何度でも
ただの貧乏伯爵令嬢が、超名門公爵家に居候すること三日目に突入しました。
昨日は『いつも通り』という名の名家の奥様体験をさせていただき、とても有意義に過ごさせていただきました。おほほほほ。これで少しはお嬢様らしくなったでしょうか?
とは言いつつも、そろそろ自宅に追い出されるか、はたまた本来の(?)使用人業に戻していただけるか、どっちかして欲しいと思うのが本音でして。
朝は公爵様と一緒にご飯を食べるのが決められているので、重い足取りで本館のダイニングに向かいます。
嫌とかじゃないんですよ。ただただあの美しいご尊顔に気後れしまくってるだけなんです。あんな美形と一緒の空間にいろとか、地味子には拷問が過ぎると思うんです。
「おはようございます」
「おはよう」
先に席に着いて待っていると、公爵様が颯爽と現れました。あれ、今日は普段着かな? いつもは騎士様の制服を着ていらっしゃるのに、今朝は白いシャツとダークグレーのスラックススタイルです。そんな普通の服装ですらめっちゃかっこよく見えるって、イケメン補正、どんだけ働くの。
いつもと違う服装に戸惑っていると、公爵様は私の様子にすぐ気付いてくれました。
「今日は一日休みをもらったから、出かけようと思ってるんだ」
ああ、そうですか。だから私服なんですね。でも、それ、私に言わなくてもよくね?
「そうなんですね。お友達とですか?」
「何を言ってるの。ヴィオラ、君とに決まってるでしょ」
「はい? 私?」
「そう」
当然のように言う公爵様ですが、ちょっと待って。私が公爵様の横を歩いていいんでしょうか? てゆーか、公爵様、こんな地味子を連れて歩いてたら後ろ指指されますよ。
公爵様の隣を歩く自信がないんですけど。
「えええ……私、公爵様と外出なんてできません! あ、ほら、よそ行きのドレスもありませんし——」
「それなら気にすることないよ。支度は全部侍女たちに任せればいい。いつものことでしょ」
「そうなんですか?」
グイッと振り返って侍女さんたちを見れば、みんな優しく微笑んでくれていました。なんだろう、めっちゃ安心するんだけど。
支度ができたらサロンで待ち合わせという約束をして、一旦解散になりました。
「これのどこを見て地味子とおっしゃるのか……はぁ」
「今は全然違いますね」
「今だけじゃないですよ! いつもですよ!
「スミマセン!」
別棟に戻ると、侍女さんたちがあれよあれよという間に私をかわいく変身させてしまいました。やっぱり服がジャストサイズなのに驚く。
髪もかわいくハーフアップに結われ、小さなリボンまで結んでくれています。
これが私?
鏡に写る自分がちょっと信じられない。
適当に梳かした髪を邪魔にならないようにひとまとめにするくらいしかしていない、いつもの自分と大違い。てゆーか、私の髪、こんなに艶々だったっけな? 肌も、心なしか艶々テカテカ。
う〜ん……。
普段の自分との差に顔をしかめていると、それを見た侍女さんたちが笑っていました。
「一人百面相して、どうなさったんですか?」
「いやぁ、いつもの自分とえらい違いだなぁと感心してたんです」
「まあ。そんなしかめていては、せっかくの美しいお顔が台無しですよ。まあ、面白顔もキュートですけど」
「お仕度もできましたし、サロンに行きましょうか。きっと旦那様はすでにお待ちだと思いますよ」
「いつも奥様とのお出かけは楽しみにしていらっしゃいますからね」
「そう……なんですか」
ごめん、全然わからないけど。
とにかく公爵様をお待たせしてはいけません。急がないと。
「徒歩、ですか」
「そうだよ。むしろヴィーが『馬車とか大袈裟なお出かけはイヤ!』って言うのに」
「まあそうですけど」
公爵様とお出かけ。どうなることかと緊張していたのですが、出だしから拍子抜けしました。
公爵様のようなお貴族様が、ふらっと徒歩でお出かけ、しかもお供なしなんて、いいのでしょうか!?
でも公爵様はなんとも思っていないようで、私に手を差し出してきます。
「はい」
「はい? と言われましても?」
「手を繋ぐのが、僕たち流、でしょう?」
「えええ〜!?」
「いいからいいから。さ、行くよ」
公爵様と手を繋いで!? と恐れ慄いているうちにさっと手を取られ、ずんずん引っ張られていきました。お出かけ開始のようです。
町中を颯爽と歩く公爵様。と、私。
若いお嬢さんが公爵様を見て目をハートにしてます。そりゃそうでしょ、こんな美形、見るだけでも目の保養ですもんね。なのにこんな地味子がお供で申し訳ない。
「お昼は軽くパンでいい?」
「わぁ! パン、大好きです!」
「うん、知ってる」
「?」
公爵様が連れてきてくれたのは、私の知らないパン屋さんでした。
毎日のように町には出かけるのに、こんな素敵なお店ができてるなんて知りませんでした。
「わぁ! 美味しそう。最近オープンしたばかりですか?」
「まあ、ヴィーの知らないうちにできたというのは間違いじゃないね」
「そうなんですか」
「いつも通り、ヴィーの好きなだけ注文すればいいよ。あとは僕が引き受けるから」
「ありがとうございます!」
少食の私に合わせてくれた公爵様のおかげで、いろんな種類を食べることができました。
どれもふわっふわ、もっちもちの美味しいパン!
「美味しい〜!」
「いつ食べても美味しいですね」
「はい!」
家計が許さないかもしれないけど、たまにはここでパンを買って帰るっていうのもよさそうですよね。
パンでランチの後は少し散歩して腹ごなしということで、町外れの森のようになっている公園にきました。
「いつぞやこの公園で、ロータスの隠し子疑惑なんてこともあったね」
「えっ!?」
あの超絶真面目そうな執事さんですよね? 隠し子疑惑? なにそれくわしく……って、言いたいところだけど『疑惑』だから、それは平和的解決したってことですよね。
「覚えてないか〜」
と、公爵様は少し寂しそうに微笑みました。
それからまた町の中に戻って、向かった先はとってもおしゃれなお菓子屋さんでした。
「ここも新しくできたお店ですか?」
「ヴィーの中ではそうだろうね」
「わぁ〜!」
見るからに繊細で美味しいそうなケーキたちがショーケースに並んでいます。見てるだけでもよだれが出そう……って、いかんいかん。隣には超絶美形がいるんですよ。
「さ、ここのカフェ限定のケーキを食べようか」
「限定なんですか! 持ち帰りは」
「不可だよ」
「なんと!」
そんなお菓子があるなんて……と驚いていたら、あれよあれよと席に案内され、ここでもまた「好きなだけ注文すればいいよ。屋敷のみんなにもお土産にすればいい」という魔法の言葉に甘やかされてしまいました。
公爵様、ちょっと甘すぎません?
「リモネンのムースとアナナッサのスペシャリテ、それと限定のショコラと——」
私が目を奪われていたケーキたちを注文してくれた公爵様。ここでも私、完璧に好みを把握されてる。
しばらくしてお茶と共にケーキが運ばれてきました。
自慢じゃないけど、こんなに贅沢に食べたことなんてありません!
まずは店内限定というショコラをいただきました。
「フワッフワに削られてるショコラが、口に入れた途端消えてなくなる……すごい、美味しいです」
「ヴィーはそのケーキ、好きだよね」
「はい!」
……あれ? 元気よく返事したものの、このケーキ、初めて食べるはずなのに。
「公爵様もお召し上がりになりますか?」
「ああ、ひと口もらおうかな」
「どうぞ」
ケーキをひと口分とりわけそのままフォークで差し出せば、公爵様はなんの戸惑いもなく食べました。
んんん? 待って私。今何をした?
流れるように『あ〜ん』しましたね、私! 公爵様になんてことを……あばば。
「し、失礼いたしました!」
「なんで? いつものことでしょう?」
キョトンとする公爵様ですが……えぇ……私、いつもこんなことしてるのか。
しばらくお茶とケーキを堪能してから、食べきれなかったケーキは包んでもらってお土産にして、私たちはお菓子屋さんを後にしました。
「ん〜。これでもダメだったか……」
公爵様が残念そうに呟いていました。
最後に向かったのは、私の家でした。ユーフォルビア伯爵家。
さすがは一流のお貴族様、女子のエスコートもスマートですね! ちゃんと自宅まで送り届けてくれるなんて。
でもうちの家、公爵様にお見せできるような立派な家じゃない、むしろボロ屋なんだけど……って、気が引けてたら。
「んんん? ここはどこですか?」
「ヴィーの実家でしょ」
「私の知ってる家じゃないです」
「でもここは伯爵家だよ」
「まあ……それはそうですが……。場所は確かにここですし形も同じなんですけど……こんなに綺麗じゃありませんでした!」
ツタだらけだったり、石塀も所々崩れてたりしてたはずが、どこも綺麗に修繕されていて見違えるようです。私が公爵家にいた数日間に何が起こった?
家の中からお母様が出てくるまで、ここが実家とは信じられませんでした。
公爵様は私を送り届けると帰ってくれる……ゲフゲフ、お帰りになると思っていたのに、お母様と何か話したあと、私を庭に連れていきました。
庭も野草の宝庫だったのが綺麗に整備されて、ちゃんと『庭』と呼べる代物になっていました。
庭に置いてある椅子に公爵様と並んで腰掛けます。いったいこの状況、どうなってるんでしょう? なんで公爵様が貧乏伯爵家の庭にいる?
「今日は楽しかったですか?」
「はい! とっても」
「それはよかった。ヴィーのお気に入りのコースだしね」
「……そうなんですか」
「そんなに眉間にシワを寄せないで。やっぱり何も思い出せなかったみたいだなぁ」
「はぁ……」
思い出すも何も……と言いたいところだけど、自分でもたまに不思議な行動が出るのには驚いています。
私、何を忘れてるのかな?
公爵様の綺麗な濃茶の瞳は、よく見ていたものに思えるし。
少し間のあと、公爵様は。
「最後の手段です。これで思い出せなかったら、今までの記憶は諦めましょう」
そう言うと、深く息を吸いました。
最後の手段? なんですか?
私の手をしっかりと握りしめ、真っ直ぐに私を見ながら。
「私はお飾りの妻を欲しているのですよ」
にっこり。公爵様は最高級の笑顔で言いました。
はい? コノヒト今なんつった?
お飾りの妻? プロポーズにしてはえらくぶっ飛んだこと言い出したから、ポカーンとなりましたよ。ポカーンと。いやいや、そもそもプロポーズもあり得んし。
「実は長いこと付き合っている彼女がいまして、でもその人とは結婚できなくて、だからと言って正式な妻を娶る気もないんです」
ここはなぜかやたら早口で捲し立てるように言ったので、何言ってるのかよく聞こえませんでした。
「はあ」
「ということで、お飾りの妻をもらい、仮面夫婦として生活してもらおうと思っているのです」
「はい?」
ええもう……さらに何言ってるのか分からなくなってきましたよ。お飾りの妻と仮面夫婦?
「あなたは自由にしてくださって構いません。あまり派手には困りますが、恋人を作ってもらっても結構。衣食住、何不自由なく生活していただくことを約束しますよ」
とびきりのキラキラ笑顔でなんつー鬼畜発言!
そんなこと言えるの、うちの旦那様くらいですよ。……ん? 旦那様?
あ、これ、うちの旦那様じゃないですか。
「サーシス様? またなんで自分の傷口に塩ぬってるんですか」
どんな自虐趣味ですか。
「ヴィー……?」
「はい?」
「僕がわかる?」
「へ? 分かりますよ。流石に自分の旦那様のことを忘れるおばかさんはいないでしょ」
「……記憶が……戻った!」
「はい? 記憶? てゆーか、なんで私たちはうちの実家の庭にいるんですか?」
私はお屋敷で、旦那様のお出迎えに行く途中だったはず。
公爵家への帰り道、旦那様がここ数日の話を聞かせてくれました。
どうやら私は頭を打って、記憶をなくしていたようです。しかし記憶の戻った今は、逆にこの数日間のことをすっぽり忘れてたりするんですけどね。
さすがにバイオレットのことを忘れていたことには凹みました。
「私、母親失格ですね」
ずーん。私に分かってもらえなかったバイオレットの悲しみやいかに。
「いやいや、大丈夫だよ。レティは『お母様は今お病気だから少し我慢していてね』と言ったら『おりこうに待ってます』って言ってたよ」
バイオレット……やっぱり天使だわ。
「しかし最後の手段がアレとは……ぷぷぷ」
思い出しただけでもジワジワくる。
「多分ヴィーの中では一二を争うインパクトだと思ったからさ」
「まあ、確かに。捨て身の攻撃のおかげで一発でしたね」
「最初からこうすればよかったのか?」
「いやそれは……どうでしょう」
それはそれで、使用人さんたちに衝撃が走ったでしょうね!
「もし最後の手段で記憶が戻らなければ、その時はまた、一から思い出を作っていけばいいかなって思ったよ。ゼロに戻ったなら、何度でもやり直せばいい」
「サーシス様……」
「どんなヴィオラでも、僕は何度でも恋をする」
私を見つめるのは、優しく光る濃茶の瞳。ああ、やっぱり、見慣れたものだったわ。
「早くお屋敷に帰りたくなりました」
「みんな心配してるしね」
こうして私の『記憶喪失騒動』は、解決したのでした。
今日もありがとうございました(*^ー^*)
〜おまけ〜
ロータスには顛末を語った旦那様。
「よくまあ黒歴史をご自分で掘りおこしましたね。傷口を抉ると申しましょうか」
「ヴィーのためなら痛くも痒くもないわ!」