第一話 中等部、教室にて
友人のうっとりとした眼差しの先には、黒板の前に立ち、説明を続けている成人男性が一人。松原千佐都はうんざりするような気分に苛まれていた。幼いころ、可愛さにつられて手を出したケーキの装飾人形。あれを大口でかじってしまったときの後悔に似ていた。
恋多き友人のターゲットはまさかの担任教師。優しげな表情に恍惚としながら、「やっぱり男は優しくって安定感がなきゃ」と嬉々としてコメントしていた。恋人の存在はまだ、友人の情報網をもってしても明らかにはなっていないらしい。
少し前まで「男はどこかスリルがないと面白くないわ」と言っていたので、知ってもなお略奪愛を狙うかもしれないな。千佐都は思った。美貌の友人には、そちらの展開のほうが似合っている。もちろん友人の幸せを願ってはいるが、年上の男に庇護されるだけでは満足できないだろうと予想できた。肉食獣は獲物を捕らえ、食らいつくすのが一般的だ。恋する乙女のような眼差しは、千佐都が知る女王様のような性格の友人には不似合いだった。
「明日の卒業式についてはこれくらいにして、次はお待ちかね、儀式について説明しますね」
その言葉を聞いて千佐都はハッとする。友人に気を取られて全く聞いていなかった。朝礼と授業と終礼は貴重なのよ、先生の声は基本そこでしか聞けないんだから、と怒られてしまいそうだ。それだけ聞けたら十分だろうが反論はしない。今はその貴重な終礼の時間だった。
千佐都は現在、首都ミヤコの夢想院中等部に在籍しており、明日卒業する。リハーサルもしたので、特に聞く必要はないと判断した。長々とした話はどうも眠気を誘うのだ。しかし、担任教師の「儀式」の一言を聞いて一気に目が覚めた。儀式に予行練習はない。一発勝負だ。
「儀式は卒業式終了後に行います。一度この場に戻り、手順を説明する予定です。呪文も明日教えますね。今日教えてしまうと、試してしまう人もいるかもしれませんし、ね」
最後の「ね」がどうも不吉に感じられたが、明日卒業だ。優しげで穏やかな先生の思い出を壊すこともあるまい。人生流してなきゃやっていられないこともある。齢15にして千佐都はそれをしっかりと学んでいた。
儀式の説明はそれだけだったらしく、拍子抜けだった。その危険性をつらつら並び立てるのかと思っていたからだ。危険、の二文字を想定していたのは彼女だけだったけれども。
「さ、じゃあ続いてはお待ちかねの」
と言い置いて、担任教師は悪戯っぽい笑みを浮かべ、教卓の中からプリント取り出した。
千佐都が面倒臭い臭いを嗅ぎつけたように、他の生徒も敏感に察知し色めき立つ。担任教師はプリントを一列目の生徒に渡した。奪うように後ろへと回された一枚が、千佐都の手元にも到着する。題名を見て納得した。やっぱり。
「儀式が終わったら、卒業パーティーをしたいなあと思っています」
とたん、何着ていこうと相談し合う女子たち。やだなそんなの、制服でいいじゃん。急ごしらえのドレスよりよほど、中等部の紫苑のブレザーのほうが上品で様になるだろう。男子はタキシードとか紋付袴を着ていきゃいいんじゃね、と囁き合っている。何その冗談面白いの、と思っていると、斜め前の席の友人が振り返り声をかけてきた。童顔美少女の代表格ともいえそうな顔をこれでもかと怪訝そうに歪めている。
それでも垂涎物に違いなく、顔がにやつきそうになるのを堪えながら千佐都は視線で答えた。どうしたの、と。
友人、小西遥加は周りを見て、すでに何人かが立ち歩き、仲が良い者同士で集まっているのを確認し、席を立って千佐都のほうへ来た。隣の席が空いていたので当然のように腰かける。開口一番、
「ちょううざいから、さっくり一掃したいんだけど」
これさえなければ完璧なんだ、と千佐都は心の中で涙した。
前髪パッツン、黒髪ツインテールの美少女が、一刀両断毒舌口調なんて…!
もう少し甘さをください、と見えない誰かに願ったこともあった。完全に裏切られた。庇護欲をそそる小柄な彼女は、親しいもの以外には「近づくな、食らいつくぞ!」と威嚇の念を放出する。友人としてはなかなか共感できる価値観の持ち主ではあるが。
毎度ながらダメージを受ける自分を叱咤し、口を開く。
「まあその気持ちは分からなくもないけどね。横文字ってハイになりやすいの?」
「ハイになって召されればいいのに」
その目は本気だ。
さらりととんでもないことを返されて、二の句が継げない千佐都に、救世主が現れる。
「まーたあんたたち、暗い会話で盛り上がってるの?」
担任教師に恋をしているらしい彼女だ。春日真奈美という。今日のヘアスタイルは二時間仕上げ。真似できない努力である。くせ毛だからちゃんとしないと云々、と説明されても、直毛の千佐都には曖昧に頷くしかなかった。きつめの美貌に求められるまま頷いたと言っても過言ではない。
「暗くないよ。客観的に考察してるだけ。結果、ハイになって死ねばいい」
遥加の暴論にも、真奈美は怯まない。困った子猫ちゃんね、と背後に吹出してみればぴたりとはまるだろう。腰に手を当て、15の少女には驚きの妖艶さがにじみ出ていた。千佐都は鞭のありかを探った。
「それが暗いのよ。まあいいけど。それより堅川先生の話、ちゃんと聞いてた?」
聞いていないと言ったら軽く絞められそうな口調だった。もちろん千佐都は頷いた。遥加は肩をしゃくりあげる。女王様は偶然空いた千佐都の前席に腰掛けた。持っていたプリントの一文を叩きつけるように指差す。
「ここ、見なさい。お菓子や飲み物は各自で用意って書いてあるわ。千佐都、あんたまかり間違っても手作りお菓子なんて持ってこないでよ。市販のものでいいわ。背伸びはしちゃダメよ」
「念押しされなくてもわかってるって。どーせ」
唇をとがらせて答える千佐都に、真奈美はふわりと破顔して「いい子ね」と頭を撫でた。積極的に飛びつくのは得意だが、触れられるのはいつまでたっても慣れない。これでは、手伝いを失敗して戦々恐々とする子供のようだ。
「真奈美はとりあえずセンセーが死ななきゃいいんでしょ」
「もっともだけど黙んなさい、遥加。人聞きが悪いわ」
五十歩百歩という言葉が思い浮かんだが、すんなり理解できる千佐都も同類だった。
1/7 行間に変更を加えました。