第三話 甘いものはお好き?
二日後の新入生オリエンテーションは、夢想院中央の学舎に設置された大ホールにて行われた。別名、白亜の殿堂。千人弱の学生たちがひしめき合うでもなく、ゆったりと並べられた椅子に腰かけ、前方のスクリーンに映し出された説明者の顔を見つめていた。学生たちはみな私服だ。高等部に制服はない。
千佐都がちらと見ただけでも、冊子に丁寧に付箋を張り付けた者もいれば、丸めて握りしめている学生もいた。千佐都の冊子にはズィアードが一読したらしき痕跡はない。しかし、説明者の言葉は彼のそれと合致していたので、丁寧に取り扱われたにすぎないのだろう。守護霊の参加は自由だが、彼は当然のように隣に座り、無表情に眺めていた。
一通り説明が終わり、次は授業登録の作業が待ち受けていた。千佐都が選んだのは、難易度の低い初級の授業を取り、徐々に段階を上げていく一般的なやり方だ。今年の前期はほぼすべてが入門の授業で、自然界論入門、異界考察入門の二つ。実習・実技授業も、薬草学入門、調理学入門、共通召喚術、特殊実技授業である武術を合わせ、四つとなっている。
選択科目については、ズィアードお勧めの異界研究を取るか迷ったが、今回は見送ることにした。
「見事に必修だけ取ったのねぇ……」
千佐都の仮授業登録表をまじまじと見てから、むしろ感心した風に真奈美は頷いてみせる。隣に座るウルルは、物珍しそうに覗き込んでいたが、行儀が悪いわよと真奈美にきつい視線を向けられ、しゅんとうなだれた。
授業登録が終わった後、千佐都は友人たちと合流した。待ち合わせ場所は、学舎の広大な中庭に隣接されたカフェテラスだ。ガラス張りの室内は、明るい光で満ちており、学生の人気スポットとなっている。
真奈美は千佐都に授業表を返すと、テーブル中央にあったチョコレート菓子を一つ摘み、ウルルの口に入れてやった。幸せそうに表情を緩ませたウルルに、千佐都は唇をぐっと噛みしめて衝動を抑えこむ。
馬鹿にしたような顔のズィアードが、真奈美をまねてトリュフを一つ、千佐都の唇に押し当てた。むぐぐ、と呻く彼女に、愉悦に顔を歪ませる。
真奈美は目の色を変えた。男は優しいだけじゃだめね、と熱弁する。堅川の件はすでに過去のことだ。卒業パーティーの後、彼女はその事実を知ったらしい。千佐都は汚れた唇をなめとりながら、切り替えが早いんだから、とほっとしていた。
「おまたせしました」
そこに丁度、エスクレールが飲み物の置かれたトレーを持って帰ってきた。注文者に手渡し、最後はズィアードだ。彼は甘いものは嫌いらしいと千佐都は知っていた。アイスのブラックコーヒーを頼んだのは当然の行動だ。だがそこで、ふと遥加が疑問を呟いた。
「……有翼人って、甘いもの、好きじゃなかったっけ?」
冗談半分にズィアードにチョコを押し付けようとしていた千佐都と、苦虫をかみつぶしたような顔で拒否するズィアード両方の動きが停止する。ぎこちなく再起動したのは千佐都だ。
「え、えっと、そうだっけ? いや、そうだった。うん、ほらズィアード、食べなよ、遠慮しないで」
ズィアードは一瞬射殺しそうな視線を向けた後、千佐都の指からチョコを奪い取り、凶悪な笑顔でのたまう。
「減量中で甘味を控えていたんだが、ようやく許しが出たようだ。感動的だな」
「減量中って、ズィアードさん、太ってないじゃない」
真奈美の言葉に得心が行ったように頷くズィアード。突然ふっと、その表情に影を落とす。
「……減量中というのは嘘だ。実は、好物の甘味を控えなければ命はないと、そう宣告された」
絶望的だ、と白々しく頭を振り、俯く。矛盾に溢れた酷い捏造だが、真奈美は信じたようだ。遥加はきっかけを与えたくせに、無関心を貫いている。
「ズィアードさん、かわいそう。他に、そうよ、他に何か好きなものはある? 有翼人の好みってなんだったかしら。前に本で読んだんだけど……」
ズィアードはちらと千佐都を見やる。彼女は視線で訴えた。わたしは知らないからね、と。
「ふ、その件はまた後日お話ししよう。すべてを話してしまうと、話題豊富でない俺は君との会話のきっかけを失ってしまうことになる。それは実に、……実に、だ」
実になんだ、と笑いを堪えた千佐都の顔は崩壊寸前だ。腹筋がきしみ、今にも吹き出しそうである。
ウルルはむくれたように頬を膨らませ、きつい視線を似非紳士に向けていた。エスクレールは甲斐甲斐しく遥加の世話をしている。千佐都はそっとズィアードと視線を交わし、互いの意図を察する。
「そ、そういえば! たしか、そういえば!」
勢い叫んでみたが、良い口実が見つからない千佐都。
「急になんなの、千佐都。トイレ?」
真奈美は怪訝顔だ。挙動不審な千佐都に、機転がきかないなとズィアードは呟いた。立ち上がり、その肩を抱く。
「持病の薬を飲むのを忘れていた。あれがないと死期が迫る」
とうとう持病までねつ造したズィアードに、思わずブッと吹き出しそうになった千佐都はフグのように顔を膨らませた。死期が近いのは千佐都かもしれない。早くくお薬飲まなきゃ、と悲鳴を上げる真奈美に促され、二人はそそくさとカフェテリアを後にした。
人目を避けて二人がやってきたのは、学舎に隣接した夢想院大図書館だ。威風堂々としたこげ茶色の建物に、互いを押し合うようにして入った。一刻も早く、有翼人の好みとやらを把握しなければならない。図鑑や事典は奥にあると示されて、早足で目的の場所へ向かう。
「種族事典の類だな。ったく、何の因果で俺が有翼人の好みなどを調べる羽目に……」
「共用スペースで同族の悪口は言わないようにね」
「うるさい、だまれ、その口縫い付けるぞ」
怖いなあ、と距離を取る千佐都であったが、前方不注意で整理用の移動棚にぶつかってしまった。衝撃で床に本が散乱し、やれやれ、とズィアードは呆れた様子だ。千佐都は痛みに涙目になりつつ、本を拾い始める。
先に行くぞ、とズィアードは奥へ向かってしまったので、一人黙々と片付ける。ようやく最後の一冊だと、裏返しに開いた本を拾い上げる。豪奢な装丁本だったが、古いものなのか色あせていた。
(うわ、さっぱりわかんない。何の本?)
ページをめくると、不思議な模様や文字が描かれ、解説らしき文字は細かすぎて読む気が起こらなかった。扉を開くと、タイトルがあるはずのそこにはたった一文。
【とびらひらきしとき 全知の庭あらわる】
それだけだ。
扉なら今開いたけど、と首をかしげる千佐都。ちょうどズィアードの呼ぶ声がしたので、本を閉じ、適当に棚に差し込んで、そちらに駆けていった。
「おい、あったぞ。有翼人の好物は、味の濃いものらしい」
「ずいぶん範囲が広いのね。甘くも辛くも、味が濃ければいいのかも」
「ちっ、知っていたら無様に演じずともすんだものを」
「その割にはノリノリだったよね? 深層心理の表れじゃない? 優しくしたいっていう」
「あれを優しいというのか。おめでたい思考だな。一種の処世術だ」
上手く騙せたのは真奈美だけだったくせに、と千佐都は思った。指摘しても無為な会話が続くと思い、口にはしない。
「ね、いったん部屋に帰ろうか。薬を飲んだことにしたほうがいいだろうし」
「帰るところを目撃させるのか? 周到だな。誰も見ていないだろうが、まあ、いいだろう」
「そのあとお昼ごはんね。食堂でいい?」
「いいだろう」
とズィアードは頷く。
学生寮に隣接する食堂は学生数を見込んで大規模で、前売り券を買っておけば、料理を受け取るだけでいい。混雑は少なく、味も良い。入学式後の二日間で、二人はすっかり気に入っていた。
「明日は見学だけだし、夕食まで、テレビでも見てのんびりしますか」
「悪くない。だが再放送のドラマに限るぞ」
「もしかしてこの間のドロドロなやつ?」
嫌そうな顔の千佐都に、ズィアードはどこか自慢げに返した。
「生ぬるい人間には打って付けだ。世の常を学ぶんだな」
読了ありがとうございます。
行間について模索中なのですが、読みにくい部分などありましたら、教えていただけると嬉しいです。