赤須小助
AM7:45
薄暗い部屋の中に入ってくる僅かな日差し。
まだ寒さが抜けない春の朝だ。
物の少ない部屋の中に1人想う。
「…完全にホームシックだ」
この春から大学生となった赤須小助。
垂れた目が特徴的で、初見で大体の人が優しそうな人だと言うのが決まり文句。
そんな彼の実家は醤油作りの職人の家。
かなり昔から続く老舗であり、実際小助も既に跡取りの意識が芽生えている。
そんな彼が通うことになる大学が私立白董大学。
この仏教系の総合大学の中で小助は農学を専攻する。
無論、将来の手助けになればという意向で。
今彼はまさにその門をくぐろうとしていた。
正門である白門は、白という字がつく割には日本のお寺の門のような古く、何処かに重みを感じされる門である。
その雰囲気に呑まれながらゆっくり通り過ぎて行く。
その矢先。
「野球サークル興味ないですか⁉︎」
「剣道部でーす!」
「一緒に統計学やりませんか⁉︎」
(お、おぉ…)
待っていたのは部活やサークルの勧誘の嵐だった。
新入生だと思われる子達がその嵐の中を身を竦ませながら抜けて行く。
小助もその波に乗って素早く抜けた。
だが、知らない間に手元に溜まるチラシの量。
「正直、あんまり興味ないんだよなぁ…どれも」
小助自身そう呟くのも、小助は農学、とりわけ醤油作りに活かせることさえ手に入れたらいいと思っていた。
そして、後々には自分の力で試行錯誤して世間一般に認めてもらえるような職人になれればいい。
そこまでビジョンを頭に描いていた。
そう、認めてもらえれば。
嵐をくぐり抜け、少し時間をかけて教室に着いた。
高校の時とはあまり変わらない広さの教室に高校の時とはあまり変わらない程度の人数がもうすでに座っていた。
黒板には学籍番号が書かれており、どうやら席が決められているようだった。
教室を見渡すと1番前の右角が空いていた。
小助は急ぐこともなく、ゆっくりと席に向かい、席に着いた。
ガラッと扉が開くと口に髭を生やした男の人が入ってきた。
大学の先生なのだろう。
何か淡々と喋っているが何を言っているのか小助にはよくわかっていない。
というより、興味関心が皆無に等しい。
そう思っていたら、クラスの中にいた皆が急に作業を始めた。
(あ、聞いてなかった…)
すっかり無の境地に入っていた小助はサッと周りを見渡す。
だが、何をしているのかよく分からない。
配布物も大量にあり、どの紙を使って作業しているかすら把握できていなかった。
すると、小助の左側から細い手が向かってきた。
小助が横を見ると隣に座っていた女の子が小さな声で呟く。
「…今、この紙にこれをこう書いて…」
「えっ、あっ、なるほど…」
その女の子は紙を小助に見せ、今やるべきことを手短に教えてくれた。
長く、艶のある黒い髪が前かがみの彼女の小さな顔を覆っていた。
小助が納得すると、礼を言う前に彼女はそそくさに席に戻った。
(都会の人はみんな自己中でケチって聞いてたけど…)
小助の無駄に大きい偏見は少し削られた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
AM12:30
「あの…」
小助は教室を出てすぐさっきの彼女の元に向かっていた。
すぐ近くに彼女がいて、振り返る。
「あ、さっき隣だった…」
「赤須、小助です、さっきはありがとう…」
「赤須くん…フフッ」
何故かクスクスと笑い出す彼女。
「え、俺なんかした…?」
「ううん、ごめんなさい。さっきの赤須くん凄くおどおどしてて思い出し笑いしちゃって」
しっかり嫌な所を見られていた小助。
「いや、うん、まあ、田舎の出身だからかな」
「答えになってないよ」
そう言ってまたクスクス笑われた。
苦し紛れの答えもあっという間にすくわれた。
「ふふ、ごめんなさい。私よく嫌な所に手が届くよねって言われてるの。悪く言うとおせっかいなのかな。例えばさっきのもそうだったりして」
「おせっかいだなんて、とんでもない。そのおせっかいで救われる人がいたりするもんだよ」
「救われる…ね。私は底辺の人間だからそんなこと…」
急に彼女のトーンが沈む。
さっきの上品な笑顔がスッと消える。
今さっき会ったばかりの人に対して思うことではないのだろうけれども、何かあるんだろうなと察知した。
というのも、小助は昔から直感の鋭いところがあった。
こうすれば上手くいく、これはしない方がいい。
小助の人生で大事なピースの役割をしている大事な部分であり、個性であった。
「…あ、ごめんなさい。ちょっと話がズレちゃって」
「ううん、大丈夫。えっと…」
「ん?あぁ、まだ名乗ってなかったですね、ごめんなさい」
小助が言おうとしたのをそのまま代弁する。
と同時に彼女の表情に笑顔が戻る。
「大宮桜子です。4年間よろしくね」
小助は直感で思った。
桜子とは何か良いにしろ悪いにしろ小助の生活の中でキーになりそうな人だということを。