第二話 祝福
薄い灰色の石畳通りの左右に並立する白を基調とした建物。扉と窓はすべて抜けるような青空色で、柔らかな春の陽光の下、どこか涼しげな雰囲気で統一されている。立ち並ぶ店に掲げられるのは金属板に店名を打ち抜き、オレンジ色で色づけした可愛らしいものだった。
二人が立ち止まった店の看板には、【スーパーマーケット夢想院店】。入口がガラス扉ではないため、大変違和感があった。怪訝そうに互いを見やってから、千佐都が物は試しと扉の取手を引く。
開けて一歩踏み込むと、そこには見慣れたスーパーの景色が広がっていた。確かにここは、人間界の店の系列らしい。納得して、勝手知ったる様子でカゴを持ち、目当てのやかんとポテトチップスを入れた。他にいくつか追加してレジに行き、会計して店を出る。
「とりあえず当初の予定は済んだが、あとはどうする。面倒だがついでだ。何かあるか?」
「便箋も買っておいたほうがいいかも。来る途中文房具屋さんあったよね? 可愛いのあるかなあ」
「いつもの文通相手か」
「うん。いつも可愛い封筒で届くんだよね。あんなのどこで売ってるんだか」
「住居の近くじゃないのか? というか、相手は誰なんだ。わざわざ父親に異界鳩を借りてまで、っておい、話を聞け!」
千佐都はとうに文房具屋を見つけ、そちらへ駆けていた。窓からのぞきこみ、「可愛いのがある!」と目を輝かせている。ズィアードの不在は気にも留めていない。勢い店に飛び込み、一つ一つ手にとってはにやついている。中に入る気も起らなかったのか、ズィアードは扉の横に立ち、ぼんやりと空を仰いだ。
千佐都は、数枚の封筒と便箋のつづりを手に取り、ほくほく顔でレジに向かった。相手の喜ぶ顔が目に浮かび、思わず微笑む。ズィアードはどうしているかとふと外を見ると、窓の向こう、遠くに一際目を引かれた。すとん、と心臓に矢が刺さったようなときめきを覚え、品物をレジに置くやいなや、驚くべきスピードで外へ飛び出す。しかし扉を開ける一瞬で見失ったらしく、目当ての姿は見えなかった。
「なんだ、落ち着きがないな。買ったのか?」
「あ、いや、今あっちに物凄い美少女が」
「いつもの発作か」
「病気じゃないからね。趣味嗜好の問題よ」
言い捨てると、釈然としない思いを抱えつつ、店に戻り支払いを済ませた。
それからあちらこちらと目に留まった店に立ち寄った結果、部屋に帰るなり、ズィアードはリビングのソファに倒れこんだ。「地獄だ……」と呟きながら天井を仰いでいる。
付き合わせた千佐都は、失礼な、と唇を尖らせたが、良心が咎められたらしく、コーヒーを淹れることにした。さっそく買ってきたやかんをコンロに据える。そしてパチンと指をはじく。
青白い炎が付いたとき、水を飲もうと立ち上がったズィアードが偶然目撃したらしく、目を皿のようにして詰め寄った。一息飲み込んでから、一語一語区切るようにして尋ねる。
「おい、今のは、なんだ?」
「何って、火をつけたんだけど」
「指を鳴らしてか? おまえは奇術師か? 火を口から吐くのか? おまえ、人間か?」
「一度にいろいろ言われると困るんだけど……。火は吐いたことないかな。火傷しそうだし」
「よりによって回答がそれか。残念すぎる。はあ、まあいい。察するに、火も使えるんだな。なぜだ。母親は風属性だろう?」
「ええと、言ってなかったっけ? わたし、火の長の祝福持ちなの」
人差し指と親指をこすり合わせれば、真っ赤な火が爪の先に灯った。それは本来、人間の持つ力ではない。
人間界と同等の中級異界の一つとして、【自然界】と呼ばれる異界がある。属性力を司る種族《精霊》が住む界だ。そこは属性数と同じ7の領域に分かれており、それぞれの頂点に君臨する者を「長」と呼ぶ。火の長とはつまり、火の領域の長だ。ちなみに、松原家の人間は属性持ちが多い。もちろん生まれつきなどではない。
「なんだと、火の長の、祝福持ち?」
ズィアードは千佐都を得体のしれないもののように見つめる。
彼の驚きは推して知るべし。長の祝福を受けるということは、長の持つ属性力を借り受けることができるということだ。才能次第で膨大な力を如何様にもできる。長が一方的に与えるものなので祝福の停止もありうるが、自らが選んだ者をそう簡単に見捨てることはない。どちらかといえば千佐都は、火の長に溺愛されている。指を鳴らして点火できるのは、その結果だ。詠唱なんてしていたら時間がもったいないじゃないか、という長の教育方針も手伝っている。
「今日一日で、ずいぶん俺の寿命が縮んだ気がする」
話している間に出来上がったコーヒーを受け取り、ズィアードはソファに沈み込む。
「買ってきたおやつでも食べたら? 伸びるかも」
「俺はおまえほど単純じゃない。複雑で、かつ繊細だ」
いかにも心外だと言わんばかりだ。ヤケ酒のようにカップを煽る。その繊細ぶりを発揮して、細やかな気遣いでも見せてくれればいいのになあ、と千佐都は苦く笑った。ズィアードに背を向けるようにして、ソファの背もたれに腰かける。コーヒーをすすりながら、ふと思い出したように言った。
「ああそれから、文通の相手だけど、火の長だよ。定期的にお手紙頂戴ね、って二日に一度は手紙が来るかな」
「長は暇なのか? 第一話題はなんだ。長と小娘の共通の話題なんてまるで想像つかない」
「えー、一押しのファッションとか、今日の出来事とか、男は滅亡すべし、ってこととか」
「おい、今恐ろしい言葉が聞こえたぞ。酷い男女差別だ」
「景梓さんね、あ、長のことだけど、可愛い女の子が好きで、極度の男嫌いなの」
なんてことないように千佐都は言った。
「出会い頭に悲鳴を上げるタイプではなさそうだな。斬りつけるタイプか」
千佐都が感心したように言う。
「すごい、大当たりだよ」
ズィアードの表情がこわばる。
「……正答を得て喜べないのは初めてだ」
ズィアードは白いカップの底に視線を落とす。
千佐都は沈み込む彼の様子などまるで気にしていない。ゆらゆらと揺れる茶色の液体を見つめながら、
「ようやく外にも出られるようになったし、異界鳩探しに行ったほうがいいかな。いつまでもお父さんの鳩を借りるわけにもいかないし」
異界鳩は異界との一般的な連絡手段だ。あまり大きなものは運べないが、信頼性もあり、目立たないのが利点だ。彼らは独自のルートを通り異界に入ることができる。夢見が互いの鳩の羽根を交換することで、相手の鳩に手紙を届け、受け取った鳩は契約主にそれを運ぶという仕組みである。
復活したらしいズィアードが、自称優秀な頭脳の記憶回路から引き出したのか、
「必修科目の中に【共通召喚術】があったぞ。基本を学ぶと書いてあった。鳩ならそこに含まれるんじゃないのか? まあ、基本すぎて取り扱う必要もないような気もするが」
「へぇ、もう冊子読んだの?」
「説明は後日だからと冊子を放置するのは馬鹿のやることだ。禁止されていない以上、通読は基本だろう。口頭説明で冊子の文字すべてを追うことは通常ほとんどない。説明者の主観的な補足も無意識に含まれる可能性もある。前もって客観的に記されたと予想される情報媒体を読む。他者に踊らされたくなければ、次回から実行することだ」
「う、うん」
わかればいい、とズィアードは満足げに眉を上げた。ふと、嘲笑うように唇をゆがめる。
「ふ、おまえ、講義の類は嫌いそうだな。必修科目では驚くほど少ないが、たしか、自然界論、異界考察だったか。選択科目に異界研究というのもあったぞ。自然界以外の未知なる異界について論ずるらしい。天界もあるんじゃないのか? 後学のためにとっておけ」
「やだ、なんか難しそうだし」
青くなって必死に首を振る千佐都。選択科目は不必要な単位として認識していた。楽する方法だけは、すでに調べがついていたからだ。必修科目を取りさえすれば、他の取得単位がどれだけ少なくても卒業できる。知りたい者が、知らない知識を補うために選択授業を受ければいい。
学院側は機会を与えましたからね、それを身に着けなかったあなたが悪いんですよ、というニュアンスを読み取れるかが運命の分かれ目ともいえた。千佐都がどう理解したかは想像に難くない。
「難しいからこそ価値があるということを知らないようだな。まあいい。嫌々やって身につくとは思っていない。せいぜい足掻くことだ。必修科目は落とすなよ。守護するものが落第したとあっては情けない」
情け容赦のない言葉だったが、まったくの正論だった。高等部からは外に出られることもあって、授業自体が少なく、さらにその内訳は実習が多く、講義が少ない。講義の必修単位が不足など不甲斐いなすぎる。
だが、ここでとりあえず頷いた千佐都が、どれだけしっかりその心にとめているかは謎だった。なんとかなるさ、は彼女にとって魔法の言葉だった。