平穏
雪音が星夜のことをブラックと分からなくても、もともと2人は相性が良かった。
彼ら2人が意気投合し、よく話す関係になるまでにそう時間はかからなかった。
「おはよう、星夜。」
「おはよう、雪音。」
互いのことを名前で、さらには呼び捨てで呼び合うようになったのはここ数日のことだった。
その名前を口にするたび、彼女が自分の名前を呼ぶたび、彼女の笑顔を見るたび、星夜は失っていたものを取り戻したような充足感を得るのだ。
星夜の場合はその理由も分かる充足感であったが、雪音にとっては不可思議な安心感だった。
(どうしてか、星夜と話すと心が安らぐ。寂しいと思っていた気持ちも、和らいでいく。)
その理由はあくまで星夜がブラックに似ていることだと考えながらも、雪音はブラックに会えない寂寥感をいくらか打ち消すことができていた。
星夜たちが魔法使いに襲われてから2週間ほどが経っているが、嘘のように平和な日常があった。もちろん登下校は基本的に星夜と菫、晴香は一緒にしており、警戒を解いているわけではない。むしろ、自分たちが察知しないところで何かが進められているのではないかという疑念を強めていっていた。
そしてその疑念は、正しいものだった。
「魔法使いの女性が、私たちに協力するって言ってきています。」
そう星夜に教えたのは美空だった。
空き教室にいるのは2人だけだ。
「それはいいことだね。君たちも助かるでしょ。」
自分が魔法使いと敵対する道を選んだことなどは知られないように答える。万が一にも、美空たちが危険な道を選ぶようなことがあってはならない。
「表面上はともかく、問題はその目的です。今の今までこちらの世界のことは私たちに任せてきた相手です。それが今になって……。その裏が分からないのが不気味です。」
協力する、と言われても素直に受け入れないのがいかにも美空らしい、と星夜は思った。勘がいい彼女のこと、やはり裏がないのかが気になるのだろう。
「あくまで善意によるものとは考えられないかな?」
「善意であれば、すべては杞憂に終わります。ですから今は、そうでない場合について考えなければいけません。」
「悪意によって君たちに協力するっていうのかい?」
「悪意によるものであるなら、むしろ私たちを利用する、と言った方が正しいかもしれませんね。」
美空に何か確信があるわけではない。あてのないまま、しかし星夜との会話の中でその思考は収束していくようでもあった。
「利用……私たちの利用価値とすれば何よりも戦力ですね。当然、なにかを倒す、排除するための道具。はて、一体どこのどなたかしら?」
「連中にとって厄介な魔人じゃないの?」
「順当に考えるとそうかもしれませんが、そうであれば私たちに教えてもいいはずです。そうでないところからして、どうもうさんくさいですね。」
「考え過ぎだと思うけどね。」
「そうであったなら何の問題はありませんから。」
美空が変に思考を深めていくことを星夜は止めようとはするが、しかし彼女の思考が止まることは無く、むしろ真相に近づきつつすらあった。
「私たちが倒したいとは思わない、ごく普通の善良な人を倒すためでしょうかね。」
「……もしそうであったなら、倒す時になって君たちが辞めればいいだけのことだよ。」
「あちらもそんなことは想定しているはずです。だから、直接的に手を下させるのではなくその手助けとなるように……というところでしょうか。」
星夜たちを倒すために、ホワイト達を利用する。想定はしていたことであるが。果たしてどのような手を打ってくるのかが星夜にはまだ見えていない。
「少し話が突飛すぎるかな……。君たちをどうやって利用するのか、その使い道もいまいちわからないよ。」
「さて、敵はどう出てきますか。」
「敵、なんて呼び方はよしなよ。せっかく来てくれた援軍じゃないか。」
「私は今でも困っているわけじゃないですから。確かにあの魔人は倒せませんでしたが、それで私たちの平穏が乱されていたわけでもありません。むしろ、こうやって外部から介入されることのほうがよほど厄介です。」
昔からそうだ、と星夜は思う。昔から、美空は敵を倒すことに執着していない。美空にとっては、友人たちの平穏がなにより重要であって、そのために必要であれば敵は倒すし、必要でないならそう積極的にはならなかった。
(美空らしいけど……危ういな。)
美空はどうもその魔法使いに敵意のようなものを抱いているようであった。そのことが、星夜に嫌な予感を感じさせていた。
「で、仮にその推測が正しかったとして……。ターゲットはどんな人間だと思う?」
「分かりませんね。ただ、こういうときは最悪を想定しておけば問題はないものです。」
「と、いうと?」
星夜の問いかけに、今まで背を向けていた美空は振り向いてその顔を近づけてきた。
「星夜さん、です。」
どきりとしたのは、至近にある整った顔によるものか、はたまた正解にたどり着かれてしまったことへの戸惑いによるものであったか。
「僕が……?そんなに悪いことをした覚えはないんだけどね。」
「逆恨みかもしれませんね。」
「心当たりはないけど、もし僕が魔法使いに狙われていたとしたら、」
君が関わる必要はない、と言おうとした。だがその言葉を予想していたかのように、美空がそれを遮った。
「もちろん私は星夜さんの味方をしますよ。」
「……相手は魔法使いだよ?」
「大問題ですね。」
「そうなれば、君たちの平穏は乱される。」
「私が守りたい平穏、その中には星夜さんも含まれていますから。」
その言葉が、星夜には嬉しかった。だが認めるわけにもいかない。
「全員の平穏を取れないとすれば、より多きを取るのが賢い判断だよ。」
「全てを取るか、失うか。私はその2択だけです。」
ふんわりとした見た目とは裏腹に、美空が苛烈な性格を秘めていることを、星夜はいよいよ思い出した。
そもそも幼いころの思いをそのまま強く抱き続けている異常な人間だ、そう易々と何かを譲るハズがないのだ。
「そう……気持ちはありがたく受け取るよ。ともかく杞憂に過ぎないだろうけど……それより。」
「それより?」
話題を変える絶好の口実がその場に存在していた。
「着替え終わったけど……やっぱり、恥ずかしいな。」
女子制服に身を包んだ星夜の姿が、そこにはあった。
「あ、そういえば……あんまりお似合いで自然なので、なんだか気付きませんでした。」
「君が着替えさせたんじゃないか。」
「文化祭で模擬店、とくれば女装は自然ですからね。とはいえ女装に見えないのですが……。」
そういって美空は星夜の姿をじっと見つめ、視線を上下に動かす。美空の言う通り、髪もおろした星夜は普通の女子生徒にしか見えなかった。
「やはり……すごく美人です。」
「知ってる人に、女装と知られて見られるのはやっぱり恥ずかしい。」
「本当に、ブラックが成長したらこんな美人になるんだろう、って想像はしていましたが。その通り、あるいはそれ以上かもしれません。」
星夜の姿を前にして、美空は少し恍惚とした表情ですらあった。
だがその美空は、何かを思い出したような顔をすると星夜にぐいっと近づいた。
「駄目です!!」
「え、なに!?」
言わんとするところが分からず、星夜は困惑する。
「その姿、そのまま美少女のブラックが成長した姿なんです!」
「えっと……。」
「雪音が気付いてしまうんです!!!」
「あっ。」
星夜が男である、としても、この姿は確かに昔のブラックを連想させるものだった。ブラックに思い入れの強いホワイトこと雪音がその姿を見れば、勘づいてしまう恐れが十分以上にあった。
「髪型を変えましょう!」
「髪型、って言っても。」
「2つ結びましょう!」
言うが早いか、美空は星夜の髪に手を伸ばすと、側頭部で髪をまとめ始めた。
大人しくされるがままにすることにした星夜は、そのくすぐったいような心地よい感触を味わいながら、作業が終わるのをしばし待った。
「できました!」
鏡の前に立たされた星夜は、予想はしていたが見慣れていない自分の姿に困惑した。
「これは、ツインテール……。」
「やっぱり似合っていますね。髪型を変えると、可愛らしさが増して雰囲気がだいぶ変わりました。」
先ほどからテンションも高めな美空を脇に、星夜は慣れない髪型に少し恥ずかしさを覚えていた。
「ちょっと年齢的にはどうなんだろう。」
「大丈夫ですよ。それに、ここまで変えておかないと雪音が気付いてしまいます。」
雪音には、すべてを打ち明けたいとは2人とも思っている。だが今はまだその時ではない。
「さて、これで大丈夫です。教室に行きましょうか。」
「え、ちょっと待って。スカート短くない!?」
「そんなものですよ。」
いまだ心の準備ができていない星夜の腕を握ると、やや強引に美空は空き教室の外へと歩きだしてしまう。
女装はしてきた星夜であったが、いつもにもまして短いスカートに、学校という環境に心臓が激しく脈うっている。
すれ違う生徒の視線におびえながらしばらく歩くと、ついに星夜たちの教室に着いてしまった。
「あ、美空!」
よりによって、と思う星夜だった。
教室に戻ってきた星夜たちに声をかけたのは、今一番会いたくなかった人物であったかもしれない。すなわち、雪音である。そしてその隣には朱夏もいる。
「戻りました、ふふ。」
「にしても男子の女装かー。あんまり見たくないよね、美空も手伝いなんて大変だね。」
そう述べるのは朱夏である。
本当に見たくないもの、と言った感じであり、にじみ出る嫌悪感に星夜は不安を感じてしまう。
「はは、まあ美空はクラスの手伝いはちゃんとやる性格だしね。」
朱夏の言うことを否定はせず、同調するように雪音も苦笑している。やはり、男の女装など嫌悪の対象なのだろうか、と星夜は美空の背中に隠れようとする。
だが隠れようとすればこそ、その動きは雪音たちの目についた。
「あれ、その子は?」
星夜に意識が向いた雪音が問いかける。その口ぶりからすると、星夜が女装した姿であることには気付いていないようであった。
その雪音たちの視線を遮らぬように、美空は身をよけて星夜を彼女たちの前に出した。
「おー……美人さん。」
「え……。」
美人と褒めたのは朱音、一方雪音はぽかんとした表情をしていた。
「雪音、どうしました?」
その雪音の様子に少し不安を抱いた美空が問いかける。
「ううん、いや、綺麗な子だなって思って。見慣れないけど、どこのクラスの子?」
「そういえば見たことない気がする。」
そういって朱夏が星夜に顔をやや近づけて観察する。雪音も少し離れて星夜の全身を観察しているようであり、そんな彼女たちと同じ制服を身にまとっている星夜は羞恥心から逃れるすべもなく、顔を赤らめながら、救いを求めるように美空に視線を向けるしかなかった。
「ふふ、ごめんなさい。2人とも、気付きませんか?」
大方満足したのか、美空はネタ晴らしをすることにした。だが2人とも、美空の言っている意味がつかめていない。
どうやらわかりそうにない彼女たちを見て、美空は答えを教えてあげることにした。
「この子、星夜さんですよ。私たちのクラスの。」
「……へ?」
2人そろって、間の抜けた返事をする。
「え、星夜……?」
信じられない、と言った感じに雪音は星夜の姿を見つめる。
顔が変わったわけではないが、服装と髪型が普段と大きく変わっただけで随分と印象も変わっている。
「いやー。えっと……恥ずかしいなやっぱり。」
そう言って照れながら星夜は目線を伏せる。その仕草が、どうにも可愛らしく3人の目には映った。
「ええ!??すごい!いや、似合うとは思ってたんだけど、それにしてもすごく綺麗だよ!」
「へー、すっごいねえ。男の子でもそんなに似合っちゃうのか。」
2人して星夜のことをほめたたえる様子に、星夜は恥ずかしながらもいくらかうれしく思ってしまった。
それは色々な要因を秘めた感情ではあるのだが、どうにも自身がゆがんでしまっているな、と星夜は自覚せずにはいられなかった。
(性癖が歪んだのか、承認欲求が肥大化したのか……疎外感が怖いのか、いずれにしても、真っ当な人間じゃなくなっちゃったなあ。或いはもともとそうであったかもしれないけど。)
自分のことをやけに熱っぽく見つめる雪音の視線を星夜は少しだけ怖く感じつつも、文化祭の準備の時間は過ぎ去っていき、そして彼らの穏やかな日常も過ぎ去ろうとしていた。




