噂
使用人ダイニングで休憩を取っていると結構出入りの商人さんたちに出会います。
衣服や宝飾関係の商人さんはロータスの執務室直行ですが、食材を取り扱っている商人さん、飲み物を扱っている商人さんなどはカルタムのところに来ます。カルタムの意見を聞きつつ商談を進めるためです。いつも決まった商人さんが来ますが、侍女さんたちの話だと、公爵家に出入りするのはかなり信用のおける安心安全な経営をしている商店に限られているそうです。品物はもちろんのこと、それに見合う値段か、経営はどうか、そもそも店主は信用のおける人物かどうか、そんなことまでこと細かく調べたうえで取引開始になるのですが、その厳しい審査を通過するともれなく『フィサリス公爵家御用達☆』という箔がつき、売り上げもぐぐっと上昇するらしいのでどの店も躍起になって企業努力してくるそうです。たくさんの商店が切磋琢磨して狭き門を目指すので、『より良い品をより安く』購入できているそうです。すべて最高級の食材ですが適正価格で仕入れできるしくみですね! それでも市場調査は怠らないのはさすがロータスです。お金あるけどケチってるとかそういう訳じゃないですよ? ちなみに今の商人さんはもうかれこれ10年来の取引だそうです。それでもなあなあにならず適正価格でいられるのはひとえにそういった努力のたまものだからでしょう。
とまあ余談でしたが、今日も厨房ではカルタムとロータスと商人さんがあれこれと食材を吟味しています。今日の晩餐も楽しみです! 私たちはワクワクしながらその様子を使用人ダイニングで寛ぎながら見守っています。
今日来ている商人さんのお店は王都近辺の食材だけでなく、地方都市や近隣諸国の食材も扱っているので郷土料理にもってこいなのですよ。
発注していた食材を納入してもらい、次の食材を発注して商談を終えると、
「お嬢さん方、今日は隣国より珍しいお菓子が入っていますよ」
そう言って人の良さそうな丸っこい顔の商人さんが、使用人ダイニングの方に向かってニッコリ笑いかけてきました。
この商人さんのお店は野菜や果物といった生ものだけでなく調味料やお菓子なども取り扱っているので、珍しいものが入荷した時は必ず持ってきてくれるのです。ちゃんと対価は支払ってますから、袖の下とか違いますよ? 使用人に贅沢な、と言われそうですがこれは福利厚生の一環としてきっちり予算計上されているから大丈夫なのです。こういったところも手厚いので、公爵家の使用人になりたいという人材は後を絶たないのです。あ、また話が逸れてしまいました。
商人さんの言葉が合図になり、それまで使用人ダイニングでお茶を飲んでいた私や一緒に休憩を取っていたミモザや侍女さんたちですが、やったー! と喜び勇んで厨房に押しかけます。
今日のお菓子は、隣国特産のレモンをふんだんに使った焼き菓子でした。見た目にもレモンの形を模っているかわいらしいそれは、ふわっとした生地の中に甘酸っぱいレモンクリームが入った何とも爽やかなお菓子。
「とっても美味しそう! こんなにふんだんに特産レモンを使ってるなんて、隣国ならではですよね~!」
一つ手に取ったお菓子から香る甘酸っぱいにおいを胸いっぱいに吸い込み、私は感嘆の溜息をこぼします。あー、いい香り、幸せです。
フルール王国にもレモンはありますが、隣国の特産レモンは酸味だけではなく甘みもあるという特別なレモンなのです。特別なだけあってあまり流通していませんし、あってもとっても高価なのです。私も実家にいる時、買い物に行った八百屋の店頭で目玉商品として並べられているのをごくたまに見かけましたが、ご縁などあったためしもなく。公爵家に来て初めて口にしましたとも! それを惜しげもなくふんだんに使用しているなんて、一体ひとつおいくらするのでしょう? 考えたらめまいがしそうなので目をつぶることにしますが。
「そうですよ、お嬢さん。しかもこれは老舗パティスリーの謹製ですから味も保証付き! 公爵様や奥方様にお出ししても大丈夫なものですよ」
焼き菓子をひとつ手に取りまじまじと観察する私に、人の良さそうな笑みを浮かべたまま商人さんが言います。
「そうなんですね~! へ~!」
とその言葉を私は何気なく流しますが、奥様はアナタの目の前、お仕着せを着た私です☆ なーんて言えません。
ちょくちょくここで出入りの商人さんと出会ってますが、みなさん一様に『新入りのぺーぺー侍女のヴィーちゃん』だと思っています。実際、お仕着せを着て髪をお下げにした私は、本来のもっさい若い娘にしか見えませんからね~! 完全にばれてないところが切ない現実ですが。まあそもそも奥様がお仕着せ着て厨房で休憩しているなんて想像だにしませんからね!
これ以上公爵夫妻(特に奥様)の話に及ばないように気を利かせたロータスが、
「せっかくですからこのまま休憩のお供に食べますか。ミモザ、商人さんにもお茶を淹れなおしてください」
微苦笑しながらそう提案してくれたので、お菓子の由緒正しさ(?)についてはおしまい、商人さんも交えてお茶をすることになりました。
まあ、よくある厨房の風景です。
商人さんは仕事柄しょっちゅういろいろなところに行くので見聞が広く、その上情報もたくさん持っています。みんなでワイワイとお茶をしながら食べ歩きの話や他国や行ったことのない地方の話を面白おかしく聞かせてくれるこの小太りな商人さんは使用人さんたちにも人気者です。
そして今日も他愛のない、最近行った地方都市の話をしている時に、
「そういえば公爵様が王都の端っこに小さい家を買ったといううわさが流れてますよ?」
ふと思い出したのか、何気に商人さんが言いました。
「小さい家、ですか?」
「ええ。生垣に囲まれた小ぢんまりした家ですよ。その家の近くのお得意さんのところに行った時に小耳に挟んだんですけどね。ご本人も何度かいらっしゃっているみたいですし。別宅として使うんですかねぇ?」
怪訝そうに聞いたロータスに、商人さんはロータスに向かって力強く肯定しています。眉を上に微動させたところを見ると、ロータスも初耳ということでしょうか。あまりにかすかな変化なので、商人さんは気付いていませんが、私たちには十分すぎる反応です。
しかし今更もう一つ別棟ですか? というか、この間庭園の別棟を改装したところなのにまた散財したんでしょうか、旦那様は。
そう思い私が商人さんの死角で小さく首を傾げていると、
「何でも若くて綺麗な女の人と出入りしているらしいですよ」
厨房の入り口をそっと窺ってから、商人さんは声を潜めて言いました。
「なんですってぇぇぇぇ?!」
ピキっと真っ先に切れたのはミモザ。ガターンと派手に椅子を後ろに倒しながらやおら立ち上がり商人さんに掴みかからんばかりの勢いです。般若! 般若がここにいます!!
そんなミモザの勢いに思わずのけぞると、今度はその反対隣りの侍女さんが、
「お連れ様と別れたのって、まさかこのためだったとか?!」
ぎりっと奥歯を噛みしめ拳でテーブルをガツンと殴る音が聞こえました。うう、こっちもデンジャー!!
一瞬にして私以外の使用人さんたちが『すわ、新たな愛人発覚か?!』と色めき立ちました。
私だけがなぜか冷静というか、この状況にオロオロしているだけで愛人云々にはそんなに動揺していません。やっぱりね~的な感じでしょうか? うん、この状況に押されてるだけですかね。
「え、あ、あの、あくまでも噂ですけど、くれぐれも奥方様には内密で……」
それまでの和やかな雰囲気をかなぐり捨てた使用人さんたちの豹変に腰の引けた商人さんは顔をひきつらせながらそう言ってますが、てゆーか奥様ここにいますし。知らぬが仏。
まさかこの情報がそんなにも地雷だったなんて思いもしなかったのでしょう、目を泳がせにじみ出る脂汗をせっせと拭っています。
動揺(というか怒り)が広がる使用人さんたち。
狼狽える商人さん。
……この空気どうすんだー。
ある意味カオス化してきたところで、コホンと一つわざとらしい咳ばらいが聞こえたかと思うと、
「この話は我々の心ひとつに留めておきますから、そちらもこれ以上の口外は無用ですよ。あまりに口が軽いといろいろ考えさせていただかねばなりませんからね。……いくら長いお付き合いと言えども」
常に冷静ロータスが、無表情冷徹執事モードで今日もクールにこの空気をぶった切ってくれました。ありがとう!!
しかも何気にきっちり商人さんを脅してますし。じと目でロータスに睨み据えられた商人さんは、ヘビに睨まれたカエルよろしくピキーンと固まって、
「も、もちろんでございます!! しっかり火消もさせていただきます!! 今後の情報もいち早く報告させていただきます!!」
とかさらなる油汗をダラダラ流しながら誓約していました。
「よろしいです。では、今日のところはこれでお引き取り願いましょうか」
顔色をなくし額に汗をかきながらコクコク頷く商人さんに冷たい一瞥をくれてからロータスが出口を手で示すと、
「はい、はい、帰らせていただきます!! 毎度あり~でございますっ!!」
わかるようなわからないような返事をした商人さんは、急いで手荷物をまとめると脱兎のごとく勝手口から退散していきました。それくらいにロータスから漂ってくるオーラが冷たかったので。
商人さんには悪いことをしてしまいましたね~。まさか使用人の中に奥様が紛れ込んでるなんて思ってもみないでしょうに。普通に噂話をしただけで、こんなに肝が冷える思い(?)をするなんて、今頃きっと首を傾げていることでしょう。
噂とはいえ旦那様に新たな愛人疑惑が浮上しました。
今日もありがとうございました(*^-^*)




