第四話 剣術クラス
必修科目の武術は特殊な実技授業だ。スタイルや使用武器によってクラス分けされている。何を取るか決めるため、授業登録後に開かれる見学会に参加することになっていた。
真奈美は積極的な性格に反して活発に動くことは苦手らしく、護身術のクラスを見学するそうだ。遥加は必修だから仕方がないと武器使用のクラスを選ぼうとしたところ、エスクレールに懇願され、しぶしぶ護身術を選ぶことになったとぼやいていた。
千佐都は運動神経もよく、一通りはこなす。中でも得意なのが剣術だった。
「盛況だな。どこも剣術は人気のようだ」
ズィアードと連れ立って、千佐都は剣術のクラスに見学に訪れていた。
剣術クラス見学会の大広間は大ホール半分ほどの広さであったが、まだ外に鍛錬場があるという。人数が多いので、担当の教師ごとに班を編成しているようだ。最終学年である三年生は就職活動や準備で忙しいので、班の生き残りをかけた熾烈な新入生争奪戦を繰り広げているのは二年生となる。
「へぇ、いろいろあるんだー」
千佐都の視線はせわしなく動いている。
各班はブースを構え、教師の説明会や、簡単な実技指導、模擬試合を催していた。班員同士の試合もあれば、新入生参加のものもある。守護霊混合の二対二の試合は見応えがあるようで、人垣ができていた。
「最初から剣術に決めているんだろう? 雰囲気だけ見て帰らないか?」
「ね、あれ見て。模擬試合だって。参加してみようかな?」
「おまえ、俺の話を少しも聞いていないな」
「勝った人には景品もあるって。期間限定ポテトチップス詰め合わせって書いてある」
「よしわかった、勝ちにいけ」
ズィアードは変わり身が早かった。
近くに「鬼咲班にようこそ!」と書いた横断幕が見えた。比較的少ない女性教師の班らしい。興味を引かれて申し込みをし、待ち時間を試合見学でつぶすことにした。
鬼咲班の学生はなかなか強いらしく、参加者の新入生はとても歯が立たない。ブースの奥に座っているのが鬼咲だろう。高く結い上げた長い黒髪、白シャツに黒のパンツ、地味な格好だが、凛とした彼女の雰囲気を高めていた。まじめな性格なのか、むっつりと口を真一文字に閉ざし、腕を組んで試合を睨みつけている。
「ねぇ君」
すっかり人間観察に精を出していると、ふと肩を叩かれて振り返る。優等生然とした優しげな顔立ちの学生が立っていた。二年生だ。高等部指定の濃紺ジャージの裾には剣術クラスの赤いバッジがあり、首には「三島班:秋口修吾」と書かれたプレートを下げていた。
「よかったら僕らの班も見ていかない?あ、僕は三島班の秋口だよ」
秋口が指すほうを見れば、大規模な班にはさまれ肩身の狭そうな三島班のブースがあった。椅子にどっかりと腰かけた髭面の大男が三島だろう。広い肩幅に太い腕、部位一つ一つが逞しい。刈り込んだ赤毛は日に焼けて褪せていた。辺りを睥睨する様は、子供が見たら火がついたように泣き出しそうだ。僕ら、とは秋口と三島を示すらしく、他に班員の学生は見当たらない。見学者もいないようだ。
「なかなか雰囲気あるでしょ?」
廃れた雰囲気が? とは返せず、曖昧にほほ笑む千佐都。すでに参加申し込みをした旨を伝えようと口を開くが、数人の学生らの登場に邪魔された。目に痛い派手なTシャツ姿の学生が秋口に対峙する。金髪は地毛ではなそうだ。
「おい、怪我人班は黙っとけよ。その子は俺たち鬼咲班に参加するんだぜ?」
「いやだな、西谷。見学するのは彼女の自由だよ。それと、三島先生の怪我は完治して、今は休養中だ」
ほんのさわりを聞いただけで、班に属することに嫌気がさす千佐都。平和で不干渉の班はないだろうか。とりあえずこのままこの場を去りたいと願ったが、そうは問屋が卸さない。
「邪魔が入ってしまったようだね。とりあえず名前聞かせてもらえる?」
剣で戦う印象が全くない見た目を裏切り、秋口はなかなか好戦的だった。長めの前髪の下、眼光が鋭くなる。
「ま、松原です。こっちは守護霊の」
「おいおい、その新入生を道連れにでもするつもりか? 試合もできないくせに、存続のためにって? 足掻くのは見苦しいぜ? とっとと店じまいしろよな」
そう言い捨て、西谷と呼ばれた学生は仲間のほうに戻っていく。嵐のようだった、と千佐都は呆気にとられていた。そのとき、受付で千佐都の名前を呼ぶ声がした。秋口を振り返ると、彼は軽く肩をすくめる。
「行っておいでよ。できればまたあとでこっちに来てくれたらうれしいな。試合、頑張ってね」
小さく礼をして、千佐都は受付へ向かった。
いよいよ模擬試合だ。相手は先ほどの先輩―西谷だった。申し込んだのは二体二の守護霊混合の試合。西谷の守護霊は甲冑に身を包んだ男だった。ただの装備なのか、そういう種族なのかは千佐都にはわからないが、得物はどちらも剣である。
対する千佐都は手ぶらだったので、剣を一振り借りた。ズィアードには普段から腰に下げているものがあるので心配ないだろう。
試合直前となり、それぞれ対戦相手が前に進み出る。だが、何かが変だ。千佐都は自分と距離を取ったズィアードを怪訝な面持ちで振り返った。
「あの、ズィアード? なんでそんなに遠いの?」
彼も同様に、不思議そうな顔をしていた。
「どういう意味だ? おまえの試合だろう?」
「これ、守護霊混合の試合なんだけど。わけわかんないこと言ってないで、とにかくこっち来てよ」
半ば無理やり中央に引っ張ってきた。両者互いに礼をする。困惑顔のズィアードも遅れて頭を下げる。しきりに何か言いたそうな彼を適当にあしらい、千佐都は彼を連れ、試合合図を待つ位置に立つ。
「おい、いいから聞け、いいか、俺は」
何か言いかけたズィアードを、西谷が遮る。
「君、松原といったな。新入生たる君に、最初の攻撃を譲ってやる。かかってこい」
西谷が笑みを浮かべ、大声で言った。周りの学生たちが「優しい先輩だな!」とはやし立てる。よほど自信があるのだろう。
舐められているのが千佐都にはよくわかった。――導火線に火が付いた。
「おい、聞け。緊急事態だ」
「あんなのちょっとした挑発でしょ?」
千佐都の口調はどこか苛ついていた。
「違う、馬鹿か。俺たちの問題だ。作戦を立てるべきだ。それかお前の脳内作戦を変更するべきだ。非常にまずい。俺は後方支援を希望する」
「模擬試合にそんなの要らないわよ。あんたがあっちの甲冑野郎で、わたしが金髪をやるの。それで完璧」
「野蛮だな。力技か。お前の頭にはあれか、斬る、斬る、斬る、それだけか。とにかく俺は後方支援を希望する。そうだな、応援する。後方で」
「馬鹿はそっちよ。あんたのその剣は飾りなの?」
「向こう百年はそのつもりだ。手入れなど16の成人の時にもらって以来していない」
「はあ? 冗談やめてよ。とにかく後方支援は却下」
「ならば逃げ回る作戦はどうだ? とにかく逃げ回る。縦横無尽に。これ以上の譲歩は無理だ」
何の譲歩だと言い返そうとして、そんな場合じゃないとようやく気がついた。西谷は後輩に先制攻撃を譲ったはいいが、まるで無視された状態になっていた。青筋を立て、剣を握りしめている。
「おい、どうするんだ?」
ズィアードは本当に戦えないらしい。見かけ倒しとはこのことだ。千佐都は考える。今さら戦えませんなんて言えるはずがない。
「ズィアード。都合よく敵は怒ってる。あんたのその逃げ回る作戦で行くから。ただし、腰にある剣は構えてね」
「鞘から抜かずに挑発するか。皆殺しにしてやる豚め、がいいか?」
「それはやめて。とにかく後はわたしに任せて」
「考えがあるんだな?」
ズィアードがにやりと笑う。千佐都はにっこりと笑った。
「ないよ。とにかく斬る、斬る、斬る。ほら行って」
「ふん、野蛮だな!」
ズィアードは敵を睨みつけると、一気に距離を縮めるべく走り出した。腰元の剣を鞘ごと構える姿はなかなか様になっている。あれでどうして戦えないのか、千佐都は不思議に思った。感心している暇はない。ごちゃごちゃと何か言っている西谷を一睨みし、千佐都も動く。
観客が驚いたのはまずその速さだ。守護霊と囁き合い、もたついていた新入生が、閃光のごとく走りだし、臆することなく上級生に剣を向けた。守護霊もその体格から予想されるようになかなかの使い手のようだ。鞘から抜かずに戦うとは、それだけ自信があるのだろうかと斜め上の憶測が飛ぶ。遠く班の拠点から眺めていた三島は、ほう、と呟き口角を上げ、鬼咲はじっと注視する。
突然動き出した千佐都に、対する西谷はようやく来たかと剣を構えなおした。ちらと守護霊に目をやり、互いに頷き合う。先輩のすごさを教えてやらなくちゃなあ。千佐都にはそんな風に読み取れた。
ズィアードは甲冑の男まであと一歩の距離に詰めた。すでに剣を構えていた男は、振りかぶってくるだろうことを予想し、防御の体勢を取る。しかしズィアードは彼の横を走り抜け、背後に回った。耳元に囁かれた言葉に、甲冑男は憤怒した。
「きさま!今何を言った!」
ズィアードとしては、少し冗談めかして挑発しただけだったようで、物凄い剣幕に怪訝そうだ。だが、相手をしてやる気はない。叩きつけるような攻撃をさっとかわす。西谷の鋭い声が飛んだ。
「落ち着け!」
「よそ見しないでくださいよ」
千佐都のどこかのんきな声が聞こえ、西谷がハッとしたときにはもう、千佐都が跳躍し、彼の目の前へと剣を振りかぶっていた。
ガキィイン、と攻守の剣が交わるのを皮切りに、鋭い剣戟が続く。千佐都が優勢だ。甲冑男が憤怒のため熊のようにズィアードを追いかけていて、西谷は気が気でない。額から汗がしたたり落ちて集中力を奪う。
目の前の千佐都は爛々と目を輝かせ、戦いを楽しんでいるようだ。攻撃の手は緩むどころか、じわじわと容赦がなくなってきている。
「くっ……!」
このまま押し負けるか、と西谷が予感した時、千佐都がさっと身を退けて後ろに跳び、持っていた剣を斜めへ投げつけた。金属同士がぶつかる音がして、甲冑男が驚きの声を上げ、鍋か何かが床に落ちて回転する音が響く。
西谷がさっと目をやると、頭を失くしたがらんどうの甲冑騎士が、おろおろと頭を探して彷徨っていた。その手に剣はすでにない。勢い投げつけたのだろう、遠くに刺さっていた。千佐都の剣も床に刺さっている。
ならば彼女は無手だ、と逆転を閃いたときにはもう遅すぎた。千佐都の口角が上がる。西谷は目を見張った。
「な、んっ……!」
片手を床についた千佐都の足が西谷の剣の柄を挟み、器用に体をひねると、相手の剣を奪い取って遠くへ飛ばす。そのまま立ち上がって、相手の顎の下に貫手を放ち、喉のギリギリで止めた。
「わたしのかち」
千佐都は今度こそ、自信に満ち溢れた深い笑みを湛えた。西谷は声も出ないようだ。
辺りはしんとしている。ズィアードは転がった甲冑の頭を持ち主に渡してやった。騎士は頭を取り付け、ようやく状況を把握した。
「……まさか、終わったのか?」
親切にもズィアードは答えてやる。
「ああ。期間限定は俺のものだ」
「勝者、挑戦者松原!」
審判の声が上がった瞬間、割れるような拍手と歓声が上がった。千佐都はこっそりズィアードに尋ねる。
「なんて言ったの?」
ズィアードは躊躇いがちに、答えた。
「中身が空っぽの寸胴め、と」
「分かってて言った?」
「まさか。驚くほどの偶然だ」
そう言って、苦く笑った。