白イ、カナリア探シ
「さあ、やるわよ! 向日葵もちゃあんとあたしに協力してよね!」
鈴はペンシルとノートを天に掲げて、縁側で意気揚々と私に向かって囀る。
何よ、さっきまではアライグマらす●るのように怠そうにしてたのに、今は随分とやる気マンマンじゃないのよ、このスケベ。あれかしら……自分に気合を注入しているのかしら。まぁ……別に何でも良いけれど。何かを注入したところで、目先にある現実と言う名の絶望は依然として変わらぬままなのよ。
「えっと……まずは、これ!」
鈴は小汚いちゃぶ台の上に、表紙にかぁいらしいクマさんやキリンさんが描かれた『さんすうドリル』を置く。
…………。
これは、あれね。お子様にとりあえず楽しそうなブツを与えておいて、しっかりヤルことはやらせる一種の『飴と鞭』ってやつね。ガキに何でもかんでも楽しそうなモノを与えておけば事がうまく進むっていう打算的な汚いアダルティな考えが目に浮かぶのよ。うーん……自分で考えておいて何だけれど、我ながら卑屈すぎる考え方なのよ。
『さんすうドリル……こんなやる気のそがれるモノを高潔な淑女である私に向かって見せつけるなんて、お前は小学生か』
「あたし、小学生だもん。やる気がないってことは見るのも嫌なくらい勉強が苦手ってこと~? 小学生の問題が~? にしし……」
鈴は小悪魔のように頬を緩ませながらそんなことを呟く。
……こ、このガキィ、私をすこぶる馬鹿にしてるわね。あのね、私はそういう意味でやる気が無いって言ったんじゃあないのよ。見る気も失せるほどの楽チンそうな問題に立派な淑女である私がいちいち相手をしてられないってこと。ふふん、いいのよ……実際に私の知力を身体で、精神で、小さなあんたの身体に叩き込んでやるのよ。そうすれば、私の知能はエテ公をも凌駕する程だと思い知ることになるのよ。私の知的センスに、びびってしーしーを漏らしても知らないのよ。
『ふん、小生意気なちんちくりんね。そんなに天才的な私に頼るのなら、ビシバシ解いてやろうじゃないの……貸しなさい』
「だ、だから、ちんちくりんじゃないって何度も……!」
私の隣でキャンキャン騒ぐ鈴を尻目に、私は奴のさんすうドリルなるものをひったっくり、パラパラと開いた。ふふん、どーせ、『にぃひくいちは?』とか、その辺の土鳩でも分かるようなかんちくりんな問題なのでしょ?内心ニヤニヤとしたイヤラシイ気持ちで私はさんすうどりるのとあるページの問題に目を落とした。
もんだい1
∫(arctanX)の解がラプラス曲線になることを証明せよ(ただし、積分定数はC、自然対数はlnとする)。
……。
………。
…………。
『あ、あぁ……これは、あれね……あれ、ほら……あれよ、あれ……ここのところの、そ、そう……あ、あーちゃんの公式……ってやつ? そ、それを使えば一網打尽よ、楽勝楽勝……多分』
「あ、あーちゃんの公式って何よぅ……そんな公式聞いたことないもん」
『あ、アンタが聞いたことが無くても……世の中にはアンタの知らない事柄がたくさんあるのよ。もっと、私のように外の世界に目を向けて色々なことを知りなさい。淑女な私があんたに教えられることは以上よ』
「ほ、ほんとうかなぁ……何か体よく騙されているような気がする……」
鈴は私の有り難い解説を聞くと、眉を顰め、ノートにカリカリとペンを走らせる。
ココだけの話……私は、数字の羅列と英語と漢字を見ると吐き気と頭痛を催す虚弱体質なのよ。
あによ、その眼は。何か言いたげな表情ね、けれど正直な気持ちは自分の胸にしまっておくのよ。何でもかんでも思ったことをそのまま口にしちゃうと良好的な人間関係が崩れちゃうのよ。信用を得るのはとっても難しいことなのだけれど、信用を失うのは一瞬のうち……人間関係は豆腐のような脆い土台の上で均衡を保っていることを常に意識するのよ。
(五分後)
「ジトー……」
鈴と勉強初めて五分経過……私の対面にいる鈴はペンシルをギュッと握り、陸に打ち上げられたホッケのような眼で私の事をジィッと見つめていた。な、何よ……その眼は。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。はっきり言って高潔な淑女である私は幼女にそんな眼で視姦されるほど、落ちぶれちゃいないし、何より私が我慢できない。というより、私の中に巣くうプライドが許さない。よし、こんなムカつくお子様ランチにはペンで鼻カンチョーを試行するのよ。
「あー、もぉいい……算数はやめよ、次は英語教えて向日葵」
『……ちっ』
「な、何よぉ……その不満げな顔は。ていうか、何か寒気が……」
鈴は何かを悟ったような表情で宿題のさんすうドリルをそそくさとしまう。
くそう……もう少しでこの生意気なお子様の鼻穴にこの私のペンシルを突き刺すことができたのに。ふん、間一髪で危険を回避できたことを運よく思うのよおちびちびちびちびま●子。
『さてさて、次は英語? よし、任せなさい。私の得意中の得意な分野よ。私はかれこれ十年間、紳士大国の英国で暮らしていたことがあるのよ……夢の中で』
「ほ、ほんとぉ? じゃあ、じゃあ、これ教えて!」
鈴は私の武勇伝もとい淑女伝を聞くと、ぱぁっと花咲く様な笑顔になり、私に詰め寄る。
ふふん、こんな生意気なお子様でも尊敬のまなざしで見つめられるのは本当に気分が良いわね。見栄っ張りのキモチってこんな感じなのかしら。まぁ、いいのよ。頭の中で培ってきた私の英語力ってのをこのマセガキに存分に見せつけてやるぅ!
(さらに五分後……)
『でぃす いず あん あぶのーまる じぇんとるめぇん(こちらの方は変態紳士です)』
「…………」
『ひぃ はず あ すとろんぐ ういんなー(彼は逞しいウインナーソーセージを所持しています)』
「…………」
『あい らぶ ひむ らいく ざっと(私はそんな彼を愛しています)』
「…………もう、いいよ……はぁ」
鈴は私の有り難い講釈を聞くと、この世の汚いモノを数々見てきた老淑女のような溜息を吐き、ちゃぶ台の上にペンを置く。ふふん、もしかしてもしかするともしかしなくても、このガキのノータリィンなオツムではこの私の英語力に着いていけなくなって、ついには思考停止しちゃったのかしら。
…………ふう。
みんな、この私みたいに図太い性格をしてなくちゃあ、この世知辛い世の中を生き抜くことはできないのよ。
「向日葵ってほんっっとうに、トリ頭……ご愁傷様です、アーメン」
鈴は憐れみを帯びた瞳で私のオツムに視線をやり、人差し指で十字を切る。
何よ、その不可解な術は。もしかして、『お前の脳は既に死んでいる』とでも言いたいのかしら。
『こら、私のマンゴーの果肉がみっちり詰まったオツムに向かってロザリオを切るとは何事か』
「ふーんだ……アンタの頭の中はマンゴー果肉じゃなくて、海ぶどうでも詰まってるんじゃないの? だから、そんな壊れたオウムみたいなことしか出てこないのよ」
鈴は明後日の方向を見ながら、ペンを回し、そんな事を口にする。
かっちーん……。
今までは、まあ大人の淑女として多少の奴の生意気な言葉はスルーしてきたけれど……ごめん、堪忍袋の緒が切れました。だから、今から私はタイムマシーンに乗って、子供に戻ります。レッツゴウトゥザパスト。
…………。
だからって、何時まで待ってもダミ声猫型ロボットは未来からやってこないのよ。
子供に戻るって言うことは今から目の前のマセガキに粛清と言う名のいたづらをするって言う意味なのよ。あーあー……ボケの内容を事細かく説明するなんて私は芸人として失格だわ。あ、失格どころか最初から私は芸人じゃあないのよ。
「へ? あっ、あ……な、何……あにすんのよぅ……」
私はスッとその場で立ち上がり、両手をワキワキとナニかを揉みし抱くかのような手付きで動かし、ジリジリと目の前のガキに詰め寄る。ふふん、そうよ、私はあんたの子羊のように怯えたその表情が見たかったのよ。何故かしら、何だか私のふくよかなお胸の奥から噴水のように湧き出る嗜虐心……世界中のスプラッターメンってこんな気持ちで人間様を襲うのかしら。それはともかく、この目の前にいるマセガキに淑女の恐ろしさって云うモノをミクロン単位で余すことなくその身に叩き込んでやるのよ。
「……お前、何してる」
私がちょうど縁側までジリジリと目の前のガキを追い込んだところで、別の雌の声が聞こえてきたのでその声の発信源に目を向けるとジト目で私と鈴を見つめる紫陽花が立っていた。
「ふくっ、ふくくくく……(※副音声:このことをにぃににチクってやるう)」
『こら、何が可笑しいのよ』
「くくっ、ぷくくくっ……(※副音声:そうすれば、向日葵に対するにぃにの好感度がダウンだっ)」
『こら、人の話を……』
「ふくくくっ、くくくくっ」
『……えい』
ずびしっっ
私はにたにたと不気味な笑みを浮かべる紫陽花の後頭部に愛の手刀をキメてやった。
ふんだ、これは決して暴力じゃないのよ。愛の手刀……略して、愛刀。愛のある暴力なのよ。あっ、今、暴力とか言っちゃったにゃめろん。
…………。
うぇ、うぇっぷ……今、ちょっと可愛さアピールのつもりでキャラを変えてみたけれど、あまりのアレさに喉の奥から甘酸っぱいものが込み上げてきたのよ。だめね、やっぱり慣れない事はするものじゃないと、細胞レベルで認識したのよ。
「いたっ! ひ、向日葵のくせに何をする!! 頭部が陥没した!! 頭蓋骨が爆発したっ!! 脳漿が飛び出したぞっ!! 慰謝料払えバカッ!!」
紫陽花はその場でウ●コ座りで蹲り、両の瞳に涙を溜め、自分の頭をサスサスと撫でていた。
ふん、あんたは大げさすぎるのよ……いるわね、ちょっとのことを何倍にも大げさにする奴……つまりは、バカガキ。……バ カ ガ キ(大切な所だから二回言ったのよ)。私はこういうバカガキを見ると、水で濡らした掌でナマ尻を思いっきり叩きたくなる体質を持っているのよ。ぱっちーん、ぱっちこーん……って、きっといい音鳴らして、おやぢの晩酌のオカズになるはずなのよ。と、何時までもバカな事ばかり考えている場合じゃないわね。私は、何時までも地面と尻で会話している紫陽花に、手を差し伸べた。
「……いっ、いらないっ!! 同情するなっ、同情するなら金をよこせバカッ」
すると、紫陽花は私の差し伸べた手を軽く払い、涙目で真っ赤な顔して軽く睨む。
……このガキ、ドラマの見過ぎなのよ。だいたい、どういうシチュエーションなのよそれは。
『同情なんかしてないのよ。憐れんでいるだけ……ほら、さっさと起きる。いつまでもそんなところに座っていたら、土壌に尻から養分を吸い取られちゃうのよ』
「うっ、うぅ~~……まな板娘に憐れまれるなんて、末代までの恥さらしだ……」
…………。
何だろ、このバカガキと話していると、脂でギトギトのカルビを際限なく食べている気分になるわね。
あー……胸がムカつくのよ。この胸のムカつきを除去するにはきっと、奴の両方のほっぺたをギュッと抓るのがいいのよ。でもでも、私は大人の淑女だからそんな大人気ない行為は一切しません。……え?お前、過去にやったことがあるだろって?……私は過去を顧みない立派な大人の女……過去のことはとっくに忘れたのよ。昨日の夕食のめにゅーも忘れるくらいのステキな頭をしているのだから。
「あっ、紫陽花じゃん。やほー」
私と紫陽花のやりとりを一部始終見ていた鈴は、掌をヒラヒラと振ってそう言う。
「こ、こらっ!! 呼び捨てにするなってあれほど言っただろ!! 私はお前より、年上なんだぞっ……!」
「だから? あたしより年上だから何だっていうの?」
「うっ……だ、だから敬語を……使え……と」
「どうしてぇ? 敬語っていうのは自分より『人間的に』目上な人に対して使う言葉でしょ?」
「お、おうふ……えと、私は……その……あの……」
「え? ハッキリ言ってよ、『紫陽花』……聞こえないよ」
「う、うぅ……ぐすっ、ごめんなさい……鈴さん」
ハキハキとモノを言う鈴に対して、紫陽花は弱弱しく謝っている。
……と、年下の女の子に対してサン付けしてる……口で完全に負けているわね紫陽花……。下剋上を絵に描いた様な構図ね。それはともかく、やっぱり田舎ってのはコミュニティが狭く深くっていう感じなのね。都会暮らしでは、隣近所の素性を知ってるってことはスナ●キンが飲み会コンパを開くのと同じくらいありえないのに……うーん、恐るべし、マセガキ。恐るべし、田舎暮らし。
「あっ、そうだ、ちょうど良かった。紫陽花もあたしの夏休みの宿題を手伝ってよ」
鈴は思い出したかのように両手を軽く合わせ、紫陽花に向かってそう言う。
えー……言ったら悪いけれど、紫陽花は見るからに左脳に栄養が足りてない感じなのだけれど。
「ふ、ふふん……そうか、宿題……ついに私の素晴らしい頭脳のお披露会が……」
「あっ、安心して。今からやる宿題は別に頭使わないから」
「…………」
鈴は何故か自信満々に薄笑いしている紫陽花にそう淡々と事務的に言った。
あ、紫陽花が灰になってる。ぷぷぷっ、しかし……年下の鈴に既に見限られてるじゃない。あーおかし。
…………。
ん、あれ?これってもしかしてよくよく考えてみれば、私も頭が残念な子に思われちゃってる?
……き、気の所為よ。きっと、多分、おそらく。
「ハイ、じゃあ……コレ」
鈴は私と固まっている紫陽花に何やら緑の箱と網を手渡す。
『……なによ、これは。これを使ってナイスガイでも逆ナンするつもり?』
「はあ? ばっかじゃない……どうやって、虫篭と虫取り網でボーイズハントなんかするのよう……」
鈴は溜息を吐き、ジト目で私を見つめる。
な、何よ……冗談に決まってるじゃない。ふ、ふん……分かっているのよ。大方、カブトムシやらクワガタやら捕まえて、自分のお小遣いにしようって腹でしょ?この腹黒飴娘め。そうはいかないのよ、その報酬は私にも……あによ、その眼は。人間はね、素直に生きるのが長生きする秘訣なのですよーだ。
「オオクワガタかっ?! 売れば一攫千金のビッグチャンスッ、一生遊んで暮らせるあのクワガタかっ!?」
さっきまで灰人間化していた紫陽花は鼻の穴を大きくし、瞳を少女漫画の如く輝かせて、捲し立てるように口を開く。
考ええてることが、紫陽花と同じなのは少々癪だけれども……でも、さっき言った通り、人間は素直に生きるのが大事なわけで。なるほど、確かに虫取りなら、鈴の夏休みの宿題とやらに少しは貢献するだろうし、捕まえれば一攫千金、私の懐も実りに実るステキライフが……。たはー、なんて……こら、別にきょぬーになるって意味じゃあないのよ。しかし、うんうん……それなら一石二鳥?一度に二度おいしい?ってやつじゃないのよ。
「……え、オオクワガタ? そんなの捕まえるわけないでしょ……あのね、紫陽花? オオクワガタって絶滅危惧にさらされている昆虫なの……一体何を考えて生きてるの?」
鈴はまたもや溜息を吐いて、紫陽花に向かって辛辣な言葉で責める。
……この子、ほんとに小学生?マセ過ぎなのよ。
「ひ、ひどい……そこまで言わなくてもいいじゃないか。そ、そうか……なら、カブトムs」
「『巨大ゴキブリ』を捕まえる」
「…………」
……………………………………………………。
『エ? チョットキコナーイ。モウイッカイイッテ?』
「…………ご、ごきっ、ふぐっ」
紫陽花は何やら言いかけて、舌を噛んだ。
「だからぁ……私と向日葵と紫陽花の三人が協力して、でっか~いゴキブリを捕獲するのッ。ワクワクするでしょ?」
鈴は天真爛漫を絵に描いた様な表情で、生き生きとそんなことを口にする。
…………。
ちょっと、何言ってるのこの子。誰か日本語に訳して。
ペタペタ
私は鈴のおでこに自分のおでこを当ててみた。
『…………うーん』
「……ッッ、別に熱なんかないわよッ!!」
……。
じゃあ、なんでちょっと赤くなってるのよ。
ぺたぺた
「ついでに胸もないぞ……」
「紫陽花に言われたくないッ!!」
ビシッ、びしびしっ
「ふぎっ、い、いたいぞっ、なぐったなぁ! にぃににも殴られたことないのにッ!!」
「とにかくっ……『日向向日葵探検隊』!! 巨大Gを捕獲するべく、出向するのよ!!!」
そうして。
鈴は有無も言わさず、森の方へ私と紫陽花を連れて行った。
……ああ、ごきっ……ごっ、ごごごごごっ、きぶりぃいいいいい!?
『……こら、ちょっと待ちなさいよ鈴』
「何? 向日葵」
『何で私の本名を探検隊とやらの名前に入れるのよ』
「何でって……向日葵ってこの中で一番『年長者っぽい』顔つきだから」
『んなっ!?』