普通が一番
旦那様の捨て身の攻撃(!)で、なんとか記憶は戻りました。
たった三日、されど三日。
旦那様を出迎えに急いでいたはずの私が、次の瞬間……いや、次に気が付いた時には実家の庭って。さすがに驚きました。
「「「「「お帰りなさいませ」」」」」
エントランスにずらりと並んだ使用人さんたち。
お屋敷に帰ると、使用人さんたちが出迎えてくれるのはいつものことです。でもなんかいつもと違うなぁと思うのは、みんなの顔色。平静を装ってはいるけど、いつもより浮かない感じです。
普段と違う使用人さんたちの様子に私が戸惑っていると、旦那様が繋いだ手をポンポンっと軽く叩きました。
……あ、そっか。こんな表情させてるの、私か。私の記憶が戻ったこと、使用人さんたちはまだ知らないですもんね。
心配かけたままなのはよくないです。
「ただいまぁ〜! みなさん、ご心配おかけしました〜! しかし! 無事! 元に戻りました〜! あはっ!」
ニコッと笑って、ペコリ。心配かけてごめんねと、心配してくれてありがとうの気持ちを込めて。
「奥様……?」
「なんか記憶をぶっ飛ばしちゃっていたようですね。自分でもびっくりですよ」
半信半疑でこちらを見ていた使用人さんたちでしたが、私の様子がいつも通りなのをわかってくれたのか、わぁっと歓声が上がりました。
「それはようございました。みな、大変心配していたんですよ」
「うんうん、ごめんねロータス」
「あの時私が下敷きになればよかったと何度思ったことか」
「それはやめて」
うちの使用人さんたちならやりかねません。そしてたとえ宣言通りやってのけたとしても、どんくさい私と違って、怪我一つしなさそうですけど。
って、それはよくて。
「そうだわ。レティはどこ?」
お出迎えの中にかわいいバイオレットの姿がありません。
旦那様の話では『お母様は今病気だから、会うのは我慢ね』と言い聞かせていたんでしたっけ。
「レティ様はミモザと一緒にお部屋にいますわ」
「じゃあすぐに行かなくちゃね」
健気にも待っていてくれたバイオレットを、早くギュッと抱きしめたいです。
「レティー! ただいまぁ」
デイジーと一緒に積み木遊びをしていたバイオレットに急いで駆け寄り、ギュッと抱きしめます。うんうん、この柔らかな感触、まさしく我が子〜〜〜!
ほっぺにすりすりしていると、
「おかあしゃま? どこかにおでかけ?」
「んんん?」
「おびょうき、なおった?」
濃茶の瞳をくりくりさせているバイオレット。
あ、私、病気設定だった。バイオレット会いたさにすっかりぶっ飛んでたわ。危ない危ない。
「……こほん。お母様、レティがお利口にしてくれていたから、もうすっかり良くなりましたよ〜」
そして改めて、ハグ。あ〜、癒される。
「おねちゅ、なおった?」
「もう大丈夫ですよ。だからいっぱい遊びましょうね!」
「はい!」
私が大丈夫とわかったのか、満面の笑みになるバイオレット。ああ、このかわいい娘を忘れるなんて……母親失格だわ。ごめんね、バイオレット。
それからの時間、私はずっとバイオレットと一緒に過ごしました。
「ご飯を食べたら、絵本を読みましょうか」
「今日は一緒に湯あみしましょうか」
「お母様の隣でねんねしましょうね〜。お歌も歌ってあげますよ!」
あまりにレティレティだったようで、
「ヴィー。レティにくっつきすぎじゃない?」
さすがに旦那様に苦笑いされました。確かに、帰ってきてからというもの、ず〜〜〜っとくっついて離れなかったもんね(私が)。
「空白の三日を埋めないといけないんです! それに、また何かの拍子に記憶喪失になっても、レティだけは忘れないよう、こうして焼き付けてるんです!」
全身で覚えておくんです! どやぁ。
「じゃあ、僕もレティと同じくらいハグして欲しいなぁ」
「あ、それは間に合ってます」
「なんで!?」
「だってサーシス様はご自分でなんとかできますから」
「そんなぁ〜」
とか言って拗ねモードに入る旦那様は、ちょっとかわいいなぁと思います。次回(ないと思いたい)は忘れないよう、善処します。
次の日。
「マダ〜ム!」
「カルタム〜! 心配かけてごめんなさいね!」
「カルタムおじさんのことを忘れてしまうなんて、非常にショックでしたよ〜」
「ごめんて」
大袈裟に嘆くカルタムに笑いがこみ上げてきます。
昨日はカルタムたち厨房メンバーに会っていなかったので、私が使用人さん用ダイニングに顔を出すと、厨房のメンバーがとても喜んでくれました。
「奥様が元に戻ったというのは話では聞いてましたけど、実際会ってみないと実感も湧かないですから」
「逆に記憶を失ってた三日間の記憶がないんだけどね。私、変なことしてませんでした?」
「大丈夫ですよ〜。お屋敷に来られた頃のマダ〜ムのようでした」
「おお……若返った!」
「他人行儀で寂しかったですよ」
「そうですよね」
カルタムったら、また大袈裟に天を仰いだりして! ……結婚してからの記憶がぶっ飛んでいたなら、お屋敷は『他所様(いや、住む世界の違う方々)の家』だもんね。最初の頃も気後れしたっけな。記憶をなくしていた時間……私は〝初期状態〟だったのかぁ。そりゃ他人行儀にもなるわな。
記憶喪失状態の自分を想像して一瞬ボケッとしていたら、カルタムが大きな音を立てて手を叩きました。
「まあまあ、とにかくめでたい。ということでマダ〜ムの全快祝いをしなくてはね! 今日は特別に、マダ〜ムのお好きなものだけを作って差し上げましょう!」
「わぁ! ……う〜ん、私の好きなものか〜」
「そうで〜す。なんでもリクエストしてください」
私の好きなもの……急に言われても思い浮かばないや。
「そうねぇ……好きなものって言っても、カルタムの料理はなんでも美味しくて、どれも好きなものなんだけど……」
だってどれも絶品料理なんだもん。選べない。
本当のことを言っただけなのに、カルタムは急にハンカチを取り出すと目頭を拭いました。どうしたどうした?
「マダ〜ム……。こんなうれしいこと言っていただけるなんて。カルタムおじさんは、料理人冥利につきますよ」
「そんな大袈裟なぁ」
「いえいえ! 本当ですよ!」
「もう。——ああ、じゃあ、私の好きなものというより、旦那様のお好きな料理を作ってくれる? この数日、心配かけちゃったから」
それに精神的ダメージも……っと、これは内緒。
私より、旦那様に美味しいものを召し上がってもらって、元気になってもらいたいです。
「マダ〜ム……っ!!」
すると今度は、目を覆って号泣しだしましたよ。
あらやだ。私何か、変なこと言っちゃったかしら?
カルタムと晩餐の打ち合わせの後、温室にいるベリスのところに行きました。この数日、お屋敷に花を飾ることも出来てなかったんでね。私のせいで、盛りを過ぎてしまった花もあるでしょう。なんか申し訳ない。
温室に入ると、いつものようにゴツいベリスの背中が見えました。うんうん、魔王様だ。
「ベリス! 今日はどの花がいい感じに咲いてる?」
その背中に向かって声をかけたら、いつもより素早い動きで振り返ったから驚きました。グワッって音が聞こえたわ(いや空耳でしょ)。
「奥様」
「心配かけてごめんね〜! もうすっかり大丈夫だから」
「本当……ですか?」
「うんうん!」
元気に頷いて見せると、ポツリと。
「俺を『魔王様』って……元通りですね」
お〜い! 確認するとこ、そこか〜い! あれ? 私さっき、声に出して言ったっけな?
って、それはまあいいとして、本題よ本題。
「それで、今日はどのお花がおすすめ?」
「そうですね……あれなんかどうでしょう」
ベリスは膝についた土を払って立ち上がり、少し離れたところで咲き誇っている一群を指してくれました。
「わぁ、とっても綺麗ね! これをいただいていくわ」
「では必要な分だけ切ります」
そう言うとベリスは花の元へ行き、飾りやすいように葉を落としたりして器用にまとめてくれました。
「ありがとう。この三日、私のせいで見頃を過ぎちゃったのもあったでしょう? もったいないことしたなぁ」
花束を受け取りながら周りの咲きかけの花や蕾を見ていると、ため息が出てきました。
「それは大丈夫です。咲いた花は、毎日奥様の寝室に、ミモザが飾ってましたから」
「え? そうなの?」
今となっては覚えてないけど、そうだったんですね。ベリスが摘んでくれた花を、ミモザが私の寝室に飾ってくれていた……ほっとしたのと同時に、ちょっと心が温かくなりました。
そして夕方になり、旦那様の帰ってくる時間が近付いてきました。侍女さんたちの視線が私に注がれているのが痛いくらいにわかる。
「大丈夫ですってば〜! もう落ちたりしませんからっ!」
「万が一に備えるのが、私どもの務めでございますから」
そんな〝キリッ〟と言わなくても、二度も同じことしませんよ!
侍女さんたちの注目の中、静々とエントランスに下りて行ったところで、旦那様帰宅の知らせを受けました。
「ただいま戻った」
「おかえりなさいませ!」
「ヴィー……」
私を見てから、目頭を押さえて、天を仰ぐ旦那様。もしも〜し?
「サーシス様? どうしました?」
「いや、普通にヴィオラが出迎えてくれたことに感動してるだけだよ」
「大袈裟です」
「いやいや、普通がどれだけありがたいことか! そうだ、ロータス」
「はい」
「アレの話はどうなった」
「図面は用意できております」
侍女さんが持ってきた大きな紙を、ロータスが旦那様の前で広げました。てゆーか、〝アレ〟ってなんだ??
首を傾げた私を放置して、旦那様とロータスは『あーだ』『こーだ』と議論しています。
「では階段にスロープを併設するか」
「スロープには不向きな角度でしょう。それに、小さいお嬢様が遊びに使う可能性がございます」
「ふむ、それは危険だな。他に何か安全な方法は——」
スロープ?? 不向きな角度?? その図面は何さ?
「あのう」
どうしても気になった私は、二人の話に割って入りました。
「なんですか?」
「サーシス様とロータスは、さっきから何を話し合っててるんですか?」
「ああ。以後こういう事故が起こらないよう、安全に階段を下りられるような設備を取り付けようと思ってね」
「それでスロープ……?」
そんなリフォームを大真面目に……。
「ん〜〜〜、でも角度的に急すぎて逆に危ないよね」
旦那様はいい笑顔でそう言ったけど、問題はそこじゃない。
階段事故を防ぐためにスロープ建設って……どんだけ過保護なんですか!!
「以後気を付けますのでやめてください!」
本気でやりそうだからなぁ、コノヒトたち。
今日もありがとうございました(*^ー^*)