本当の自分には気付けない
光が収まった時、星夜の右手には長めの銃が握られていた。
黒を基調に、所々に紫色が混じったその魔法銃は、かつて共に戦った星夜の相棒である。
星夜はその銃の感触を確かめ、その姿を眺める。かつてと変わらずそこにある銃に、安心感を覚えた。
「だけど、どうやら駄目みたいだね、クロ。」
星夜が妖精に言う。
銃は現れた、だがそれだけであった。
星夜の姿は先ほどまでと変わらず、魔法少女の装いを纏ったものでもない。
魔法少女として復活できていないことは、明白であった。
「思いは持っているはずなんだけどな……。」
魔法使いの女を見上げながら呟く。己の心の中にある闘志は明らかに存在していた。
「これではまだ不足っていうのかい……随分と強欲になったのか、それとも僕の思いなんてものに魅力がなくなったのか。」
自らに魔法の力を与える世界そのものに対して星夜は愚痴を言う。
普段以上の口数の多さは、自身の動揺を抑えるものでもあった。
「さて……この状態でどれだけ動けるだろうかな。とにかく、この場を乗り切らなきゃいけないからね。」
「少々驚いたが……なんだそのザマは。そんな姿で私と戦うつもりか?」
魔法使いの女は、星夜が光に包まれた際には驚いて動きを止めていたが、状況を把握して挑発的な態度に戻りつつあった。
「そっちが仕掛けるなら、こっちは戦わざるを得ないんだよね。たとえ、無謀であっても。」
これは無謀な戦いとなる。そのことへの悔しさを心の底にしまいながら、星夜は答える。
「そうかい……まあいい。」
「っ!」
女が動く。
その動きは、ヨゾラがとらえきれなかったように、極めて速度の速いものだ。
ホワイトたちとは比べ物にならない、と星夜は判断する。
現在のホワイトたちの動きを見たわけではないためそれは推測であったのだが、事実女の動きは格別の速度を有していた。
強力な魔法に依存したスタイルではない。ヨゾラとの戦いで見せた魔法も、魔法自体の難度で見ればそれほど高等なものではなく、むしろ基本的な攻撃であった。
だが洗練された機動と的確な攻撃判断が、女の強さの源となっている。
そのことを理解した星夜は、少しばかりの親近感を覚えた。
(案外……似ているな、僕と。)
女が動き出したと同時に星夜は手に持った愛銃を構えていた。
すぐに向こうの攻撃が来る、与えられた時間はあまりに少ない。
だが星夜にとっては、十分な時間だった。
「なに!?」
女が顔に驚愕の表情を浮かべる。
瞬時に星夜から放たれた攻撃は、寸分違わず女の身体の中心を貫こうとするものであった。
反応した女は、シールドを張ってその攻撃を防御する。
(……やはり、弱い。あまりにも。)
自らの攻撃を眺めた星夜は、そう感じる。放たれた光条は、あまりに細く弱々しいものだった。
それは、かつてのグレーとの練習での、威力を弱めた攻撃よりもおそらくは貧弱なものだ。
「なんだ、このふざけた攻撃は……。攻撃の精度と威力があまりに釣り合っていない。」
奇妙に威力が低い攻撃に、女は困惑する。
本気で動く自分を正確に射抜く射撃の精度と、その威力のアンバランスさが異常であったためだ。
しかし困惑しながらも、女は反撃を放つ。
シンプルに一本放たれる攻撃が星夜のもとに向かう。
「……くぅっ、動きが重い!!」
いくらか魔法で強化されてはいる脚力で回避するが、まともに飛行できそうな気配もなく、星夜は自分の身体が鉛のように重く感じられた。
(駄目だ、一撃目はおとり、本命は次!)
すぐさま頭を切り替え、星夜は次の攻撃に備える。
だが、この状態で回避が可能かどうか、非常に怪しいところだった。
(無理、かな?)
自分に向かってくる4本の光を見て、星夜は覚悟する。
今の自分では、無理だ。
(勝つ、負ける……それ以前だ。こんなもの、戦えてすらいないじゃないか。)
拳を強く握りしめる。
勝ちたい、という思いを実現させるよりもっと根本的な問題が存在していた。
(戦えもせず……ここで……。それもいいかもしれない。戦えないのなら、僕は……。)
「姉さま!!」
「イージス!!」
やや危険な方向に至ろうとしていた思考は、イージスの声によって消し去られた。
星夜の前には3枚のシールドが展開されており、敵の攻撃を完璧に防御していた。
そして反射されるようにそのシールドから発射された魔法が女に向かって飛んでいった。
「厄介な防御魔法がきたわね!」
女は口ではそう言いつつ、あくまで冷静に魔法を回避する。
やはり無駄な動きが無い、と星夜は思う。
速い動きでありながら、無駄が生じない。それは女がその機動を完ぺきに制御している証左でもある。
「姉さま、その銃は……。」
改めて星夜の姿を確認したイージスが、彼が手に持つ銃を見て問いかける。
星夜はその問いかけに、首を振って答えた。
「イージス、僕はダメだ。やっぱり僕は、もう戦えないみたいだ。」
「姉さま……。」
その声にいくらかの落胆が含まれていることを、星夜は察する。イージスは自分と一緒にまた戦いたいと思っていてくれたのであろうか。
だが今はそのことに思いをはせる時間はなかった。
「敵は動きが速い、間違いなく一流だ。はっきりいって、1対1では厳しい。」
「そのようです。姉さま、攻撃は……?」
「……無理だ。」
「……分かりました。盾として、私は役目を果たします。」
言うと同時に、イージスは星夜の前に立つ。
そして6枚のシールドが、彼女のまわりに展開された。
「6枚……防御魔法については相当に極めているみたいね。」
「お前の攻撃は、もう通らない。」
「……惜しいわね。」
女は攻撃せず、イージスに向かって直進する動きを見せる。
接近を警戒したイージスは、魔力をシールドに送り込み、6枚のシールドから魔法を発射して迎撃する。
「攻撃は不得手かしら!??」
美しくロールした女は、難なくそれらの光条を回避する。イージスの攻撃をかわしながらも、イージスに向かうその速度はほとんど落ちていなかった。
すぐに距離を詰めた女は、魔法でなく蹴りを放つ。予想外の攻撃と、動きの速さによってイージスは反応が遅れ回避することができない。
「肉弾戦なら、いくら盾があってもね!!」
女の言う通り、イージスのシールドは物理的な攻撃に無力だった。
魔力を吸収するという機能からして、魔法以外にはなにも為すところがない。
女は止まらず、イージスと近い距離を保ち続ける。
笑みを浮かべながら、イージスに向かって拳を繰り出す。
だが女の予想に反して、その拳は手のひらに止められてしまう。
さらに隙が生まれた女に対し、今度はイージスが蹴りを放ち、女の身体を吹き飛ばしていった。
「舐めるなよ……、姉さまのほうがもっと速かった。」
イージスはかつて星夜と練習をしていた。その際に、肉弾戦の練習も行っていたわけである。
初撃は受けてしまったが、不覚を取り続けるイージスではなかった。
バランスを崩した女に、イージスは再びシールドから魔法を放つ。どうにか回避しようとした女も、さすがに6本全てはよけきれず、2本を食らってしまった。
(……勝てる!)
星夜は確信した。
女の油断もあったが、状況はイージス有利に傾いている。
「……なるほど、侮ったわ。」
姿勢を立て直しながら、女がつぶやく。
「なら、勝つための手段を取らせてもらう。」
そういうと女は杖を振り、10個ほどの魔法の球を生み出した。
そしてそれらの球は、イージスではなく星夜に向かって放たれた。
「まさか……イージス!こっちは守るな!!!」
その意図を読み取った星夜はイージスに向かって声を張り上げる。
だがイージスはその言葉を聞き入れることは無かった。
その声に従えば、星夜が傷つくことが明白であったからだ。
すぐさまイージスは6枚すべてのシールドを星夜の周りに展開させた。
どこから攻撃されても、防御できるように。
もし、すぐさま魔法の球が星夜に殺到していれば、状況が一変することは無かっただろう。
だがそれらの球はすぐ星夜を襲うことは無く、不気味にその周囲に留まっていた。
「だめだイージス、こいつらは君から盾をはがすための陽動だ。」
その球が星夜の周りに存在し、いつでも彼を攻撃できる状態にある限り、イージスは盾を自分のもとに戻すことはできない。
それこそが女の狙いだ。
「これで裸になったわね。さて……ん?」
イージスから盾を奪い満足げな女だったが、イージスの姿を見て顔をしかめる。
イージスの手には、物理的に存在する紫色の大きな盾が握られていたからだ。
「へえ、そんなものも持っているわけね。」
星夜が銃を持っているように、イージスも実体を持つ盾を持っていた。イージスの身体をほとんど隠してしまうような大きさだ。
動きが制約されるため、普段は展開していないものだが、この状況ではそれを使うほうが良いと判断したわけである。
「さあどんなものかしら!!」
邪魔なシールドが無くなったと考えた女は、再び魔法による攻撃を再開した。
一直線にイージスに向かう魔法は、そのまま彼女が持つ盾に命中する。するとタイムラグはなく、そのまま魔法は反射され女のもとへと向かっていった。
「やはり反射というわけね。」
魔法のシールドとは異なり、この盾は敵の攻撃を吸収するわけではなく、そのまま反射する。
使い勝手はやや悪くなるが、それでも強力な守りである。
跳ね返ってきた攻撃はしかし女には当たらず、女は速度を上げイージスの側面に回り込むような軌道を描いて飛び始めた。
当然イージスは女を追いかけ、彼女を正面に捉え続けようとする。
だがある程度距離が詰まった段階で、女はイージスの視界から消えた。
「後ろか!」
目で見えていない状態だが、イージスは即座に女の居場所を把握する。
距離を詰めた女は、一気に魔法による瞬間的な加速を得てイージスの背後にまで回り込んでいた。
腕だけ回して盾を背後に構えたことで、女の攻撃は再び防がれる。
だがまだ女の姿をとらえきれていないイージスの対応には限界があった。
その直後に頭上から放たれた魔法の直撃をイージスは防ぐことができなかった。
「ぐっぅ!!」
苦痛にイージスの顔がゆがむ。女は容赦することなくさらなる追撃を加え、イージスは地面に墜落していった。
「イージス!!!」
地面に伏し、顔が見えないイージス。だがそれでも、星夜の周りのシールドは消失していなかった。
イージスがぎりぎりで繋いでいる意識によって、そのシールドは存在を保たれていた。
「すごい執念ね……。でも、楽にしてあげる。お前はその後、いたぶってやろう。」
イージスに杖を向けながら、星夜に対して女は見下した笑みを浮かべる。
その姿を見て、星夜は再び屈辱を噛みしめる。
今星夜が感じているものは、勝てないことへの屈辱ではない。
戦えないことへの屈辱、挑めないことへの絶望だった。
(今まで僕は……勝ちたいとだけ願ってきた。勝てなければ意味がない、負けてはいけないのだと……。)
だがその考えの誤りが、今の星夜には理解できていた。
(そうだ。本当に苦しいのは、本当に惨めなのは、負けることじゃないんだ。戦わないこと……挑戦しないことだった。)
戦えなくなったことを確かめてしまった今だからこそ、分かったことがあった。
(負けることが怖くて、戦えなかった。でもそれは間違いなんだ。僕が戦うのは、勝つためではなく……。)
「挑むことそれ自体が、僕に充足感を与えてくれていたんだ。それをもう一度味あわせてくれよ……。僕は、負けてもいい。惨めに伏してもいいんだ。頼む……。」
星夜は懇願する。
「戦いたいんだ。」
そう呟いた瞬間、星夜は自分の身体が浮き上がったのを感じた。
そして気づいたときには、魔法使いの女が目の前にいた。
「……な。」
驚愕に女は顔をこわばらせる。
女が移動したわけではない。
星夜が、一瞬のうちにその距離を詰めていた。
反射的に女は星夜の方向にシールドを張る。
だが、その瞬間には星夜の姿は消えていた。
さっきの女の動きと同様に、瞬間的に魔法で加速した星夜は、宙返りをして女の上を取っていた。
逆さまに浮かぶ星夜は、無防備な女に向けた銃の引き金を引いた。
放たれた光条は、今度は強く輝くものだった。
直撃を受けた女は、悲鳴を押し殺しながら星夜の方に振り向く。
即座に星夜は横に急加速する。
再び視界から外れようとする星夜の姿を女は追う、が。
「っ!!?」
女は追いきれない。急加速による星夜の移動距離が、彼女の予想を上回るものだったからだ。
魔法による瞬間的な加速には限度がある。瞬間的に消費する魔力の制約があり、さらにそれを克服したとしても、高速での移動を制御し、姿勢を保ち続けられる距離はそう長くはない。
どう訓練したところで、瞬間的に移動できる距離は5m程度だ。
だが目の前の星夜はどうか。
(こいつ……10mは瞬時に動いたのか……?)
派手に残留している黒と紫の魔力の残り香が、星夜の軌跡を空中に浮かび上がらせていた。
「この動き。お前は…………ブラックか。」
その名を呼ぶと同時に、女は背後からの攻撃を受け吹き飛んだ。
「しぶとい!!」
止めはまだ刺せていなかった。
さらに追撃しようとした星夜だったが、女の動きを見てそれを諦めた。
完全に逃げの姿勢に入っていたのである。
追いかければ追いつけなくはないかもしれない、が相手も速い。
「深追いすることも……ないか。」
遠ざかっていく女の姿を見送った星夜は、視線を地上に向けた。
イージスは、どうにか体を起こしてこちらを見上げていた。彼女は大丈夫であろう。
だがヨゾラ……晴香の方は倒れ込んだままだった。
すぐ晴香の傍に舞い降りた星夜は、その怪我の様子を確認する。
「外傷は……擦り傷か。魔法で衰弱してるな。」
「姉さま……。」
そこにイージスが歩いてくる。
立つのがやっと、という姿が痛々しい。
「イージス、無理しないで。」
「申し訳ありません、不甲斐なく。」
「いや、ありがとう。十分以上に助かった。」
自分が倒れてもなお、星夜のまわりのシールドを維持し続けたイージスに対して、星夜は心の底からの感謝を述べる。だがそれでもイージスは悔しそうであった。
「とにかく、撤収しよう。晴香は運ぶけど……菫、歩ける?」
戦闘が終わったと心を切り替え、イージスではなく菫と呼ぶ。
「大丈夫です。それほどやられたわけではありません。それより。」
「何?」
「姉さま、やはり戦えるようになったのでしょうか?先ほどの動きは……。」
かつてのように、あるいはそれ以上の動きを見せていた星夜。だが星夜はまた首を振って否定する。
「……火事場の馬鹿力、ってとこなのかな。今は……もう飛べそうにない。それに……。」
何より重大な証拠もあった。
「僕は変身出来なかった。結局、戻れないんだよ。」
瞬間的に戦う力を得ていた。だが結局それはあの場だけのものだったのだろうと星夜は考える。
かつての魔法少女の姿に、戻れていたわけでもなかった。
「そう、ですか……。」
「ごめん。」
「いえ!姉さまが謝ることはありません!」
再び一緒に戦える見込みがないことに対して、星夜は謝罪する。菫を落胆させてしまっていることは星夜ははっきり分かっていた。
(どうしてさっきは戦えた……?どうして今はもう飛べないんだ?)
菫に対する申し訳なさと、自身に対する疑問を抱きながら、星夜は晴香を負ぶさって帰路についた。




