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盾として

 正体を明かしてから最初の登校。


 ずる休みでもしてしまおうか、という考えも星夜に浮かばなかったわけでもないが、それが問題の先送りに過ぎないことは彼には無論分かっていた。


 重い足を引きずりながら、菫と共に星夜は学校にまでたどり着く。


「さて、どんな顔をすればいいものかな。」

「姉さまは普段通りでいいと思います。事実をどう飲み込むか、それは既にあちらの領分です。」

「僕にどうこうできるわけでもない、とは分かるんだけどね。そこまで割り切るのも難しい。」


 菫と話すことで心を落ち着かせながら、下駄箱で靴を履き替える。

 そうしているうちにもいつ雪音に会うとも分からない。


(いつもの様子からして、もう登校していて教室にはいるんだろうな……。入れば顔を合わせることになる。)


 階段を上り、教室を目指す。

 おそらくは、雪音たちは既に登校済であろう。


「菫、じゃあここで。」


 学年が異なり、当然教室の場所も違う菫とはここで別れようとする。

 だがその星夜の手を菫は握る。


「いえ、付いていきます。」

「でも菫の教室は……。」

「最初だけです。さ、行きましょう。」


 少し引っ張られるように星夜は急かされる。

 普段にもないその様子に、しかし星夜は少し救われたような気持ちになる。

 

 そうして教室に入ってみると、やはり雪音たち3人の姿がすでにあった。

 3人でなにやら会話しているらしく、まだ星夜の登校には気付いていない。


 何も声をかけずに席に着く、というのも取りうる行動ではあるが、星夜が着席するにあたっては自然彼女たちの傍を通ることになる。

 そこで何の声もかけないというのは、明らかに不自然な行動であり、また今後の関係にも良くはない。


 星夜は一息吐くと、彼女たちに近づき、ごく平凡な挨拶をもって声をかける。


「おはよう。」


 その言葉に、ようやく彼女たちも星夜に気付く。


「あら、おはようございます。」

「おはよー!」


 丁寧な挨拶と、元気な挨拶。

 美空と朱夏は、いつも通りの様子であった。


 事実を知ったばかりであっても、朱夏の態度には変わるところは見られない。昔からそういう、裏のない性格を星夜は好んでいた。


「……おはよう。」


 その2人に続いて、やや元気のない挨拶が返ってくる。

 表情は別に不機嫌というわけでもないが、目線が落ち着かないその様子からして、雪音はまだ心の整理がついていないように見えた。


 目の前にいる男子生徒が、ずっと心から離れなかった女の子と同一人物であることにまだ頭が追い付いていないのである。


 ひとまずの挨拶だけを終えると、星夜は自分の席に向かう。

 これ以上の会話をすることは、まだ星夜にも雪音にも難しかった。どこか、他人行儀なところが出てきてしまうだろう。


「姉さまの挨拶に対して……。」


 なにか呟くような不満げな菫の声を、星夜は聞かないように意識する。


「最初はこんなものかな……。」


 席に着くと、ぽつりと星夜はつぶやく。

 何も最初から、昔のように雪音と話ができるようになると期待していたわけではない。


 とはいえ、いくらかの寂しさが沸き起こるのは仕方がないことであった。


「菫もありがとう。助かったよ。」

「いえ、私はただ姉さまに付いてきただけですので。」


 姉さま、という呼びかたがクラスメイトに聞かれていないか星夜は心配になったが、半分ほどが登校したこのクラスにおいて、特に菫の言葉に注意を払っている者もいないようだった。

 始業までいくらか時間があることもあり、菫はすぐに自分の教室に向かう様子はない。


「昼はこちらで良いでしょうか?」

「そうだね、そこの席も昼は空いてるし、借りても大丈夫だよ。」


 隣の席の、話したこともないクラスメイトの席を見て星夜は言う。

 前の席はいつも晴香が使っているが、その席の主ともろくに会話したことは無い。


 3人組を除いて、星夜に意識を向けることがないこの教室の雰囲気を、菫は感じ取った。


(晴香から聞いてはいたが……浮いているな。)


 星夜は近寄りがたい。

 社交的な性格でもなく、その恵まれた容姿も相まって話しかけにくい雰囲気を醸し出していた。


 どこか満たされず、遠くを見つめているような普段の様子も、その近寄りがたさを後押ししていた。


(1年後れを取ったことが、口惜しい。)


 年下の後輩としてではなく、同い年の対等な友人としてこの世に生を得ることができていたならば……。

 菫が1年の遅れを悔やんだことは1度や2度ではなかった。


 

 自分が1年早く生まれていれば……。


 ホワイトなどに、ブラックが心を惑わされることもなかったであろうに、と。




「晴香のこと、よろしく。」


 その言葉を受け、菫は自身の教室へ向かっていった。

 昼には晴香と共にまた星夜に会いに来る。なんなら休み時間ごとに来ようとも菫は言ったのだが、星夜には遠慮されてしまった。


(菫は菫の学校生活を大事にすればいい。)


 そう考えるからこそ、星夜はあまり自分のことばかりに菫を引き留めることは避けていた。

 それに、星夜は1人でいることをそう苦痛に感じるわけでもない。

 

 むしろ、この5年の寂寥感から一転して菫たちとの温かい交友に身を任せることが、怖くもあった。

 何かを手に入れれば、それを失う恐怖を得る。それが人の性だ。


 雪音との関係がまだうまくいかなくなっていることは、辛い。だが耐えられないものでもなかった。

 むしろ、一気に昔のような関係が戻ってきてしまうことに対する心の準備はできていなかった。

 今の星夜には、あまりに温かすぎるものだ。


 この状態が続けば、確かに少しずつ星夜の心は傷付いていく。それでも一挙に来る幸福は、まだ星夜には怖かった。


 だからこそ、星夜は焦らずじっくりと、時間の助けを借りて関係を回復していこうと考えていた。




 しかし、不満に感じる者もいた。

 休み時間に廊下に出ていた雪音はその人物に捕まり、人目の付かないところで壁に身を押さえつけられた。


「時間が必要なことは、私も理解しています。だから、今日のあなたの様子にそう腹を立てるつもりもありません。」


 そう言いつつも、やや強い口調で菫は雪音に詰め寄る。


「えっと……。」

「無条件で姉さまを受け入れろ、と求めるつもりもありません。あなたが姉さまを拒むのなら、そうすればいい。私がどうこう言う話でもありません。」


 その発言と内心がどこまで一致しているのか、雪音には判断がつかなかった。

 自分が星夜に壁を感じてしまっていることに、目の前の菫は大いに不満があるように見えた。


「姉さまにとってあなたは特別です。あなたの言動は、いちいち姉さまの心を大きく動かす。腹立たしくとも、これは事実です。そして姉さまはあなたのことを求めている。」

「……それは、うん……。私だってブラックのことは。」


 歯切れは悪いながらも、雪音もブラックに対して特別な思いを抱いていることは伝える。

 だがなおも、菫は納得する様子はない。


「なら早々に、態度で示すのがよろしいでしょう。私はそう長くは待てません。あの姉さまは長くは見ていられません。」

「私だって……今すぐ昔みたいに話したいと思ってるよ。」


 まっすぐ見つめる菫の強い目を、雪音は直視する。

 その言葉に、確かに偽りはなかった。


「……1か月です。」

「え?」


 おもむろに、そう切り出す。


「1か月経っても今日のような様子であるなら、それでタイムオーバーと考えてください。」

「それってどういう?」


 さらに雪音に顔を近づけ、菫は宣告する。


「あなたは姉さまにとって特別ですが、唯一ではありません。1か月で駄目なら、その時は。」

「その時は……。」


 最後には耳元で、はっきり宣言する。


「姉さまは、私が貰っていく。」

「っ!」


 そう告げると、菫は雪音から顔を離す。

 壁に押し付けるようになっていた姿勢も解き、雪音の前に腕を組んで立つ。


「それは……星夜の気持ちもある話じゃないの?」


 なんとか、反撃の言葉を紡ぎだす。

 だがそんな言葉を、どこか鼻で笑うように菫は受け流す。


「今日も私と姉さまは一緒のベッドで寝てきました。」

「ええ!!一緒の……ベッドって。」


 仲が良いことは当然知っていたが、それでもこの年になって、しかも男女でありながらそのような関係であることに雪音は驚愕する。


「私はいつでも姉さまに手を出せる。……姉さまには、そういう気も無いのでしょうが。」

「いや、それはダメだって……高校生だし、そんなの。」


 不健全だ、と言いたくもなったが、昔からの2人の関係を思い返せばそう悪く言えるものでもなかった。

 本当に、姉妹のようにべったりだったことが強く雪音の記憶に残っていた。


 星夜には変な気持ちもないのだろう、と雪音は確信している。そのことは菫も理解しているようでもあった。


「まあ、あなたの好きにすればいいでしょう。ですが期限を過ぎたなら、私も好きにします。では、また。」


 休み時間の終わりが近づき、菫は去っていく。

 上級生に詰め寄るその姿を、星夜が見ていればもしかすると怒っていたかもしれない。彼からすれば、いらぬことであったかもしれない。

 だがそれでも、菫は何も言わずにはいられなかった。



 星夜には、雪音が必要である。



 例えそれが自身にとって不愉快なことであっても、菫にとっては絶対の最優先事項である。


 盾として、彼女が選んだ在り方を貫き通すだけのことであった。


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