渇望ノファーストキス
「……」
「……」
「う、うぐぐぐ……」
ピュッ、チャポーン
「……」
「……」
「ふ、ふぬぬぬ……」
クイッ、ピュッ
「……」
「……」
「ぐ、ぐぬぬぬ……」
ピュッ、チャポーン
「……」
「……」
「あ、あががが……」
クイッ、ピュッ
「おんや? お前さん、またエサぁ喰われちまったべか?」
「がぁあああーーーー!!!! いやだあ! もう、我慢できないっ、にぃに助けて!」
紫陽花はなかなかうまいこと魚をキャッチングできないことに痺れを切らしたのか、薬中のように河原に釣り竿を叩きつけたり、その場で地団駄を踏む。……そろそろやると頃だと思ったのよ。紫陽花の普段の言動や様子からして、予想のつく行動なのだから別にびっくりしない。私の隣にいる男の娘なんか意に介さず、黙々と鮎釣りをしているわ。
「……紫陽花うるさいの。そんな声を出したらお魚さんがみんな逃げちゃう」
秋桜は乱れる紫陽花の方を向かずに、淡々とそう呟く。
訂正、この男の娘切れているわね。キレテナーイ、の方じゃないのよ。
…………。
ツマランギャグを編み出して、ごめん。
恐らくは、秋桜もさっきから全然釣れないから紫陽花のように表情には出さずとも内心イライラしているのだろう。かくいう私もからっきしね。きっと、今の私の目は死んだ魚のような目をしているだろう。
「うっ、に、にぃにぃいい…………こ、こらっ! おやぢっ、全然釣れないじゃないか! どういうことだっ、このドブ川には本当にマグロやカンパチがいるのか!?」
「何を言ってるんだべ。この川はワシの心のよぉに澄んだ透明の川だっぺ。それに、マグロやカンパチは海の生き物だぁ」
「な、何が、ワシの心のよぉに澄んだ透明の川、だっ!! そんな難しいことばっかり言って煙に巻いてるから、魚類は釣れても哺乳類は釣れないんだ!! この独身おやぢ!!」
「がははははっ、こりゃあ紫陽花ちゃんに一本取られたっぺなぁ。おっ、またかかったかかった」
「うっ、う~~!! あ、頭を撫でるなぁ!!」
海蔵のおやぢは左手で紫陽花の頭を撫でながら、右手で釣竿を引き、鮎を釣り上げる。
……さすが鮎釣り名人と自称しているだけあって、その腕は伊達じゃないのよ。
海蔵の足元にあるバケツには既に開始から三十分ほどで鮎が十数匹たんまりと溜まっていた。
それに比べて、私と秋桜、それに紫陽花は……成果なし。
紫陽花じゃないけれど、私もこの場で生まれたての赤子のように発狂したくなってきたのよ。
「…………ちっ」
…………。
え、し、舌打ち?隣から聞こえてきたような……。
「……何? 向日葵?」
『い、いえ……何でも』
隣の男の娘を横目で見ると、能面のような表情で私の顔を見てきた。
ぞ、ぞぞぉ~~、コワッ。
まさかそこまでイライラしていたとは……触らぬ男の娘に祟りなしってやつね。
しばらく放置プレイしておいた方が良さそうなのよ。し、しかし、やばいわね……これで、先にさかなクンが釣れた日には……やだ、何だか悪寒がしてきたのよ。オカン、助けて。
…………。
あによ、その白けた眼は?しょーもないこと考えるなって?
これは、アレよ。心を落ち着けるための一種のリラクゼーションなのよ。
「うぅうう、もう私は帰るっ!! 帰ってお昼寝するんだぁ!!」
「……だめ」
「ひっ、に、にぃに? ……で、でも」
「だめ。それに、今日釣る鮎がそのまま自分のお昼ご飯になります」
「え、えっ、え? に、にぃに……?」
「逃がさない、絶対」
「ひ、ひぃいいい~~~~!!!!」
…………え?
な、何それ?そんな弱肉強食みたいなルールは聞いていないのよ。
な、何よ……ちょっと自分の腹の虫の居所が悪いからって、人に当たるのってそれは人としてどうなのよ。ちょっと、オシオキしてやろうかしら。そうね……おへその辺りを優しくサスサスと愛撫しながら、思いっきり泣かせて……。
「な、なら……あのおやぢに魚を分けてもらえば……」
「……『働かざる者食うべからず』。分かる? 紫陽花?」
「うっ……」
「つまり、私と紫陽花、それに向日葵もお魚さんが釣れるまで何も口にできません」
や、やっぱり私も含まれているのよ、こら。
「い、いや……」
「それが嫌なら、やるの」
「…………」
「紫陽花、返事」
「あう……」
「紫陽花、へ ん じ ?」
「はいぃ!!」
紫陽花は再び慌てて釣り竿を握り、あうあうと泣きながら釣りに励む。
…………。
い、言えない。お腹なんか撫でられないし、文句も言える雰囲気じゃない。
もしかして、秋桜って意外とプライドが高くて負けず嫌いなのかも。
いいかっこしぃ?つまりは誰かに自分のかっくいぃところを見せたいのかしら。
海蔵のおやぢ?……ありえない、このおやぢに自分のいいとこを見せて誰が得するのよ。そんなのはおやぢ好きのメス犬に任せておけばいいのよ。
まあ普通に考えれば、自分の妹の紫陽花にカッコいいオトコノ……お兄ちゃんを見せたいのだろう。私は生涯一人っ子だから、そういう兄妹間の感情ってものがよく分からないのよ。
「がはははっ、お前さんら釣竿をニギニギしてがんばるっぺ。あっ、間違ってもワシの釣竿をニギニギしないでくれよぉ、がははははっ」
…………。
秋桜、このおやぢを一発ぶん殴れば少しは気分が晴れるんじゃないかしら。
そして私は、はぁと声にならないため息を吐いて、再び鮎釣りに集中するのであった。
お昼過ぎ。
ようやくギスギスとした空気が薄れ、お腹を満たしたところでお昼のおネンネ……とはいかず、せっかく河原に来たのだから水浴びでもしようと秋桜が提案したのだ。少し、伏し目がちで秋桜がそう言ったのだから、午前中のことを気にしているのだろうか。……まあ、私の見立てでは基本的にこの子は悪い子じゃないのよね。……妹はちょっと生意気なのよ。ちなみに、海蔵のおやぢは大漁で気分が良かったのか、鮎釣りが終わるとそのまま笑顔でレイパーな声を発しながら帰って行った。
「俺っちも混ぜて下さい」
「にゅふぅ、瑠羽も水浴びするのです」
そして、ちょうど三人で水浴びをしようとしたところに、一か所が不自然に膨らんだ海パン姿の六花、そして青と白のストライプ模様のビキニ姿の瑠羽がここぞとばかりにやってきた。
……こら、お前らはエスパーちゃんか。何でそんなタイミングよく堂々と現れるのよ。それにその格好からして、やる気ムンムンじゃなくてマンマンじゃないのよ。……まあ、確かに鮎釣りよりかは数倍マシだけれども。
「よーし、泳ぐぞっ!!」
紫陽花も待ってましたと言わんばかりに、服をその場で放り投げ、水着姿になる。
…………。
別に、その場で全裸になって着替えたって意味じゃないのよ。
服の下から水着を着てたってこと。この子も随分と用意が良いわね。いや用意が良い、というよりも初めから水浴びをしようとしていたのかしら。
しかし……ス、スク水?胸元の白いゼッケンにひらがなで『あじさい』と書いてある。ぴちぴとちとしたスク水のおかげで残念な胸がより一層と強調されるのよ。もう、ロリの典型的な水着で何も言えないのよ。しかし……にやり、よしっ、やったっ、勝った!と私は心の中でほくそ笑む。
「……な、なんだっ、じっと見て……文句あるかパイパン!?」
紫陽花は私のニヤニヤ視線に目ざとく気付いたのか、少し頬を染め、荒々しくそう言う。
ふふん、今の私はあんたに何を言われても我慢できるのよ……だって、ぷぷっ、お胸が、ぷぷっ、ぷぷぷぷっ、ぷぷぷのぷっ。
…………。
やだ、今の私、我ながらキモチワルイ。
「向日葵? 水着に着替えないの?」
秋桜も何時の間に着替えたのか、水着姿になっていた。
いや、紫陽花と同様、恐らくは下に水着をセットアップしていたのだろう……。何よ、この子もさっきはちょっとギスギスしていたけれど楽しんでいるじゃない。性格は一見違うようでも、やっぱり似ているわね、秋桜と紫陽花。
…………。
しかし、その姿はナニ?
上は白のTシャツに、下は花柄のパレオ付きの水着という秋桜の姿。それにあいまって、女の子みたいに白くて壊れそうな華奢な身体、ぱっちりとした藍色の瞳、優しげな聖母のような笑み、少し濡れた唇(リップ?)などなど……どう見ても女の子にしか見えない。下手したら女の子よりもオンナノコしてる。
…………ドキドキ。
まずっ、な、何で私はこんなに胸がドキドキしてるのよ……。う、うぅっ、目の前にいる彼奴は男の娘なのよっ、オ・ト・コ・ノ・コ!!ドキドキしちゃいけないのよ、そうあれは未確認生命体……ほ、ほらっ、火星人とかE●みたいなもんだと思えばいいのよ。そ、そう、そうなのよ、あれは……。
「……っ、ひ、向日葵、血っ、鼻血出てるっ」
……へ?
秋桜に指摘されたので指で鼻の下あたりを拭うと、ザクロのような色をした液体が指先に付着した。
う、嘘……この私が?この、ネトラレ系の乙女ゲームでオス共のイケナイ行為を見ても何も感じなかった(精神的に)この私が?こ、これきしのことでコーフン?
「にへへへへぇ、向日葵様ぁ、もしかして秋桜様のお姿を見て濡れちゃったとか?」
瑠羽は私と秋桜の様子を一部始終見ていたのか、私にティッシュを渡しながらニヤニヤとイヤラシイ笑みを浮かべる。こここ、こいつ……!
『ふ、ふっ、ふぢゃけるなぁ!? こ、こ、こっ、この私がッ……コーフンなどっ!』
「その割には字がミミズみたいになってますよぉ~、おやおや……お顔も……にやにや」
くっ……。
今はこのセクハラ魔人に言葉で勝てる気がしないのよ。
ここから少し離れた方が良いのかもしれない。このままここでじっとしてたら私の心臓がもたないし、恐らくは紫陽花や六花も集ってくるかもしれない。……かくなる上は。
「あっ」
私は咄嗟に秋桜の手を取り、上流の方に小走りで向かった。
「あっ、あ~~!? 向日葵様ぁ、敵前逃亡ってやつですかぁ~~!?」
間抜けな声を上げるセクハラメイドの言葉を無視して、上へ上へと進んで行く。
…………あれ?
何で、私、秋桜も連れて来ちゃったんだろ。
「はあはあ……」
大分、上流へ来たかしら。とにもかくにも、奴らを撒くことができた。
……胸が大変ドキドキしてるのよ。
半分は走ったから、もう半分は……。
「……ひ、向日葵?」
私は少し顔が赤い秋桜の方を見る。
……きっと、私がいきなり走らせたからなのよ。うんうん、それなら納得納得。
……ヴァカ、私のばかばかばか。
何、関係の無い秋桜まで巻き込んでいるのよ。この逃亡劇は私の恥ずかしさゆえに招いたこと。
それを、まるで関係の無い秋桜に……。
…………。
あ、あれ、あれあれ?な、何で私、こんな必死に秋桜をフォローしているのよ。
フォロー?べ、別に他意はない……のよ。
『……ごめん』
「……向日葵、何で謝るの?」
……。
謝る、何で私謝っているんだろ。冷静に考えてみれば、別にそこまで酷いことはしていない……のよ。これじゃあまるで私が秋桜に嫌われないようにフォローして……やめよ、何考えているのよ、私のばか、ばかばーか。
『……そうね、何だか変ね』
「でしょ?」
『うんうん』
「……ちょっと嬉しかったの」
『……え?』
「っ……ううん、何でもない」
秋桜はまた少し頬を染めて、私から少し視線を逸らす。
……こーら、その顔は何よ。
もしかしてまだ息を切らしてる?嘘だぁ、もう呼吸も整っている。だとすれば。
…………。
こらこら、余計なことを考えるな私。
きっと秋桜は自分のふとした言動で赤くなりやすい体質なのよ。
地獄耳の私はちゃあんと耳に残っているのよ。
『……ちょっと嬉しかったの』
…………。
マテ、待て待て待て。
その言動は何よ。何で嬉しいのよ。あんたは私に走らされて悦ぶMな子?えっちぃ?
走りフェチ?何ぞそれ。聞いたことがないのよ……そんな新種のフェチ、ていうかそれはフェチじゃないのよ。あーあー……何か色々なことを考えて何かを誤魔化しているような気分ね。
もう考えるのはやめるのよ。めっ、考え過ぎは身体に毒です。
ぱしゃっ
わぷっ。
げほっ、げほっ……。
い、いきなり顔に冷たき水の感触が……。
「ほらほらっ、せっかくここまで来たんだし、二人で水浴びしよ」
秋桜はヒマワリのような爽やかな笑みを浮かべて、水をすくい上げる。
……私にはきっと、一生こんな笑顔は作れないだろう。別に父を恨んではいないけれど、この子の方がよっぽど『向日葵』って名前が似合うような気がする。……やっぱり、嫌い、この名前。
「……向日葵?」
お、おっと、いけないいけない……。
何、しんみりしているんだろ、私。目の前には秋桜がいるのに。
「……うんうん、黒の髪先から零れる滴……水も滴る良い女? 向日葵は黒髪ロングだから白のワンピがよく似合うの。きっと全国の私を含めた男の子はゾッコン。黒髪ロングの白ワンピで真夏少女はオトコノコの夢」
『……ぷっ、何よそれ。それはもしかしてあんた流の告白? それっ』
ぱしゃっ
「あっ……!」
私はさっきのお返しに同じく水を秋桜にかけた。
水はちょうど、秋桜のTシャツにかかったせいで透け透け透け番刑事。
…………。
つまり、色んなものが透けているわけで。
何より、秋桜なりの気遣いがすごく嬉しくて。
「み、見ないで……」
秋桜は真っ赤になってさっと胸元を隠す。
……ポッチを隠しているのよ。だいたい、それは男の娘の見せる反応じゃないのよ。
まぁ、私は顔に水がかかっただけだから堂々としているわけなのだけど。
仮に胸元にかかっても、堂々と見せびらかしてやるわ。
……え、それはただの痴女だって?うるさい、私はどうせえっちぃな女ですよーだ。
ぎゅっ。
おっとっと。
冷えた身体の感触、見ると秋桜が私の身体をぎゅっと精一杯抱きしめていた。
でも華奢な身体でそこまで力があるわけもなく、その小さな精一杯は優しい抱擁に感じ取れた。
「……こうすれば、見えない」
……なるほど、わー、すごい。
じゃなくて、セクハラ。これは立派で偉大なセクハラです。
けれど、私は解こうともせず、むしろ秋桜の優しさが肌で伝わってきて、恥ずかしくて、自分もぎゅっと両手で抱きしめた。
「ふぁ……温かい……の」
…………。
あー、もー、何なのよ。この可愛らしい生き物は。
できればずっと抱きしめたい、ヌイグルミみたい。部屋に飾って置いておきたい。
部屋から一生逃がさない、それはある意味ホラーね。監禁になっちゃうのよ。
「……んっ……」
ふ、ふぐぐっ。
口を塞がれる。……あ、足元を見てみると秋桜は背伸びしていた。
……優しいキス、突然のキス、私にとってはファーストキス、でもそれは全然深いじゃなくて、いつまでもこうしたくて。
…………。
秋桜にとってはファーストキスじゃないのかな。
……やだな、そんなこと考えるの。ふ、ふふ、いつから私の思考は少女思考になったのかしら。
おやぢ臭い感じが私の持ち味であり切れ味なのに。何だか、すごく調子が狂うのよ……。
「……ぷっ、は…ぁ……」
長い長いキスの後、秋桜は名残惜しむように私から離れた。
唇には秋桜の感触。さすがに舌はいれなかったけれど、これがキス……魚じゃないのよ。
「……向日葵、行こ? 皆が待ってる」
秋桜は私の手を取り、元来た道、つまりは下流に向かって歩いていく。
そして、少し汗ばむ秋桜の手を感じて私は思った。
一目惚れ、二日目にして一目惚れ。
恋するのに、理由なんてなく。きっと様々あるのだけれど。そして、きっかけは些細なことで。
ーーきっと、私はこの子に恋をした。