盗み食いだろ?」
「うっ……」
この反応からするに、やはりそうらしい。まったく……。
「見つけたのが俺だったからよかったけど、もしレンに見つかりでもしてたら――」
「クレイ、此処にいたのか?」
「うげぇ! レン!」
「やばっ」
クロが肉を咥えて後ろを向く。頼む、レンに見つかる前に早く食い切ってくれ……!
「人の顔を見て『うげぇ』とはなんだ。何かやましいことでもあるのか?」
「い、いや……何も……ないが……?」
「そうか、ならいいんだが。ところで、そこにいるのはクロか? 今は訓練の時間のはずだが、調理場に何か用でも?」
話の矛先がクロに向いた。マズい、バレる!
「……」
「どうしたクロ。喉でも傷めているのか?」
「……いえ、あの、ですね」
「なんだ?」
「あそこ、何かいませんか、入口のあたり……」
そう言われて、俺とレンはクロが指さした方を向く。
「……?」
特に何もいないようだが――
「――先輩、すみませんっす!」
「むぐっ!?」
背後から伸びてきた手が、香ばしい何かを俺の口に捻じ込んできた。
これは……肉……!
もごもごと咀嚼している間に、レンが視線をこちらに戻してしまう。
「何も見当たらないが――クレイ、それはなんだ?」
「待っ、ちが……んっぐ、待ってくれ違うんだ! 俺じゃない、信じてくれ!」
肉を飲み込んで弁明を試みるが、レンは冷めた目でこちらを見ている。ダメだこれ。
そう思っていると、背後からぽん、と肩に手が置かれた。
「先輩……」
「クロ……!」
助け舟を出してくれるのか!? すべての元凶はお前だけど、助か――
「……ダメっすよ! 食糧庫から勝手にお肉盗ってくるなんて!」
――ってない!
「ちょっ、お前、何を言って」
「クレイ、肉を盗ったというのは本当か?」
「いや、これは違う、違うんだ!」
「……話は会議が終わってからだ。行くぞ」
レンは俺の背襟を掴み、スタスタと歩き出した。
「ちょっ、離してくれー!」
「ダメだ、今逃げられたら余計な手間が掛かる。ここで確実に捕まえておかないとな」
くそっ、逃げられもしない。
「先輩! 会議行ってらっしゃいっす!」
クロがにやけ面で心にもない台詞を投げてくる。覚えてろよ……ただじゃおかないからな……。
「ほらクレイ、しっかり歩け!」
「分かった! 行きます! 行きますよ! 行けばいいんだろー!」
ずるずると引きずられるようにして会議室へと連行される。くそっ、結局朝食は逃したし罪も擦られた。今日は散々な一日になりそうだ……。