プロローグ(1)
窓の外を見れば鬱陶しいほどの雨模様だが、うんざりしたのは初めだけで、男の目にはすでに見慣れた景色になっていた。行き交う人々は時折、色とりどりの蛇の目傘をくるりと回し、軸の間に溜まった水を振るい落とす。
親の周りを駆け回るこどもたちは、下駄を履いた足で元気にはしゃぎまわっていた。幼い娘は新しい傘を買ってもらったらしく、気取ってポーズをとっている。ふと、男は郷愁に駆られた。手慰みにと始めた掃除は、あまりはかどっていない。少し黒ずんだ手を服で拭えば、紺色のランニングシャツの一部が濃く変色した。
「その顔、何か企んでんの?」
ふとそう声を掛けられて振り向けば、じゃらじゃらと装飾品を身に着けた派手な青年が、入口の引き戸にもたれかかっていた。オリーヴ色の軍服は着崩されている。
「企むのはおまえだろ?」
男が軽い調子で返せば、青年はくっと意味深に笑う。
「企むって、なんか悪役っぽくない? ……あ、もしかして帰るんだ? つまんないなあ」
「代替わりがあったらしくてよ。色々不安定だって聞いた。おまえもなんだかんだ言って知ってるんだろ?」
男はとうとう掃除用の布を畳の上に投げ出し、胡坐を崩して気だるそうに壁にもたれかかった。青年は問いに対しては答えず、土間より一段高い畳の上に腰かけた。男の服装をまじまじと見て、呆れたように言う。
「まだ慣れないんだ? 長袖って持ってる?」
「馬鹿にすんじゃねぇぞ? 自慢じゃねぇが、毛糸のセーターだって荷物の中にはちゃんと入ってる」
「もしかして手編みとか? うわ、やらしぃ~」
「手編みは手編みでもおふくろの、だけどな。彼女の手編みはこれからに期待、ってところだ」
その言葉に青年は勢い込んだ。
「うっそぉ! 彼女いるの? 写真とかないわけ?」
興奮からか、目が爛々としている。男は半眼して、ため息をついた。しかしふと考えて、にやっと笑う。
「彼女はいねぇよ」
「ふっうーん? あっそ、まあいいや。帰るんだったら挨拶忘れんじゃないよ? あの人あれでも気にしぃだからねえ」
「挨拶はするつもりだけどよ、気にする人か?」
「やだなあ、もしきみが何も言わないで出てっちゃったら、そうだねえ、たぶん、『私は彼に何をしてしまったのだろうか。何も、黙っていくことはないだろう。確かに、確かに私たちは通じてあっていたとは言わないが、だが、だが、それでも……』ってな感じ? くらぁい顔で。それがループループ!」
男はしばらく考えて、「ありえなくもねぇな」と頷いた。青年は畳の上にあおむけに寝転がり、
「あの人さ、根暗なんだよねぇ。そこが面白いんだけどさあ。陰気で真面目で、そんでもってロリコン?」
「……まあ、いいんじゃねぇの、それくらい」
「何その微妙な顔。もっと嫌な顔するかと思ったんだけどなあ。因みにおれは」
「あーあー知ってるよ、面白けりゃなんでもいいんだろ」
男は聞きたくないとばかりに遮った。
「なるほど、ロリコンにも動じないのはおれのおかげだったわけね」
自慢げに言う青年に、付き合っていられるかと言わんばかり、男は立ち上がり、入口へと歩いていく。
「とりあえず、挨拶してくるわ」
青年を一瞥し、そう告げた。青年はにっこりと笑い、ひらひらと手を振る。
「いってらっしゃーい」
男が出て行ったあと、青年は畳の上で転がり、うつ伏せになった。ぶすくれたように頬を膨らませ、
「めんどい。全部ふっとべばいいのに」
毒づいてから、またあおむけに転がった。
「つまんないなあ!」
窓の外の雨は、まだやみそうにない。
しばらく更新が滞ってしまい申し訳ありません。来週の試験に向けて少しお休みします。




