真夏の招待状
真夏の招待状
「やーなこった」
「桂一郎!またお前はそんな口のきき方してっ」
母親のヒステリックな声が家中に響いた。
<もう、うんざりだ>
桂一郎はむっつりとおし黙った。
明日から学校は夏休みだというのに、小学校低学年の頃みたいなわくわく感は全くない。
桂一郎の成績は決して悪いわけではないのだが、小学校高学年になって、周りの子もそうしているから、という理由だけで、親から塾の夏期講習をおしつけられた。
今年の夏は海も夏祭りも、花火もない。
ただ塾と家を行き来するだけの夏休み。
考えるだけでぞっとした。
「お兄ちゃん、また怒られたー」
部屋に戻ると、妹の泉が声をかけてきた。
むかむかする気持ちをおさえながら泉の方を見ると、泉は白い封筒をひらひらさせていた。
「なんだよ、それ」
ぴっ、と封筒をとりあげて、見ると、
『招待状』
と書かれている。
「ねぇ、お兄ちゃん。これに行こうよ」
泉が目をきらきら輝かせて言っている。
桂一郎は封を開けて中のカードをとりだした。
ーーーーー
『招待状』
中川泉様
高橋山の山頂にある洋館にて、子どもだけの夏休みを送りませんか?
一生に一度しかない夏休み。
楽しい思い出を一緒に作りましょう。
高橋一馬
ーーーーー
「これ、泉あてじゃないか」
「お兄ちゃんあてのもあるよ」
「よこせ、こら」
桂一郎はまだ開封していない白い封筒を手に入れた。
泉がにやにや笑いながら桂一郎の様子をうかがっている。
ーーーーー
『招待状』
中川桂一郎様
高橋山の山頂にある洋館にて、子どもだけの夏休みを送りませんか?
一生に一度しかない夏休み。
楽しい思い出を一緒に作りましょう。 高橋一馬
ーーーーー
「わお!」
と桂一郎はほえた。
「塾の夏期講習なんて、くそくらえだ。俺はこれに行く!」
桂一郎は力をこめて言った。
「問題はー」
泉が桂一郎の心を先読みしたかのように言った。
「どうやって親を説得するか」
桂一郎の心が時間のたった風船のようにしぼんでいく感じがした。
「じゃーん」
気をもたせるようにして、泉が別の茶封筒をとりだした。
「何だ?」
「保護者殿あて」
「!?」
桂一郎たちが勝手に封を切るわけにはいかないが、封筒の差し出し人の名は同じ『高橋一馬』となっている。
桂一郎と泉は一緒にその茶封筒を母親に見せに行った。
最初に話だけを聞いた母親はめちゃくちゃうさんくさがっていたが、茶封筒の中の手紙を読んでいくうち、態度が変化していった。
「高橋さんの研究に協力したら、謝礼金がもらえるんですって!!あなたたち、これに行ってもいいわよ」
桂一郎と泉は顔を見合わせて喜んだ。
「ただし、勉強道具を持っていって、きちんと勉強すること!!」
「わかったわかった」
桂一郎は顔がにやけるのをおさえきれなかった。
「本当にわかったの?こら!桂一郎」
背中に母親の声をききながら、桂一郎は思わぬ幸運がふってわいたことに感謝した。
☆
ガタタン、ゴトトン。
快速列車が田舎の田園風景の中を走っていく。
きらきら水が太陽光を反射してまぶしい。
泉はうっとりと車窓から見える景色にみとれている。
桂一郎は駅弁をがっつきながら、荷物の3分の2はもたされた勉強道具にちらりと目を向けて、
<これ全部消えてなくならないかな>
と思った。
高橋山のある町は、2年前に桂一郎と泉の一家が今の家に引っ越すまで以前暮らしていた町だ。
「そういえば、泉。お前、高橋一馬っていうやつと知り合いだったのか?」
桂一郎が疑問を口にすると、泉はふいにまじめな顔になった。
「それがね。幼稚園で同じふじ組だった子がそんな名前だったんじゃないかな、っていう程度にしか私、知らないの」
「俺はほとんど思いあたらない」
「じゃあなんで、私たちに招待状が来たのかしら?」
桂一郎は、
「どうでもいいや」
とひらきなおった。
泉は兄をしばらくみつめていたが、「ばかね、お兄ちゃん」と肩をすくめると、その話題にはもうふれようとはしなかった。
ローカル駅に着いて、駅員のいない改札を抜けて、なつかしい町へたどりついた。
「見て見て、お兄ちゃん。高橋公園だよ」
そこは幼い頃に、よく大人たちが雑談の合間にお互いに知っている子や知らない子をごちゃまぜで遊ばせていた広い公園だった。
緑の木々は生いしげり、池で噴水が水しぶきをあげている。
近くには白川が流れていた。
「あれ、この木…」
泉が一本の大きな木の幹に手をとめてじっと見入った。
少しかがみこむと、釘で彫った文字で、
『きねんの木』
と彫ってあった。
文字は何年か経過して大きくなっていた。
「ああ、そうだ!あの時の!」
泉は何か思い出した。
「何だよ?」
桂一郎が聞いても、泉は、なかなか教えようとはしなかった。
「でも、私はこれで招待状の理由がわかったわ」
とだけ、泉は自信ありげに言うのだった。
その時、ざあっと辺りの木々の葉を揺らす風が吹いた。
桂一郎は一瞬、きれいな白い姿を目撃した。
ひらひらのワンピース、すきとおる帽子。長い黒髪。
初めて女の子をきれいだ、と思った。
「緑ちゃん」
泉が声をかけると、その女の子はこっちをふり向いた。
「もしかして泉ちゃん?」
女の子二人は同時にきゃーと歓声をあげて手をとりあった。
桂一郎の中でイメージがすぐにこわれてしまった。
<何のことはない。この女の子も妹と同じうるさい女の子の一人なんだ>
と桂一郎は思い直して、ため息をついた。
「招待状?うん。私ももらった」
緑ちゃん、と声をかけられた少女は言った。
そこで彼女は、その先桂一郎と泉と一緒に行くことになった。
「夏の終わり頃にね、今の高橋公園でね、夏祭りと花火大会があるらしいの」
「えっ気づかなかった」
「掲示板に書いてあったよ」
泉と緑は道中、きゃあきゃあ言って会話を楽しんだ。
じじーわ、じーわ、じーわ。
<荷物が重い>
と桂一郎は思った。
セミの声と同時に汗が吹き出した。
どうしたんだろう。せっかくの楽しい日々の始まりのはずなのにどこか心が重い。いっそのこともたされた勉強道具全て投げだしてしまえたら…。
でも、心のどこかではシビアな自分が、母さんの言い分にも一理あるんだ、と桂一郎を責めるのだった。
<大人になる、ってことは、何でもできるようになることじゃないのかなぁ?でも実際に自分にふりかかってくる課題は、手足をがんじがらめにして、決められたことを決められたとおりにこなしていく世界の法則みたいなものだ>
「ちょっと、お兄ちゃん、聞いてるの?」
泉の声で、桂一郎は、はっと我に返った。
「お兄ちゃん、大丈夫?顔色悪いよ」
「何でもないよ。寝不足だったからさ」
桂一郎はそう言ってのけた。
この山には幼い頃家族で途中まで何回か登ったことがあった。
高橋山の中腹に高橋稲荷神社の小さなほこらが祭ってあった。
三人は手洗い場のひしゃくで冷たい水をくんで飲んだ。
「ついでだからお参りしとこうよ」
と、泉が安全祈願した。
桂一郎もがらんがらん、と鈴を鳴らして、一拍手すると、形だけ頭をたれた。
緑はお参りしたあと、小さなきつねの像や、奥にある丸い鏡を興味深くみていた。
そうこうするうちに三人は、高橋山を登って、山頂付近に人を圧倒するように建つ巨大な洋館にたどりついた。
「ようこそいらっしゃいました。中川泉様、中川桂一郎様、田上緑様」
年老いた執事が三人を出迎えた。
「あの…、高橋一馬さんは?」
「あいにく一馬様は急用でいらっしゃいません。用事が済みしだい、会いに戻られると思います」
<いったい高橋一馬って、どんな人物なんだろう>
と桂一郎は思った。
同じくらいの年の子どもばかり総勢十数名集まっていた。
顔見知りもいれば、全然記憶にない子どももいる。
でもきさくな子どもたちはお互いにすぐうちとけあった。
桂一郎も、何人かとゲームをしたりおしゃべりをしたりして盛り上がった。
泉も、緑とだけでなくいく人かの女の子たちとぺちゃくちゃいろんな話題ではしゃいでいた。
「今年の夏は特別な夏になるぞ」
と、誰かが言った。
桂一郎は半信半疑ながらも、胸がたかなるのを感じた。
「ところで誰か、一馬君と会った?」
緑が誰かに質問すると、皆、一斉に緑に注目した。
「会ってない」
「ぼくも」
「私も」
「俺も」
全員が一馬に会っていないことがわかった。
「そのうち、もったいぶって登場するんじゃないの?」
と誰かが言うと、皆、それぞれもとの話題に戻ってしまった。
☆
「おじいさま。あと少し待ってて下さいね。準備ができしだい実行に移しますから」
年のわりに、ませた口調で一馬は言った。
一馬の祖父の高橋一仁が白いシーツの広いベッドに一人寝かされていて、生命維持のための装置とつながっていた。
その時、ノックする音がして、高橋山の洋館の執事が姿を現わした。
「お客様が次々と到着されています」
「わかった。丁重にもてなしてくれ」
「はい。一馬様」
一礼して、執事は去った。
「さてと、どの人物にゆだねるか、決めなくちゃな」
一馬はそう言うなり、奇妙な機械を作動させた。
ブーン、ンンン。
ハチのうなるような音が響いた。
☆
ブーン、ンンン。
「何の音だろう?」
客間で冷たいジュースを飲んでいた鶴田進一が突然声をあげた。
「どうかした?」
桂一郎が尋ねた。
二人は今、アニメの話でもりあがっていたのに、ふいに、進一が真っ青な顔をして黙りこんだのだ。
「何か、変な感じがしたんだ。誰かが頭の中に入りこんで、のぞいていった」
「変なこと言うなよ」
桂一郎はぞっとして言った。
「いや、ごめん」
進一はごにょごにょとあやまった。
「あー、それ、私もさっき」
「え?」
桂一郎と進一は同時に顔をあげた。
「私も、何か変な感じしたよ。頭の中に誰かいた」
皆、しん、となった。
<何か変なことが起こっている>
「でも、俺は全然なんともなかったぜ」
桂一郎は気味悪がりながらも、強がって言った。
「お兄ちゃんはにぶいから、何かあっても気づいてないだけじゃないの?」
と泉が言った。
「うるさいやい」
桂一郎は泉をにらみつけた。
泉がしくしくやりだした。
雰囲気がだいなしだった。
「どうかされましたか?皆さん」
ちょうど執事が現われた。
「庭のプールで泳がれませんか?すずしくなりますよ」
皆、わあ、と言って、われ先にと身支度を整えると、プールに向かった。
「すごいすごい。なんてすてき」
緑がうきわをつけて広いプールサイドではしゃいでいる。
男の子たちはじゃぶんじゃぶんととびこんだり、もぐりっこをしたりして遊んだ。
プールに入るすべり台を泉は何度もすべっていたし、桂一郎も何もかも忘れて、きらきら光る水の中ではしゃぎまくった。
結衣と麻衣という名の双子の女子大学生がアルバイトでメイドをしていて、子どもたちが危なくないように気を配ってくれていた。
本当に二人そっくりで、なかなか見分けがつかなかった。プール掃除も彼女たちの仕事だった。
プールからあがった桂一郎は、応接間にかけてある大きな絵の前に何人か集まって話しているところに出くわした。
わいわいみんな騒いでいる。
「この絵のタイトル『バルバロッサ』だって」
「何か意味があるの?」
「知らないの?バルバロッサ城の伝説」
「僕知ってるよ」
鶴田進一が言った。桂一郎は、進一と仲がよくなっていたので「へえ」と思った。
「バルバロッサ城の伝説―毎年十数人の少年少女が城に招かれて行方不明になっている。そういえば、高橋のこの洋館はバルバロッサの城をモチーフに建てられているらしいけど…」
「怖―。俺たちも行方不明になるのかよ」
わいわいがやがや。
<まさかそんな話あるはずがない>と桂一郎はたかをくくった。
「うわさじゃ、その城の主が若さを保つために、少年少女の臓器や血液を奪って自分のものにするらしい」
「うわさだろ?」
「本に書いてあったらしいよ」
「夏の怪談かぁ」
「かもね」
進一は肩をすくめてみせた。
☆
「…だって、あなた。研究に協力した子どもには謝礼金が出るって書いてあったんですもの」
「君は子どもを金のために危ないめに合わすのか?」
その頃、桂一郎の両親が家で夫婦げんかをしていた。
「だって、絶対危険じゃない、って書いてあったし、それに…」
「それに?」
「もしかしたら、一生暮らすのに困らないだけの大金がもらえるかもしれないって…」
「そんなことまで書いてあったのか?」
桂一郎の父親は母親に凄い剣幕で問いただした。
「それこそ、金には代えられない、何か、大事なものとひきかえにされるかもしれないんだぞ。どうするんだ」
「そんな…」
「とにかく警察へ相談に行こう」
「無茶よ…」
「何で?」
「高橋家は莫大な財産と権力を持っていることで有名なんですもの。警察も相手にしてくれないわ、きっと…」
「ばかやろう。やってもみないであきらめるんじゃない。行くぞ」
「…はい。あなた」
桂一郎の母親は、夫に手をひかれて立ちあがった。
☆
「お兄ちゃん、まだ思い出さないの?」
泉が言った。
桂一郎はくやしいけれど、こっくりとうなずいた。
昨夜、皆で手持ち花火をしたのだけれど、桂一郎はそのときの記憶がぽっかりとぬけおちていた。
「一番はしゃいで大騒ぎしてたのよ」
「でも俺は、頭が重くて早く寝たはずなんだ」
皆が顔を見合わせて肩をすくめた。
「ぼくは、一緒にいて、確かに桂一郎君が部屋に早く入ったのを見たよ。でもそのあとすぐけろっ、として『さあ花火だ』って言って元気にとびだして行ったのも見た」
「何、それ」
誰かが、あははは、と笑った。
桂一郎本人にとっては笑い事じゃないのに。
「スイカが冷えてますよ」
双子のメイドが皆に声をかけた。
わあい、と皆スイカを食べに食堂へばたばたと走り去った。
「桂一郎くん、行かないの?」
「ほっといてくれ!」
桂一郎は、しかめっつらで、声をかけてくれた緑にどなった。
緑はどうしようかしばらくなやんでいる風だった。
「スイカが待ってるよ」
そう言って、緑も行ってしまった。
一人とり残されて、桂一郎は思った以上にショックだった。
いつからだろう?こんな時に皆の後を追いかけていけなくなってしまった自分が嫌だった。
☆
「桂一郎君が一番シンクロ(同調)しやすいみたいだな…」
一馬が機械のメーターを見ながらつぶやいた。
「おじいさま、花火遊びは楽しかったですか?」
ベッドの中の老人はこの上ない喜びで一杯の表情でうなずいた。
一馬もほっとした表情になると、
「それじゃあ、もう少し桂一郎君に協力してもらうことにしよう…」
と、真剣なまなざしで、機械に向き直った。
☆
桂一郎が気がつくと、広い洋間の広いベッドに一人寝かされていた。
体が思うように動かない。
鼻と口をプラスチックの何かにおおわれて、力の入らない腕に注射のチューブが何本もつながっていた。
「なんだこれ」
口を動かすと、しわがれた声が出た。
「おじいさま?…いや、桂一郎君かい?」
誰かが、顔をのぞきこんだ。ひたいに×印の傷がある。
全身に痛みが走った。
「うわああああっ」
叫んで我に返ると、部屋で漫画の本を読んでいる途中で眠りこんでいた所だった。
「何て夢だ」
心臓がばくばくいっている。
桂一郎は誰かに救いを求めようと部屋を出た。
「桂一郎くん」
緑がちょうど廊下を通りかかった。
「緑、緑、俺、何かにとりつかれてる」
「……」
緑は、他の子どもみたいにうやむやにしようとはしなかった。
桂一郎の話を黙って聞いてくれた。
「きっとそれは一馬くんだと思うわ」
「えっ?」
そういえば、まだ桂一郎は一馬と一度も顔を合わせていなかった。
「高橋一馬ってゆーれいだったのか?」
「ちがうちがう。…この洋館のほとんどの部屋に入ることはできるけれど、本当はもっと部屋があって、隠し扉からしか入れないらしいのよ。そこに一馬くんはいるみたい」
「何でそんな事知ってるんだよ」
「しいっ。声が大きい。…何人かで調べてるのよ。進一くんたちが廊下の合わせ鏡があやしい、って言ってた」
二人は誰もいない長い屋敷の中央廊下に行き、問題の合わせ鏡の前に立った。
「いつもここに来ると、執事のおじいさんがどこからか出てきて調べられないんだけど、…今は大丈夫そうね」
鏡を両方調べてみると、外壁の方に近い鏡が、少し押しただけで、ガタン、と動いた。
「ビンゴ!!」
桂一郎と緑は、力を合わせて、鏡を扉のように横へ押し開いた。
「わぁ」
廊下に沿ってもう一つの細くて暗い廊下が左右にのびていた。
「あかりがないと、危ないわね。出なおしてきましょう」
緑がとりあえず、おちついた声で言った。
「いや、今すぐ懐中電灯とってきて行こう」
桂一郎がはやる気持ちを押さえられずに言うと、二人の背後に誰か立った。
「その必要はありませんよ」
執事の老人だった。
☆
その頃、警察に行った桂一郎の両親は、事情をすっかり話して相談をしたが、
「事件性はないようですね」
と言われて、結局すごすごと帰るはめになった。
「警察は事件が起きてからしか動いてくれないのか…」
と桂一郎の父親は無力感を感じながら、妻をはげまして帰路についた。
☆
「…逃げろ、緑」
「えっ、でも」
桂一郎は緑を自分の後ろにかばって、背の高い執事を見上げた。
<きっと、秘密を知ったら殺されるんだ>
と桂一郎は生つばを飲みこんだ。
『バルバロッサの城の話』
あの話が今、桂一郎の脳裏に浮かんだ。
<俺たちも、一馬という人物に殺されるんだ、きっと…>
桂一郎は身を固くしながら、
<せめて一緒にいる緑だけでも助けなきゃ>
と思った。
「…逃げる必要もありませんよ」
執事が肩をすくめてあっけなく言った。
桂一郎は思わずかくん、と力が抜けてしまった。
「一馬様が桂一郎様にお会いになりたがっていらっしゃいますが、いかがいたしますか?」
「いかがいたしますか、って、…いかがいたしましょう?」
桂一郎が緑を振り向いて間の抜けた声で言うと、緑がけらけら笑った。
「私も一緒に行っていいですか?」
「はい。緑様」
執事は隠し扉の内側にあるスイッチを慣れた手つきで押した。
すると暗い廊下にあかりがともった。
「お屋敷の方しか使われていない部屋がいくつかあるのですが、一馬様は、大だんな様と一緒にいらっしゃいます」
「大だんな様って?」
「高橋家の莫大な財産を一代で築きあげられた一仁様です。私も若い頃、一仁様にお世話になって、以来この屋敷に長年勤めさせて頂いております」
「どうして一馬くんも一仁さんも私たちに今まで顔を見せてくれなかったんですか?」
緑が疑問を口にした。
「一仁様はご高齢で寝たきりになられて、『余命いくばくもない』と医者から宣告を受けられました。一馬様は一仁様を気づかって、つきっきりでお世話をされています」
桂一郎は夢で自分がベッドに横にさせられていて、誰かが顔をのぞきこんだ時の事をけんめいに思い出そうとした。
<あれは正夢だったのかな>
という予感がした。
寝ていて具合が悪いのが一仁さんだろう。信じられないことに、桂一郎はあの時、中身が入れ替わったのだ。
「こちらです」
ドアが開き、白い色で統一された広い部屋へ通された。
「お前が一馬か!」
夢で見た、桂一郎と同じ年くらいにみえる少年の顔を見るなり、桂一郎は声をあげた。
「そうだよ。桂一郎君」
一馬は落ちついた声で答えた。
「前にも会ったね。挨拶が遅くなって悪かったよ」
一馬は笑って言ったが、どこかぎこちない笑顔だった。ひたいに確かに×印の傷があった。
握手を求めてさしのべた一馬の手を桂一郎は乱暴にふりはらった。
「俺にはわかるんだ。お前、悪だくみしてるだろう」
桂一郎の言葉に、一馬は一瞬だけたじろいだ。
「君には悪だくみに思えるかもしれないけれど、ぼくにとっては良い事をしてるつもりなんだよ」
一馬はすぐに冷静さをとり戻して言った。
「ごらんの通り、ぼくのおじいさまはひん死の病に冒されている。ぼくはおじいさまを自由に動けるようにしてあげたくて、この機械を作ったんだ」
桂一郎や緑にとってなんだか得体の知れない複雑な機械を見せられた。
「これ…動くの?」
緑がびくびくして聞いた。
「動く」
と、一馬は胸をはって言った。
「この機械で何をするんだ?」
桂一郎は一生けんめい、負けまいと自分を勇気づけながら聞いた。
「おじいさまの人格を、他の誰かの中へ一時的に入れるようにできるんだ」
「えっ!?そんなこと本当にできるの?」
桂一郎と緑はびっくりした。
「…おじいさまは、子どもの頃、戦争を体験した世代の人なんだ。今の平和な時代の子どもはどんな風なのか、と言われたので…」
一馬は年に似合わない大人びた口調で言った。
「でもだからって、勝手に他人の記憶と入れ替えて良いって事にはならないだろ」
桂一郎はにぎりこぶしを作って言った。
「ごめん」
一馬はぶっきらぼうに言った。
「第一、お前だって『今の子ども』なんだろ?だったら何で自分で代わりをしないんだよ」
「ぼくじゃ…だめなんだ」
この時、はたで見ていて、
<一馬は泣くんじゃないか>
と桂一郎は思った。
「ぼくは普通の小学校に通っていない。この屋敷にずっと暮らしている」
緑が桂一郎をつっついた。
「一馬くんは、天才博士号の少年現る!って一時期世間で騒がれてから、ずっと今まで姿をかくしていたのよ」
桂一郎はまじまじと一馬を見た。
大人ぶって身勝手で嫌なやつに見えた一馬が、なんだかちっちゃなかわいそうな子どもに見えた。
「それでも、自分の知らないうちに勝手に自分の体を使われて、記憶まで盗られるのは嫌だ」
桂一郎はきっぱりと言った。
「わかった。もう、こんなことやめるよ。…でも、ぼくたちは君に感謝している。老い先短いおじいさまに少しでも若い日々を体験させてもらえたんだから。ありがとう」
一馬がなんともいえない表情で礼を述べた。
「…」
<本当にこれでいいのか?>
桂一郎は自問自答した。
「…だから、勝手にされるのは嫌だって言ってるんだよ」
桂一郎はとっさに叫んだ。
「…?」
皆、桂一郎に注目した。
「ちゃんと、俺にも同じ記憶が残って、そのおじいさんが夏祭りとか、花火とか一緒に体験できるようにするんじゃなきゃ嫌だ」
「桂一郎君!」
一馬がぱっと喜びの表情になった。
「できる。できるよ。君が言う通り。協力してくれるんだね」
「ありがとう桂一郎くん」
緑がいきなり桂一郎に抱きついた。
桂一郎は真っ赤になって緑をつき放すと、
「何でお前までお礼を言うんだよ」
と叫んだ。
「だって私もし桂一郎くんが断わったら、私が代わりにやろうかと思っていたんだもの」
緑の言葉に桂一郎は絶句した。
執事の老人が事の成り行きを見守りながら、うんうんとうなずいていた。
☆
「人間の脳幹から出る電磁パルスを機械で交換するんだ」
一馬の説明に桂一郎は呆然とした。
そんなことができる機械を一馬が造ったことにびっくりだった。
双子の女子大学生もお互いに入れ替わって研究に協力した。
口の中の味とか、においとか、五感がいくら双子でも全く同じというわけではないらしかった。
事情がわからず、泣いて怖がった子たちはそっとしておいた。
「でもな。目的はおじいさんのことだけだったんだろう?最初は」
進一が言った。
「そうだ」
一馬はうなずいた。
「いつかこの研究を狙って悪いやつらが必ず現れる。だから、目的を果たしたら機械を壊してくれ」
「…」
「どうせ設計図は頭の中にあるんだろう?」
いじわるく言う進一に、めずらしく一馬が微笑みをみせた。
桂一郎は、進一ならあるいは一馬の良き理解者になるのではないかと思った。
☆
廊下の奥まった部屋は図書室と子ども部屋が隣接していた。
特に子ども部屋は居心地がよく、天井には空、壁には動物の絵が描かれて、やわらかい毛足の長い絨毯とビロード張りのソファがあった。
泉たち女の子がよく集まって双子のメイドから本を読んでもらっていた。
「俺、他力本願やめた!」
桂一郎は一人部屋でまんじりともせずに、宿題の山に向かった。
夕食のとき、妹が桂一郎によってきた。
「ねえ、お兄ちゃん聞いて聞いて」
「なんだよ泉」
「…おわり
おわりがくる
ぼくたちおわりなんかになりたくない
おわり
おわりがくる
おわり」
「なんだそりゃ」
「進一くんの夏休みの宿題の詩だって。すごいねぇ」
「なんか本当にすごいなあいつは」
桂一郎はもごもご言った。
☆
8月30日の夜。
高橋公園に出店が並び、夏祭りが行なわれた。
(31日には皆それぞれの家へ帰る予定だった)
「じゃあ、おじいさまをよろしく頼むよ。桂一郎君」
一馬はそう言って、洋館の玄関まで見送りにきた。
「一馬くんも一緒にくればいいのに」
と、緑が言うと、
「ぼくは、機械を調整したり大事な役目があるから」
と一馬は断わった。
皆を送り出す一馬の一人ぽつんと残る姿は、さびしそうだった。
色白の青ざめた表情が桂一郎の心にやけに印象に残った。
<あれも、君たちみたいに元気に太陽の下で思いきり遊べるといいんだがな…>
一仁老人の声が桂一郎の頭の中で言った。
みんなが坂を下っていくときに、
「ごめん、先に行ってて。忘れ物」
と、進一が言って、一人洋館の方に引き返した。
☆
忘れ物で戻った進一は、一馬についていてやりたかったのだが、一馬のいる部屋へ行くために合わせ鏡の通路に入ったとき、一匹のこうもりに出くわして、道を間違ってしまった。
天井とか壁がいつのまにか土の通路になり、裸電球がたよりなく足元を照らしていた。
「俺、なにやってるんだろう…」
はああ、とため息をついた。
進一は引き返さずに通路を進み、やがて山の中腹の高橋稲荷神社の隠し扉から外へ出た。
高橋家の誰かに何かあったときは、ここから逃げられるんだと、なんとなく進一は安堵の思いを抱いた。
一馬はきっと根は悪いやつじゃない。そばについていて手助けしてやろう、と進一はこのとき決心した。
☆
「高橋山のお客さんは、みんなただでいいよ」
「えーーーっ!?」
出店のおじさんの言葉に子どもたちは皆、色めきたった。
わたがし。
りんごあめ。
ヨーヨーつり。
しゃてき。
たこやき。
やきそば。
お面。
おもちゃ屋。
かき氷。
…エトセトラ。
みんな、みんな、高橋山のお客にサービスをしてくれた。
<ありがとう、おじいさん>
桂一郎は皆を代表して頭の中でお礼を言った。
<なぁに。わたしも一緒に楽しんでるんだからたやすいことさ>
ちょっとおどけた感じの心の声がした。
桂一郎は、初めのうちおっかなびっくりで一仁老人を受け入れてはいたものの、一仁老人の人柄に、すぐにうちとけていった。
太鼓の音が鳴り響いていた。
「踊り、知ってる?」
地元の子どもにはよく慣れ親しんだ曲がたて続けに四曲かけられた。
泉がうちわをどこからかもらってきて桂一郎に渡した。
緑が
「一緒に踊ろうよ!」
と呼んでいる。
<桂一郎君、行こう>
<でも、俺…>
桂一郎はいつからか消極的になっていく自分のことをどうにもできずにいたのだが、この時、一仁老人が桂一郎の足を前へ押し出した。
ついでに桂一郎の心も前へひっぱられて、とびだしていった。
あたしゃはたおりはたおり娘♪
「何だこの曲?」
「機織り娘」
あたしゃ
はたおり
はたおーりー
娘―
あたしがさい
はたばおりよっとさい
嫁にくれー嫁にくれて
村の若い衆が言いよっとさい
あたしゃ
はたおり
はたおーりー
娘―
「きゃー、桂一郎君、何その踊りっ」
女の子たちがひょうきんな踊りを踊る桂一郎に大爆笑した。
他の男の子たちも調子に乗って、皆めちゃくちゃに踊った。
いや、踊りというよりは、とんだりはねたり、元気なわんぱくたちの集まりだった。
見物に来ていた人たちも、地元の人たちもほがらかに笑った。
桂一郎は、中でも自分が一番楽しんでいるのに気づいた。
<そうだよ。夏はこうでなくちゃ。一番楽しい季節で、俺は、夏が大好きだったんだ>
<今も大好きだろう?>
<そう。そうだよ>
なんだか泣きそうな気持ちで桂一郎は思った。
「踊りの後は花火大会よ」
緑が皆に声をかけた。
「洋館に戻ろう。屋根の上のテラスからの眺めがいいらしいぞ」
一仁老人が桂一郎の声で皆にそう言った。
桂一郎は誰よりも早く高橋山を駆け上って行った。
☆
どーん、ぱらぱらぱら。
暗い夜空に打ち上げ花火があがった。
「たーまや」
「かーぎや」
「何だそれ?」
「かけ声」
皆わいわいと騒ぎながら、洋館の屋根の上のテラスから花火を見ていた。
「ねぇ、きれいね」
髪を全部上にまとめて、きれいなゆかた姿の緑が、うちわで口元をかくしながら笑ってふりかえった。
「緑ちゃんもきれいだね」
<わあ、ばかばか、何でそんな事俺の声で言うんですか?>
<すまんね。桂一郎君。だけど、本当にそうは思わないかい?>
<それは…>
「またおせじばっかりー」
けらけら笑う緑。
彼女は前に花火をした時、桂一郎がいつもと違うのに気づいていたらしい。緑はすごいな、と桂一郎は思った。
『きれい』
それはたった一つの言葉なのに何ていろんな意味をもっているんだろう?
光や色の織り成す鮮やかな花火。
まだ幼い子どもたちの生き生きとした姿。
桂一郎は自分の目で見ているのに、もう一人の人物の見ているものを同時に見てびっくりしていた。
生きたい、という気持ちがとても強く感じられた。
そして、今、生きている、という実感も感じた。
桂一郎は老い先短い老人に同情して、そしてそれを悟られまいとした。
<いいんだよ、桂一郎君>
<一仁おじいさん>
<せっかく生まれてきたんだからね、これから先の人生、悔いを残さないように生きるんだよ>
「おじいさま、そろそろ戻りましょうか」
その時、洋館の中にいるほうの一馬が声をかけてきた。
「ああ、ありがとう、一馬」
そう言って、桂一郎の中から一仁老人は消えた。
☆
「もうこれ以上思い残すことは何もないよ、一馬。お前も一度きりの人生、悔いの残らないように生きなさい」
一仁老人が白いシーツの中から孫をやっとの思いで見やりながら声をかけた。
「おじいさま…」
一馬は子ども本来の姿でわっ、と泣きじゃくった。
「桂一郎君たちには感謝してもしきれないな…」
一仁老人の目にもなにか光るものがあった。
「一馬。お前は発明の才能がたまたま幼い頃からあったばっかりに、かえって、損をしておるな。…誰か友人を作りなさい。その友人を大切にしておれば、本当に大事なものがみえてくるはずだから」
「はい。おじいさま…」
一馬は素直に一仁老人の言うことを心にとめた。
「やがて、夏が終わる」
一仁老人は一人、つぶやいた。
☆
翌日。
帰りの列車の中で桂一郎は黙りこくっていた。
「お兄ちゃん、お弁当食べないの?」
泉が尋ねた。
泉は桂一郎の身にこの夏何が起きたのか知らされてはいなかったが、桂一郎の様子が明らかに変わったことに気がついていた。
いつもだったらとっくに残さずたいらげてしまっているはずの駅弁に、桂一郎はなかなか箸をつけようとしないのだ。
「うん…。食べるよ。…それより、泉」
「何?」
「お前、高橋公園の木に彫ってあった『きねんの木』の意味、教えてくれないか?」
「……」
泉は真っ黒い、きらきら光る瞳で兄の桂一郎をじぃっとみつめた。
いつもだったらすぐそらしてしまうのに、桂一郎はみつめ返して、絶対目をそらさなかった。
「…小さい頃、一緒に遊んだ子どもたちみんなで話し合ったのよ。『何年かたったら、また一緒に会おう』って。その時、一馬くんが『ぼくがみんなに招待状を出すよ!大人が反対しても来れるようにちゃんと手をうつから安心して』って言って、『ぼくはここに誓うよ』って木にあの文字を釘で彫ったのよ」
「ああ!!」
桂一郎は忘れていた昔の記憶をおぼろげながら思い出した。
「そうだった。…あの時の一馬は、『みんな、ぼくのともだちだから』って言っていた」
桂一郎は、今回の事を思い、一馬にとって何か皮肉な運命が動いているような気がして、とても一馬がかわいそうに思えた。
<俺は一馬を救ってやれたのかな…?>
その疑問に答えはないようだった。
「それよりお兄ちゃん。緑ちゃんには告白したの?」
ぶっ。
飲みかけのジュースを桂一郎は一気に吹き出した。
「おま…お前何を言うんだ」
わなわなとしながら桂一郎は
<このなまいきな妹をどうしてやろうか>
と思った。
でも、荷物の大事な物を入れるポケットに入れた手帳の事を思い出して、ちょっとぼんやりとなった。
「桂一郎くん。これ、私の連絡先」
こっそりと緑がくれた紙きれのことを思って、桂一郎はなぜか胸がどきどきするのを感じた。
「お兄ちゃん、ジュース、ジュース」
泉の声にはっ、と我に返ると、手に持っていたはずのジュースをひっくり返して辺り一面びしょびしょになってしまっていた。
「あーもう、何やってんだかー」
泉はそんな文句を言いながらも桂一郎が後しまつをするのを手伝ってくれた。
「泉」
「何?」
「ありがとう」
「何が?気っもち悪ーい」
泉はしかめっ面になると、桂一郎にあかんべーをした。
桂一郎はあはは、と笑った。
☆
「あれ?お父さん、お母さん」
泉が先に気づいて声をあげた。
桂一郎は、重い荷物を背負いなおして、駅の改札口から駅員に切符を渡した。
「なんで迎えに来てるの?」
きょとんとして桂一郎は尋ねた。
「お前、変な研究に協力させられなかったのか?」
心配して父親が聞いた。
<父さんは、今日は確か仕事の日のはずなのに、何で迎えに来ているんだろう?>
と桂一郎は思った。
「あれ、何で知ってるの?」
「やっぱり。…大丈夫なの?」
母親が桂一郎をひきよせて顔をのぞきこんだ。
「大丈夫。勉強は全部やってきました」
「あなた。やっぱり桂一郎おかしくなってる」
「ちょっと待てー」
桂一郎は母親の言葉に叫び返した。
「自分の子どもしんじろよ」
今度は両親がきょとんとして桂一郎を見つめた。
「あの…桂一郎。もしかして高橋さんの研究に協力してお礼とか、もらってきて…ないわよね?」
母親がごにょごにょと言った。
父親は舌打ちして、妻を見た。
「研究には協力したけど、謝礼金は断わってきました」
「えええっ」
母親がのけぞった。
「この先どうなるかわかんないけどさ、俺、自分の力でがんばってみるよ。塾も、行かなきゃ、って思った時に行くから、それでいいでしょ?」
桂一郎のほがらかな顔を見て、父親の方は安心したようだ。
ぽん、と頭に手をのせて、桂一郎の髪をくしゃくしゃにした。
「家へ帰ろう」
泉が言った。
桂一郎は、ふと、後ろをー一生に一度きりの特別な夏休みを、一瞬だけ振り返った。
そして前を向いて歩きだした。
<fin.>
高橋一馬君と鶴田進一君は、私の小学校のクラスメートの名前からもらった名前です。思えば小学生のころから図書室の常連でムーミンシリーズをこよなく愛し、自分でお話をノートに書き綴っていました。大学卒業後図書館司書の資格がとれたときはとても嬉しかったです。高橋一馬のエピソードは頭の中にまだいろいろあるので、そのうち文字に起こそうと思います。