すれ違い
歩くに歩けなかった星夜であったが、魔法省の少女……アイリの手を借りてなんとか帰宅していた。
どのように移動したかについては、星夜にとっては大分情けない話になるだろう。
ほとんど抱えられるようにして、星夜は自室に足を踏み入れる。
「ともかく、ありがとう。」
「……いや、いいよ。私も迷惑をかけた。」
そう言いつつ、アイリの顔はやや不服そうであった。
そもそもが、命じられて攻撃しただけに過ぎないのである。
そのことは、星夜も良く分かっていた。
「まあ、大人ってのは身勝手なものだからさ。」
「私は子供じゃない、れっきとした魔法省の魔法使いだ!」
「魔法少女じゃないのか。」
「そんな子供臭いものではない。」
そうはいっても、少女と呼ぶのが正しい年齢である。
翻って、星夜たちはいつまで少女と名乗れるだろうか。
「にしても、奴らは……あいつは何者なんだい?」
話題を変え、先ほど戦った女のことを問う。
すると今回は質問に応じてくれるようであった。
「元王国軍所属の、将軍直属部隊の魔法使いだ。名はソフィア・フェルマー。」
「……将軍というと?」
聞き慣れない単語について、星夜は質問する。
それに対するアイリは、そんなことも知らないかという表情であったがそれを口に出すことは無く質問に答える。
「王国の中で、軍務を代々司ってきた役職だ。もっともここ50年ほどは軍の大半の指揮権は国王に集約されているがな。元をたどれば初代国王の兄の家系にあたる。」
「へえ、兄か。そういえばロイが言ってた国王の後継者争いって言うのは、その将軍家が絡んでいたってことかな。」
断片的に聞いていた情報が、星夜の頭の中で少しずつ繋がる。
「その家系、ビシュー家が代々世襲してきた将軍は、王国の中でも格別の存在だ。国王の臣下であるとはいえ、軍の実権を握ってきた将軍の力は無視できないものがあった。」
「その将軍が、後継者争いに敗れたってのは意外だね。」
「我々魔法省の力が、それだけ強いものだったというだけだ。ソフィア・フェルマーはその将軍の側近部隊の出身だ。王国東部を領有する将軍の影響力が強い東部軍の中でも、特段将軍に忠誠を尽くしてきた部隊だった。」
先ほど目にした旧軍人たちの、誇り高い雰囲気に納得がいった。
「だが、今では将軍の元を離れ、王国からも追われる身となった。そしてお前が目にしたように、一般市民に危害を加えるような危険な活動をしている。」
年の割に、随分と尊大な態度なものだと星夜は思ったが、情報を与えてくれていることからひとまず指摘は避ける。
「彼女たちはなぜ王国を追われるように……?」
ベットにようやく腰をかけて、問いかける。
アイリの仕事も終わり、そろそろ話も打ち切られる頃合いだろう。
「彼女らのリーダーは、伝説的な魔法使いだった。実力としても、王国1位と肩を並べるほどの……。魔法使いのランキングにおいて、軍人は除外されているからな。もし軍人を含めていれば、その女が1位であったとも言われている。」
軍人はランキング外。
13位であるはずのレオナより、さらに強く感じられたソフィアという魔法使い。
その強さにも、いくらか合点がいくところがあった。
「彼女らが将軍のもとを離れたのは、その魔法使いが……将軍の懐刀であったはずの女が、反乱罪で処刑された時だ。」
そこまで語ると、用は済んだとばかりにアイリは部屋を去っていった。
いくらかの質問を投げようとした星夜だったが、すでに背中を見せたアイリに問いかける気にはならなかった。
翌日、体調が万全とならなかった星夜は学校を休むことにした。
「菫、おはよう……うん。風邪ひいたから、今日は休むよ。」
何も言わなければ家に迎えに来て来るであろう菫に電話をかけ、休みを告げる。
戦って敗れたことは言わない。
自分の中でもまだ飲み下せていない事実だった
通話を切ると、電話を置いて再びベッドに横たわる。
とにかくは眠って体を回復させようとしていた。
「風邪……は嘘だろうな。」
電話を受けた菫は、すぐに星夜の嘘には気付いていた。
だが、星夜が敢えて教えてこなかったことを追求するつもりもなかった。
こういう時、星夜は1人の時間を欲しているに違いないのだ。
「とりあえず、今日はそっとしておくか。」
明日も休むようであれば、自分も休んで星夜の部屋に行くことにしよう。
そう考え、今日の所はおとなしく学校に向かうことにした菫だった。
(星夜、休みなんだ。)
1時間目、雪音は星夜のいない席を眺める。
教師の話は何も聞こえていなかった。
(昨日、ろくに話せなかったな……。もしかして、そのせいとか。)
体調不良、とのことらしかったが、もしかすると自分の態度が原因で心を痛めてしまったのではないか。
そんな風に雪音は考えてしまう。
(再会すれば、昔みたいになれると思ってた。でも忘れていたんだ、ブラックとホワイトの間には壁ができていたことを……。ブラックの苦しみを、私は何も理解していなかったから。私にはブラックが分かっていない。)
ブラックとホワイトが本当に友として仲良くしていたのは、5年前の別れよりさらに昔のことだ。
それはずいぶんと昔のことに感じられた。
(今度こそ、私は……。)
ブラックが男だった。
その事実は、もう飲み込みつつあった。
それよりも、もっと深くブラックという、星夜という人間のことを理解したい。
今はそこにいない星夜のことを、授業中ずっと考え込む雪音であった。
結局その日の授業を、雪音は全て上の空のまま過ごしていた。
気が付いたら放課後となっており、文化祭の準備にも身が入らず、見かねた美空に言われるがままに雪音は帰宅することにした。
とにかく考えるのは、星夜のことだった。
なぜ自分にはブラックが理解できないのか。
その問いは次第に、なぜブラックは自分に全てを見せてはくれないのかという問いに繋がっていった。
ブラックはイージスに対しては弱みも見せる。
だがホワイトに見せるのは、常に隙のない美しい姿だった。
ブラックの美しくない姿を、ホワイトは見たことがない。
そこが不自然であり、ホワイトが知るブラックが、その一部分でしかないことを物語っていた。
(ブラックは……ホワイトに助けを求めてくれなかった。)
ブラックが助けを呼ぶ相手は、いつも……。
そう思考しながら歩く視線の先に、雪音は意中の人物の姿を見つけた。
学校を休んでいた星夜が、公園のベンチにだるそうに座っていたのである。
立ち止まった雪音にすぐに気づいた星夜は、耳に当てようとしていた携帯電話をそっと下ろす。
互いの視線が合わさりながら、その距離は縮まっていった。
「星夜、休みだったけど身体は大丈夫?」
いくらかの気まずさを押し殺して、雪音が話しかける。
それに対して柔らかい表情を見せた星夜に雪音はホッとする。
「いくらか良くなったよ。ちょっと買い出しに出てたとこ。」
そう言って脇に置いてあるビニール袋を少し持ち上げる。
夕食や飲み物が入っているようであった。
「そう……でもどうしたの、こんなところで?もしかして歩けなくなった?」
確かに体調が悪そうな星夜の姿を見て、雪音は心配する。
良くなった、とは言っているが、快調であればベンチで気分悪そうに座り込んだりもしないだろう。
「……いや、大丈夫。少し疲れただけだから、すぐに帰るよ。」
また、ブラックがホワイトに隠そうとしていた。
己の美しくないものを、見せまいとする。
助けを、求めてくれない。
そのことに、ほのかに怒りが湧いてきていた。
「嘘つかないでよ。」
見ればわかる。星夜は立ち上がれずにいる。
それでもなお隠そうとする星夜が、許せなかった。
「歩けないんでしょ。そういう時はちゃんと言ってよ。」
「いや……ごめん。」
強めの語気で言う雪音に、つい星夜は謝り、認めてしまう。
「全然立てないの?」
「ちょっと買い過ぎちゃってさ……重いんだ。」
確かに、病人が持つにはやや量が多く見えた。
「とりあえずそれは私が持つよ。歩ける?肩とか貸した方がいい?」
「……荷物が無ければ、ちゃんと歩けるよ。ごめん。」
有無を言わさず荷物を取り上げる雪音に、根負けする。
本当なら雪音に頼って、助けられたくはなかった。
「……困った時は、ちゃんと頼ってよ。」
その呟きは、星夜に届かぬような小さな独り言だった。
やや遅い星夜の歩きに合わせて、2人は星夜の部屋に到着する。
雪音にとって、初めての星夜の部屋だ。
「お邪魔します……。」
緊張しながら足を踏み入れる。
(女の子の部屋、って感じじゃないんだ。)
ぱっと見たところで、雪音はそう感じる。
ブラックが男である、ということがこういうところからも実感が得られつつあった。
「ごめん、運んでくれて。」
「……こういうのは、謝罪じゃなくて感謝の言葉が欲しいな。」
冷蔵庫に飲み物を入れながら、雪音は言う。
視線を交わさず、冷蔵庫の扉で顔を隠しながら要求を伝えた。
そして冷蔵庫の扉を閉め、星夜と向かい合う。
今度は無言の圧力だった。
「……ありがとう。」
恥ずかし気に言う星夜。
やや赤らめた顔に、雪音はドキリとする。
(やばい、可愛い……女の子だ……。)
やはり女ではないのか。
そんな疑問が雪音の頭の中に浮かんでくる。
だが惚けた思考は払い去って、雪音は気になっていたことを聞いた。
「そういえばさ……。さっき携帯で誰か呼ぶつもりだった?」
ベンチでいた星夜、あの時誰かに電話しようとしていた。
恐らくは、助けを求めるつもりだったのだろう。
その相手が、雪音は気になった。いやあるいは、確認したかった。
「まあ……菫に、ね。」
予想通りの回答だった。
ブラックが弱みを見せ、助けを求める相手は唯一あの子だった。
「星夜って、さ。私たちにどこか、自分を隠そうとするよね。」
「そんなことは。」
無い、訳がない。
星夜もそれに続く否定の言葉は口にできなかった。
彼自身、あるいは意図して己の弱みは隠そうとしてきたことを自覚しているからだ。
「友達って……そんなんじゃないと思う。あの時も……。」
5年前も、隠したままにブラックは去っていった。
「……変なこと言ってごめん。とにかく体ちゃんと休めておいてね。美空にも連絡しとくから。」
これ以上居れば、どんどん星夜への思いを吐き出しそうになる。
病人の星夜に対して、今すべきことではないと思った。
未練を断ち切って、ここで雪音は部屋を離れることにした。
「雪音……。」
ホワイトのように美しくなければ、隣に立てないと思っていた。
だが、その思いが雪音と星夜との間のすれ違いを生んでいた。
「ブラックは……私に助けを求めてくれなかった。」
5年間、ずっと抱えてきた思いだった。
その状況は、今なお変わるところが無かった。
なぜ、自分には全てを見せてくれないのか。
男であることも、教えてくれなかった。
どうして……。
そう考え込む雪音を、頭上からの斬撃が襲った。
「自動的な防御魔法かぁ……噂通り優秀だね。」
剣を障壁に阻まれ、さらに振りかざされた雪音の剣を避けて距離をとった女が笑みを浮かべる。
その姿を、不機嫌そうに雪音は睨み付けた。
すでに魔法少女への変身は終えていた。
「ホワイト、例の元軍人だよ。それも腕がある奴だ。」
姿を現した白い妖精が雪音に教える。
妖精からいくらか話は聞いていた、軍人崩れが目の前に現れたことを雪音は知った。
ショートヘアの女は、星夜を襲った魔法使いともまた別人であり、武器として剣を構えていた。
「……私は、あなたと戦う気にはならないんですが。」
不機嫌さを隠さず、雪音は言う。
その言葉にニヤリとしながら女は答える。その振る舞いは、どこかフレンドリーですらあった。
「こっちとしてはこの世界の魔法少女のレベルは知っておきたいんだよねぇ。今後、邪魔になるかもしれないからさ。」
その言葉に、もしかして、と雪音は考える。
星夜の体調不良、思えば魔法によるダメージのものに類似していた。
「……もしかして、ブラックにも同じようなことを?」
「ああ、あの子ね。残念ながら私じゃないけど、ちょっと手は出させてもらったよ。」
その返事を聞くなり、間髪を入れず雪音から膨大な魔力が放たれた。
太く力強い光条が、怒涛の勢いでもって女のいる場所に襲い掛かった。
「……ブラックに、手を出したって?」
ホワイトの高威力の攻撃は、魔法による障壁も容易く貫通する。
回避した様子もない女は、すでに倒したものと考えた。
だが攻撃が収まり、再び視界が晴れた時、雪音は目を見開いた。
先ほどの女が、ダメージを受けた様子もなく宙に留まっていたのである。
「奇襲は正しい判断だね。ただ、決定力不足かな。」
「……積層障壁、あの一瞬で?」
誇示するように展開されている障壁を見て、雪音は驚く。
一層ではなく、何層も重ねられた障壁は、女の技量の高さを示すものだった。
「そう、敵を攻めるなら正面じゃだめだよ。」
「……っ!」
動きはなんとか見れた。
ブラックのあの動きより、いくらかはまだ遅い。
だがそれでも身体の反応は追いつかない。
「虚を撃つのが戦いだから。」
女に取られた背後に障壁を集中するが、それでも吸収しきれない斬撃によって雪音の身体は吹き飛ばされた。
「これくらい!」
決定的なダメージを受けたわけではない雪音は、すぐに大量の光球を周囲に浮かべる。
自律追尾式と操作式、さらには爆発式のものも織り交ぜたそれは瞬時に20個ほどが女に向け襲い掛かった。
「早いね!見事!!」
「速い!!」
だがそれらを速度を落とさず回避して接近する女の動きに、雪音は驚嘆の声を上げる。
ブラックであっても、あの攻撃を受ければ回避の中で相応に速度が下がるはずだった。
それなのに、この女は光球の軌跡を縫うように、しかも速度を緩めずに接近してきていた。
光球だけでなく、女に向け再び砲撃を放つ。
十分以上の威力を持つそれは、しかし女を捉えることができない。
側面から襲い掛かる剣を、どうにか己の剣で受け止める。
「へえ、なかなかいい目だね。ちゃんとこっちを見てる。」
視覚では追いかけれている。
しかし圧倒的な速度差は、雪音に防戦を強いていた。
攻撃を放っても、有効打が与えられない。
光球も女の機動に対応しきれず、うまく包囲する形で誘導できていなかった。
「でも、まだまだ足りないね!!」
その言葉の直後の急加速は、いままでの動きより格段に大きな魔力をまき散らしていた。
今度こそ対応しきれない雪音は、背後にその気配のみを感じ取る。
そこで全力で、背中の防御を固める。
「それじゃあ防げない。」
女の言葉に同調するように、その手に持つ剣が魔力による輝きを増してた。
魔法で大幅に強化された剣が、背中に迫るのを理解しつつ雪音の身体は追いつかない。
(ああ……そうか。ブラックが助けを求めなかったのは……。)
やけにゆっくりと感じられる時間の流れの中で、雪音は納得する。
(私が、弱いから。)
もはや諦め、雪音は目を閉じる。
だが、痛みを感じることなく背後から聞こえた衝撃音に再び目を開く。
即座に振り返った雪音の目に、黒い少女の姿が飛び込んできた。
「…………ブラック!!」
魔法で強化された剣を、銃で押し返そうとして鍔迫り合いの様相であった。
「……手負いに防がれる程度のあんたがさぁ、ホワイトにメタ張って調子に乗ってんじゃねえよ。」
いつになく、荒々しい口調だった。
ブラックの目が、激しい怒りをもって女を睨み付けていた。
その姿を、女は意外な人物が現れたとばかりにきょとんと見ていた。
「あら、まさか動けるとは思ってなかった。」
「あんたが手出していい相手じゃないんだよ、ホワイトは!」
「そういうの、ちゃんと勝ててから言いなよ。」
それ以上の会話は続けなかった。
女は星夜の銃を弾くと、流れるように星夜を蹴り飛ばした。
「ブラック!!」
必死の雪音がなんとかその体を抱きとめる。
蹴りもまた強化されていたのだろう、星夜の苦しそうな表情が雪音にはつらかった。
「……こんなところ、かな。」
「あなた!」
怒りを込めて雪音は睨み付ける。
だが星夜を抱きかかえているうえ、そもそも力が及ばない相手にできることは無かった。
「ここまでで引いてあげる、って言ってるんだよ。魔法少女達の実力も分かったしね。」
そう言って女は背を向ける。
「うちの隊長にちゃんと伝えておくよ。”魔法少女、敵にあらず”ってね。」
存分に煽る言葉を口にすると、女は悠然と飛び立っていく。
追うわけにもいかず、ただ抱きかかえた星夜を見つめる雪音の心には、この上ない悔しさと、ブラックの身体を五感でとことん感じ取る思いしか存在しなかった。




