逃げろ!
オーランティアの王太子様が立ちはだかっていたので、近衛騎士様が立ってる方とは反対側に走り出してしまった私。まあでもきっとすぐに他の騎士様に会えますよ、だってここは王宮の中だもん!
後ろから王太子が追ってくる気配がするから、必死で走ります。
今日は練習の時みたいな盛装でもないし高いピンヒールでもないから、とっても走りやすいですね。これなら自己ベストでるんじゃね? ……って、今それ関係ないし。
それはおいといて。
いつもの半分くらいの高さ、倍くらいの太さのヒールの靴はグリップも最高! おかげでコーナーも完璧。締め付け緩やかな軽いドレスの裾を足にまとわりつかないように持ち上げ、廊下を駆け抜けます。
……と、走りは最高なんだけど、ヤバい。逃げるルートがわからない!
私、これまで王宮なんて縁遠い人でしたから、城内がどうなってるか知らないのですよ! まあ、王宮内部の詳細図とか出回ってたら、それはそれでどうかと思うんですけどね。
これまで数回、片手で足りるほどしか王宮にきてないんですが、どれも中に入ったのは大広間まで。しかも大広間はエントランスから一番近いところにあるので、ほとんど中に入ったことないのに等しいのですよ。庭園とか王宮内神殿は建物の外だし。
とにかく。ここはいったん庭園の方を目指しましょう。庭園に出さえすれば、壁伝いに大広間に戻れますからね! ちょっと大広間に戻って冷静に考えなおそう。
なんて余計なことを考えていたらスピードが落ちていたようで、
「なにも逃げずとも……はははっ!」
王太子に追いつかれそうになりました。危ない危ない。つか、笑いながら追いかけてこないでキモイ!!
私はまた、長い廊下を力の限り走ったのですが、突然行き止まりにぶち当たってしまいました。
ちょ、曲がるのはともかく、なんでいきなり行き止まりなの?!
「そーいや確か、王宮はいざという時のために廊下が複雑に作られてるって、何かの書物で読んだ記憶が……」
どこかで読んだことのある話を思い出しました。わぁ……そんなこと、今更思い出してもどうしようもない。
突然の行き止まりにどうしようかとためらっていると、後ろから王太子の足音が。
「なかなか……足が速いですね……、公爵夫人は」
せっかくひき離したはずの王太子に距離を縮められてしまいます。
公爵家の特訓なめんな。……ちがくて。家事労働あーんど体術・ダンスなどのお稽古で、私は体力自慢なんですからね!
いやいや、それは今はいいとして。止まっちゃダメ!
道がわからないなりにもがきましょう!
迫りくる王太子の気配を感じながら、ちょっとリスキーだけど今来た道の脇にあった、別の廊下に走り込みました。
ところどころに明かりをともしたその廊下は、窓こそありませんがどこかへと繋がっています。
よし、行き止まりじゃない! またダッシュです。
でもまた、しばらくしたら行き止まり。そして踵を返す。
それを何度も繰り返していたら庭園に出るどころか階段登っちゃいました! 外に出たかったのに中に入っていっちゃってどーすんの、私!
でも来てしまったものは仕方ない。私は階段を一気に駆け上がり、また廊下を走り抜けます。
ダッシュ・ストップ・ダッシュのインターバルは、地味~に足に疲れがたまっていきます。さすがにちょっと疲れてきました。
しかもさっきから騎士様の気配すらありません。ちょ、警備手薄じゃね?! 大広間近辺に警備配置しすぎたとか? いやいや、おかしいでしょ! 後で絶対旦那様に抗議してやる!
騎士様に出会わないのなら、もう、ここは体力温存したほうがいいですよね。
じゃあ、どこか適当な部屋に隠れちゃえ!
それで王太子をやり過ごしてから大広間に戻ろうと思い、目についた適当な部屋の取っ手に手をかけたのですが。
「鍵かかってるよ……」
どの部屋もたいてい鍵がかかっていました。不審者を紛れ込ませないため? 何のため? わかんない!!
部屋が開いてないならまた走って逃げるしかない!
いくつか部屋の扉をガチャガチャとしながら逃げたせいか、またぶち当たった行き止まりのところで。
「やっと……、追いつきましたよ……、ヴィオラ殿」
とうとう追いつかれたようです……万事休す?!
背後に気配がしました。
私、自己新(当社比)で走ってきたのに、追いつかれたよ!? 軽くショックです。
これは王宮内図がわからなかったせいと、無駄に部屋に隠れようとしたせいですよね、きっと。わぁん、ロスタイムが悔やまれる! 帰ったらロータスに、王宮の内部見取り図用意してもらおう!!
それにしても王太子、とってもガタイいいのに、意外と俊敏なんですね……じゃな~い!!
「あ、あは~っ! ちょっと運動をと思って走ったんですが、どうもよくわからないところに出てしまいましたねぇ。あれぇ? 庭園はドコデショウ?」
わざとらしいことを口にしつつ振り返ると、私の少し後ろに王太子が、通路を塞ぐように立ちはだかっていました。顔は笑ってますが、肩が大きく上下しています。
「庭園にご案内しようと……思ったのに……走り出されたので……追ってしまいましたが……。いやぁ、……ヴィオラ殿の走りが……早くて驚きました」
王太子の言葉が途切れ途切れです。そういう私もかなりゼーハーしてるんですけどね。
息を整えながらじりじりと私の方に近付いてくる王太子。うん、庭園に案内してくれるような穏やかな雰囲気じゃないですよね! なにじわじわ間合い詰めてんですか!!
薄暗くてわかりにくいですが、王太子の目は先日の、射抜くような目になってます。そんなの、捕まったらまずいとしか思えないでしょ!!
睨み合っている間にも、じりじりと距離が詰まっていきます。
後ろは壁、前は王太子。
ここは……殴る? 投げる?
もうこの物騒な選択肢しか残ってないですねぇ。やだぁ、ほんとに実践するときが来るなんて! でも非常事態です、なりふり構ってる場合じゃありません!
私はすばやく、なおかつ冷静にこの場を切り抜ける方法を考えます。
武器になるもの……今は私の左手に輝く指輪くらいですねぇ。
しかし王太子はやたらがっちりしているので、いくら硬い指輪をしているといっても、私くらいのパンチでは効かない気がします。猫パンチ並みの威力でしょう。
じゃあ投げる?
がっちりとして重量級。ベリスよりも重そう。……大丈夫かなぁ。ちょっと自信はありませんが、でもやるしかないか。
私は覚悟を決めました。投げる!!
それまで貼り付けていた引きつり笑いを引っ込めて、私は、王太子の目をキッと睨み返しました。
私が急に態度を変えたからか、王太子が一瞬「おっ?」という表情をし、足が止まりました。今だ!
隙ありっ!
「で~や~っ!! おっもいのよ、デ~ブ~!!!」
隙を突き、王太子の懐に飛び込んだ私は服を素早く掴み、体を捻りました。思いっきり王太子の足を払い、そのまま担ぎ上げ、投げ飛ばします。
くっそ、重い!! ベリスよりもだいぶ重い!! もう、口が悪くなるのは許してください!!
「うわぁっ!?」
王太子の叫び声と同時に、ズドーンッという鈍い音がしました。ちょっと建物揺れた? 気のせいか。
ちょっと(かなり?)はしたない掛け声とともに、重量級の王太子を廊下の床に叩きつけることに成功しました。なんでもいいのよ勝てば官軍(違うか)。
私は大きく肩で息をしました。パンパンと手を払い、見下ろす私の足元。
――冷たい石の廊下の上に、王太子が伸びています。
よし。危機はしのぎましたよ!
伸びた王太子は後で騎士様にでもお願いして回収してもらいましょう。
でもなんで私を追いかけてきたのかしら? さっきの話だと、狙いは旦那様のはずなのに。
……って、旦那様ですよ! 旦那様のピンチを騎士様にお知らせしないといけないんでしたよすっかりミッションを忘れてたよ、私。
大広間の外に騎士様の姿がない以上、やっぱり大広間に戻る方がいいですよね。
そう思い、私は踵を返したのですがすぐにハッと止まりました。
さっき、かなり夢中で走り回ったので、一体ココがどこなのかさっぱりわからなくなってます。ここはどこ? 大広間はどこ?
しかもここの廊下の壁には窓がありませんので、庭園の位置すら確認できないときましたよ! わぁ、王宮内で迷子?!
来た道を地道に戻るしかない? ……全然覚えてないけど、まずは階段を探しましょうか。
私が王太子を名実ともに乗り越え、来た道を戻ろうと足を踏み出した時。
「あら。お兄様ったら、だらしのない」
さっき私たちが駆けて来た方向から、女の人の声がしました。お兄様、って言いましたね。じゃあ、妹か!
カツカツと靴音を響かせこちらに近付いてくるのは、いつの流行りだよ! と思わずツッコみたくなるドレスを着て、羽のついたゴージャスな扇で自らを煽っている妹君でした。
なんで貴女がここにいる?!
息切れもしてないその姿、私がここに来るってわかってたの?!
私が黙って妹君を見ていると、
「ソレ、貴女がやったの?」
私の後ろで伸びている王太子を指差しながら聞いてきました。兄さん、ソレとか言われてるよ……。
「さ、さあ? 急にご気分でも悪くなられたのじゃないでしょうか~?」
「……気分が悪くて倒れたような感じには見えないんだけど。まあいいわ。もしもの時のために準備しておいてよかったわぁ」
そう言ってニッコリ笑う妹君。わぁ、黒い笑みだぁ。『もしもの時の準備』って、悪い予感しかしないんですけど?
妹君も、じりじりと私との間を詰めてきました。
私も間を保とうと後ろに下がるのですが、すぐに伸びた王太子にかかとが当たりました。そしてその向こうは突き当りですし、逃げ場なし!
私が動けないでいると、妹君は懐から小さな瓶を取り出しました。もう見るからに怪しいな、それ!
怪しい小瓶に私が身構えていると、妹君は私の方に瓶を持った手を伸ばし、ポンッという小気味よい音を立ててそのふたを開け、
「はい、ちょっとおやすみなさいませ」
と言って、反対の手に持っていた扇で瓶をあおぎました。
途端に流れてきた、甘ったるい香り。
なんの香り?
気が付いた時には、私はすっかりその香りを吸っていました。甘すぎて、頭がしびれていく感じがします。甘すぎて吐きそう。
薄れゆく意識の中で目にしたのは、さっさと小瓶にふたをして、ハンカチで口と鼻を覆う妹君の姿でした。
ちょ、自分だけ助かろうなんて、ズルくない?!
今日もありがとうございました(*^-^*)
近衛騎士様方はネズミ取り中です。それはまた、小話か裏説で。ヴィオラ視点だと見えないことが多いですね……。