第24話 熱烈峻厳
全てを諦めた瞳。虚ろな瞳。
鏡の中の世界は、ひどく蒼く、物悲しく見えた。
犠牲は大きく、咎も大きい。炎のような情熱は、涙で消える。
憂いは空を覆い、慈愛すら隠す。絶望に泣く。
水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ。
君は僕に勝てないというのに、どうしてそれでも─────
◆◇
自分では頑張ったつもりでも、他人から見ればそうじゃないってこと、ありますよね。
私は今がまさに、その状況のようです。
『グフゥ……ジュル、ズゥウウウ……』
精一杯走ったと思ったのに、いつの間にか追い詰められていたんです。
走った先が岸壁なんて、誰が想像したでしょう。いいえ、いつもなら気づいたかもしれません。
焦りすぎて、失念していたのかも。こんな大きな落とし穴を。
「はぁ、ははっ……はははは……」
ざぁざぁと降り注ぐ雨。いつになったら止むんでしょうか。
森の木々は揃って俯いて、誰も慰めてはくれない。目も合わない。見捨てられちゃったかなぁ。
もうだめだ、なんて言葉が胸を過ぎりました。
私、精一杯走りすぎたんですね。だから気がつかなかった。
ごめん、ごめんねセシルくん。
「……ごめんね」
腕の中は相変わらず喋りません。そのまま目が覚めなかったら、どうしよう。
いっそ、私も一緒に眠ってしまおうか。
『グギュ……フー、フスー』
「ああ、やめ、てくださいよ、返してください。返して」
目の前には、やっぱり龍。
いなくなったはずの龍が、今なぜか立ちふさがっていたます。
どいてくださいよ、逃げられないじゃないですか。
逃してくださいよ、どうしていじめるんですか。
見つめて来る黒い瞳からは何も感じられなくて、ああ……泣きそうです。
せっかく振り切った涙も、追いついたんですかね。
『グユ……ンガァ……ギャアア』
「……ああ……」
私が動かないことを感じたのでしょうか。
がばっと口を開けて、セシルくんだけを腕からつまみ上げました。
軽くなっていく腕の中。喪失感。
どうして、私は動かないんでしょうか。
『ギャアア、グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』
龍が一声鳴き、浮かび上がる黒い剣たち。切っ先は、セシルくんへ。
体はすくむでもなく、動くでもなく、その光景をじっと眺めています。
そっと目を閉じました。
……そうだ、どうしようもなかったんだ。元から無理だったんだ。
私には、どうしようも……。
「ふふふ、ふふふ……っ、う、うぅう……」
それだったらどんなにいいか。
腕の中には、何もなくて。
持つもののない手に、冷たい刃が当たりました。
冷たい、刃が。
「うぅ……ふ?」
ふと、真っ暗な瞼の奥に、浮かび上がった何か。
徐々に鮮明になるそれには、見覚えがあります。……そう、少し前の光景。
白い肌に、握りしめられた柄。赤い雫。一つ一つが鮮明に、抉るように、花咲きます。
残酷な色に倒れていた少年は、あの時何を持っていたんだっけ。
「─────ぁ」
……そうだ。
傷だらけになっても、倒れても、なお。
剣を持っていた。
「そうだ……そうでした」
それは、彼があがいた証。諦めなかった証。
セシルくんはあがいていました。もがいていました。勝とうとしていて、戦っていたんです。
剣を最後まで握り続けていた彼と、手放した私。……そういえば、そもそも私は戦ってすらいません。
引きつった腕が、柄を握りしめました。情けなさに、涙すら出ない。
戦わ、なくちゃ。
大きく息を吸って。
「─────いいですよッ!!そっちがその気ならこっちだってその気ですよ!」
目を開けて、腹の底から叫びました。
雨の帳を一瞬切り裂いて、声が山に反響します。ごうごうと、低い木霊。
力任せに剣を取り出し、飛沫雨を払って、龍へ向けます。
セシルくんを咥えた龍が、こちらを見ました。
……よかった、まだ、殺されていない!
「考えてみたら腹が立つんです!セシルくんに何してくれやがるんですか!?」
走らなきゃ。弾き出されるように駆け出します。今度は剣を持って。
足音代わりにバシャバシャバシャバシャ!と、小刻みな水音。頰に飛び散る水滴。
黒い剣がこちらへ飛び込んで、水も降ってきた。雨も。
「逃げられないなら、戦いますよ!当たり前じゃないですか!」
吹き荒れる雨風を切り裂いて、剣を振り上げます。鋭く吐いた息とともに、右足で地を叩く。
刃先は左から右。巻き上がる風が、黒剣を吹き飛ばしました。
隙を作らないように。腕の痺れなんて気にしない、足をしならせ、左足で跳ね上がります。
ぐわっと、体が持ち上がり、お腹にくる浮遊感。
吐き気なんて知らない。頭痛だって関係ない。
不思議と足は痛くなかった。腕も、痛くなかった。だから飛べた、高く飛べた。
龍の頭を飛び越えて、思いっきり剣を振り上げて。
『グッギャ……ッ!』
喉が千切れたって、叫んでやる。足が千切れたって、走ってやる。腕が千切れたって、握ってやる。
そうだ、当たり前だ。絶ッ対に、変わらない。変わらせない。だって。
「助けたいんですからぁああああああああ!」
滲んだ視界は雨のせい。掲げた剣を上から下へ、思いっきり、叩きつけた。
「……はぁっ、はぁっ……龍河風来、ですよ!!どうだ!参ったか!」
体に響く大きな音。風は舞い上がって、森中を吹く。
木々が驚いたようにその葉を揺らしました。
『グギャッ……ガッ……』
ゆっくりと、龍の体が逸らされます。グラグラと揺れる巨体。
思わず開いたのでしょう、口から零れる小さな体。
「セシルくん!」
慌てて頭の上から飛び降ります。
赤と一緒に、地に落ちる前に駆け寄って、ぎゅっと抱きしめました。
「ごめんね、本当にごめんね……絶対だからね!絶対だよ、絶対に……」
この隙に、セシルくんをどこか、安全な場所に連れて行かないと!
『ググァ……グフ……』
「あ!……ここで待っててね、すぐ済みますから……っ」
遠くの、端っこの、大きな木の洞の中。ここなら、吹き飛ばされることもないでしょう。
運び渡せば、腕は軽くなります。でも、今度の腕は動きました。
後ろを振り返れば、やっぱり見える大きな体。消えてもいないし、死んでもいない。
『グゥウ……グゥウウウウウ……』
こちらを睨み付ける、駱駝のような顔。滴る狂気に、怒りを滲ませ呻きました。
スゥッと浮き上がる黒い剣。冷たい音を立てて、こちらへ向き直した切っ先。
こうしている間にも、セシルくんは血を流している。
一刻も早く、やっつけないと。もう逃げられない。
……違う!もう、逃げなくていい。
顔を拭って、口角を奮いだたせて、胸を張る。
泣きたいなら泣けばいい。それができないくらいまで、ビビらせてやる。
「私はっ!ドラゴンですからねえええええええええ!」
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
蛇だって、龍だって、なんだって食べてやる。
ドクリ、と音が響きました。




