挑むのは何かを得るためではなく
とにかく魔法使いから逃げることとした星夜は、自宅に向かって走っていた。どこまで逃げれば安全かもわからないが、行くあてとしてはその辺りしかなかった。
走りながら、星夜は電話を掛ける。その相手は言うまでもない。かけて2コールほどで連絡がついた。
「僕だ、敵が来てる。ひとまず時間は稼げてるけど、じき追いつかれるかもしれない。」
「いまどちらですか!?」
電話相手の菫は不要な言葉ははさまず、必要な情報を即座に尋ねる。
「家に向かって走ってる、いまコンビニを過ぎた!」
「わかりました、ですが5分かかります!」
どうやら菫は近くにはいないらしい。
魔法で飛んでくるにしても時間がかかるようであった。
「分かった!とにかく家に向かう。頼む。」
そう言って電話を切る。あと5分、間に合うであろうか。
星夜は魔人の男の様子を思い出す。戦うといっても、勝ち目はないだろう。すぐに魔法使いの女は追ってくるはずだ。
(家まで走って……5分強か。イージスと合流するにしてもその辺りだ。やはりどこかに隠れた方がいいか……?)
そう考え、隠れるのに適した場所が無いかを見回す。だがめぼしい場所は見当たらない。
とにかく走るしかない。星夜は息を切らしながら必死に走っていた。
「あれ、先輩?」
だがその時に、星夜にかけられた声があった。聞き覚えのある声に、思わず星夜は足を止めて振り向いた。
「晴香!?」
そこには見知った後輩が私服姿で立っていた。
その晴香は星夜の様子を見るなり、驚きで目を見開いて駆け寄ってきた。
「先輩どうしたんですか!?息切れ切れじゃないですか!汗もすごい。」
「晴香……いや、ちょっと急いでて。ごめん、もう行くね。」
答えながら星夜は焦る。
いつあの魔法使いが追い付いてくるかわからない。下手をすれば晴香を巻き込むことになってしまうだろう。
(魔法に無関係な晴香まで巻き込むわけにはいかない……。)
そのため晴香には悪いと思いつつ、強引にでも振り切って走ろうとしていた。
だが晴香は、そんな星夜の腕を握りしめて押しとどめた。
「先輩、どうしたんですか?普通じゃないです、何かあったんですか?」
「晴香、すまないけど急いでるんだ。」
「様子が変です。急いでるというより、まるで逃げてる感じです。」
晴香は星夜の置かれた状況を、その様子から見抜いていた。だがその指摘を肯定するわけにはいかない。
「変なことを言うね、晴香は。」
「正直に言ってください。何か変なことに巻き込まれてるのなら、私が力になりますから。」
「そんな、巻き込まれてるなんてことは無いよ。」
巻き込まれているわけではない。星夜にとって、魔法の世界での戦いは、むしろ自分がいるべき場所なのだ。
「先輩、私じゃダメなんですか?美空さんや菫さんは、私が知らない先輩を知っています。きっと先輩は、あの人たちには助けを求めるはずです。」
「そんなことない、助けが必要だったら、僕は晴香を頼るよ。」
「……嘘です。」
「本当だ!」
「先輩が今逃げてることくらい私には分かるんです!!分かってしまうんです、そんなことは。だって、私は……。」
星夜の腕を強く握りしめつつ、顔を伏せつぶやく晴香。
その晴香の様子は気になるものの、星夜はこれ以上ここにとどまるわけにもいかなかった。
「晴香……ごめん。」
そう言って星夜は強引にその手を振りほどき、その場を離れようとした。
だが、既に遅かった。
「追いついた。」
ただ一言、2人の頭上から降ってきた。
声の方向を見上げた星夜は、先ほども見た女の顔を確認した。
「……来たか。」
「先輩……?あれって。」
呆然と見つめる晴香。ただ星夜には説明する心の余裕もなかった。
「余計な人間が1人いるが……まあいい。そこの女、少し離れていろ。」
さすがに無関係と考えたのか、女は晴香に下がるように伝える。
「晴香、少し離れてて。」
星夜も同じように晴香に伝える。とにかく晴香は無関係である、と考えていた。
だが晴香はその2人の忠告に従わない。
「なんですか、あなた。これから何をするつもりですか?」
「お前には関係が無いことだ。下がっていろ、お前まで怪我をするぞ。」
その一言は、むしろ晴香を激昂させた。
「先輩に危害を加えるつもりってことですか。見過ごせません。」
「晴香、下がってて。君には関係が無いことだ。」
ムキになりつつある晴香を見て、どうにか星夜は制しようとする。
しかし晴香は引き下がるどころか、どんどん敵意をむき出しにしていく。
「そうだ、お前には関係が無いことだ。聞け、その男はな、魔人……人を殺した犯罪者の仲間と親しくしていた。危険な人間だ。」
「魔人……。」
「勝手な言い方だね。その殺人者本人ならまだしも、その仲間と仲良くしただけで狙われるのか。」
「仲間もまた同類だ。まあ、その男自体はすでに排除したがな。……言いたいことはそれまでか?」
そう言うと女は星夜に向けて杖をかざす。装飾が施されたわけでもない、シンプルな黒い杖だ。
(イージスは……間に合わないか。やるしかないのか……?でもここには晴香もいる。いや、こっちの事情がばれるのはまだいい、もし戦えなかったら……。)
魔法少女の力を手にするべきかどうか、星夜はまだ迷う。そしてもし戦えなかったら、星夜は魔法少女の世界を捨てることになる。
(……躊躇している場合じゃない、か。選択肢はもう決まっている……取るべき道は、ちゃんと分かっているはずなんだ。……こうなったら。)
「先輩、下がっていてください。」
「晴香!?」
躊躇する星夜に対し、晴香が話しかける。その声は、先ほどまでの興奮した口調ではなく、極めて冷静なものだった。
「状況が分かりました。これは、私の戦いです。」
「え?」
そういうと晴香が2歩3歩と前に歩み出る。
「既に倒された、か……。まず一つにはこれは敵討ちです。」
「晴香、一体何を……?」
「そして何より、先輩を……私の唯一の友達を守らなきゃいけないんです。すみません、先輩。これまで私は隠していました。」
その言葉とともに、晴香の身体から一瞬光が溢れる。
光が収まったとき、そこには普段の晴香とは異なる、しかし見覚えのある人物が立っていた。
「……ヨゾラ?」
ヨゾラ、と呼ばれた晴香は青白く光った眼を伏せる。間違いなく、星夜の前に立っているのはヨゾラであった。
「晴香、君が……どうして。」
「……ごめんなさい、先輩。」
晴香はそう言うと星夜から顔をそらし、上空にいる女を見つめる。
「へえ、手間が省けたわね。そんなところに隠れていたとはね。」
「あなたは私が倒す。」
「……いい心構えね、いくわよ。」
その言葉を受けて最初に動いたのは晴香のほうだった。女に向かって飛びかかる晴香を、事態をまだ飲み込めない星夜が見つめる。
自分の見知っていた後輩が、魔人……ヨゾラだった。
その事実がまず飲み込めない。
だがそれでも、戦いを前にして星夜の思考は働いていた。
「晴香、駄目だ!」
飛びかかる晴香の視界から、女の姿が瞬時にして消える。
その動きを捉えられなかった晴香は周囲を見回す。
「上だ!避けろ!!!」
星夜の言葉に、晴香はとにかく一気に横に飛ぶ。
直後に晴香がいた場所を光条が駆けていった。
「遅いのよ、それではね。」
女は杖をかざすと、6本の光条を放つ。それぞれが湾曲しながら、晴香のもとに向かう。
「っ!!?」
回避する術が限られた攻撃を、なんとか晴香は躱す。だがその代償として、その姿勢は大きく崩れていた。
その晴香に、容赦がない追撃が向けられる。
「その程度とはね。」
新たに放たれた魔法が晴香に直撃する。
大きくはじかれた体が、地面に叩きつけられる。
「晴香!!」
「魔人がいたのは予想外だったが、やはりそんなものか……。あの男はそれなりの動きを見せたが、やはり小娘ではな。」
「あんた……。」
見下す女に対して、星夜は怒りを募らせる。
自分がなぜこんな人間に見下されなければいけないのか。
なぜ一方的に狩られる立場に置かれなければいけないのか。
なぜ、自分が戦えないのか。
(……こんな奴に。)
負けたくはない。
「……調子に乗るなよ。」
「……は?」
星夜は意を決する。
「ありがとう、晴香。君は捨てる勇気を持っていた。それを見てようやく僕も心を固めることができた。失ってもいい、惨めでもいい。僕はただ……こいつに勝ちたい。」
「やっとその気になったか、星夜。」
星夜の声に反応する、人外の言葉。
「ああ、クロ。力をもらおうか。こいつに勝つために。」
紫色の光が、星夜を包んだ。




