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私は言祝の神子らしい ※ただし監禁中

作者: 矢島 汐

 唐突だけど、宣言したい。

 私が好きな言葉は『平穏』だ。


 安穏とか平和とか安らかとか穏やかとか、そんなような言葉が全般的に好きだ。

 私自身は特におっとりのんびりした人間でもないけど、とにかく問題とか争い事とか揉め事の類は嫌い。


 理由は単純明快、面倒だから。

 人の和とかなんとか言う前に、とにかく面倒なのが大嫌いなだけ。


 私をよく知る友達は、私の事を平和主義者じゃなく事なかれ主義者と言う。

 面倒が起こらないために全力で努力する私は間違いなく平和主義者なはずだけど、認めてもらえなかった。

 やたら面の皮とメンタルが強い上に自分に害が及ばなければ全スルーの奴なんて紛うことなき事なかれ主義者。数年前の女子会でそう決定されてしまった。


 そんな、他称事なかれ主義者の私でも――そろそろ限界がやってきている。



「神子様、この矮小なデシデリオ・メンデス・ダボにどうか、お慈悲を」


 仰々しい椅子に座った私の前に跪く、見知らぬおっさん。


 寂しげな頭頂部を賑やかにする祝福でもかければいいんだろうか。

 そんなことを考ている内に、私の耳元に生暖かい息が吹きかかる。

 何度やられても鳥肌が立つ気持ち悪さだけど、慣れはした。


「神子様、デシデリオ・メンデス・ダボは西方での商売の成功を祈っております。何卒、デシデリオ・メンデス・ダボの悲願に祝福を」


 ねっとりとした声が耳に直接吹き込まれる。

 わかったからやめてほしい。その息も、何度も人の名前を覚えさせようと連呼するのも、いつもこの距離に立つのも本当にやめてほしい。

 気持ち悪いし落ち着かないし何か微妙に変な煙草の臭いがきつい。


 ちらりと隣に視線をやると、まるで蛇のような目がゆるく細まった。

 棒のように細長い不健康そうな体の上に鎮座する、まるで寝不足アル中ヤク中の真っただ中にいるような顔。

 暗闇で会ってしまったら悲鳴を上げて顔面を殴ってしまいそうな程の悪人臭がする、この蛇男。


 こんなのが私の“庇護者”だと言うんだから、本当にどうにかしている。


「――デシデリオ・メンデス・ダボ。そなたの西での商売の成功を祈る」


 吐息混じりに、厳かに聞こえるように言われたままの言葉を吐く。

 そうしてから、軽く掲げた右手を返すと。


「おお、なんと……」


 おっさんの周りを銀色のきらきらしい粒子が舞う。

 とても幻想的な光景だ。光に包まれているのがおっさんでなければ、この部屋が扉も窓も閉め切っている密室でなければ、だけど。


 体から力が抜けていく。

 これをやるとかなり疲れる。激しい運動後と言うより、面倒なクレーム処理をやっと終わらせて更に終電間際までの残業をしたような嫌な疲労感が圧し掛かってくる。


「美しい……清らかでたおやかな御姿でありながら、これ程の神力を容易く行使されるのですか、さすが、伝説の言祝……」

「ダボ殿。神子様はお疲れのご様子。後は場所を移そうではないか」

「ええ、ええ! 神子様の御業、しかとこの身に。ああ閣下、あの件に関してはお任せ下さい。このご恩、デシデリオ・メンデス・ダボは決して忘れませぬぞ」

「はは、ダボ殿がそう言ってくれるなら我が家はより一層安泰だ。神子様、すぐに侍女を用意しますのでしばしお待ちを」


 蛇男は上機嫌に私を見た後、おっさんを伴って部屋を出ていく。

 それを見送って、しばらくして。


「…………っはぁぁ……」


 思いっきり息をついて、椅子からお尻が滑り落ちるくらい脱力する。


「……いつまで、こんなことすればいいんだろう」


 私は平穏が好きだ。自分が何かに巻き込まれるのが嫌いだ。

 なのに、どうしてこんなことになっているんだろう。


 私がこの部屋に、この家に、この国に――この世界にやってきてから、私の大好きな平穏は遠ざかってしまった。




× × ×




 簡潔に言えば、私は“落ちた”んだろう。

 いつものように仕事を終えて、アパートに帰って、玄関を開けたら、落ちた。

 何かのお笑い番組かドッキリのように、床がなくなって何の抵抗もなく下へ下へと。

 いくら落ちても終点がないその闇の中で、社会に出てまだ数年の小娘が冷静になれるはずもなかった。

 数年、いや十数年ぶりにガチ泣きした。むしろよく発狂しなかったと自分を褒めたいレベルで恐ろしかった。


 そして運がいいのか悪いのか、気を失った私が目を覚ましたのはこの部屋だった。

 無駄に大きく豪奢な天蓋付ベッドやら無駄に背が高い仰々しい椅子やら無駄に真っ白な石の床やら壁やら、とにかくわけがわからなかった。

 平穏を愛するが故に多少の事じゃ動じない私でも、完全に許容範囲を超えていた。

 そんなところに悠々と現れたのが、あの蛇男だ。


『貴方様は天上世界から降りてこられたのです。私には一目でわかりました。今まで会ったどの聖職者より遥かに神々しいその御姿! 貴女様はまさしく言祝の神子様!』


 大仰な身振りで説明する蛇男は、とんでもなく胡散臭かった。


『我が国には伝説があります。数百年に一度、世界の裂け目から、この世界に祝福を与える尊い存在が顕現すると。その存在は名を呼ぶことで神の力を祝福に変え、その者に与える。だから言祝の神子と呼ばれるのです』


 悪人面に精一杯の笑顔を浮かべる蛇男は、とんでもなく信用ならなかった。


『人違い? いいえ、貴女様は神子様でございます。神々しい御姿だけではなく、言祝の神子の証である聖石と聖痕を御身に宿しているのですから。

 貴方様をいち早くお救いすることができてよかった。もしよからぬことを企む輩に見つかっていたらと思うと……ぞっといたします。

 神子様、これからはこの私が御身をお守りいたします。何の心配をすることもありません。今後の生活も、言祝の儀式についても、全て私にお任せください』


 いやに熱のこもったねっとりとした声で喋りつづける蛇男は、とんでもなく嘘つきだった。


 どう贔屓目に見ても、目の前の男は善良な人間というより“よからぬことを企む輩”にしか見えなかった。

 だけど、私にはこの男を拒むことができなかった。


 いくらなんでも現実と妄想の区別くらいつく。こんな、小説や漫画にでもできそうなファンタジー的展開だとしてもだ。

 そう、ファンタジーだ。目の前のくすんだピンク色の髪と目とか尋常じゃない色彩の本格的コスプレ衣装のようなものを着たどうみても外国人だろう男が、流暢な日本語らしきものを操り、極めつけに手元から何気なく火を生み出して燭台に灯すなんてことまでするんだから。

 しかも気付いた時には自分の髪や目の色も変わっていて、蛇男の言う通り聖石と聖痕らしきものもしっかりあった。鎖骨の間にできた遊色の宝石と、そこから肩にかけて優雅に広がる銀色の刺青みたいなもので、とても中学二年生あたりが好きそうな代物だった。

 何度もしつこいけど、とてつもないファンタジーだ。


 私の頭は、これが現実だと言っている。だったら、私の中の常識や知識なんて何も通用しないだろう。

 そんな状況で下手に逆らったり突っぱねたりすっとぼけたりしても、何の利益もない。むしろ害にしかならない。


 色々と打ちのめされて、落ち着いて。結論として、私は蛇男に庇護されることにした。

 私は平穏が好きなんだ。むやみに事を荒立てて事態を悪化させる真似はしない。

 現状でもかなりひどいけど、もうこれ以上の問題は抱えきれない。よって現状維持。そう判断してのことだった。



 蛇男は私に安定の生活を与えてくれた。

 バストイレ付のこの部屋と、坪庭のように周りを囲まれた中庭。その中であれば(・・・・・・・)、私はまさしくお姫様待遇だ。


 御身を守るためとかのたまって事実上軟禁されていることや、何人かいる侍女達が揃って能面対応で会話ひとつ成立しないことや、世界に祝福を与えるとか仰々しいこと言っておきながらその相手がどいつもこいつも目が濁って腹が黒そうなことや、教えられる知識の中で政治歴史時事に関することは総スルーされていることや、蛇男が決して自分の名前を教えないことなどの諸問題を除けば、私は今現在平穏だ。


「ハッ……」


 鼻で笑うしかない。問題あり過ぎだろうが。


 事なかれ主義。大いに結構。問題争いもめ事、面倒なことは避けるのが一番。

 だけど、さすがにそろそろ無理だ。

 私がこの世界に来て、体感的にはきっと半年以上一年未満。長いようで短いこの期間で、嫌と言う程わかった。この、神経すり減りそうな平穏に見せかけた不穏の中で生きてはいけないと。このままだと一生搾取されるだけだと。


「失礼いたします。神子様」

「お召し替えのお手伝いに参りました」


 どうぞ、と言う前に扉が開けられる。

 私のプライバシーはないのか。まぁ、ないんだろう。

 蛇男にとって私は尊い存在なんかじゃなく、大事な金の卵なんだから。


 儀式用とか言われて着用している、妙に胸元背中がばっくり空いたエロい薄絹みたいな白い衣装を脱がされる。

 代わりにもう少し厚手の白い布がギリシャ神話の女神のように巻かれ、儀式用よりも簡素な銀のベルトで留められる。

 その間、侍女達はずっと無言無表情。せっかく皆長身美女ばかりなのに、仏頂面で台無しだ。


「ありがとう」


 癖になってしまった、吐息混じりの声でそう言っても返ってくるのは必ず無言。

 別に期待はしていない。蛇男にそう指示されているだろうから。


 侍女たちが礼をして下がっていく。無表情ながらもどこか沈んだように見えるのは、私の幻覚なんだろうか。

 それを横目にしながら、私は彼女達が無言でいなければいけない意味を考える。

 仮説の域を出ない。だけど十中八九、そうだろう。


 ――名前を、知られてはいけないからだ。


 “その存在は名を呼ぶことで神の力を祝福に変え、その者に与える”というのは大体合っているんだろう。

 確かに私が今まで祝福した相手は全員成功を収めているらしい。それは蛇男にもういいと怒鳴りたい程に聞かされている。


 それなら、どうして蛇男自身は祝福を求めないんだろうか。

 蛇男は曲がりなりにも私の生活を保障してくれている。平穏のために祝福のひとつふたつくらいしなくてはいけないと思っていた。だけど、そんな話は一度もされたことがない。

 それなら、祝福をされることには何らかのリスクがある。そう考えるのは当然だ。


「私も、そこまで馬鹿じゃないんだけどね」


 蛇男がいつも私の耳元で言っていた。

 確認するようにしつこく“この者はこう祈っているから、祝福を”と。


 名前と、願い。

 恐らく祝福とやらはそれがセットになっている。


 そしてその願いは――相手の希望じゃなく、私が口にしたことが叶えられる。


 数多くの相手を祝福してきた。何度も何度も、言祝の儀式をやった。

 だからこの仮説は、私の中じゃ100%合っている。


「でもねぇ……」


 この仮説は結構前には行き当たっていた。ただ、そこから先がない。


 合っているからと言って、どうなるものでもないんだ。

 私は蛇男どころか、この屋敷にいるだろう人間全員の名前を知らないんだから。

 今まで祝福した相手の名前なんて大して覚えていないし、覚えていたとしても祝福が届くのかどうかもわからない。

 蛇男曰く、祝福は有り得ないことや相手の生命に関わることは願えないらしい。

 もし祝福が届いても私をここから出すことなんてできないだろう。皆、蛇男に祝福という恩を売られていて、いざという時には不利な祝福を与えられることも在り得るから。


 私は、ここで一生を終えるつもりなんてさらさらない。

 本当の平穏。誰にも監視されずに適当な服でベッドにごろごろしながら猫と戯れたり適当にお菓子食べたりできるようになるまで、諦めるつもりなんてない。

 面倒事を回避するための努力は大好きだ。その後に待っている平穏が更に恋しくなる。


 ……ただ、どう努力をしようか見当もつかないんだけど。


「誰か、名前を教えて」


 私を助けてくれる人の、名前を。


 ……できれば蛇男とは対照的な感じの人がいい。もうあの不健康な悪人面は飽きた。

 健康的で長身マッチョでおおらかで男らしい人が見たい。そういう人に助けてもらいたい。

 友達も言っていた気がする。“異世界トリップはイケメン逆ハーが基本”だと。逆ハーレムなんて面倒なことは絶対嫌だけど、イケメンは嫌いじゃないしむしろ好きだ。


 いもしないイケメンを想像しながら、私は唯一許されている坪庭への散歩に向かった。




× × ×




「ヒル・モンタネール・コンバロ。そなたの後継が次男になることを祈る――」


 毎度おなじみ、銀の光が右手からごついおっさんに降りかかる。

 やたらと驚いて恍惚とするそのパターンにも飽きた。ああ、蛇男の息が今日も生暖かかった。

 興奮したように蛇男に話しかけるおっさんと満足そうにそれに返事をする蛇男を適当に見送って、侍女を待つ前に坪庭に出る。


 最近、祝福をする頻度が増えている気がする。そのせいだろうか、疲れが抜けない。

 部屋に篭っているとカビが生えそうになるから何とか体を動かしているけど、そのうち椅子から立てなくなりそうだ。


「飼い殺しの方がマシだわ……」


 力を発揮しなくても生活できるのなら、大歓迎だ。だらだらさせてほしい。

 このまま使い潰されてしまうのなんて嫌だ。いや、潰すぎりぎりで生かされるのはもっと嫌だけど。


 庭の中で一番気に入っている、大きな木の幹に体を預けて、脱力する。

 坪庭と言うには大きいけど、高い塀で囲まれたこの空間は閉鎖的だ。

 出入りできるのは私の部屋からのみなので、逃亡の心配は何もないと思われているんだろう。

 確かにこの塀を瞬時に登る術は私にはないしその通りなんだけど。


 溜め息をついて、目を閉じる。

 もうすぐ侍女が入ってくるだろうけど、少しの間だけ休ませてほしい。いつも頑張って起きているし、今日くらいはいいだろう。

 このエロい衣装にも慣れてしまったので別にしばらく着替えられなくても何とも思わない。


「……神子様?」

「シッ……ほら、あそこ。眠っていらっしゃるわ。お疲れなのよ」


 ぎりぎりのタイミングだったみたいだ。

 珍しい。侍女同士が会話をしているなんて。

 完全に寝ていると思われているけど……まぁいいか。

 面倒事をスルーするために仮病居留守寝たふり辺りは得意分野だ。


「ベッドにお運びした方がいいかしら。あんなに小柄なら、私にもできるわ」

「やめなさい。せっかくお休みになっているのだから、しばらくあのままの方がいいわ」

「そうね……ねぇ、神子様、また少し御痩せになったんじゃないかしら。ここにいらっしゃった時からすごく華奢な御方だったけど……」


 少し声を潜めてはいても、坪庭の中はとても静かだからきちんと聞こえる。

 侍女の内の誰なのかはわからないけど、どうやら私は嫌われてはいないらしい。多分。


「ええ、また腕や腰回りが細くなったみたいね。あのお美しく女性らしい体つきはまだそのままだけど、あまりに儚げで心配だわ……それにお顔の色も優れない。ああ、ミルク色のお美しい肌だったのに、まるで蝋のよう。長く艶やかな御髪も少し痛んでいるわ」

「料理長に言っておきましょ。神子様は果物だったら多く召し上がって下さるわ……それにしても、旦那様はとんでもなく罰当たりな方よね。こんなにたおやかでお美しい神子様をまるで物のように扱うなんて……」

「駄目よ! 誰が聞いてるかわからないのだから!」

「今日の当番は私とあなたじゃない。大丈夫よ、神子様のお召し替えの時は兵も遠ざけてあるし」


 色々な情報が出てきた気がする。

 まず、侍女達は私の幻覚じゃなく、本当に私のことを気遣ってくれるいい人達のようだ。何故か私をいちいちヨイショする発言があるのだがそれは置いておく。

 それと、蛇男だろう“旦那様”は、侍女達の中で株が暴落中らしい。元から上がる株があったのかどうかも置いておく。どうでもいい。

 あとは私の部屋の周りには大体兵が控えているということか。着替え中は兵がいないのなら、もしかしたらお風呂の時などもいないのかもしれない。

 ちなみに侍女達は揃って長身美女だと思っていたけど、どうやら私が小さいだけのようだ。これでも私は日本人女性の平均身長近くはあるんだけど。



 寝たふりをするだけでこれだけの情報を流してくれるんだから、最初から寝ておけばよかったんだろうか。

 いや、これはきっと疲れ切っている顔をしているから侍女達が油断しているだけかもしれない。


 つまり滅多にないチャンスだ。このまま起こされるまで情報収集に励もう。


「全く……いい? 旦那様の耳に入りでもしたらすぐに首よ。それどころか、この街になんていられなくなるわ」

「わかってるわよ。私だって家を潰されたくないわ……辞められるならこんな職場、今すぐにでも辞めてやりたいけどね」

「それは皆同じよ。まさか本当にこんな……畏れ多いことをしてしまうなんて。口止めで御給金が増えても嬉しくなんかないわ。使用人の誰もがそんなことを望んでいないのに」

「執事くらいじゃない? 旦那様と顔を突き合わせて悪巧みばっか「だからやめなさいってば!」


 ……本当に蛇男は人望がないらしい。全く可哀想だとは思わない。いい気味だ。


「はぁ……せめて王都にツテでもあれば、神子様がいるって伝えられたのに」

「無茶を言わないの。そんなの旦那様が一番警戒しているはずよ。それに、言祝の神子様を所有物化しているなんて知れたら問答無用で全員投獄よ、きっと」

「それもわかってる。でも、嫌なのよ……悪い奴ばっかりに祝福が与えられるなんて! 神子様の祝福は天将軍とか地将軍とか、それこそ国王陛下に与えられるべきなのに」

「そうね。その通り。でも……こんな遠いところからでは私達の声なんて届かないわ」


 思わず動きそうになる体を必死に抑える。

 何か今、とても重要そうな情報が出てきた。

 天将軍、地将軍、国王陛下。聞く限り国の重鎮だろう。国王とかトップだし。


 侍女達の声は届かなくても、私は?

 祝福なんて、目の前にいる相手にしかしたことがない。だけど、私は蛇男曰く“世界に祝福を与える尊い存在”だ。それだけスケールが大きいなら、距離が離れていても、あるいは。


 言え。言ってくれ。言ってください。私に教えてください。本当にお願いします。名前を知ったらあなた達にイケメンと金を降らせる祝福プレゼントするから!ねぇ!


「天将軍だったら、地方を視察するついでに寄ったりしてくれないかしら」

「もしそんな奇跡があったら、私はあなたが次の御給金で買う予定のワンピースを買ってあげてもいいわ」

「言ったわね! イサーク・ガルシア・ベルリオス様。どうか囚われの美しい神子様をお救いください。そして私にワンピースを!」

「何真面目に祈っているのよ……ああ、もうさすがに時間がまずいわ。神子様をお起こししないと」

「はぁ……こんな祭事の衣装みたいのじゃなくてたまにはドレスを用意したいのに!」

「旦那様はイメージばかり大事になさっているからね。


……――神子様、神子様」


 近づいてきた声に反応するように、瞼をほんの少しだけ動かす。

 表情はぼんやりと、隙を多く。焦点をずらして、それから合わせる。


 我ながら完璧だ。そして侍女の二人。あなた達は必ず助けると誓おう。多分あと三人いる他の侍女もだ。ついでに料理長や良心のある使用人の人も。


 イサーク・ガルシア・ベルリオス。

 私を助ける、いや強制的に助けさせる人の名前。


 もうイケメンとかどうでもいい。天将軍とか強そうだからそれだけでいい。囚われている自称そこそこ美人の私を救ってくれ。




× × ×




 朝起きて、侍女に着替えさせられて、食事を取って、読書をして、儀式をして、庭の木に寄りかかって。


「イサーク・ガルシア・ベルリオス。私を助けて」


 日課となったほぼ呪い……もとい祝福を遠くに飛ばすように手を振る。


 侍女達のお喋りからはや一週間。七日を一週間と言うのかはわからないけど、とにかく一週間だ。

 私は一日二回、誰の目もなくなる転寝の時間と就寝前、きっちり天将軍を祝福している。超小声で。

 これが届いているのかどうかはわからないけど、とにかく馬鹿みたいにやるしかない。


「イサーク、私を助けてくれたら超絶好みの女の子と出会えるようにするから、絶対助けてね」


 神の祝福なんだからきっと叶うはずだ。もう妻子持ちだったらごめん。

 有り得ないくらい不真面目なことを今まで一番真剣に祈っていると、何故かまた銀の光が舞う。

 フルネームでなくても有効なのか。だったら今まで私が復唱していたおっさん達の名前は何だったんだろう。


 どうでもいいか、と思い直して両手で光を押し上げる。

 届け。私の呪い。


「イサーク、イサーク・ガルシア・ベルリオス」


 小さく、吐息混じりに名前を呼ぶ。

 まるで恋人に甘えるみたいな響きになってしまってちょっとげんなりする。

 今だったら天将軍がブサメンでもチビデブハゲでも体臭がきつくても恋に落ちる自信がある。助けに来てくれたら、だけど。


 大きな幹に懐くように頭を押し付ける。自然のにおいなんて特に好きじゃなかったはずなのに、とても落ち着く。

 この坪庭も、だだっ広い部屋も、きっと物凄く贅を凝らしたものなんだろう。この待遇だって、自分で生活していたら絶対に味わえない。

 だけど、一欠けらも嬉しくない。

 ここには私が好きな平穏も、今まで普通に感じていた自由もない。あるのは問題だらけな状況と疲れ切った体だけ。


 自分でもわかる。心に余裕がない。

 なまじ突破口のような名前を知ってしまったから尚更、焦る。

 何も知らない状況の方が、まだ耐えられた気がするとかいう矛盾。それでも名前を呼ばないなんてできなくて。


「早く私に会いに来て、イサーク」


 また勝手に銀の光が舞い上がる。視線だけで更に上へと送れば、その通りにどこかへ消えて行った。


 ピリ、とこめかみが痛む。

 もしかしたら祝福の使い過ぎかもしれない。

 これだけ天将軍に祝福を送っているのに蛇男主導で行う言祝の儀式の方がずっと疲れるのは、きっと私の気持ちの問題だろう。

 私は数多のおっさん達相手に、一度だって真面目に言祝いだことなんてない。

 むしろ監禁されている状況で真剣に悪人を祝福出来たらそいつは頭の花畑が広大過ぎる。


「――おや、神子様。神力を使われましたか」


 てめえに言う筋合いはねぇよ。

 そう言ったらどうなるか気になるけど、とりあえず緩慢な動作で視線を動かす。

 珍しく、祝福した相手を置いて戻ってきたらしい。

 何の用だろうか。抜き打ちでやってくるから気が抜けなくて困る。まぁ、どうとでもなるけど。


 祝福をした後はしばらく力の残滓が漂うとかなんとか、そんなことをずっと前に苔色の長いヒゲを生やしたおっさんが騒いでた気がする。

 特に焦ることなく、しれっと頷く私に蛇男が目を細めた。


「何を、祝福されたのですか?」

「……それ」


 指差した先にはやけに瑞々しい大輪の花。

 図鑑で名前を知った、ソルという花だ。白の縁取りがある金のカサブランカのような派手な花で、この国の国花らしい。

 天将軍に祝福を送りながらついでに祝福しておいた。面倒事を回避する努力の一端、カモフラージュだ。


「いやはや、これ程美しく咲くソルの花はこの庭以外ではないでしょう。さすが神子様」


 私の力は有機物全てに有効らしい。それを検証したのはこの男だ。

 私を使えるだけ使ってやろうという魂胆が見え見えで残念過ぎる。


「外にも祝福を向けられていたようですが、ソルの花を咲き誇らせるためにですか?」

「そう。国花は至る所に植えられていると聞いたから」

「お優しいですね、神子様は。ただ、祝福は無二の力。よからぬ輩を引き寄せないように、あまり多用はされませぬよう」


 その筆頭は目の前にいるんだけどね。しかも多用どころか乱用しているし。


 目を伏せることで返事をして、興味を失ったように首を巡らす。

 そうするとまたこめかみが痛んだので、軽く指で擦っておく。

 早くいなくなってほしい。まさか、本日二度目の言祝の儀式とか言うんだろうか。さすがに気絶するぞ。

 儀式用のエロい衣装は未だに脱いでいないけど、全くやる気になんて満ち溢れていないので空気を読んでほしい。


「神子様、最近屋敷に侵入しようとする不届き者がいるようです。御身の安全のため、こちらの道具をお使いください」


 …………。

 ……蛇男は馬鹿なんだろうか。

 それとも私の頭を馬鹿にしているのか、落ちてきたとか言われている天上世界を馬鹿にしているのか。


「……それは?」


 差し出されたものには見覚えがある。

 実際に見たことはないけど、テレビとかで。


「腕利きの職人に造らせた、守りの魔道具でございます」


 はい、ダウト。

 どっちかと言わなくても警護じゃなく拘束です。


 銀色にこだわりがあるんだろうか、やたらと豪奢な彫刻にぎらつく宝石が嵌められてる、銀でできたその輪。

 部屋の方に繋がっていると思われる細いチェーンがアクセントになっているそれは……紛れもなく、手枷だ。いや、多分輪の大きさ的には足枷かもしれない。


「……そなたは私に枷を付けろと言うのか」


 蛇男プロデュースの厳かな口調を保ったまま睨み付けると、さすがにまずいと気付いたのか蛇男が一瞬顔をしかめる。

 神子を隠しつつ方々に恩を売りつけるなんて器用なこと半年以上続けているくせに、こんな馬鹿なことしないでほしい。こんな脳タリンに監禁されているのかと思うと情けなくなる。


「そ、そのようなことは決して! これはこの世界では一番安全な守りの魔道具なのです。神子様の世界の拘束具に類似しているとは、本当にご無礼を……」


 じゃあ国王とか貴族とかお偉いさんは皆警護のために鎖に繋がれているのか。言い訳にしてももっとマシなものはないんだろうか。


 こめかみがピリピリする。

 どこかに行ってほしい。本当に具合が悪くなってきた。


「私はそのような物は身につけない。下がれ」

「しかし!」


 こめかみどころか、頭全体が痛い。

 何かがぶつかりあっているような、有り得ない痛みが連続する。


「私を犬畜生のように扱おうと言うのか」


 ああ、駄目だ。言ってしまったらもっと面倒なことになる。


「このような場所に監禁して、腹の腐った輩ばかり祝福させて、」


 そう思っているのに、理性が痛みに負けていく。


「更に拘束わんわんプレイとか……お前は私のご主人様にでもなったつもりかっつーんだよ!!」



 ――叫んだ瞬間、空が割れた。



「……は?」


 透明のガラスみたいなものが降り注ぐ。

 当たる前に消えていくそれを綺麗とかなんとか思う前に、腕を強く掴まれた。


「っまさか!」

「ちょっ、離し……!」

「女、お前……何をした?!」


 ああ、もう慇懃無礼はやめたのか。その方がいっそ清々するけど。

 物凄く不健康そうでもさすがに成人男性の力。小柄らしくすっかり体力も落ちた私には成す術もない。

 焦るを通り越して半ばパニックになっている蛇男に詰め寄られても、何が何だかわからないのはこっちだ。


「お前が結界を壊したのか! クソが!」


 意味が解らない。結界なんて張ってあったことすら知らないのに。

 呆然とする私にお構いなしに、蛇男が私を部屋に引きずり込もうとする。


「やっ、いた……」

「煩いッ! ただの人形でいれば可愛がってやったものを……!」


 あ、これやばい。

 血走った目を向けられて、どこか冷静にそう思った。


 瞬間。



「――オイオイ、どういうことだぁ? こりゃあ」



 ガラスと共に降ってきた、深みのある低い声。


 呆れたような色をしたそれは、力強く響いて空間を支配する。


「最上級の神聖結界とか、御大層なモン創ってんじゃねえか。オメエどんだけ司教に金詰んでんだよ。あーめんどくせえ。ここの神殿、燃やすか」


 軽い口調なのに、じわりと滲み出る“何か”を感じる。

 正直言ってとんでもなく好みのバス音域の声なんだけど、今はうっとりする余裕もない。


「あ、あ……」


 喘ぐような蛇男の気持ち悪い声が遠い。

 私の意識と視線は、塀の上を超えた空に固定されていた。


「なぁ、俺が誰かくらいわかんだろ? 子爵さんよぉ」


 その男は、悠々とそこに存在していた。


 荒々しい印象を受けるのに、どこか洗練されたその姿。

 美しい獣。明らかに人間の形をしているのに、そう表現するのが一番しっくりきた。


「弁解も無駄口もいらねえ。まぁ、遺言くれえは聞いてやるぜ」


 ブロンズレッドの髪を掻き上げるその仕草すら、目が離せない。

 声は出せない。今考えちゃいけないんだろう脳内の叫びを必死に押し留めておくのが精いっぱいだ。


「な、何をおっしゃります! いくら貴方様でも、我が家でこのような狼藉……」

「狼藉、ねぇ……」


 その人はちらりと私へと視線を向けて、呆れたように鼻で笑った。


「有り得ねえくらいダダ漏れの神力、聖石、聖痕。俺が、わからねえとでも思ってんのか?」


 確かに不法侵入だ。

 だけど、そんなごく普通の訴えなんて、この場では何の意味もない。

 少なくても私がどういう存在なのかわかったんだろうこの人の前では。


「やっぱ遺言もいらねえ。聞かれたことだけに答えろ」


 荒げた訳ではないその声に、蛇男が息を飲む。

 滲み出て、溢れ出してきている“何か”は、おそらく魔力と呼ばれるものなんだろう。

 使ったことはなくても私の中にも同じような力があるらしいのでわかる。その力がどれだけ強く、濃いものか。


 掴まれた腕の力が抜けてきたので、思い切り振り払う。

 それすら気づかないくらい、蛇男はゆっくりと降りてくるその人に全神経を集中させていた。


「かーわいい声がずっと呼んでくんだよ。この俺を支配するくれえの力で、疲れ切った声で“助けて”って。気合い入れて捜してみりゃ、こんな辺境の屋敷に有り得ねえくらい分厚い結界が張り巡らされてやがる。怪しいことこの上ねえじゃねえか」


 着崩した黒い軍服に包まれた腕の中に、いつの間にか握られている豪奢な剣。

 何気ない動作で振り上げられたその切っ先は、距離は遠くてもぴたりと蛇男の喉元へと向かっていた。


 見据える切れ長の目は、何よりも鋭い。


「――カレスティア国王陛下より剣を賜った天聖騎士団団長、イサーク・ガルシア・ベルリオスが問う。

 ガスパル・ネグロン・ドミンケス子爵。貴様が隠蔽していたこの者は、何者か。この者を拘束しているのは、いかなる理由か」


 支配される。


 突如現れた闖入者に、私が助けを求めた存在に。


「十秒やる。俺を納得させる返答をしろ。俺にはこの場でオメエを斬り捨てられる権利がある」


 口元を歪めて言い放つその人は、まさに不遜と言う言葉が似合った。


 国王の剣というのは現物だけじゃなく特級の裁量権とか、そんな意味合いもあるんだろうか。物凄い地位と権力を持っているんだろうな、この人は。

 じりじりと蛇男から距離を取りながら、かなり放置されているこの状況での動き方を考える。

 余計なことをしたら意識が向いてしまうかもしれない。とりあえずこのまま空気になっていた方が……


「こ、この者は、神殿の、み、見習い巫女、で」

「へーぇ? このお嬢が見習いなら、半生かけて徳を積んだ大司教なんか赤ん坊だなぁ。そうか、オメエの領地じゃ見習い巫女にえっろい格好させて鎖で繋ぐ風習があんのか。

……追加あと五秒でやる。優しいだろう? 俺は」


 剣を持っていない手がほんの少し揺れる。

 人差し指が何度か曲げられて……って、これは私を呼んでいるんだろうか。


 足音を立てないように、ゆっくりと大回りして。

 あと少し、もう、少し。


 あと何歩か、それから手を伸ばせば触れられる。そんな位置だった。


「ッ待て!!」


 ようやく気付いた蛇男が声を上げる。

 その手が伸びてくる前に、痛いくらいに力強いものが私を引き寄せた。


「っと、ほっせえなぁ。まぁ、こっから育てりゃいいか」

「え……」


 次の瞬間にはがっしりとした腕の中にご招待。


「何でもねえから、安心しな。お願いされた通り、助けにきてやったぜ?」


 自然なウインクと低く甘い声に、脳内の叫びが一部決壊した。


 (いやああああ!!もうなにこのひとすっっっっっごい、好みなんですけど!!!

 え、なにこのひと。こんなひといていいの?!彫り深くて骨太で格闘家系マッチョで手も大きくて声もよくて美形ではあるけどイケメンではなく超級の男前とか!私を殺しにかかっているとしか思えないんだけど!私この人の胸までしか身長ないんだけど!大き過ぎる素敵抱いて!

 ああああもう!あまりにも場違いだから考えたくなかったのに!)


「…………」

「さっさと片付けてやっからさ。後であのかわいい声、聞かせてくれよ」


 駄目だ。もう駄目だ。完全に落ちた。ちょろいよ私。

 助けてくれただけでもほぼ100%落ちるくらいのとこまで来てたのに、現れたのがこの理想の化身なんて。


 ぎりぎりで表情に出ないように叫びを堰き止めている私は、きっと苦しそうな顔をしていたんだろう。

 少し腕の力が弱くなって、むき出しの背中を落ち着かせるように撫でてくれる。


「……はぁ。お嬢、下がってな」


 こくりと頷いて、解放された腕の中から名残惜しくも移動する。

 蛇男が見える位置にずれて、ようやく状況を確認してみると。


「終わりだ、もう、全て……ははは……」


 斬られるどころか髪一本すら被害のない蛇男が、打ちひしがれたように膝をつく。


 私を使ってあれだけ色んな目の濁ったおっさん達を仲間にしていたんだから、もっと奥の手とかないんだろうか。

 まぁ、目の前に物凄い人がいるからあってもどうにもならないんだろうけど。


「オイオイ……ちっとぐれえ歯向かって見せろよ」


 囚われている側からしたらたまったもんじゃないようなことを言っているけど、私も同意見だ。

 この監禁の日々が、こんなにもあっけなく終わるなんて。


「無理っすよ、魔封じの結界張っちゃいましたもん。団長に肉弾戦挑むとか、どんな自殺志願者っすか」

「張ったのは私ですけどねへらへら笑ってるだけで何も仕事をしないカスがいるので大変です。ベルリオス団長、屋敷の制圧完了致しましたが」


 蛇男の背後にある、唯一の出入口から現れた二人が、自然な動作で有無を言わさず蛇男を拘束する。

 チャラいイケメンと女顔の美形眼鏡。またキャラが濃そうだ。


「チッ……だから小隊なんかいらねえっつったんだよ。あっけなさ過ぎてつまんねえ」

「完全に私用っすからねー。でも、ついてきてよかったっしょ? 人手あると楽チンじゃないっすか」

「私なんて完全にとばっちりですよ。ああもう早くフレータ団長の元に帰還したい先に転移してもよろしいですか勿論屋敷の外で」


 わらわらと坪庭に入ってくる、黒い軍服の男達。

 どうやら知らない間に色々と事が終わっているらしい。

 さすがにこの人にもエロいと認識される衣装で多数の男の前に出るのは少し躊躇いがある。また少しずれて、マントを靡かせる大柄なその背中に隠れると。


「で、そこにいんのが団長を呼びつけた子っすか?」

「っ」


 目ざとく私を見つけたチャラ男が、思いっきり体ごと首を傾けて顔を覗き込んできた。


「おぉー美少女! まさしく囚われの姫君って感じ「見んな」ッガフ!!」


 あ、今顔面いった。

 多分手加減はしているんだろうけど私の目から見たら何の遠慮もなく、イケメンフェイスに拳がはいった。


「オメエが見ると小せえお嬢でも孕んじまう。近寄んじゃねえ」

「フゲェ……ヒ、ヒドッ! いくらオレでも一晩ねえと無理っすよ」

「馬鹿ですか下半身が本体なんですか汚らわしい。神子は穢れを嫌いますからさっさと指揮に戻りなさいこのゴミが」

「お前こそさっさと地団に帰れよ陰気眼鏡。竜の上でゲロ吐いたお前の方が汚ねーっての」


「……あの、」


 ぴたり。

 まさにそう形容するのが正しいくらい、周りの音が止んだ。

 何だかよくわからないけど、とりあえずこの言い争いを聞いているのも面倒だ。やれることをやって、さっさとどこかに落ち着きたい。


「聞きたいことが、あるんですが。いいですか?」


 マントを軽く引っ張って、吐息混じりの声でそう言うと。


「…………オメエら、呼ばれるまでここに入ってくんな」

「団長、そんな顔してたらさすがに無理っすよ。しょっ引かれちまうっす」

「ベルリオス団長は少女性愛に目覚めたのですかこれはこれは。たおやかな美少女がお好みとはフレータ団長もご存じないでしょう」

「チッ……うるせえとにかくどっか行け馬鹿野郎ども」

「「駄目です(っす)」」


 だから、私は面倒が嫌いなんだって。

 このどうでもいい言い争いとかやめてほしいんだってば。


 面倒事回避、してもいいだろうか。


「……イサーク」


 またぴたりと喧騒が止んだ。


 ゆっくりと、マントが翻る。

 腰を折る様にして、目の前のその人が視線を合わせてくる。

 野暮ったくない程度に太い眉、眇められた切れ長の目、高くしっかりとした鼻や顎に、厚い唇。

 男の色気とやばいくらいの甘さをたっぷりと塗したその顔立ちは、どこをとってもいい男にしか見えない。


 言いたいことも聞きたいことも色々ある。

 だけど、よくよく考えれば一番最初はこれを言うべきだろう。


「私を助けてくれて、ありがとう」


 私のできる、最上の感謝の仕方をしよう。


 わざわざ跪いてくれたその人に両手を差し出すようにして、銀の光を漂わせる。


「イサーク・ガルシア・ベルリオス。言祝の神子は、あなたの行いに報いるため、あなたに祝福を与えます――願いを」


 さあ、何でも言って。

 適当な祝福でもしっかり効果があるんだ、真剣に祈ればおそらく大抵の事だったら叶えられるはず。

 地位も権力も当然金もありそうなこの人が望むのは、何だろうか。


「願いは、叶ってる」

「え……」

「“助けてくれたら超絶好みの女の子と出会えるようにする”って、今日俺に言ってきたじゃねえか」


 ああ、それもしっかり届いていたんだ。

 だけど残念ながら、私は好みの女の子には当てはまらないだろう。どうやら見た目は好みみたいだけど。


「自惚れだったらごめんなさい。私は無理ですよ」

「ぁあ? 神子は純潔じゃなきゃいけねえとか、そんな法螺吹き込まれてんのか。魔の穢れは嫌っても生殖は穢れじゃねえよ」

「いえ、私はとっくのとうに純潔ではありませんがそうではなく」


 何故か周りの空気が数度下がったような気もするけど、まぁ普通にスルーで。


「この世界では、私はずいぶんと小柄に見えるようですが……私は二十五歳なので、少女という域はだいぶ前に超えています」

「………………は?」

「体は成熟していますので、もう背は伸びませんが」


 数瞬の後、起こったのは大絶叫だった。




× × ×




 ――その後。


 イサークがロリコンじゃなくただ単に私の容姿が超絶好みだったことが判明し。

 紫の上計画よろしく成熟するまで育てようと思っていたけど事実上心身ともに成人済なら何の問題もないと熱烈に口説かれ。

 天将軍というからにはファンタジーの王道である竜に乗っているかと思ったら真っ黒なスレイプニルとかある意味似合い過ぎなものにタンデムしている間に結婚の約束をして。

 王城で派手に祝福かましてついでに国王陛下と地将軍の前で正式に婚約成立、なんてとんでもなくハイスピードで監禁生活からの脱却をした。


「トモエ、やっぱ今日遠乗り行かねえか」

「駄目。仕事に行かせてくださいって副団長さんに泣いてお願いされてるんだから」

「あーめんどくせえ。引退してえ。早く結婚してえ」

「言祝の神子のお披露目だって終わってないのに何言ってんの。さっさと出勤して。私はお休みなんだから」

「ごろごろだらだらしてるだけじゃねえか。なぁ、騎士団見学に来いよ。オメエがいりゃやる気出る」

「私の平穏を脅かす奴は許さない。絶対に」

「…………チッ」


 理想の化身、超絶男前。

 不遜で自由で、国王すら手綱を握れない天下無双の天将軍は私の前ではダメ人間の見本みたいになる。


 世間から見たら溺愛という言葉では足らない程に溺愛されていて、それを拒めない神子。のようだけど実際は少し違う。


「あなたがくれた平穏が好きなんだから、大事にさせてよ」


 今でも当然、問題とか争い事とか揉め事は嫌いだ。

 地位も手に入れた私に降りかかるそれらは多いはずなのに、この人の腕に守られていつでも平穏なままでいられる。


「いってらっしゃい、早く帰ってきてね?」


 私を助けてくれた。

 私を愛してくれた。

 私に平穏をくれた。

 それだけで、この人を愛するには充分くらいなのに、私自身もこの人に一目惚れをしているわけで。


「愛してるから、今日も他の女に触れたりしないでね。私のイサーク」


 女に触れない祝福もとい呪いを毎日かける私の方が、溺愛の度合いは深いんだと思う。


 銀の光が舞う中、私の大好きな人が口元を歪める。

 そのまま大きな体を屈めて、私にお返しのキスをして。


 颯爽と部屋から出ていくその大きな背中を目に焼き付けて、私は目を閉じる。

 蛇男の屋敷から連れてきた善良な侍女達を待ちながらでごろごろだらだらするんだ。


 これが私の日常。私の人生。私の、平穏。



END

閲覧ありがとうございます。

設定はシリアスなのにどうもシリアル臭が漂っているような気がします。

ヒーロー出てくるの遅いよ!と夜中キーを叩きながら叫びたくなりました。もっと出してあげたかったけど、神子の監禁脱却を書きたかったのでここまでで。

ちなみにこの世界の女性平均身長は170cm、男性平均は190cmです。イサークは200cmくらいですかね。


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[良い点] 全部 [一言] 好きだぁ〜♡(≧∇≦)b
[良い点] 主人公のイサークに対する呪いのような祝言も大好きだけど、何より侍女さんたちが好きです。彼女たちにはいいワンピースやイケメンが降ってきますように。
[良い点] ヒーローがすごく格好よくて好みです。
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