深み
「文化祭、いよいよ来週ですけど先輩は当日何してるんですか?」
魔法絡みで色々起きた直後でありながら、晴香の問いは極めて日常的なものだった。
あるいは、雪音たちが絡む魔法の話は意図的に避けているようでもある。
「クラスの出し物を適当に手伝って、あとは特に考えてないかな。」
模擬店で女装させられる、とのことはあえて伏せる。
当日このクラスに来ても見るべきものは何もない、という風に思わせる必要があった。
「先輩のクラス、模擬店でしたっけ?」
「そうだよ、適当に飲み物と軽食を出すだけの休憩所。」
つまらないもの、という感じを出して星夜は視線を空中に向ける。
視界に入る昼休みの教室には、半分程度のクラスメイトが食事中だった。
そこに、雪音たち3人の姿は無い。
最近は教室でも食べるようになってきていたが、今日は屋上辺りにでも行ってるのだろう。
(そろそろ暑いと思うけど。)
「先輩は接客ですか?」
「どうだったっけ……真面目に聞いてないからよく知らない。」
あくまでとぼけようとする。
菫が興味深そうに耳を傾けているのも星夜には怖い。
「ふーん……。」
そうして晴香は頬杖をつきながら星夜の顔をじっと観察する。
その視線に、嘘は言っていないと装うべく平然な顔をする星夜であったが、彼にとってそれはあまり得意な行動でもなかった。
「なんか、隠してます?」
どうしてこの純粋そうな後輩は、いつもこちらの心を見抜いてくるのだろうと星夜は疑問に思う。
美空のように取り立てて鋭い人間でもないだろうに、こと星夜についてのことはやけに真実をついてくるところがある。
「や、べつに。」
「どう思う、菫?」
そう言って菫の意見を求める晴香。星夜の知らぬうちに、クラスメイト同士でなかなか仲良くなっているようであった。
「姉さまは隠し事は下手だからな。」
「そっかー。」
後輩2人の視線がいたたまれない。
とはいえこれ以上は苦しく、溜息を吐き出しながらある程度の情報は開示することとした。
「ちょっとだけ接客する。」
「ほう、するんですね。」
「そうはいっても僕はこのクラスの隅っこで静かに暮らしてる人間だからね。適当にやるだけだから。」
その言葉でも、晴香たちはまだ満足していないようだった。
だが女装させられることはなんとか最後まで伏せ、シフトの時間も良く知らないと躱し続けてその場をひとまずは乗り切ることができた。
もっとも、星夜の戦術勝ちというより、昼休み終了というタイムアップであったが。
結局その日は、星夜は雪音とまともに会話することは無かった。
それどころか美空にもうまく話しかけられず、軍人たちについてのことを相談することもできなかった。
(まあ、それも明日でいいか……。)
雪音はずっと美空たちと一緒にいた。
美空に話しかけようとしても、雪音がすぐ近くにいる。
どうにも雪音が苦手に思えてくるが、そうはいっても目が合うことはしばしばあった。
なんだかんだ言っても、互いに互いのことは意識したままである。
星夜は雪音のことを見ていたし、雪音も星夜のことを頻繁に見ていた。
その様子を見ていたからこそ、美空もこれは時間が解決してくれるものだと楽観して自ら行動を起こすことは無かったわけである。
そうして放課後を迎えると、真面目に文化祭の準備に励む半数ほどのクラスメイトを置いて、星夜は学校を後にする。
不真面目に過ぎるようにも思えるが、以前文化祭の準備のために放課後に残ってみたところ、とくにやることもなく、ただただ所在無く立ち尽くすだけであったために星夜は帰宅という選択肢をとるようになった。
(僕らはあくまで予備戦力、と。)
そう正当化して星夜は帰路に就く。
一方後輩2人は主戦力たるところの、真面目な生徒の側であるようだった。
(ひとまずの危険も去り、僕も力を得たわけだし1人で帰ったって別にいいよねえ。)
しきりに一緒に帰ると主張していた2人のことを思い返す。
その申し出を、頑として断ってきた。
(せっかくの学校生活、楽しめる人は楽しんでほしいしね。)
星夜に見える魔力とは、使用後にまき散らされる残骸の光のことを指すものではない。
その光であれば、誰しも見ることができる。
彼が見えるのは、使用者に集まっていく、世界から人間に与えられていく途中の魔力である。
その見え方は、魔法少女に変身している状態の方がよりはっきりと見ることができる。
とはいえ、変身していない状態でも、最近はいくらか見えるようになってきていた。
そのため、彼が町に起きている異変に気付くことは早かった。
「……少し遠くかな。」
下校中、離れたところにかすかに上った魔力の光に星夜は気付いた。
星夜が魔法を使って飛んで1分といったところだろう。徒歩で行くならばそれなりにかかる距離だ。
(交戦は避けた方がいい……やる義理もない。とはいえ、こっちに火の粉が降りかかってくるかもしれないことは確かだ。)
まだ雪音たちが気付いていないであろう脅威。
それが実際どのようなものなのか。
魔法省の手先になって戦ってやるつもりもないが、自分たちと敵対するかもしれない相手のことを知っておく必要も感じていた。
(偵察くらいはしておくか。)
自分の飛ぶ速さには自信がある。
その自信が、彼に安易に決断させた。
周囲に人がいないことを確認すると、手早く変身し魔法少女の黒い衣服に身を包むと星夜は魔力の見えた方向へ飛び立った。
人の気配を察した星夜は、ビル影に隠れる。
様子をうかがうと、大通りにどうやら魔法使いらしき複数の人影が見えた。
(倒れているのは……一般人か。魔力の収集ってやつかな。)
その人影の蠢く足元には、複数の人間が倒れていた。
数は10人以上、それなりの被害だ。
(あまり縁がないことだけど……魔力を集めるとどう使えるのか、晴香にも聞いておくか。)
自身が集められる魔力しか使用したことがない星夜にとって、他人から吸い集めた魔力の使用というものはよく理解できていなかった。
あるいは、この5年のうちにしっかりと魔法について学んでいれば知ることができていたのかもしれない。
(5年の惰眠か……表面上や小手先の戦闘技術はともかく、僕の魔法には深みがない。この差を巻き返せない限り、僕がホワイトの隣に立つ資格はない。)
自身の無学を感じつつ、さらに様子をうかがう。
特に目立った動きは無いが、それでも被害者はさらに増えつつあった。
次から次へと、倒れている人間に気付いていないかのように無警戒に人々が彼らのいるところに足を踏み入れていく。
大通りでの大胆な犯行であるが、それを認識できるものはいなかった。
(認識が阻害されてるな……魔法を使える人間でなければ、気付けないか。)
星夜はそこにいる魔法使いの数を数える。
見える限りでは5人のようだ。
これが一部であるのか、全員であるのかはまだ分からないところだ。
(浪人という割に、身なりはしっかりしている。軍服も綺麗に着こなしているな。言われなければ正規兵と思うだろうな。)
しばらく観察してみているが、特に大きな動きは見受けられない。
情報が得られそうにもなく、かといってこのまま隠れていてはいずれ発見されるリスクもあった。
(頃合いかな。)
星夜にとっては大した情報が得られたとも思っていないが、それでも彼らの姿を肉眼で見れたことは一つの収穫と言えるだろう。
自身を納得させつつ、発見されないうちにその場を離れることとした。
その姿を別の角度から見つめる、第三者の存在に気付かぬまま。
「星夜!」
クロのその叫びだけで、星夜は即座に回避行動をとった。
死角である上方からの攻撃であると勘で判断し、右に体をロールさせる。
そうして体制を整えつつ、上を向いた星夜の視界に1人の女が現れた。
「……軍人か。」
先ほど見た魔法使いたちと同じような黒い軍服に身を包んだ女は、ミディアム程度の髪を風になびかせながら星夜を見下ろしていた。
奇襲をしかけながら、2撃目を放ってくる様子は無く、星夜のことを観察しているようであった。
「動きはそう悪くはないな……5年前とはいえ、伝え聞いた武勇は偽りではなかったか。」
(周囲に他に敵はいないか。逃げるのが得策かな。)
女に興味はあったが、それでも戦うことは最適ではないと考えた星夜は退くことを考える。
とはいえ、敵に背中を見せての退却は危険である。
(……ビルを障害物にして撤退するか。)
何もない空中を飛んで逃げては、敵の追撃を許すことになる。
幸い、市街地ということもあり障害物は豊富に存在していた。
「悪いけど、あなたに付き合う義理は無いんだ。」
「そう連れないことを言うな、お前もこちらに興味はあるのだろう?」
そう言って女は銃口を星夜に向ける。
星夜と同様の銃を装備としていた。
「断る!」
そう言って星夜は女に向けて銃を放つ。
女が防御の魔法を使った隙を狙い、星夜はビル群にまぎれるため後退しようとする。
だがその星夜の前方を貫く光条により、星夜は動きを阻まれる。
さらに3個の光球が星夜に迫ってくるのを視認した。
「もう発動していたのか!?」
「逃がしはしない。」
発動の早さに驚いた星夜であったが、その3個の攻撃を回避することは難しいことではなかった。
しかし、回避によって星夜とビルの間の距離は開き、何もない空中で女と対峙する状況を変えることはできなかった。
その間にも星夜は3発の攻撃を放つが、いずれも女に回避されてしまう。
攻撃発動の早さに加え、飛行による機動も並以上のものがあった。
(あくまで逃がさない気か……。)
巧妙に星夜の移動を制限する牽制攻撃に、撤退は阻まれ続けている。
その速さを生かし切ることができず、星夜は判断に迷っていた。
(逃げれない……なんだ、これは。僕が動けない。)
相対している女の戦法に、不愉快さを感じる。星夜の持つ速さ、射撃の腕が発揮できていなかった。
「なら倒すしかないか!」
思考を切り替える。
戦って倒さぬ限り、あるいは敵にある程度の打撃を加えない限りは、撤退は至難に感じられた。
逃げるためではなく、攻撃するための動きに思考を切り替える。
機動戦をしかけるべく、前方に急加速した星夜は左右にフェイントを加えながら女の左側面を取りにかかった。
かつての力を取り戻した、星夜にとって万全の機動。
しかしその動きをしっかり目で追いつつ、的確に女は後退しながら迎撃の構えを見せた。
6個の光球が女から放たれる。
星夜に直撃するルートは取れていないが、その前方を網目のように通過する光球に星夜は機動変更を強いられる。
そして間髪を入れぬまま、さらに放たれる光球が同様に星夜の行く手を阻む。
直撃するものではないとはいえ、星夜は回避せざるをえない。
下手をすれば、自分から当たりに行くことにさえなってしまう。
そうして間隔を開けずに放たれる攻撃によって、先ほどと同じく機動を制限され、速さも十分な加速を得られぬ状態であった。
光球を変わらず放ちながら、女は銃を構える。
動きが遅くなった星夜に、狙いを定めて引き金を引く。
「まずい!」
身を捻じるように、無理やりに星夜は攻撃を避ける。
右足に痛みが走る。
(うあぅ!攣った!!!運動不足にはきつい!)
通常取らない無理な姿勢が、運動不足の星夜の肉体をいじめていた。
「この、好き勝手に!!」
姿勢は乱れながら、星夜の射撃は依然正確であった。
だがそれでも、決定打を与えられる条件は得られていない。
女の正面に向かった光条は、難なく障壁に拒まれる。
(なんだ……動きたいように動けない。)
速度をもって敵の攻撃を避け、死角に回り込んで決定打を打ち込む。
それが星夜のとるべき戦術だ。
通常の魔法使いでは困難なその戦術も、星夜の速さがあれば可能であった。
いやむしろ、障壁を破るほどの大魔法を持たない星夜にとって、それ以外に取るべき戦術もなかった。
(敵の攻撃、僕を正確に打ち抜けるほどの腕じゃない。でも、こちらの動きを読んで不正確ながら機動を制約してきている……。読まれているのか、僕の動きが。)
相変わらず、星夜の周囲には複数の光が通過していく。
その全てを認識している星夜の動きは、合理的で必要最小限のものであった。
だがそれでも、必然的に速度は落ちている。
身に纏わりつくような、網のようなものを星夜は感じていた。
敵の術中にはまっていることを自覚していた。
焦る星夜であったが、その焦りが魔力の察知を鈍らせた。
万全の星夜であれば、迫りくる光球のなかに違う種類のものが混ざりこんでいたことに即座に気付いただろう。
しかし星夜が異常に気付いたのは、それらが至近距離に来てからのことだった。
とっさに不得手の防御魔法を展開した星夜の周囲で、光の玉が爆発した。
「くそっ、こんな子供だましに!」
悔しがりながら、その身には確実にダメージが入っている。
決定的な隙を見せた星夜を、正確ながら高威力の魔法が襲った。
「はぁ……っくそっ。」
ビルの屋上に膝をついた星夜が、荒い息を吐く。
なんとか直撃は避けたものの、右半身の脱力は致命的だった。
「……浅いな。」
「くっ。」
見透かされていた。
自身が悔いていた己の弱みを、突かれてしまった。
「5年……それが長かったということか。」
「何を……知った風に。」
負けた以上、強く物を言う気にもなれないが、それでも反発の意を示す。
「司法省の13位を倒したとは聞いていたが、存外連中のレベルも低いということか。まあ、それも詮無きことだな。」
レオナのことを言っているのだろう。そしてレオナが13位に位置している王国のレベルのことも言っていた。
「我ら軍人と、司法省、つまりは警察の違いが分かるか?」
地に伏せそうな星夜に対し、悠然として女は語り掛ける。
「外向きの力と、内向きの力だってこと?」
「それだけではないな。警察は、少なくとも戦略的には常に優位に立つ。敵より数で勝り、装備で勝る。警察の戦闘とは、わずかな例外を除いて常に優位な戦況を準備することができる。」
女の意図は分からないが、星夜はその話を静かに聞き続ける。
「だが我ら軍人はそうではない。国家の命があれば、例え不利な状況であっても退却は許されず、国民の盾として敵と戦わなければならない。不利な相手だからと言って、自由に撤退することは許されない。不利であっても、勝利をもぎ取らなければならない。」
「ゆえに、我ら軍人はあらゆる敵に対して対応できる力を持たなければならない……。ブラック、お前は私より強い。お前は私より早く飛び、正確に、遠距離から攻撃できる。だが、我らはそのような敵に対しても戦術によって対抗しなければならない。」
「……僕に足りないのは、深みだと言いたいのか。」
「戦術として取れる選択肢……如何ようにも変えられる戦闘方式。それによって我らは不利を覆す。上善は水の如し、というやつだ。」
そこまで話すと、満足したのか星夜に背中を向け歩き出す。
「ここまでやって、見逃すのか?」
「殺してどうする、お前は我らの敵でもないだろうに。」
ならなぜ攻撃してきたのか、と問いたくなった。
だがそれを口にするより早く、女はその場を後にしてしまった。
その場に1人残された星夜は、脱力していない左の拳を思いきりコンクリートの地面にたたきつける。
悔しさのまま力加減も考慮せず振り下ろされた拳からは、血が流れだす。
それでも何度も星夜は拳を叩きつける。
ホワイトなら、今の敵と戦えたか。
自身が負けたことへの悔しさを、その考えが上回る。
ホワイトならば、あの多彩な魔法の才能があったならば、あのような子供だましの戦法に封じ込まれることもなかったのではないか。
敵が1つの戦法を封じたならば、別の戦法を持ち出せる。
その深みが、きっとホワイトにはある。
(くそっ……こんなものでは!!)
左手の痛みが精神を落ち着かせてくれる。
ホワイトへの劣等感が、大きくなっていく。
「痛いだろう、それ。」
「……ロイさん、でしたか。」
現れた男に特段驚く様子もなく、星夜は返事する。
気配は察せていなかったが、それでも近くにいてもおかしくはないと考えていた。
「悔しがることは無いさ、あれは相当の手慣れだ。」
「知っているんですか。」
「まあな。軍人崩れどもの中でも、あれが一番強い。隊長ってわけではないがね。」
他人が現れたことで、星夜は悔し紛れの行動をやめ話に応じる。
「……私が弱いだけです、あれが強いわけじゃない。」
「変わった悔しがり方だな、あんたは。」
「ホワイト達なら……勝てる相手です。あんなものは。」
自分だけが、追いつけていないのだと思う。
自分だけ、まだ彼女たちの所には到達できていない。
「なあ、ブラックよ。」
近づいてきたロイが、刀片手に星夜の傍に座り込んで顔を近づける。
「王国の魔法使いを舐めん方がいい。死線をくぐってきた連中は、格が違う。」
真面目な表情に、星夜は息をのむ。
普段の雰囲気とは全く異なる顔だった。
「まあ、向上心は良いことだ。己の力が及ばぬと悟ったなら、励むがいいさ。」
立ち上がったロイは、普段の雰囲気を取り戻していた。
やや歳上ぶった様子だが、先ほどの身を刺すような雰囲気は消え失せていた。
「しかし、その様子だと歩けそうにないか。帰れんだろう?」
「ああ、いや。イージスを呼びますよ。」
「その手を煩わせることはない。ちょうど、手が空いてる人間がいる。」
そう言ってロイが視線を振った先には、先日星夜を襲ってきた狙撃手の少女がこちらの様子を伺っていた。




