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夜長ノ気休メ

山の夜風は私の全身を撫で、爽やかな心地を与えてくれる。

また風鈴が夜風に晒されて、ちりんちりんと鳴るなんてものもまさに夏の風物詩ってところね。

都会なんて、お天道様を阻む無数の大きなビルやら車の吐き出す屁もといガスやらで見事に夏の情景をぶち壊してくれる素敵なイデアがあるのよ。


別に、都会は都会で良いところもあるけどね。スタンプカードを全部埋めればドリンクバーが無料になるファミレスがあったり、一万円分の買い物をすればもれなく現金一万円をゲッチュできるビッグチャンスな抽選がある大手デパートがあったり。でもそれってよくよく考えれば、当たったとしても吐いた一万円がまた還元されるだけだから、案外そう得でもないのよね。しかも、そういう抽選に限って、全然当たらなかったり。……まぁ、そこは大人の事情ってやつなのだから、子供の私が口を出すのは無粋ね。


なーんて、妙に所帯じみたことを考えながら私は一人、縁側に座り、黄昏ていた。

何よ、私も一人っきりになりたいお年頃なのよ。それにこういう夜間の田舎の空気ってのも別に嫌いじゃないのよ。こうやって、冷たいそよ風を全身にあてていると、今日の良いことも、嫌なこともぜーんぶ、土壌に埋めることができるのよ。そして、翌朝には掘り返すことになる、と。

……まったくもって意味のないことなのよ。我ながら意味不明な比喩表現をしたが、つまり私は過去を顧みない、未来という名の前を向き続ける、立派でたわわなナイスバデェな肢体を有する美少女なのよ、ふふん、どうよまいったか(九割方が出鱈目なのはお約束)。


……ふう、それにしても他人の家の枕ってのはどうも落ち着かないのよ。

今日の祖父母や叔母の態度だとか、何時も一緒に寝ているゲロッピーの抱き枕が不在だとか……そういう理由だけで落ち着かないわけではないの。……こら、今のは聞き流しなさい、流せ。


単純に『落ち着かない』のだ。

無数の引っ越しを繰り返し、その度に新しい寝床で夜を過ごす。

他人様から見ればそれは慣れたものじゃあないか、とか言われるかもしれないけれど。

……何時まで経っても慣れないものよ、これは。

まぁ、三日も経てばそんなことは考えなくなるのだけれど……初日はふと感じてしまうのよ。

こんなに同じことを繰り返して、いくつもいくつも点々と……一体私の本当の居場所はどこなのだとか。本当の私って、どこにあるのだとか。


「…………向日葵?」


……まったく、人がえくせれんとなのすたるじーに浸っている時に誰よ、邪魔する不心得者は。

声の発信源の方に振り向くと、ネズチュー(ゲロッピーの宿敵)のコスプレ……もとい、パジャマを着た秋桜が無表情で私の後ろに立っていた。ちなみにネズチューの容姿は、詳細に説明するとネズミの様でネズミでない……つまり、ネズミの皮を被ったネズミもどきのキャラクターである。えっ、説明になってない?詳しく知りたい人は『ゲロッピーとネズちゅーの猿蟹合戦』でググってみなさい。そして検索に費やした無駄な労力と時間にくよくよと後悔するがいいわ。


「隣、座ってもいい?」


聞きながら私の横を座るあたり、この男の娘は人の話を半分しか聞かないタイプと見た。

しかし……この男の娘。何て綺麗な肌をしてるのよ。お風呂だと、あまり意識していなかったから気付かなかったけれど薄暗いところで見る奴の首筋は何とも危険なブツなのよ。……クンクン、それに何よこの柑橘系の香りは。男の娘のくせに、香水とか生意気。……クンクン、本当に生意気よ。


「……向日葵、眠れないの?」


秋桜は心配そうな表情で私を見つめる。

……クンクン、クンクン。別に、クンクン、夢中になっていたとか、クンクン、じゃないのよ。

私はお風呂場では活用できなかった手帳を取り出し、思いを書き綴っていく。

……今度は防水仕様にでもしておこうかしら。


『別に。ただなんとなく、つれづれなるままに』

「ふふ、向日葵変わってる」


秋桜は僅かにほほ笑む。

……全般的に変わっているのはあんたの方よ。

ただ、私も人のことは言えないし、同じ穴のムジナとまでは言わないけれど、普通の人とは違うってころは自覚している。色んな意味でね。


『そういうあんたは何しに来たのよ……まさか、怖くて一人でトイレに行けなくなったとか?』

「まさか、紫陽花じゃあるまいし。……ぜんぜん、怖くなんかないの」


そう言いながら、ぶるぶるっと震える秋桜。

こういうのって、人に指摘されると急に尿意が早まるのよ。

……まったく、素直に言えばいいのに。私だって小さい頃はそういう経験があったし、恥ずかしい思いもしたことがあるから理解はできるのよ。……いい?あくまで小さい頃の話よ?……だからぁ、本当なんだってば。


『我慢なんかしないの、膀胱炎になるよ? 私もトイレに着いて行ってあげるから』

「ち、ちがう……の。わ、私は……紫陽花の代わり……なの」


余計に意識してきたせいからか、秋桜は内股になり、お腹あたりを押さえはじめプルプル小動物のように震え始める。何が紫陽花の代わり、よ……放尿に代わりもクソもないのよ。

…………。

なんて、まさかおっきい方なのかしら。あらやだ、奥様お下品ザマス。


「……いっ、ひ、向日葵は誤解してるのっ!! すっごく誤解しています!!」


茹でダコのように顔を真っ赤にさせた秋桜は私に指さし、反論する。

本当に分かりやすい男の娘ね。素直になれない男の娘には罰として、顔面を熱したフライパン代わりにして目玉焼きを作って、これ見よがしにむしゃむしゃ食べてやるわ、じゅるじゅるじゅる。

…………。

なーんて、しょーもないことを考えている場合じゃないわね。


『隠さなくていいから、さっさとおしっこ行くわよ。ここであんたに失禁される方が洒落にならないのよ』

「う、うっ~……し、仕方ない。ひ、向日葵がそう言うなら……行ってやるの」


秋桜は観念したのか、内股で両足をモジモジさせながら、少しずつゆっくりとトイレに向かって歩き始める。何であんたは私の許可がないとトイレに行けない体質なのよ。

……ぷっ、ぷぷぷっ!た、体質ぅ?

十九にもなって、しかも男の娘のくせに幽霊が怖くておトイレに行けないなんて、あ~おかしいったらありゃしない。


「あっ、あぁ!! 今、向日葵、私が幽霊が怖くてトイレに行けないのを馬鹿にした! 馬鹿にしたぁ!! そういう男のくせにとか差別することを世間ではせくしゃるはらすめんとと言いますっ!!」

『カミングアウト乙』

「くぅ、ずるい、さすが向日葵ずるいの」

『私のどこがずるいのよ。ほら、無駄口叩いてないでここで待っててあげるからさっさと済ませるのよ』

「うぅ、わかった……。絶対、覗かないでね」


秋桜はそう呟き、トイレの中に入っていった。

…………。

あんたのおトイレタイムを覗き見して、誰が得するのよ。

一部の腐女子ぐらいしか発狂しないのよ。

…………。

ごめん、今の発言には問題がありました。あとで、何処かの誰かさんに訂正を要求するのよ。

何処かの誰かさんって誰だよって?知らないのよそんなの。事務所に問い合わせするといいわ。

だからといって、かたっぱっしに色んな事務所に問い合わせないよーに。


「……あと、できれば耳を塞いで欲しいの。……音、聞かれたくない」

『いいからさっさとやれっ、このばかっっ!!』






「花火……俺とっちゃおうぜ?」


数十分後。

放尿を完了した秋桜を引き連れて、再び縁側にやって来ると、庭先で大量の線香花火を両手で抱えた男が慈しむような瞳で私と秋桜に向かってそう言った。……この男、そう言えば私が昼間に出会った常夏グラサン野郎ね。


『……あんたってここの住人だったのね。てっきり、只の住所不定無職の痛い男だと思ったのよ』

「え、俺、そんな存外な扱い? 向日葵にそんな男だと思われていただなんて……ショックだぜ」

『呼び捨てするな、こら』

「あ、向日葵に覚えてない? 私と紫陽花のにぃに……六花りっかって名前」

「よろしくネ! 向日葵チャン!!」

『こら、人の話を聞け』


……覚えてないも何も。

こんなチャラ男、私の今までのバラ色の人生に一度も登場したことがないのよ。

大体、この六花とかいう男は私と昼間にあった時、知らない素振りをしたのよ……もし、秋桜の言葉が本当ならこの男も私のことを覚えているってこと、つまりは秋桜の言葉は矛盾しているのよ。……それによくよくと考えてみれば、秋桜や紫陽花の初めて出会ったときの反応もおかしいのよ。何で自己紹介するのよ……もし、私のことを知っていたのなら、その反応はとってもおかしいのよ。


…………。

難しいことをあれこれと考えていても仕方がないのよ。

ところで、この六花とかいう男と双子姉妹(?)は兄妹のくせに全然似てないのよ。


「ま、ままっ、堅苦しい自己紹介なんか失くして、向日葵チャンの歓迎会の意味合いを込めて、今日はいっぱい花火を買い占めたんだ。楽しんでくれよ! あっ、紫陽花と瑠羽、バケツに水汲んできてくれたね」

「く、ぐぐぐっ……が、我慢……本当はこんな浮浪者にアッシーみたいなことをやらされて黙っている私じゃない……! けれど、これも全ては、にぃにのブロマイド写真のため……! が、我慢我慢……!!」

「にゅふぅ~、瑠羽は六花様のような生粋のおちん●野郎は受け付けない体質ですので、六花様に向かってロケット花火を放つです。そしてぇ、六花様を滅殺した暁には瑠羽のハーレムランドを形成してやるです」(※良い子は絶対に真似しちゃダメです)


そして、水の入ったポリバケツを両手に持った紫陽花は不満たらたらな顔して、のこのこと庭にやって来た。瑠羽は片手に何も入っていないバケツを振り回していた。……どうでもいいけれど、あの六花とかいう男は身内で嫌われているのかしら。


「そして、パパも華麗に登場! 皆でパパをのけ者にするなんてずるいっ!!」


そして、いつの間に華麗に沸いて出てきたのか、父が玩具花火を持って庭先に登場した。

こら、お前は一体何歳なのよ。ほんと、自分のおやぢとは思えない程、自由奔放で変わり者でガキね。

今度から、『あーとねーちゃーおやぢ』って呼んでやるわ。


「向日葵ぃ!? 心の中でパパのこととっても蔑んでない!?」






<ぎゃーっすっ!! る、瑠羽っ、あ、あたいに向かって、ねずみ花火を仕掛けるのはやめてぇー! あぁうっ、火がっ、火がぁー!? 俺、燃えてる!? 俺、萌え萌え!?>

<きゃははははっ、六花様、足元が真っ赤な太陽のよぉに燃えてますよぉ、もっと燃えちゃえ~>

<瑠羽、そんな浮浪者にはロケット花火を使用するほうが殺傷能力があっていいぞ>(※良い子は絶対にぜぇ~ったいに真似しちゃダメです)

<パパは一人寂しくコマ花火をしてやるぞぅ。わーはっはっはっは!>


周囲で早くも阿鼻叫喚の花火イベントが行われている最中、私はぼ~っと突っ立っていた。

……こら、私の歓迎会なのに私抜きにいきなりおっ始めてんじゃあないのよ。

これだから小市民的な彼奴等は……ぶつぶつぶつぶつ。

…………。

別に、ちょっと皆に乗り遅れたから寂しいとかそんなんじゃあないのよ。

自分だけ置いてけぼりにされたから、ちょっと涙ぐんでなんかいないのよ、ぐすっ。


「はい、向日葵」


こんな家、花火で燃えちまえばいいのよ、ぶつぶつぶつ……。

……と、思いっきり心の中で愚痴を唱えていると秋桜が私に線香花火を渡してきた。


『……こ、これを私に?』

「うん、一緒にやろ?」

『……あ、ありがと』

「……向日葵がお礼を言ったの」


私が秋桜にお礼を言うと、秋桜は心底驚いた様子で私を見つめていた。

……こら、その意外そうな表情は何よ。謝るだなんて、今どきのエテ公でもできるのよ、勿論私も。

そして、私はチャックマン……じゃなくてチャッカマンを用いて、線香花火の先端に火を近づけ、点火させた。


すると、線香花火はゆらゆらと灰色のガスを空に放出しながら、青やら、赤やら、黄やら、その他諸々の色の火をぱちぱちと静かに放ち、土の地面にまき散らしていく。火薬の独特の匂いが鼻腔を充満する。それは決して不快ではなく、夏らしさを演出してくれる調味料なのよ。


……小さな火を見ていると心が落ち着くとかいう話をよく耳にするけれど、その気持ちは分からないでもないのよ。……だからって、私は放火魔になるつもりはないのよ。


「……綺麗なの」


秋桜は私の隣でその幻想的な火の揺らめきを穏やかな表情でじっと見つめていた。

…………。

ーーねぇ、あんた私と初めてこの町で会ったとき、何で、あんなこと……ーー

そう、言葉を手帳に綴ろうとした時、パワーを失った線香花火は塵じりに真っ黒となって地に堕ちた。

私と、秋桜の、二つとも同時に。


「……ふふ、消えちゃった。もっかいやる?」

『……いいのよ、全力かかってきなさい』


かかってきなさいって、いったい私は何と戦っているのかよく分からないけれど、さっきのいいかけた言葉は飲み込み、再び花火を興じるのであった。


夜が更け月が雲にかかる頃、歓迎を兼ねたささやかな花火大会は幕を閉じ、皆、床についた。

こうして、私の初日の田舎町の生活は幕を閉じた。






【昭和五十三年八月二十九日】


サヨナラマデ、アト二日。

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