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幸福を

「名前、教えてくれる?」


 言葉が出てこなかった。

 偽名であれば、いくらでも頭に浮かんできていた。こういう時のために準備してきた名前はある。


 だが星夜が迷っているのは、自分の素性、つまりは雪音の同級生の男子高校生であることを明かしてしまうかどうかであった。


(迷うことがあるのか。)


 このまま正体を偽り続けるべきだ、と星夜は理解している。

 適当な名を告げて、女の子として雪音と向き合っていく。それで万事は問題なく、自分が望んでいた生活も得られるだろう。


 だが、正体を明かすべきなのではないかという思いも打ち消せない。


(それを告げて……どうなる?何が、誰を喜ばせるんだ?)


 正体を明かすことで、星夜は本当の自分を雪音に教えることができる。それは星夜にとっては、心が晴れることであるのかもしれない。

 だが雪音にとってはどうなのか。


 雪音にとっての、魔法少女ホワイトにとってのブラック。

 かつて共に戦った、かけがえのない友達の女の子。


 雪音にとってブラックとの思い出は何よりも大切で美しいものである。彼女を形作っている原点ですらある。

 だがそれは、ブラックという女の子との思い出だ。

 偽りのものであったとしても、雪音にとってはそれが事実なのだ。


(正体を明かして喜ぶとすれば僕だけだ。その代わりに、僕はホワイトの思い出を傷つけることになる。何より大切な思い出を、汚してしまうことになる。であれば……。)


 偽りであることを知らなければ、その偽りこそが真実だ。

 ならば、迷うこともないだろう。


 しばし考えた挙句、星夜は口を開く。


「私の名前は……。」

「ホワイト。」


 だがその言葉を、美空が遮った。

 雪音と呼ばず、ホワイトと呼んで。


「魔法少女は、本来正体は隠すもの。私たちはお互いの名前を明かして共に過ごしてきましたけど……それでもそう気安く他人に強いるべきものじゃないですよ。」

「あ……。」


 その言葉に、雪音もしまったといった表情を浮かべる。


「ごめん……。」

「いえ、べつにそう悪いことだとは言いません。私もブラックの名前は知りたいですし、ブラックも教えてくれる気があるのかもしれません。ですがもう少し、ゆっくり話すべきことなのだと思います。ブラックも、それでいいですか?」

「え、ああ……うん。」


 どうやら助け船を出してくれたようである。


 星夜としては偽名を名乗るつもりであったのだが、それを遮られた形となる。あるいは嘘をつくことを遮ったものであったのかもしれない。


「えっと、私あそこのお店空いてるか見てくるね!朱夏、いこ。」

「あ、私も行きます!」


 そうして気まずさから逃げるように、雪音と朱夏は近くのファミレスに駆けていく。

 先輩たちだけを行かせるわけにもいくまいと、グレーも2人の後を追う。

 走っていく雪音の姿に、昔の彼女の姿を重ね合わせて星夜は少し笑いそうになる。


 そんな星夜に、美空が小声で話しかける。


「もし即答するようでしたら、邪魔するつもりはありませんでした。」

「……嘘をつくって、分かってたんだね。」

「ですが、あなたは迷っていました。だから、少しだけ先延ばしにさせてもらいました。」

「先延ばし、ね。」


 このあとファミレスにでも入った時に、改めて話せということなのだろう。


「ですから、覚悟は決めておいてください。」

「……嘘をつくなら、そんなに覚悟は必要ないよ。」

「そうしない覚悟を、です。」

「邪魔をするつもりはなかったんでしょ?」


 正体を明かす覚悟を付けろ、という美空の物言いに、星夜は虚を突かれた。


「即答していたら、その嘘に協力しました。ですがあなたは迷いました。」

「このまま隠し通すことが、色々と都合がいいはずだよ。波風も立たず、誰も傷つくことは無く、君の望む平穏のままだ。」

「その通りです。あなたはそれを理解している、にもかかわらずあなたは迷ったんです。正体を明かすことに、いくらかも魅力を感じていたんです。」

「そこにはなんのメリットもない。」

「そうなのかもしれません。それでもあなたはその道を捨てきれていない。なぜでしょうね?」


 首を軽く傾げ、笑みを浮かべながら美空が問いかける。

 いたずらをしているかのような、そんな笑みだ。


「彼女を騙すことへの、罪悪感かな。」

「そんなもので判断を迷うほど、あなたは脆くはありません。」

「なかなかに失礼じゃないかな、まったく。」


 そう言いつつも、美空の言に星夜は賛同はしている。

 それが雪音のためになることであれば、星夜はいくらでも嘘をつくし、罪悪感に悩むこともない。


「それでもあなたが迷ったのは、あなたが本当は正体を明かしたいと思っているからです。」

「……僕はどちらの選択が正しいのか、理解しているつもりだよ。」

「ええ、理解してるのだと思います。ですがこの場合、有り体に言ってしまえば頭では理解しているが、心は別といったところです。」

「頭と心なんて、一緒だと思うけどね。」


 ごまかすような星夜の軽口を、軽くスルーして美空が続ける。


「あなたは本当の自分を明かしたうえで、雪音達と付き合っていきたい。そう思ってるんです。だから、理屈では理解しながら、判断を迷ったんです。」

「でもそれは、僕の我が侭に過ぎない。僕1人が得をするだけの選択だ。」

「そうなのかもしれません。ですが私にとっては重要なことです。」


 美空は星夜の耳に顔をぐっと近づけ、耳打ちするような体勢を取る。

 シャンプーの匂いなのか、女の子特有の匂いが星夜の鼻をくすぐる。

 その様子を横で見ている菫が、怪訝そうな顔をしているが2人の目には入っていない。


「私はあなたに幸せになって欲しいんです。昔からずっと見ていると分かりますが、あなたは他人の幸せは守ろうとするのに、自分の幸せについては無頓着であるばかりか、それを投げ打とうとすらしてしまうことろがあります。」

「それが僕の生き方なんだよ。僕が生きたい生き方なんだ。」

「でも私はあなたには幸せに生きて欲しいんです。幼いころからの友達に、不幸になんてなって欲しくありません。」


 あまりに近すぎる美空の目が、真剣に星夜に語り掛けていた。


「私が幸せにしてあげますから。」

「……まるでプロポーズみたいだね。」


 男女が通常とは逆にも思えるが。


「私の思いを言いますが、私はこれ以上、偽りを重ねて欲しくはないんです。あなたが辛くなるばかりで、そんなことであなたの幸せは掴めないんです。」

「でも……拒絶されるかもしれない。それこそ君が望む平穏は乱されてしまうかもしれない。」

「私も迷いました。でも、最近の雪音を見てると何だかわかる気がします。どうあっても彼女はブラックの味方をします。女の子で、優しく正しい魔法少女としてのブラックではなく、記号を一切除いたブラックという存在に対してです。」


 確かに、雪音は自分たちと敵対しようとしたブラックのことを救おうとした。


「まあ、一波乱くらいはあるかもしれませんが……何もないばかりが平穏じゃありませんから。凪いだ海だって波はありますからね。」

「……美空にはいつも助けてもらってる気がするね。こうやって背中も押してもらうなんて。本当は自分で決めなきゃいけないことなのに。」

「いえ、いいんですよ。それに、人には向き不向きがありますから。あなたに向いてないことは私が助けます。あなたは自分を幸せにすることが苦手ですから。」


 随分な言われようだなと星夜は苦笑する。

 だがその通りなのかもしれない、と考える。


 1人では何も得られなかった。

 周りにいた数少ない友人によって、いくらばかりかの笑顔を星夜は手に入れていたのだ。


「近所にちょっと付き合いの長い子供がいてさ……偉そうに嘘をついちゃいけないって散々言ってるんだよね。」


 近くに住む子供のことを星夜は思い浮かべる。自分のことは棚に上げて随分と偉そうなことを言っていたものだと考える。


「じゃあ、大人として実践してみましょうか。」

「そうだね。」

「ほら、雪音たちが戻って来ますよ。」


 ファミレスの様子を見に行っていた雪音たちがこちらに戻ってくる。どうやら席は空いているようで、グレーが店内に残っていた。


「はあ……びっくりされるだろうなあ。」

「そうですねえ……でも喜ぶと思いますよ、あの子は。本当のことを打ち明けてくれるって、それだけでうれしいですから。」


(ビンタのひとつくらいもらったりしないかな)


 ふと昔のことを思い出す。

 女同士だからと、随分とボディダッチも多かった記憶があった。裸を見せあったことはもちろん無いが、それでも抱き着くくらいのことはいくらでもあった。


(さっきも手握っちゃったな……。)


 いささか不安が募ってくるが、それでももう決めたことだ。


 星夜は自身の長い髪を後ろで束ねると、普段のようにひとつに結びあげる。

 慣れた手つきで、手早く結び終える。


(サラサラですね……本当に男の子なんでしょうか。)


 その仕草を傍で眺める美空が疑問に思ってしまう。星夜の性別はしっかり把握しているのだが、それでも疑問を持ってしまった。

 普段の髪型にしたと言っても、女装したうえに軽く化粧もしたその姿はやはり女性にしか思えなかった。


(そもそも普段の髪型からして女性のスタイルなのですが。)


 動きやすいように束ねているだけで、その自覚は無いのかもしれないと、美空は特に口に出して指摘はしない。


 星夜の変化に特に気付くこともなく、雪音が近づいてくる。

 これから告げることは、不可逆の変化をもたらすことになる。


 知る前と知った後では、すべてが変わり、失われるものもあるだろう。


 もう彼女と同じものを見ることはできないかもしれない。

 それでも、本当に自身が望んでいたものがようやく見えてきていた。


(そうだな……僕は君の隣にいたかった。偽りとしてではなく、本当の僕として。)


 たっ、と。

 雪音が星夜の前で歩みを止める。

 近くに来て、彼女は星夜の髪型の変化に気が付いた。


「ホワイト。」

「ん……?なに、ブラック?」


 じっと自分を見つめる顔が、美しい。

 怖気付きそうにもなるが、ぐっとこらえる。


「黙っていなくなってごめん。長い間連絡もしないでいてごめん。」

「……ううん、謝らないでブラック。私もあなたを1人にさせてた。あなたのことが見えていなかった。」


 傍に居ながらブラックの変化に気付けなかったことを、雪音はずっと悔やんできた。


「何もかも、黙ったままだった。僕は君の前では美しく、かっこよくいたかったから。でも、そんなんじゃ駄目だったんだね。」

「私はどんなブラックだって好きだよ。だから、これからは何でも話して教えて欲しいな。」


 全て教えていこうと、星夜は思う。

 もう偽り続けることはやめよう。


「ありがとう。じゃあ、まずは自己紹介からさせてもらうね。」

「……いいの?」

「僕のことは、もう全部知って欲しい。ちょっと困らせちゃうかもしれないけど……。」

「ブラックのことだったら困ったって何でも……ん?」


 ふと、雪音は星夜の一人称に違和感を覚えた。


「ぼく……?」


 雪音には、こんなに女性らしい人が使う言葉には思えなかった。

 その疑問が収まらぬまま、さらに混乱を招く言葉が告げられた。


「僕の名前は星夜。ホワイトの幼馴染の魔法少女ブラックで、そして……。」

「へ?」


 気の抜けた声が雪音の口から飛び出す。


「君のクラスメイトだよ。」

「…………え?」


 目の前の女の子と、クラスメイトの男子生徒。

 雪音の頭の中でその2人が重なるまで、しばしの時間が必要であった。


 そしてそのしばしの時間の後、はしたない大声が辺りに響くことになった。

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