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夢見の人  作者: 貴遊あきら
第3章「溺れる愚者」
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第十九話 潜入

 氷の人はそのほとんどが銀髪だ。千佐都の黒髪は相いれない。それならば、と用意されたミディアムロングのカツラを装着し、千佐都は鏡に映った新しい自分を睨みつけていた。

「ものすごく、違和感があるんだけど……」

 眉根を寄せた彼女に、後方でその様子を眺めていた翔と瀬木、来鹿は各々思い思いの感想を述べる。

「まあ、最初はそんなもんだ」

「ちーちゃん、銀髪も可愛いね。黒髪の方が断然いいけどね」

「千佐都さんに将来娘ができたら、こんな感じなんでしょうねえ」

 来鹿は何やら妄想しているようで、その腹に瀬木は無言で肘鉄をねじ込んだ。床に崩れ落ちる来鹿に、翔は呆れたようにため息をつく。

「――ともかく、だ。お嬢ちゃん。違和感があるのは仕方がねぇ。お仕着せは支給してるらしいから、それ着たらむしろ別人になって気にしなくなるさ」

「そ、そうですかね……ていうか、お仕着せってスカート、とかですか」

「メイド服か何かだろ」

「めっ……!」

 難易度高いなおい、と千佐都は絶句した。瀬木は至極残念そうな声で、「おれ、見たかったなあ」と独り言ちる。復活したらしい来鹿がよろよろと起き上がり、翔の言葉を訂正した。

「メイド服っていうほど可愛いものじゃないですよ。茶色い地味ぃな奴です。スカートではありますけど」

「それでもいいから、ちーちゃんのスカート姿、見たかったなあ」瀬木はしつこくぼやく。

「帰ってきたら着てもらえばいいじゃねぇか」と翔が勝手な提案をする。

「や、やめてくださいよ。スカートとか、公衆の面前で着る物じゃないですから」

 現在着用中の氷燐のキュロット風パンツも恥ずかしいのだ。スカートなんて憤死する。そもそもスカートとは、お菓子のような可愛い女の子専用なのだ、と千佐都は本気で思っている。

「人間界って、妙な常識があるんですねぇ。可愛い女の子が履かないで、誰が履くんです?」

 来鹿の問いに、千佐都は怪訝な顔をする。

「いや、可愛い女の子は履きますよ。むしろ彼女たち専用です」

 千佐都の断言に、来鹿は不思議そうに首をひねり、瀬木が横からしゃしゃり出てきた。

「つまるところちーちゃん専用だね。おれとしてはミニスカートがおすすめかな」

「あんた、寝言は寝てから言えば?」

 冷たく一刀両断してみたが、瀬木は妄想の彼方に旅立ったようで聞いていなかった。翔はしばらく彼らの様子を胡乱気に眺めていたが、ようやく大儀そうに口を挟んだ。

「くだらねぇこと言ってねぇで、散れおまえら。お嬢ちゃんも、そろそろ行ったほうがいい。氷燐が何かしでかす前に、合流してやってくれ。――来鹿、おまえ案内しろ。へまするんじゃねぇぞ?」

 リーダーの一言で、瀬木はさておき、千佐都と来鹿は背筋を伸ばした。手早く準備を終え、簡単な説明を受けると、千佐都は来鹿とともに潜入捜査の舞台【灰色の塔】に向かった。



「そういえば、千佐都さんってどれくらい知ってるんすか?」

【灰色の塔】へ向かう道すがら、来鹿は思いついたようにそう尋ねた。千佐都が怪訝そうに首をかしげると、一人得心のいったふうに頷き、「おれたちの計画について」と小声で付け加える。訊かれて初めて、自分がほとんど何も知らされていないことに気が付いた千佐都は、しばらく黙り込み、

「長に直訴する、っていうのは聞いたけど」

「そう、それが計画の最終目的っす。感情的に訴えるだけじゃ説得力がないっていうんで、悪い奴らの悪いやり取りを把握して資料にまとめる係と、塔の内情を調査する係の二つに分かれて行動してるんですよ」

「塔の内情って?」

 と訊くと、来鹿は少し考え、そもそも【灰色の塔】とは、と簡単な説明をした。それによると、中央【グレイパゴダ】に聳え立つ【灰色の塔】は、本来長とその家族が住む居城として建設されたものであり、現在は長とその妃、宰相や側近、住込みの使用人が住んでいるらしい。

「最上階に長と妃の私室があるんですよ。ただそこまで行くのが大変で……。塔にはエレベータがあるんですけどね、上階へ行くためにはセキュリティーコードが必要なんです。それを手に入れることがおれたち潜入班の役目っすね」

 大変そう、と言いかけた千佐都だったが、来鹿の顔に苦みの混じった笑みが浮かぶのを見て慌てて飲み込んだ。どこにあるか、誰が知っているかもわからないコードを探すのだ。とんとん拍子に進むわけがない。

「わたしも探したほうがいい?」

「千佐都さんは千佐都さんの任務に集中してくれたらいいっすよ。でも、ついでに、っていうくらいなら大歓迎です」

 そう言って、来鹿は悪戯っぽく笑った。八重歯がちらと見える人懐っこい表情に、千佐都もつられて笑みを浮かべた。



「助かるわ、ここのところすぐに人手不足になって……ほら、侍女のお仕事ってたいへんなのよ。だからね。そう、つまりすごく助かるって話。ささ、ここに名前記入して。急ぎだからまたあとで詳細事項は記入すればいいわ。誰も見てないもの、うふふ。ついさっきも一人勇気ある有志が、いえね、侍女希望の子が来てくれたのよ。お仕事について説明するからってちょっと待ってもらってたの。二人で一緒に受けてもらえる?」

 来鹿に連れられ侍女採用の受付に向かった千佐都は、予想外の歓待ぶりに苦笑を禁じ得なかった。とんとん拍子に採用され、来鹿と別れて、灰色の塔一階の奥へと案内された。

 堅牢な石造りの塔は、内部も変わらず質素で寒々しい色合いだった。塔への入口は全部で三か所あり、そのうちの一つがエントランスと呼ばれる一階の最縁部に繋がる平民用の入口だった。他の二つは貴族や内部の者が使用する。上階へつながる一階内部へは、この二つでなければ入れない。現在千佐都が通されたのは、使用人用の内部への入口だろう。貴族用は華美な装飾が施してあるらしいからと、千佐都は来鹿の説明を思い出していた。

 千佐都と氷燐の任務は、先刻塔に入った二人の女の正体を探ることだ。警備の物々しさから想像するに、重要人物であることは間違いないだろう。秘密主義に守られた塔の内部を知ることが、【雪原の狼】が正常な政治の在り方を取り戻せる手段、あるいはきっかけになるはずなんです、と来鹿は言った。時流に乗った貴族とて、今の状態が永遠に続くとは思っていない。少しでもこの状態を維持し、あるいはさらに自分たちに益するほうへと転じるよう画策しているに違いない。

 ――“下”を叩いても埃が出ないなら、“その上”を叩くしかないんですよ。

「……」

 案内する侍女の背中を見つめながら、千佐都は自然と緊張が高まるのを感じていた。不謹慎ながら、興奮からくる緊張だ。元来好戦的な性格のせいか、この先に倒すべき相手がいるのだと思うだけで、最終ダンジョンに進む前の手に汗握る感覚があった。一歩一歩、敵のテリトリーを進んでいくこの状況が、彼女の根源に潜む正義感を触発し、集中力を一層研ぎ澄ませる。しかし熱に浮かされるようなその感覚が過ぎ去った後、ふいに震えが波となって押し寄せてきた。思わず壁に手を突き、その冷たさにハッとする。苦笑を噛み殺し、怪訝そうに振り向いた侍女に愛想笑いを見せる。

「どうかした?」

「いえ、その、頑張らないとなって、気合を入れ直してました」

「それはいいことね」侍女は機嫌よくそう言って前に向き直る。

 その背を見つめる千佐都の目は、戦局を見つめる策士のような厳しさを備えていた。もしも前を行く彼女が敵で、RPGならきっと、躊躇いなく剣を振り下ろせただろう。しかし“今”は? 自問してすぐ答えが出た。――ここは、良くも悪くも現実なのだ。確固とした最終ボスも、積み重ねた憎しみも、自分の中には存在しない。だからきっと、命を奪うことはできないだろう。自分は良くも悪くも、外部の“人間”だ。氷の人の辛さも、苦しみも、憎しみも、同情できても同じ気持ちを共有することはできない。結局、張り手をかますので精いっぱいなのだ。



 氷燐らしきもう一人の希望者が待つという部屋を開けると、そこには誰もいなかった。変ねぇ、と首をかしげつつ、先に行ったのかしら、と侍女は独り言ちる。まさかの合流失敗に千佐都は冷や汗を掻いたが、辛うじてポーカーフェイスを取り繕った。

「新しい希望者?」

 ふいに聞こえた声に振り向けば、黒色のお仕着せを纏った女が立っていた。髪全体を覆うように布を巻き付けた姿は尼を彷彿とさせたが、挑戦的に吊り上った目を見るかぎり、どこか違和感の残る風貌だった。侍女が頷いて見せると、値踏みするように千佐都を見つめ、満足げに目を眇める。

「その子をこちらにもらっても?」

 人のよさそうな案内人は二つ返事で承諾し、千佐都を同僚の方へと押しやって「頑張ってね~」と手を振り、その場を去った。身柄引受人となった侍女は素早く千佐都の腕を掴むと、獲物を狙う肉食獣のごとく舐めるような視線を向けながら、お仕着せのポケットからガラスの棒を取り出した。

「これを」

「あの、なんですか、これ」押し付けられるようにして受け取りつつ、そう尋ねた。

「エレベータの鍵だ。私の代わりにある人へ届け物をしてほしい。悪いがこれで最後だ、と託も頼む。なにやら面倒くさいことになりそうだし、そろそろ飽きた」

 淡々とした口調はどうも侍女っぽくないな、と千佐都は思った。およそ人に頼む態度でもない。

「はあ、あの、面倒って?」

「起るべくして起こったと言うべきか……。おまえのようなものがなぜこんな場所にいるのかは知らないが、出来る限り早く出たほうがいいぞ」

 と言い、千佐都の頬を撫でさする。目を白黒させる千佐都に対し、侍女はうっとりとした表情を浮かべた。

「もちろん、うら若き可憐な乙女にこうして(まみ)えたことはいずこかに(おわす)王に感謝すべきことだが、今はこの僥倖に浸っている暇もない。――そうだ、私とともに来るか?」

「は、いえ、遠慮しときます」何やら危険を察知し、直感的にそう答えた。

「謙虚なことだ。そこもまたおまえの美点だな」と恍惚として、侍女はふと目を眇めた。

「その身に私を刻んでみたいが――惜しいな。やはり連れ帰るべきか……」

 何やら不穏な一言が放たれたとき、侍女の双子山のような胸――ではなく、胸ポケットが震えた。間の悪いことだ、と侍女はため息交じりで手を突っ込み、通信機のような箱型の何かを取り出した。逃亡防止のためなのか、千佐都の腕をがっちりと握ったまま、不機嫌そうな声で応答する。

「なんだ。――――ああ、わかっている。……今行くところだ。着いたら連絡する」

 相手側が何か言っていたが、構わず通信を切って胸ポケットに突っ込んだ。

「口うるさい男だ。――おまえ、軟弱な、正論ばかり吐きたがる男をどう思う?」

「は?え、あー、困っちゃう、かも」適当にそう答えたら、侍女は満足げに破顔した。

「どれもこれも成長すると可愛げがなくなるものだ。しかし、おまえの困り顔が見られるのなら、あの男も生かしておいて損はなさそうだな」

「は、はあ」

 この人、景梓さんみたいだな、と千佐都は思った。

「そうだ。忘れる前に、これを」

 侍女はどこからか片手に乗るほどの小箱を取出し、千佐都に手渡した。

「今渡した鍵をエレベータに差し込めば目的地に自動的に向かう。この先にある給仕室でお仕着せに着替え、カモフラージュのために適当なワゴンを押して上がればいい。給仕室のそばに見取り図がある。分からなければ確認するように」

 来鹿の言っていたセキュリティーコードとはこのことか、と千佐都は思いめぐらす。潜入班がどのあたりまで入手しているかは知らないが、取っておいて損はなさそうだ。

「これを渡せばいいんですか?」

「そうだ。部屋は廊下を歩いて一番目。ノックをして“本日はあいかわらずの雪ですね”と言えばいい。扉が開けば、おまえならば問題なく入れるだろう。――美しいものは好きか?」

 脈略のない問いだったが、千佐都は本能的、かつ反射的に答えた。

「大好物です」



 妙に居丈高な侍女に惜しまれつつも、どうにか別れを告げ、千佐都はさっそく給仕室に向かった。途中見かけた移動式の棚から洗濯済みのお仕着せを拝借し、空室でさっと着替え、給仕室へと侵入する。適当なワゴンを拝借し――そこではたと気づく。すでに侍女として入り込み、案内人もおらず自由の身だ。押し付けられた仕事など無視して氷燐を探すべきではないか、と。しかしまたそこで、はっと閃いた。自分たちの目的は塔に入った重要人物を探ることだ。警備も厳重だと聞いた。ならばきっと、彼らも上階にいるに違いない。そこで偶然を装って氷燐に会う流れはどうだろうか。

「……完璧だ」

 興奮気味に呟き、辺りをうかがってからワゴンを押し始める。見取り図の書かれた案内板はすぐに見つかり、さっと視線を走らせ、エレベータホールの位置を確認する。

「ま、ともかく、行きますか」

 あとは説明された通りに上手くいった。エレベータに乗り、鍵を差し込めば上昇が始まる。チン、とエレベータが目的の階に到着し、ここが目的地なのだろうかと訝りながらワゴンを外へと押し出した。

 少し進むと、どこか殺風景な石畳の廊下が続く。ホールを軸に渦巻き状になっているのだろう、ゆるゆると外へ向かっているのが分かった。人気はまるでない。期待外れもいいところだ。唯一、この先に氷燐がいるかもしれないとの期待が、千佐都の足を進ませる。

「がっかりすぎる……」

 先の見えない長い廊下を我慢強く進んだが、いくら進んでも部屋が見えてこない。最低なデザインだな、とげんなりしながら歩き続けること数十分、ようやく中央から離れたらしい。塔の壁に近づいたことは体感温度からも明らかだった。寒々しい景色に、嫌になるほど長い廊下。こんな場所にどんな偏屈貴族が住んでいるのだろうと、千佐都は好奇心に駆られた。

「……っていうか、外が見えるんだけど」

 石造りの壁にはめ込んだ大きな窓の向こうには銀世界が広がっており、廊下の床は差し込む夕焼け色に染まっていた。ようやく塔の壁の縁までたどり着いたらしい。うんざりしてため息をこぼし、再び歩きはじめると、ついに部屋の扉が見えた。やれやれ、と、どこかホッとしたような表情で扉をノックする。

「どなた?」ほどなくして返事が聞こえる。女性の声だ。

「“ほ、本日は、あいかわらずの雪ですね”!」

 叫ぶように入室の許可を求める。しばらくして内鍵を開ける音がして、そっと扉が開いた。

「………ふ、わ」

 部屋の主がそっと姿を現し、その美しさに千佐都は恍惚とし、間抜けにも口をぽかんと開く。紛うことない美人だ。超ド級の。瞬きを繰り返す千佐都は、一瞬花畑に飛び去った。

「あなた、大丈夫?」

 形の良い唇が紡ぐ言葉に思わず酔いしれる。美人、凄すぎる。鼻血ものだと千佐都は悶絶しそうになる自分を必死で抑えた。女性の艶めかしい曲線を描く肢体は赤いドレスに包まれ、緩く波打つ豊かな銀髪が華奢な肩を包んでいる。余談だが、千佐都は美少女はもちろん、美人にも目がなかった。

「……はい、私今、猛烈に幸せです……」

 問いに対する答えは「大丈夫ではない」だと理解したものの、女性は怪訝そうな面持ちで千佐都を部屋に招き入れた。千佐都がふわふわとお花畑を漂う傍ら、女性は内鍵をかけ直す。

「変な子が来たのねぇ」

 そう言って、苦笑した。


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