新たな一歩
「星夜さん、少しお話があります。」
体操服に着替えた後、星夜は美空に呼び止められた。授業まではもうしばらく時間があったため、それに応じて廊下の片隅で話を聞くこととした。
「イージスのことです。」
話の内容は、星夜の予想通りイージスのことだった。
「君がイージスに僕のことを話したようだね。」
「すみません、勝手ですが教えておきました。」
「いや、そのことはいいんだ。むしろ感謝さえしている、ありがとう。」
「そう言ってもらえるとうれしいです。ただ、少々予想外のことが。」
「……それは?」
少し嫌な予感がしつつも、美空に問う。
「彼女がこの学校に転校してきたんです。」
「……晴香から話を聞いて、もしかしてとは思ったけど。」
「はい、彼女と同じクラスの転校生です。イージスはあなたのことを探しています。昼休みも、あなたと入れ替わりで入ってきました。」
「間一髪、だったのか。」
胸をなでおろす。見つかっていれば、たとえ男の格好であってもブラックであることがバレていたかもしれない。そうすれば、すべてが露見する。
「彼女には、話さないんですか?彼女はあなたがいないことに随分と落胆していました。あなたに会いたがっています。」
「イージスとは先日会った、そして連絡先も交換した。会おうと思えば、会えるよ。」
「それは本当の星夜さんの姿ではありませんよね?さっきも、彼女は女子生徒の中からブラックを見つけようとしていました。」
「イージスの中では、あっちこそ本当のブラックだよ。男であるブラックなんて、彼女は求めていないかもしれない。」
男であることがばれたら、すべてが無くなってしまうのではないか。星夜はイージスのことを信頼しているが、しかしその恐怖をかき消すことはできなかった。
だがそんな星夜の言葉を聞いた美空の語気が強くなる。
「彼女のことを信じていないんですか!?彼女はそんなことであなたから離れたりしません、その言い方は彼女に対して失礼です。」
「美空……いや、ごめん。そんなことは頭ではわかってるつもりなんだ。でも、どうしようもなく怖いんだ。馬鹿だとは思う、でも。」
「私があなたを受け入れたように、いえそれ以上にイージスはあなたを受け入れるでしょう。彼女はあなたの相棒なんですから、真っ先に打ち明けるべきです。どのみち、いずれは見つかるんです。早いうちに教えてあげてください。」
「……少し考えさせてほしい。」
結局その場で星夜が明言することはできなかった。頭の中では、イージスを信頼している。男であることを明かしたとしても、きっと受け入れでくれるであろうと。
だがその理性とは別に、恐怖は存在している。自分が異物であるという疎外感、それは星夜をずっと苦しめてきたものだ。
(イージス、それにホワイトやレッド。僕は彼女たちと、本当は昔みたいに笑い合いたいんだ。でも……。)
臆病な人間だと、星夜は自分をあざ笑う。
失うことが怖くて、前に踏み出せない。
(……負けるのが怖くて、戦えない。)
戦いから逃げ出した時から、自分は何も変わっていないのだと、星夜は思う。
変わるための一歩を、踏み出すべきではないか。
(体を動かしながら、考えよう。)
ともかく体育の授業に出て、その間にでも考えることとした。
イージスこと菫はイラついていた。
ブラックに再会できた喜びはこの上ないものだったが、さらに一緒に過ごすためにブルーたちが通う高校に転校してきたにも関わらず、肝心のブラックが見つからないのである。
「どうして姉さまがいないんですか!!!!」
ブルーたちのクラスにブラックを探しに行った昼休みのときの言葉である。
その場にはクラスの女子生徒は全員そろっており、着替えの準備をしていた。その中にブラックの姿はなかった。
もちろんこのクラスに来る前に、他のクラスはすべて見てきた。だが他のクラスにブラックは見当たらず、最後にこのクラスに探しに来ていたのである。
だが期待は裏切られてしまった。
「え、あなたはもしかして。」
その姿を見て、ホワイトこと雪音はすぐに彼女が誰であるか分かった。
昔から妙な敵対心を向けられていた相手だったが、それでも戦友であり、仲間だ。再会できたことに、雪音は喜んでいた。
「どうも、お久しぶりです。」
一方のイージスの反応は冷たいものだった。かつてからの敵対心に加え、ブラックを引退に追いやった原因が雪音達にあると考えているイージスは、どうしても彼女たちと親しくする気にはなれないのだ。
それにこの場において、雪音はイージスにとって何の用もない相手だ。ブラックの情報を知っているわけでもない以上、話すことは特にないと考えていた。
そのためイージスはすぐに美空を呼んだ。
「なぜ姉さまがいないんですか。」
「うーん、まさか転校してくるなんて。」
「姉さまと一緒に過ごすためです。それより、姉さまはどこですか?この学校にいないなんてことはないでしょうね。」
鬼気迫る表情でイージスは美空を問いただす。
「このことは、私からは言えないかな。本人に教えてもらうしかないわね。」
「姉さまにですか。出来れば自力で見つけて差し上げたいのですが。」
「ブラックにも心の準備は必要よ。そうね、じゃあ放課後にもう一度話しましょうか。」
「……よろしく頼みます。」
ブラックのこととなるとやはり素直になるイージスの姿を見て、かわいい後輩だと美空は思う。ここまで慕われている星夜のことが少し羨ましくも感じる。
できるだけ早く、彼女たちは引き合わせてあげたいと思う。それも星夜の本当の姿で。
とにかく一度、美空はブラックにイージスのことを話すこととした。
「そういえばこのクラスの男子、今更衣室で着替えてるけど一応探しに行く?」
「いきません!男なんて汚らわしい……。」
「そう……。」
イージスのその反応に、美空は少し不安を抱くのだった。
その次の休み時間、イージスは廊下を歩いてブラックのことを探し回っていた。だがどうにも見つからず、足を止めて壁にもたれかかり、ブラックがどこにいるのかを考え出した。
(1年と2年は探し終えた。3年もある程度は見たがいない。やはりこの学校にはいない……?いや、ブルーの口ぶりからするとこの学校にいるはずだ。何か事情をお持ちのようだが、やはり姉さまに一度お聞きした方がいいのだろうか……。)
思案するイージス、そんな彼女の近くを体育を終えた男子の集団が通りがかっていく。
その集団を見て、イージスは顔をしかめる。彼女は男嫌いなのだ。
(臭い。なんて汚い……。私には姉さまがいればいい、あんな連中……。)
美人のイージスは、前の学校でも男子から人気はあった。だがそういった視線は彼女からすれば極めて不快なものだった。
(私に変な思いを抱いてくるのは不快だ。きっと姉さまにも邪な視線をぶつけているのだろうと考えるともっと不愉快だ。男など……。)
目にするのが嫌になり、イージスは目を閉じる。
目を閉じたせいで、少し嗅覚が敏感になり汗の臭いをより感じ取ってしまう。不快さに顔をしかめながら、男子たちが全員通り過ぎていくのを待っていた。
その時だった。
不快な汗の臭いが過ぎ去ったあと、突然にやってきた極上の匂いに反応したイージスは、反射的にその匂いを放っている人物の腕を握りしめた。
そして目を開き、その姿を見て確信した。
いた、と。
「……姉さま。」
「……イージス。」
体育の後、更衣室に戻ろうとしていた星夜は、前方に見覚えのある女子生徒を見つけて立ち止まった。
(イージス……。)
自分を探し回っているらしいイージスが、そこに立っているのを見つけてしまった。
だがよく見ると目をつぶっているようであり、星夜はこっそりと通り過ぎることとした。
だがその前を通り過ぎようとしたとき、なぜか突然腕をつかまれ、顔を直視されてしまった。
しらを切ることもできたかもしれないが、星夜は既に覚悟を決めていた。
「時間が無いし、歩きながら少し話そう。」
全てを打ち明けよう。自分が一歩先に進むためにも、と。
「姉さまはなぜグラウンドから歩いてきたんですか?女子は体育館内ですよね?」
「うん、それは僕が男子生徒だからだね。」
「え?」
あっさりと星夜は打ち明ける。それに対し、イージスは即座に意味を飲み込めない。
「魔法少女ブラックは、男なんだよ、イージス。」
「……おっしゃっている意味が分かりません。」
「僕は男だ。」
「…………御冗談を。」
どうにもイージスは納得しないようである。
「なんならブルーに確認をとってもらってもいいが。いや、むしろその方が話は早いかもしれない。」
「そんなことをブルーが口にしたところで、信じるわけがありません。そんな世迷言を……有り得ないことです。私の姉さま、ブラックが男だなんて!」
どうしても受け入れられないという様子のイージス。その姿に、星夜は少し不安になる。
「どうしても、信じてくれないのかい?」
「そのお姿、やはり女性です。」
星夜の女性的な容姿に加えて、今は体操服であるため、より一層男であることが分からなくなっていた。そこで星夜は決断する。
「そうか、ちょっとこっちに来てほしい。」
「えっ。」
そういうとイージスの腕をつかみ、近くの空き教室に連れ込む。
扉を閉め、カーテンを閉め外から見えないことを確かめる。
「僕が男だと理解してくれたら、そこから色々話をしよう。僕を、受け入れてくれるのかも。」
「何を……。」
「男嫌いの君に、こんなものを見せるのは憚られるけど、許してほしい。」
そう言うと星夜は体操服に手をかける。上を脱ぐとすぐさま上半身は裸となった。ブルーに対してはそこまでで止めていたが、星夜は今回はそこで止まらなかった。
さらにズボンに手をかけるとすぐに脱ぎ去り、さらには残された下着も勢いよく脱ぎ去った。
靴下と靴以外すべて脱ぎ去った全裸の姿で、イージスの前に立つ。
何も隠すことはせず、その体をイージスに見せつけた。
「ね、姉さま!お控えください!」
「自分の盾に対して、何を隠す必要もない。君が己を捧げてくれたブラックのすべてを見てほしい。そして理解してほしい、ブラックが何者であるのかを。」
正直に言って、星夜は恥ずかしい。顔も少し紅潮している。それでも自らの全てをイージスにさらけ出すことにしたのである。少々、いやそれ以上に極端な手法ではあったが。
それを見せられたイージスは、最初は恥ずかしながらまずは上半身を眺めていたが、それでも釈然としなかったのかついに下半身に目を向け、そこにあるものを直視してしまった。
「姉さま……それは、えっと。」
「分かってくれたなら、もういいね。」
そう言って星夜は再び体操服を身にまとう。
「姉さまが……ブラックが男……そんな。」
「……ごめん。」
星夜は最悪の展開を予想する。
やはり受け入れられないのか……、と。
イージスが己を捧げたブラックは、女の子のブラックであったのかと。
男の自分は、イージスの相棒ではないのか、と。
「怖かったんだ。男である自分は、君たち魔法少女からすれば異物なのだと、自分でも分かっていながら、阻害されることが怖かったんだ。僕は君たちと一緒にいたかった、でも駄目だったんだ。せめて、思い出の中でだけでも一緒の世界にいれたなら、それでいいとさえ思っていた。」
「あ。」
星夜の目には、少し涙もにじんできた。
「でも最近になって、欲をかいてしまった。ブルーが大丈夫だと言ってくれたから、楽観視してしまった。でもやっぱり、駄目なんだね。僕は男で、君たちとは違う。排斥されて当然の人間だったんだ。そんなことは、分かっていたのに。」
ついに涙があふれだし、星夜は目を覆う。情けない、と自分でも思う。あまりに自分勝手な告白だと思う。
「済まない、ろくでもないことに付き合わせてしまった。責は負うよ、行ってくれ。」
もはやイージスのことを見ることもできず、目を覆い俯く。
イージスの足音が聞こえる。そのまま出ていくと思っていたその足音は、星夜の前で止まった。
「申し訳ありません!許してください……。」
そう言うとイージスは、星夜の身体を抱きしめた。その力は強く、星夜は少し息苦しさすら感じた。
「あなたの盾になると言いながら、あなたを不安にさせ悲しませてしまった。私があなたに涙を流させるなんて、あってはならないのに……。動揺してしまいました、でももうそれは収まりました。」
「イージス……許してくれるのかい。」
「許すも何も、私はあなたの盾になると誓いました。それはあなたが何者であるかは関係が無いことです。あなたが女であろうが男であろうが、正義であろうが悪であろうが。」
「ありがとう……ごめん。僕は君を疑ってしまった。」
「無理もないことです。それにあなたが私を信じきれないとすれば、私に責があります。あなたの信を得ることを怠ったのです。」
「それは言い過ぎだよ……でも本当にありがとう。嬉しい。」
そういうと星夜もイージスの身体を抱きしめ返した。
5年ぶりに、相棒と本当に再開することができたのだ。今度は別の意味で涙が溢れてきた。
「ふふ、ごめんね。自分がこんなに涙もろいとは思わなった。ただ嬉しくてね。」
「構いません、嬉し涙であれば、いくらでもどうぞ。」
師弟は、新たな関係で再出発するのだった。
「じゃあ僕は、着替えるから。」
ひとしきり抱き合った後、星夜は更衣室の前でイージスに告げる。
「ちょっと待ってください。」
だがその星夜をイージスが引き止める。
「あまり時間が無いんだけど。」
「いえ、そこは男子更衣室ですよね?」
「そりゃそうだけど……。」
当然ではないか、と星夜は答えるが、イージスはそうではなかった。
「姉さまはそこで脱ぐつもりですか!?」
「姉さまって……。ていうか脱がないと着替えられないんだけど。」
「駄目です!!」
論外だとばかりにイージスが星夜を壁際に追い込み、顔の横に手を置いて星夜を捕まえる。
(壁ドンってやつだ……。)
「そんなことをすれば、姉さまのら、裸体が男子どもに見られるじゃないですか!」
「男の裸なんだし、問題はないけど。」
「大ありです!あんな綺麗なものを、易々と見せてはいけません!慎みを持ってください!」
イージスは星夜に顔を近づけながら声を荒げる。
「君も見たじゃないか、あんなものなんて。」
「すごく綺麗でした。男に見せてはいけません。」
「ええ……。いつも普通に着替えてるし。」
その返答を聞いて、イージスはさらに目を見開き星夜の両肩に手を置いた。
その力に、星夜は身をすくめる。
「それは犯罪です。」
「女子たる君に見せたよりは、少なくとも合法的だと思うけど。」
「有り得ません……。」
結局説得しようがなかったため、星夜は着替えを更衣室から持ってくると、別の空き教室で着替えることにしたのだった。
(男なんだけど……。でも、なんだかこんな扱いも悪くない……むしろ完全に男として扱われるよりは、安心できる。)
そんな星夜の心を汲んでかは知らないが、結局イージスは星夜のことを男扱いはしなかったのである。
「これからもよろしくお願いしますね、姉さま。」
「うん、よろしく。菫。」




