第25話 雨の中で
大変お待たせいたしました、次話投稿です!
日が沈み、月が昇り、やがて沈み朝が来る。
その間に世界は回り、君は消えていった。
燃えるような思いを賭して、全ての思いを裏切って。
少しずつ、夢から目をそらす。
少しずつ眠りから覚めていく。
上りゆく太陽が憎い。
お前なんて死ねばいい。
◆◇
「はぁああああああああああああああ!」
『ガギャアァ!』
叫んだ語尾が木霊して、応えるように風が吹く。
地鳴りか風鳴りか、地響きか雨音か。枝と髪を揺さぶる曖昧なエコー。
唸りにも似たその音が、いやに遠くから聞こえるような気がした。
「あぁ!ぁあああ!」
迫り来る黒剣を睨みつけ、踏みつける泥。足に飛び散りぬめる土。
とにかく攻撃するんだ。もう二度と諦めないんだ。進むんだ。
責めたてる嵐のように、じりじりと沈む夕日のように、言いようのない焦燥感。
泥に澱んだ明るい森は、普段の影もなく汚く見えた。
「やぁあああああああああああああああ!」
振りかざす刃に映る黒雲。森覆う薄闇。
ぐるぐると回る景色と木々の荒ぶり、鼻に入る水の冷たさに軋む肺。また目の奥に血が滲む。骨が軋む。
握りしめた手の感覚はとうになく、ただ雨の匂い。沼の匂い。森の匂い。血の匂い。
気持ち悪い。
「はぁっ、はぁっ、はぁあ……っ!!」
もっと前へ。また息を吸う。
戦略など考える余裕もなかった。
飛ぶ。
走る。龍の元へ。
乗り上げた岩を蹴ってまた上へ。
飛び上がる。もう何度目かの浮遊感。むき出しの額が冷たい。吐く息が熱い。
龍の上へ。
一瞬だけ見下ろした鼻面の先へ。
むき出しの牙へ、かざした刃先がひゅっと音を立てた。
向かい風ごと切りつける。肉にぶつかる腕の衝撃、嫌な重み。
「やあああああ!」
『ガァアアアァアアアアァッ!』
頭を切りつけられ暴れる龍が、のしかかるような雨空に獣じみた咆哮を轟かせた。
その反動で弾かれて、水溜りにまた着地する。泥が頬にはねる。伝う汗ごと流れてく。
まとわりつく雨粒、ぐっしょりと濡れて重い服。はらった前髪。
邪魔でしょうがない。
「ふうっ……!」
また駆ける足。
ふと、気がついた。
(私が何かとこんなに戦ったのは、これが初めてじゃないかしら)
ふっと、突然陰った体の周り。
上を向くと、ぼきぼきに折れた幹が頭上に浮いていた。
龍が投げたんだろう。
それか、尻尾で跳ね飛ばしたのかもしれない。
どちらにせよ避けそこなったことにはかわりない。
「う゛ぁっ!」
頭に当たる衝撃と、肩に刺す違和感。
胃の奥がゆるく波立つ。眉毛の後ろ、頭の中で岩が転がる。
(─────いえ、きっと、誰かを守ろうとしたことも)
体のどこかが引きつったみたいな気がした。
伏した大地から一刻も早く離れたくて、空気の入りすぎたボールのように跳ね起きる。
「っ!」
剣を握り直すと、目の奥がちょっと白んでチカチカした。
見れば、二の腕に────ああ、忌々しい。
体中に滴る熱いもののせいで、自分が丸ごと汚れたみたい。
食いしばる歯。腕も、喉も、全部熱い。
雨も、泥も、私も、全部汚い。
突き刺さる木のかけらを無造作に引き抜きつつ剣を振るった。
生臭く増えていく傷が嫌い。赤いあざが己を主張する。
弱音なんて言ってたまるか。
絶対負けないから、言う必要もないんだ。
また心臓が鳴る。
「ああああああ!!」
『グギャアアアア!』
切っても弾いても浮かび上がる、無数の黒。
めげずに龍へと駆けては、声を枯らして叫ぶ。
(誰かを庇うために叫んだのも)
迫り来る剣と水の弾丸、飛沫に紛れる巨影。
よけ損ねた鋭利な影が脇腹をかすめ、濡れた布がじわりと暖かくなった。
大丈夫痛くない。倒れそうになった足に力を込めて、剣先を左に。
(誰かのために戦おうとしたことさえも)
空を切る音。
「ぐっ!」
空振りした刃の下、何かが裂けた音がする。
とっさに腹を手で押さえかけて、唾を飲み込んで踏ん張った。
(きっと何もかも、全部初めて)
私は何も感じてない。
誤魔化すように、足を上げる。駆け出す。
今度は木の幹を登る。
上がる世界と見下ろした地面と目の前に来た黒い瞳。
三度目の攻撃。怨敵めがけて、きっ先を上から下へ振り下ろした。
「はぁああああああ!」
ガキンと耳に刺さる金属音。剥がれた鱗。落ちて、落ちて、泥に埋もれて消えていく。
反動で腕が震えた。
(今まで生きてきた僅かな歳月も、昔生きていたちっぽけな年月も)
体制を崩した龍が、何かを発しようと動かした口。
そこに無理やり乗り上げて、鼻面めがけてかかとを落とす。
重さがなくなった木が後ろで大きくしなった。背中に当たる細い枝。
ぬるぬるの角を握りしめて、敵の頭上にしがみつく。
(きっと、今日ほどは辛くなくて───)
「っ、らぁああああああ!」
『グファッ!』
暴れる、降り注ぐ雨の中。襲いかかってきたくせに龍が暴れる。
腹がたつ。つのから手を離すと、ぬめった鱗に滑りかけて、そうはさせないと頭に刃を突き刺した。
(─────今日ほどには、必死じゃなかった)
「ふっ……ぃ゛っ!」
龍がジタバタもがいて、頭がぐらぐら揺れる。
振り落とされてたまるかと、柄を持つ手に力をこめる。
「ふぅう……!ふぅうううう!」
歯を食いしばり、剣に全体重をかけて、足を踏ん張る。ズブズブと眉間に沈んでいく剣。
突然、見下ろした瞳と目があった気がした。空のような漆黒、雨のような涙。
腹の底から何かが唸る。地震のようにぐらり、揺れる世界。
その目に見覚えを感じたのがいけなかった。
一瞬抜けた力の隙を突かれて、ふっと体が宙に浮く感覚がする。
咄嗟に掴んだ剣が、私と一緒に落ちていく。
抜ける拍子にガリガリとあいつの鱗を削って、粉々になった鱗のかけらが雪のように口に入った。
「うっ……ぺっ、オぇ!」
受け身の体制をとって、地面に落ちる。すかさず立ち上がり距離をとる。
濡れた髪の毛が首に巻きついて不愉快だ。欠片が切った舌に、赤い苦味が滲む。
足の感覚が消えていく。指先が冷たい。まるで岩のように。
「っ、あぁ!」
後ろから近付く剣の気配を感じて、振り向きざまに弾き返す。また腕の骨が揺れる。
向き直った龍のだらりと開いた口から、紫色の舌が垂れていた。
あふれるよだれはドロドロと粘液じみて地面に滴り、ぐちょぐちょの泥土に混ざる。
悪魔に肩をつかまれたような悪寒。
泣きたいぐらいに気持ち悪い。
早く死ねばいいのに。
何度剣を叩きつけても、何度刃を突き刺しても、何度体を殴っても、あいつは倒れない。
本当に生きている動物なのか、疑いたくなるほどに。
許せない。
荒れ狂う視界の中、見えた舞う葉、ちらりと覗く踊る黒。大きくなるそれ。近づく剣先。
また弾く、弾き返して駆け寄る。
龍の元へ。腕が痺れて落としかけた柄を掴み直す。
早くしなければ。
流れていく景色と時間。増していく焦り。
走り出した眼界──が、突然大きく揺れた。
真っ黒な空が映る。腐った雨が目に入る。空を飛ぶような感覚。
「─────っ!」
吹き飛ばされた、と瞬時に理解した。




