3話 ファーストコンタクト
俺はゆっくりと階段を上る。別に階段がボロでゆっくり歩かないと崩れるとかいう欠陥の類ではない。だだ単に事態の進行を遅らせたいだけだ。正直、街になんて行きたくもないし興味もない。だが、葵が行くから仕方なくついて行かざるを得ない。葵が行く所なら、たとえ火の中水の中草の中森の中、土の中雲の中あの子のスカートの中にだってついていく。犯罪めいて聞こえるが、あくまでも保護者として。事実俺は葵の保護者だし。念押ししておかないと通報されかねない。
そんな益体もないことを考えていたら、俺の部屋の前に着いてしまった。俺より先にリビングから出て行ったルウはきっとここにいるだろう。しばらくの逡巡ののち、俺はドアを開けた。
「遅い。」
部屋の中に入った途端開口一番に言われ、ルウはジト目で俺を睨め付けてきた。
「仕方ないだろ。嫌なことが先にあると足も重くなるし心も重くなる。俺は悪くない。面倒事を持ってくるルウが悪い。」
「清々しいまでの責任転嫁だな。」
俺の言い訳を聞くと、ルウはあきれたようにため息をついた。俺と話してるとため息ばっかついてるけど、ため息ついてると、幸せが逃げちゃうよ?
「まあいい。とりあえず服を用意したから、それに着替えてさっさと出発するぞ。」
そう言われてベッドの上に置いてある見慣れない服があることに気づく。黒を基調とした、長袖長ズボンの一見するとジャージのような服だ。
「この服、どうしたんだ?」
「作った。」
俺が聞くとルウは大したこと無さそうに答える。作った?どうやって?
「下で待ってるから早く来いよ。荷物はいらないから。」
俺が疑問に思っていると、そう言ってルウは早々に部屋から出ていった。まあ、どうやって作ったかなんて知らなくても大した問題じゃない。
俺はルウの言葉に従い、さっさと着替えることにした。荷物はいらないと言われてしまったので、スマホと財布は置いていく。異世界でスマホ、使ってみたかったな……
部屋から出ると、ちょうど葵も自分の部屋から出てきたところだった。
「あ、お兄ちゃん!どう?似合う?」
葵はそう言うと俺の前でくるっとターンしてみせ、膝上スカートがふわっと広がる。紺のスカートに白シャツ、淡い水色の薄手のパーカーがよく似合っている。
「可愛い可愛い超絶可愛い。」
無意識に早口で呟いていた。自分で自分が時々怖くなる。こんなに可愛いと、妹さえいてくれればいいと思ってしまうな!
「えへへ、ありがと!」
だが葵は気色悪い俺の褒め言葉を素直に受け取りはにかむ。
守りたい、この笑顔。
そう心に誓い、ルウの待つ一階へと歩みを進める。
俺達がリビングに着いたとき、ルウはの机の上でうとうとしていた。服を作って疲れたのかしらん?葵の来ている服も恐らくルウが作ったんだろう。
「ルウちゃん見て見て!どう?似合う?」
葵はルウに駆け寄ってさっき俺にしてみせたようにくるっとターンしてみせていた。
それまでルウは眠そうにしていたが、そんな葵の姿を見ると表情を一変させる。
「可愛い可愛い超絶可愛い。」
ルウは早口で呟く。え、こわ。さっきのやり取りを見ていたのかと疑いたくなるような再現度だ。葵が可愛いから仕方ないね。
「よーし、しゅっぱーつ!」
二人からお褒めの言葉を頂いた葵は上機嫌で"おでかけ"の始まりを告げた。
外に出ると、空は相変わらずの晴れ模様だった。葵と出掛けるには最高のコンディションだというのに、出掛ける目的と場所がいささか不透明な分、俺の心は晴れない。街へ行く、とは言っていたが、周りは草原が広がっているばかりで街がどこにあるのか皆目見当がつかない。気が進まないが、こんな時はルウに聞くしかない。
「で、どうやってその街とやらに行くんだ?」
「ああ、それは―――」
「―――――――きゃああああああああああああ!」
俺の質問にルウが口を開きかけたとき、どこからか女の悲鳴がかすかに聞こえてきた。だが、周りを見渡してみても、人影一つ見当たらない。
「お兄ちゃん!上!」
葵が俺たちの前方上空を指差し、俺もその目線の先に目を向けると、かろうじて姿が確認できるほどの位置に箒にまたがっている少女を見つけた。空飛ぶ箒って、魔女かよ。何?ここ魔女がいるの?だがその少女の様子が明らかにおかしい。正確には箒の様子が。まるでいうことを聞かない馬のようにあっちこっちへと空をものすごい勢いで駆けている。端的に言えば暴走状態で、またがっている少女は箒から落ちないようにするのが精一杯といった感じだ。
これはおそらくこの世界でのファーストイベントだ。ここであの少女を俺が華麗に救出し、華々しい異世界生活をスタートさせる!と意気込んだはいいのだが、どうやって助けるんだ?およそジャンプして手が届く距離ではないし、届いたところでどうしようもないので、解決策が全く浮かばない。
「大人しくしてよ!なんで言うこと聞かないのー!?もー!」
やけくそになったのか、少女は箒をペシペシ叩きながら喚いている。すると箒は叩かれて機嫌を損ねたのか、その場で急旋回して地上へと、正確には俺めがけてまっしぐらに向かってきた。親方!空から女の子が!いやいやいやふざけてる場合ではない。あの勢いのままぶつかったら間違いなく死ぬ。箒に貫かれて死んでしまう。
「逃げるな!受け止めろ!」
「はあ!?無茶いうなよ!」
ルウはこんなときにアホみたいなこと言いやがって…お前を緩衝材代わりにしてやろうか。しかし俺が逃げたところでこのままの勢いだとあの少女は地面に激突してただでは済まないだろう。受け止めるにしても、何か衝撃を吸収するものがないとな…考えていると、着ている服に目が留まる。ルウが作った服だ。もしかしてこの服には魔力が込められていて、衝撃を吸収できる……?だからさっきルウは俺に受け止めろと言った?合点がいった。それならそうと言ってくれればいいものを。俺は不敵な笑みを浮かべ、少女を待ち構えた。どうにかなる。そんな俺の様子を見て、少女は目を瞠っていた。
「え!?あの人何やってんの!?このままじゃぶつかっちゃうよ!」
そして喚いていてもどうにもならないと思ったのか、やけくそ気味に箒に対して命令した。
「いい加減止まれ―――――――!」
少女の悲痛な叫びが辺り一帯に響き渡った。
時間さえ止まってしまったのかと錯覚した。
暴走していたのがまるで嘘かのようにピタリと止まる箒。
箒が止まったことに安堵する少女の笑顔。
それを見て同じく安堵したルウと葵、気が抜けた俺。
そして箒から勢い良く放られる少女。
「「「「……あ。」」」」
四人(三人と一匹)の声がハモった。箒が止まった反動に耐え切れず、少女の手が箒から離れてしまっていた。
「ひゃあああああああああああああああああ!」
少女は悲鳴をあげ、そのまま俺の胸へと勢い良くダイブし、俺は思い切り後ろに押し倒された。
「いってえ……」
おかしい。衝撃が微塵も吸収されていない。骨の一本や二本やられたんじゃないか?これ。まさかルウは何の考えもなしに受け止めろって言っていたのか?期待した俺が馬鹿だったのか…受け止めたのが少女だけだったので死にはしなかったが、痛いものは痛い。まあ、少女を助けられたから良しとするか。体の痛みよりもなんとか助けられたという達成感の方が俺の胸を満たしていた。ミッションコンプリート。完。
「むー!むー!」
俺が悦に入っていると、すぐ近くで何やら可愛げな鳴き声が聞こえてきた。何ぞと思ってその声の主を見れば、少女は俺に抱きしめられていて身動きが取れず苦しそうに足をばたつかせていた。
「うおっと!悪い悪い。」
どうやら受け止めてそのまま抱きしめていたらしい。やだ何それ怖い。命の恩人から危うく小さい子に手を出す犯罪者に成り下がってしまうところだった。俺は慌てて体勢をほどき、少女を解放する。ふと遠くから鋭い視線を感じると、ルウがゴミを見るような目で俺を見ていた。おいやめろ不可抗力だ不可抗力。
少女は俺から解放されると呼吸を整え、すぐに立ち上がり俺の上から退いた。それに伴い俺もすぐに立ち上がる。少女を受け止めた部分と倒れた時に地面で打った頭が多少痛むが、問題なく動けそうだ。少女も特に外傷もふらついた様子も見受けられないし、大丈夫そうだ。顔が少し赤いが、まあ俺のせいだな。
少女はスカートの裾を数回はたき、俺の正面に立ってから話し始めた。
「すみません。ご迷惑をおかけしてしまって。」
そう言って少女は申し訳なさそうに頭を下げた。が、そのあと少し考えるようなそぶりを見せて、言葉を付け加えた。
「ありがとうございます。助けてくださって。まったく……死ぬところでしたよ。」
笑顔で感謝の言葉を述べ、直後にいたずらっぽい笑みを浮かべる。表情がコロコロ変わる子で、いたずらっぽい笑みは少々大人びていた。死ぬところだった、というのは箒のことか、はたまた俺のことか。俺のことだな。
「ああ、すまん。」
俺は謝罪と感謝の言葉と文句をいっぺんに受け、そんな気の抜けた返事しかできなかった。相変わらずのコミュニケーション能力の低さだ。
「お兄ちゃん!大丈夫?」
葵がルウと一緒に心配そうに駆け寄ってきたので、ああ、と答えて無事を示した。さっきから俺、ああしか言ってないな。カエルを食わないと話せないのかよ。
そして俺の無事を確認した葵は、少女と同じくらいの目線の高さになるように若干中腰になって少女に話しかける。
「こんにちは。私は都葵っていうの。それで、」
葵はそこで言葉を区切り、目線を俺に向けてきたので、葵に倣い俺も名乗る。
「俺は都康斗だ。」
「それで、あなたはあんな所で何をしてたのかな?」
葵は優しい声で少女に語りかける。俺ではなく葵が話すという判断は適切だろう。少女も俺より葵の方が話しやすいはずだ。俺は子供の相手はあまり得意ではないし、どう接すれば良いのかわからないので、無愛想な態度になり子供に好かれない。
だが少女は葵の話を聞いても質問に答えず、それどころか頬を膨らませ、まるで拗ねたようにそっぽを向いてしまった。そんな姿は実に子供っぽいが、どうしたんだ?と、俺と葵が揃って困惑していると、少女は小声でぼそっとつぶやいた。
「私、こう見えても今年で16なんで、子供扱いされても困るんですけど……」
訪れるひと時の静寂。え、まじ?外見からつい小学生、いっても中学生くらいの歳だと思ってた。葵と同い年だったのか。質問をしていた葵は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まっている。そんなリアクションしたら失礼だろ……可愛いから許すけど。俺が。仕方がないから代わりに聞くとしよう。
「で、差し支えなければ名前と、さっきは何をしてたのか教えてほしい。」
俺が葵と話すときのように極めて普通に話すと、少女はそれでいいです、と言い、一つ咳払いをすると、少女は最高の笑顔を振りまいた。
「私の名前はアステルといいます!あなたたちを連行しに来ました!」
再び訪れる静寂。最高の笑顔で放たれた言葉に、俺たちは笑顔を返すことはできなかった。