第2章・爽風
犬飼 真奈美 (いぬかい まなみ)
26歳・雑誌記者
仕事だけでなく、家事全般もそつなくこなせる。自宅には大量の自作ヌイグルミがある。
夕方、取材に出掛けていた辰真がオフィスに戻ると、犬飼が一人で残っていた。
「お疲れ様です。先輩」
「おつかれ。一人?」
辰真はパソコンに向かって記事の文書化をはじめる。犬飼も隣の席で同じ作業をしていた。
「今日も残業になりそうだなぁ……」
ポツリと辰真がこぼすと、犬飼が顔を向ける。
「たまには早く帰ってあげたらどうですか? カナちゃん、今6年生でしたっけ」
「ああ。もう来年は中学生だ。まったく子供は成長が早いよ」
「早いですねぇ……あーあ、私もあっという間にオバサンになっちゃったな……」
「いやいや、君がオバサンだったら僕はもうおじいさんじゃないか」
「フフフ……そうですね」
犬飼と話をしていると、自然に笑みがこぼれて疲れが取れる。
「あ、そういえば……」
突然、思い出したように辰真がつぶやく。
「どうしました?」
「いや……ちょっとね。大したことじゃないよ」
「そう言われると余計気になりますよ。話してください」
犬飼は手を休めて辰真の方に体を向ける。こうなれば話すしかない。辰真は今朝の妻との会話のことを犬飼に話した。
……ちなみに、私は辰真の疑問の答えを知っている。去年も、その前の年も、私は「それ」を見ていたのだからな。が、今はまだ伏せておこう。
「ふーん……来週、ですか……」
「何のことだか、サッパリ思い出せなくてね」
「何かの記念日とかじゃないですか? 女性って、そういうの気にしますから」
「そう思ったんだけど、結婚記念日も女房の誕生日も12月なんだよ。今はまだ6月だし……」
「うーん……初穂先輩が好きなこと、が関係してるんですよねぇ……」
ボールペンをアゴに当て、天井を見上げながら真剣に考え込む。一度首を突っ込んだら他人事にできないタイプらしい。
その様子を見て、辰真は話を変える。
「ま、まあ、ウチに帰ったら女房に聞いてみるよ。最初からそうすればよかったんだ」
「そうですね」
「さっ、それじゃあ早いところ仕事を終わらせないと」
そう言ってパソコンに向き直る。犬飼もそれに倣った。
解決につながるかどうかは別として、人に相談するということは割と気分が晴れることである。辰真は幾分軽くなった心でキーボードを叩くが、結局、仕事を終えることができたのは8時を過ぎてのことだった。
「ゴメンね、少し手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ、どうせ私は独り身ですから。遅くなっても誰にも怒られませんよ。……ああ、早く誰かいい人見つけなくちゃな……」
「犬飼君なら大丈夫だよ」
「そうですかねぇ……」
小さく笑って、犬飼は辰真に手を振る。
「それじゃ、また明日」
「うん。またね」
ビルの前で犬飼と別れ、タクシーを拾う。いつもは歩いて帰宅しているのだが、今日は少しでも早く帰ったほうがいいと判断したようだ。
辰真の家は近い。すぐに到着して玄関を開ける。
「ただいま……」
「お帰りなさい。遅かったわね」
すぐに妻が出迎える。
「カナは?」
「もうご飯食べて、自分の部屋に引っ込んでるわよ」
「そうか」
今日も、娘と顔を合わせることはできないようだ。
シャワーを浴び、温め直した夕食を食べながら、辰真は来週のことを尋ねようとする。
「なあ……」
「あなた、知ってる?」
「え、……なに?」
妻の方が一声早かった。
「カナったら、好きな男の子ができたみたいよ」
「ええっ!?」
思わず大声を出す。危うく茶碗を落とすところだった。
「同じクラスの子。神代君っていって、野球クラブで、頭がいいんですって」
「カナもそんな年頃か……早いなあ」
「遅いぐらいよ。今までずっとソフトボール一筋だったもの。ようやく女の子らしくなってきたわね」
「ああ、そうだ……な」
その夜、辰真の頭の中は娘のことで一杯だった。
(いずれ、その男の子を家に連れてきたりするのかな……二人だけで遊びに行ったり……相手がいい子だといいけど……)
結局、来週のことは聞きそびれてわからず仕舞いだった。
辰真の娘・香奈は、実は【夢想の鳥】に登場した美晴の友達です。