第4章・再び、寒
試合は進み、9回ウラ2−1で負けている。
「あ、あれは……カナ!?」
辰真から少し離れたところで固まっている女子の中に、香奈が遅れて入っていった。
(神代君を見に来たのかな……?)
まさしく、その神代がバッターだった。
「がんばってー!」
女子たちがいっせいに黄色い声援を送る。
(ははは……大人気だなぁ)
などと思っていると、辰真のすぐ隣に座っている男が声を張り上げる。
「しっかりやれよー! 才輝ィ!」
(さいき、って言うのか。彼は)
「女の子が見てる前で恥かくなよー! つーか羨ましいぞー、コノヤローっ!」
どんな応援だ。
辰真は笑いをこらえようとしたが、成功しなかった。
そして、2ストライクに追い詰められたバッターボックスから、快音が響いた。レフト線のヒットだ。2塁ランナーが帰れば逆転となる。
まず3塁ランナーがホームイン。そして2塁ランナーが3塁を蹴ったとき、バックホームの球が投げられる。
「間に合うかな……!?」
決定的瞬間を狙い、カメラを構える。
「とべえぇぇぇぇぇ! 孝太郎!」
隣の男の声と同時に、ランナーとキャッチャーが激しくぶつかった。
しばしの間呼吸をするのも忘れて、審判の声を待つ。
「セーフ! セーーフ!」
「やった!」
香奈たちがいっせいに湧く。
「スゴイ、逆転だ!」
辰真も自分のことのように喜んで声をあげる。が、その声はすぐに落胆に変わるのであった。
その後、会社のオフィスにて。
「はーーつーーほーーっ!」
またもや木場の落雷だ。
「お前はなんで肝心のところでしくじるんだ!」
「す、すいません……」
やってしまった。辰真はやってしまったのだ。
「逆転の決まった瞬間を……なぜ? なーんーで!? 撮り忘れるちゃうんだ!?」
「あまりに熱中しすぎまして、つい……」
「それでもジャーナリストか! お前の役目は冷静に事実を捉え、明確に伝えることだろうが! お前が熱中してどうする!?」
「申し訳ございません……」
その後、長々と続く木場の説教からようやく逃れた辰真は、一応記事のまとめ作業に移る。
「……先輩、大変でしたね」
隣の犬飼がコッソリ話しかけてくる。
「しょうがないよ。これは僕の責任なんだから」
「でも、熱中しないで試合を見てもその感動が人に伝わりますかね……」
「え?」
「ただの記録だけなら誰でもできますよ。生で見た感動をいかに伝えられるかが腕の見せ所じゃないですか。新聞じゃないんですから」
「そう、だね……スゴイことを言うね」
「や、やだ。そんな大したことじゃ……」
照れる犬飼の隣で、辰真は思った。
(伝える、かぁ。僕は本当に人に、なにかを伝えられるのかな……? 娘ともロクに話ができていないのに……)
「あっ!」
突然、辰真は大声を出し、木場にジロリと睨まれる。
「どうしました? 先輩」
小声で尋ねて来る。
「思い出した……次の祝日のこと」
「え!? な、なんだったんですか?」
犬飼は身を乗り出して辰真を見るが、辰真はうつろな目で宙を見つめていた。
(約束を思い出せないのは社会人として失格。妻と上手く話せないのは夫として失格。そして……)
「誕生日だ。娘の」
「カナちゃんの!?」
(娘の誕生日を忘れるのは、父親として失格……)
「なんで忘れちゃうんだ!? 僕は!」
「ちょっ、ちょっと先輩、声大きいです」
その忠告も空しく、再び落雷。
「仕事中にうるさいぞ初穂ォ! つーか思いっきり怒鳴ってもイマイチ迫力がつかない名前してんじゃねーぞ初穂!」
「す、すいません」
……木場よ、それは辰真に言ってもどうしようもないぞ。