再び歩みだす勇気
「先輩、帰りましょうか。」
放課後、いつものようにやってきた晴香が星夜を誘う。もうここしばらくの習慣であり、その行為は極めて日常的なものになっていた。
そして誘われる星夜も、ごく自然な流れでそれに了承するのだった。
「うん、帰ろうか。」
いつもと変わらない光景。最初は物珍し気に眺めていたクラスメイトも、特に関心を示すこともなくなった。
そうして廊下に出た二人であったが、そこにいつもと違うイレギュラーが舞い込んできた。
「ね……星夜さん、一緒に帰りましょうか。」
今までの日常とは異なる要素が1点あったことを星夜は思い出す。それがイージスこと菫である。
菫は姉さま、と呼びそうになったのをどうにか飲み込んだ。
「あ、菫。えっと、僕はいつも晴香と帰ってるんだよね。」
浮気をしているわけではないのだが、少し後ろめたい気持ちを抱きながら星夜は答える。自分を慕ってくれている薫に対して、その申し出を、それも別の女子を理由として断ることはどうにも罪悪感のようなものが感じられるのだった。
その返答を聞いた菫は、星夜の隣にいる晴香にその冷たい視線を投げかけた。
「誰ですか、その人。」
その言葉はあくまで星夜に向けられている。星夜以外の人間と話すことを極度に避ける菫の性格の現れであったが、答えたのは晴香だった。
「先輩の後輩の晴香です。そしてあなたのクラスメイトです、菫さん。」
やや邪険に扱われたように感じた晴香は、少しだけ棘がある言い方をした。その言い方に、星夜は少しヒヤリとする。
はたから見れば、三角関係のこじれた現場に見えなくもなかった。
「そういえば、クラスで見た気がするな。」
少なくとも表面上は、まだ穏便なやり取りであることにひとまず星夜は安心する。菫が以前のように、高圧的な言葉遣いをしないものかと心配していたのである。最も晴香が丁寧語であるのに対して、菫はそうではないが。
「まあ転校初日ですし、クラスメイトは大勢います。おいおい覚えてもらうとして、とりあえず今日は失礼しますね、先輩と一緒に。」
「私も星夜さんと帰るつもりだが。」
「先約は取っていますから。」
晴香の態度がやや挑発的なものになる。あるいは晴香の口ぶりが丁寧であるのは、余裕の表れであるかもしれなかった。
険悪な雰囲気になりつつあるのを感じ、星夜はようやく仲裁に入る。
「別に3人で帰ってもいいんじゃないかな。」
だがその提案は彼女たちに受け入れられるところではなかった。
「そういう態度よくないですよ、先輩。ここははっきり決めてください。」
「先ほどから、この人は姉……星夜さんに対して馴れ馴れしすぎませんか?」
「私は先輩と付き合いが長いですから。大体転校してきたばかりでどうして先輩のところに来てるんですか?」
「私はもっと付き合いが長い。小学生のときからの知り合いだ、1年2年のものじゃない。大体君はどうして星夜さんと帰る必要があるんだ?」
だんだんと語気が強くなる2人を見て、どうしたものかと星夜は頭を悩ませる。だが論争は意外にも収まる方向に動いた。
「先輩を守るためです。」
そんな理由をまだ言うつもりなのかと、星夜は苦笑したが、その言葉を聞いた菫は異なる反応を示した。
「守る……ほう。どういうことかな?」
「こんなに美人な先輩が1人で帰ると、変なことに巻き込まれそうです。だから私が一緒に帰って守ってあげてるんです!」
何を馬鹿な、と星夜は口にしそうになるが、この2人の間に割って入る勇気もなかったため言葉を飲み込んだ。
「なるほど、話が分からない人間でもなさそうだ。確かに星夜さんみたいに綺麗な人が1人で帰るのは危険だ。」
「そうでしょう!?なんだ、あなたも分かる人じゃないですか。」
「いや、すまない。少し勘違いしていた、非礼は詫びよう。」
「いえいえ、こっちこそちょっとキツい言い方でごめんなさい。そっか、先輩のことを分かる人でしたかー。」
何やら理解しがたいところで同調しだした2人を見て、ひとまず安心すべきか悩ましい星夜であったが、ともかくその場は収まり、3人で帰ることとして落ち着いた。
穏便に帰宅中の3人であったが、打ち解けてきたところで菫がふと口を滑らせた。
「星夜さんは身体も綺麗だからな。」
「……え?」
その言葉に晴香は硬直する。そして星夜のほうに視線を向けるが、星夜は冷や汗を流しながら首を必死に横に振った。
「それってどういう。」
そう聞こうとしたところで、会話は中断される。菫の家に到着したのだ。
「じゃあ星夜さん、すみませんが私の家はここですので。本当なら星夜さんの家まで一緒に行くつもりでしたが、そこの……晴香に任せます。晴香、よろしく。ではまた明日。」
自分でも失言の自覚はあったのか、菫は普段らしくないサッパリとした別れ方でそそくさと家に帰って行ってしまった。
(戦いで重要なのは、fight or flight……戦うか逃げるかの判断と教えた。攻めるべき時に攻め、退くべき時には退く。それがすべての基本にある、退くべき時に攻めれば破滅する……。なるほど、教えは守ってるってことか。)
その引き際に星夜は感心するが、一方で別の脅威にさらされていた。
「……先輩、今のどういう意味ですか?」
普段の元気ある口ぶりとは打って変わり、冷たく平坦な口調で晴香が質問してくる。
(退却すべき状況なのは確かだけど……問題はその手段がないことかな。)
「服の上からそういう印象を持ってるんじゃないかな?」
「その返答には2点疑問があります。1つ目には、服の上からわかるのはスタイルです。綺麗な身体、という表現にはマッチしません。2つ目には、菫さんの逃げっぷりです。口を滑らせたと言わんばかりの逃げ方でした。」
普段と異なりやけに理知的な言葉遣いをする晴香が、星夜は少し怖い。
(退却できない状況……しかし戦うべきではない時、取りうる手段と言えば……。)
冷静に考えた結果、星夜は決断した。
降伏しかないと。
「……彼女と知り合ったのは小学生の時でさ。別れたのもその頃だった。その頃の僕って結構女の子っぽくてさ。」
「今もですけど。」
「それで彼女は僕のことを女の子だと思ってたんだよ。で、再会したはいいが向こうは僕のことを女の子と信じて疑わなかった。」
魔法少女に関することは伏せて、説明する。
「まあそれで、いくら僕が男って言っても納得してくれなくてね。だから、その……。」
「それで?」
「……脱いだ。」
「……。」
晴香が飽きれたような顔をして星夜を見つめる。
「短絡的だったけど、それが一番手っ取り早くて。」
「……まあ、確かに先輩の性別を確かめるには、それしか手段はないかもしれないですけど。」
「いや、普通はそんな必要ないと思うけど。」
飽きれながらも納得したような晴香の態度に、星夜は当惑する。
下まで脱いだといえば、一体どのような反応をするものかと、少し怖くもなっている。
「そうですか……ずるいですね。」
「え?」
「ところで先輩、本当に男ですか?」
「なにをいまさら。」
「疑わしいんですよね……ここはやっぱり確認を。」
そう言って星夜に手を伸ばしてくる晴香から身を引いて静止する。
すると晴香も本気ではなかったようで、手を引っ込める。
「冗談ですよ。こんなところでやるわけないじゃないですか。」
「場所の問題でもないけどね。」
「それにしても幼馴染ですか。美空さんに菫さんか……羨ましいなあ。」
つぶやくようなその言葉に、星夜は首をかしげる。
「先輩の魅力に気づいてるのは私だけだと思って、安心してたんですけどね。まあそんな訳が無かったんですね。」
「それって、どういう。」
その言葉から読み取れる、自分に対する好意を星夜はなかなか頭で受け止めることができない。
だがそうしているうちに、2人は自宅への分かれ道に付いてしまった。
「じゃあ先輩、もう家はそこですけどまっすぐ帰ってくださいね!じゃあまた明日!!」
「え、ちょっと。」
星夜の静止を聞かず、逃げるように歩いていく晴香。
ただの先輩と後輩、それだけの関係でしか見てなった相手が、今の星夜には少し違って見えるようになった。
逃げるように帰宅した晴香はすぐにベッドに倒れ込む。
女の子にしては極めて無機質な部屋は、元気な彼女とは不釣り合いのものだった。
「私は、先輩が好きだ……でも。」
星夜に対する好意を口にする。だがその声は悲哀を含んでいた。
「結局私は……。先輩と私はダメなんだ。でも恋人になれなくても、先輩にとっての一番でいたかったのに。」
美空と菫、とくに菫の姿が脳裏に浮かぶ。
「だって私は……。」
枕に顔をうずめる晴香の耳に、携帯のバイブレーションの音が入る。
着信相手を確認した晴香は、通話に応じる。
「はい。」
星夜相手とは打って変わって淡々とした口調で、返答する。
「……そうですか。私はどうすれば?……はい。分かりました、ありがとうございます。」
通話を終えた晴香は身を起こす。
その目には覚悟を決めたような力が込められていた。
「……ついに、来たんだ。」
青白い光が、かすかに瞳から漏れていた。
一方帰宅した星夜は、晴香の言葉の意味を考えていた。だがその思考を遮る声が響く。
「星夜、知らせておくことがある。」
「……なんだい、クロ?」
黒い妖精が星夜の部屋に入って来ていた。
「ホワイト達は魔人を倒してきているが……例の魔人の男には少々てこずっている。」
「あの男か。やっぱり強いのか、彼は。」
「そうだな。それなり以上の実力を持つ上に、手下もそれなりの者がいる。お前も知っている、あのヨゾラという女もその1人だ。」
「実力もそうだけど、彼は引き際もわきまえているね。」
「そこが厄介なところだ。ただ取り逃がしていることは大きな問題じゃない、あの男は少々過激ではあるが、極悪な人間ではないからな。一般人への被害も限定的だ。」
その話を聞いた星夜は、聞きたかったことを聞いてみることとした。
「気になってたんだけど、魔人や魔獣はなぜ一般人を襲う?」
「一般人とはいえ微量に魔力がある。吸収すれば魔法をかさ上げして力を蓄えることができるし、また魔力との親和性自体も高めることができる。」
「なるほどね。そこについては納得した。ただ、それは手段であって目的じゃないだろう?彼らはなぜ強くなる?なんのためだい?」
「彼らは我々の世界から追われた、いわゆる犯罪者だ。我々に対抗するためだろうな。」
「結局君たちの世界が原因か……。ねえクロ、なぜ君たちは魔法少女に戦わせる?これは結局は君たちの世界の問題だ、どうして君たちの手で決着を付けない?」
少々のイラつきを含んで星夜は問い詰める。なぜこの世界の少女を危険にさらしているのか、と。
「理由は3つある。1つには、我々はお前たちの世界に干渉することをためらっているためだ。この世界でもそうだろう、いくら犯罪者が逃げ込んだからと言って、よその国に暴力装置を送り込むわけにもいくまい。そういった配慮の結果だ。2つ目は、お前たちの世界と魔法との接触を最小限にするためだ。我々が大々的にこの世界に入っていくことはリスクが大きい。」
「なるほどね、まあ筋が通っていないこともない。それで3つ目は?」
「面倒くさいからだろうな。自分たちの手を使わずに済むなら、そうしたいという考えだろう。」
正直に不愉快な理由を述べる妖精に対して、星夜は起こるでもなくその正直さに笑みすらこぼれてくる。
「正直だね、まあ妥当なところか。」
「理由は1つではなく複合的なところだ。他にもいろいろあるが、主要なものはその3つだ。それで、今日の主題はそれじゃない。」
「緊急かい?」
「我々の世界の魔法使いも一枚岩ではない。お前の言うように、自分たちで犯罪者どもを始末すべきと考える過激派も存在する。そのうちの一人の魔法使いが、この世界にやってきた。」
「……あまり悪い話には聞こえないな。」
魔法少女にとっては援軍ともいえる。星夜はその緊急性をまだ理解していない。
「問題はその女が極めて過激な人間であることだ。犯罪者を始末する、さらにはその協力者にも容赦はしない。まあ、そう悪い話ではないかもしれないがな、星夜。問題はお前が肩入れしている女のことだ。」
「……ヨゾラか。」
「奴は容赦はしないぞ。我々としても掌握していない行動だ、抑えることもできない。そもそも現状奴は独断で暴走している状況にあるからな。」
「男はともかく、ヨゾラは放っておいて害はないと思う。」
「俺もそれには同意する。だが奴はそんなことは考えない。排除に移るだろう。」
ヨゾラが標的にされる。確かに魔人であるヨゾラは、星夜にとってもしかすれば敵であるのかもしれない。だが敢えて排除する必要も感じていないし、なによりヨゾラのことは本心から友人だと思っていたのだ。
星夜はそんなことを受け入れるわけにはいかない。
だが話はそこで終わるものではなかった。
「だがな星夜。ここまでの話なら俺はお前に何も伝えることは無かった。」
「……協力者か。」
「星夜、お前はあの女に肩入れし過ぎた。その行動は奴も把握している。さすがにお前が元魔法少女であることまでは知らんがな……。それを知れば奴はより激昂するだろうが。」
「僕も標的と言うわけか。それは無視するわけにもいかないね。」
状況を理解して危機感を覚えながら、一方でその危機をわざわざ知らせてくれたクロに星夜は感謝する。もっともそれを口にすることは無い、どうせ照れられるだけだ。
「今のお前には盾がある。イージスがここに来たのはちょうどいいタイミングだった。ひとまず最低限の守りにはなるだろう、が。」
「不足だと?」
「短絡的思考の過激派とはいえ、奴は一流だ。まだまだ途上の魔法少女1人で相手できるとも限らん。」
「確かにそうか……。」
あくまで味方の魔法少女は1人と計算している。それはクロも星夜も共有している前提だった。
いくら指揮下を外れているとはいえ、相手は正式な魔法使いだ。敵に回すことにはリスクがある。ともすれば、魔法の世界を敵に回すかもしれない。だからホワイト達は計算に入れない。
だがそれでもイージスは味方に回る、と2人ともが考えている。それはイージスに対する絶対の信頼の表れである。
この会話を聞けば、イージスは歓喜したことだろう。盾になるという自らの意思を、完全に信頼されているということであるのだから。
「ここからが本題だ、星夜。お前には、自衛する力が必要だ。」
「武器でもくれるのかい?」
「茶化すな星夜。魔法使いに対抗する力は、魔法しかない。星夜、お前を魔法の世界から追い出しておきながら勝手な言い方だと思うだろうが。」
「もう一度魔法少女になれ、っていうのかい?……それは無理な話だよ。」
クロの言葉を遮るように、星夜が反論する。もはや魔法少女には戻れないのだ、と。
「無理ではない。星夜、お前にはまだ可能性がある。確かにお前は男だ、普通であれば魔法少女にはなれない。だがお前の力はまだ残っているかもしれない、男女の要素は乗り越えられるかもしれない。」
「無理だ!大体僕の力は5年前にはもう弱まっていたじゃないか!」
いつにもなく星夜は声を荒げる。
「それはお前の思いが弱まっていたからだ!男だったからとは限らん!」
「それでも可能性の話だ!実際に魔法少女になろうったって、結局何の力も得られないかもしれないじゃないか。そんなことをわざわざ確かめろって言うのかい!??」
それは星夜が魔法の世界から完全に切り離されたことを確認する行為でしかないかもしれない。それを確認することは、星夜にはまだ怖かった。
魔法少女で無くなったとしても、魔法少女に戻れる可能性を捨て去りたくはない、それが星夜の考えだった。
「確かめろ、星夜!お前が何者であるのか、今確認するんだ。可能性にすがって過去にとらわれ続けるお前は惨めだ。」
「戦えないことをさらけ出した自分は、きっともっと惨めだ。」
「いや、そうではない。一番無様な人間は、何かを為せない、失敗した人間じゃない。失敗を恐れて一歩を踏み出せない人間だ。それこそ今のお前なんだ、星夜。魔法の力を得られないなら、それでもいい。お前は過去を捨て去って次の一歩を踏み出せる。もし魔法の力を再び得られるのなら、お前は望んだ世界をもう一度手にすることができる。これ以上停滞するな。」
「停滞……そうかい。平穏な生活も、停滞と表現されるのかもしれないね、でもそれの何が悪い。惨めで何が悪い。」
クロの言葉に、頭では納得しながらもいまだ星夜は抵抗をやめない。
「このままではお前の身が危ないんだ。お前にはそもそも選択肢はない、魔法少女に戻れ、星夜。」
「強引だね、君は。」
「お前も分かっているはずだ、今のお前には何もない。星夜、お前の願いは何だ?今のお前の思いは何だ?かつての強い思いを再び抱きたいとは思わないのか?」
「……思いを持てない人間は、惨めだ。確かにそれが今の僕だ。でも怖いんだ。」
「誰だって怖い。ホワイト達も怖くないわけがない。それに怯んではいけないんだ、星夜。それではなにも得られない。」
「…………惨めだね、僕は。こんな姿、みんなに見せられたもんじゃない。今の僕は……。」
己の内面を見つめながら、星夜は言葉を吐き出す。だが徐々に自分の思いが見えてきたように感じていた。
「思いを持って足掻くのは、楽しかったよ、クロ。考えてみれば、あの頃の僕はちゃんと生きていたんだと思う。今の僕は、惨めで、生きているとも言えない。クロ、僕は。」
昔のことを回想し、その楽しさを思い出す。強い思いに操られて戦うことは、この上ない充実感を伴っていた。それは見返りを必要としたものでもなかったはずであった。思いによって動くこと、それ自体が星夜に充実感を与えていた。
「クロ、僕は…………。」
たとえ勝つことができないにしても、勝ちたいという思いを抱いて足掻くことができるのであれば。
それで結構なはずだったのだ。
それでも。
「少しだけ……時間をくれないか。」
「……事態はお前を待つとは限らないぞ。」
「分かっている。長くはいらない、本当は心は決まっているんだ。」
「そうか。……いつでも力をやる。危なくなったらすぐに呼べ。」
「ありがとう、君は優しいね。」
星夜に必要なのは、あと一歩を踏み出す勇気。
それを持てない自分に、星夜は情けなさを感じながら、ベッドに寝そべった。
「僕の、思い……。」
汚い願いだと、抑え込んできたその思い。
自分を撃った魔人の姿を思い出す。なすすべなく倒れたことは、悔しかった。
負けることが、嫌だった。
そしてホワイトの戦いを思い出す。
自分より強いと思った。それが悔しかった。
本当は誰よりも強くありたかった。
「……勝ちたい。」
なんだ、あるじゃないか。
星夜から笑みがこぼれる。
恐れを上回る思いが、星夜の中に蘇ってきた。




