隠匿ノ香リ、オンナノコノカクシゴト
「にぃにっ、今までどこに行ってたの!?」
清流のせせらぎを耳で感じ取りながら、私は秋桜と共に下流の元いた場所に向かう。
しばらくすると、腐ったメロン/のような顔色をした紫陽花が私と秋桜の下に駆け寄ってきた。
……この子のオトコノコ感知レーダーはわんこ並みの精度を誇っているのよ。いや、正確にはお兄ちゃん感知レーダーとでも言った方が良いのかしら。
「別に。向日葵とちょっとお散歩してただけ」
それに対しての秋桜の反応は淡泊だった。
妹に余計な心配をかけたくないという気持ちの表れなのだろうか。や、それにしても淡泊過ぎて逆に冷たく感じるのよ。あるいは、さっきの、アレでアレな営み(主に接吻的な意味で)を誤魔化す為?確かにあんなイケナイ行為が紫陽花にばれちゃうと……紫陽花は発狂して私と秋桜を殺して、舌噛んで死んじゃうという心中ルートに突入しちゃうかも。うーん、とてつもなくデンジャラスなのよ。いや、この場合は私の頭の中がデンジャラスと言った方が良いのかな。
とまぁ、そんな危険な冗談はともかく、私があの時の秋桜との初チューを思い返して赤面するのを期待した人は残念でした。私はそんな桃色で少女漫画的な思考はしていないのよ……えっ、恋をしたとか言ってたじゃないかって?
…………。
あれは、こ と ば の あ や 、よ……。
そう、そうよ絶対そうなのよ……別に都合のいい言葉で言い包めているわけじゃないのよ。
あんな、私が、柔らかい唇、しっとりと濡れた唇、柔らかい身体に反応するわけが……。
《ふぁ……温かい……》
…………もやもや。
「? どうしたの向日葵? ハトが豆鉄砲喰らったような顔してる」
『別に、濡れてないのよ』
「え? びしょ、びちょ……濡れた?」
『オマエ、シネバイイノニ』
「えぇっ!?」
こめでぇ漫画宜しく、ガーンという擬音が秋桜の頭の上からぴょこーんと飛び出てきそうなくらい、秋桜は私の言葉にショックを受けている。ふん、あんたは淑女な私を惑わす魔性の女……じゃなくてオトコノコなのよ。そりゃあ、あんた、目の前にいちまんえんが釣竿の先にぶら下がっていたら……例えそれが、甘美な罠だとしても……プライドをかなぐり捨てでも本能を優先して無我夢中で目の前のみんなの夢という名の諭吉ちゃんに飛びつくでしょ?それとおんなじ。何よ、お金に目が眩むだなんて汚い娘だな、だって?
人間は感情の生き物です。
その一言で私のあの時の思考回路は集約されるのよ。
とにかく、私はあのスケスケぽっちにエロスを感じ取り、あの上目遣いに『私を抱け、そしてちゅっちゅっしろ……』と悪いもう一人の私が囁いたのよ。要するに自身の一時的な感情に身を委ねた結果、トー●スよろしく暴走してしまった、と。
結論、日向向日葵はとっても変態さんです。
…………あ、あれぇ?
「濡れて……? あっ、に、にぃに……どうしてそんな濡れて……! あぁー!? お前もっ……濡れて……! こらっ、お前、私がにぃにから目を離しているスキに何してたっ!? くんずほぐれつか!」
目ざとく『濡れた』という言葉に反応した紫陽花は私と秋桜を交互に見やり、そして最後にまるで嫌いな食べ物と向き合う幼児のような眼で私をキッと睨みつけてくる。くんずほぐれつって……本当にこの子は自分の兄のことになるとすぐ暴走するわね。何、世間様サマの兄妹ってこうも仲が良いモノなの?いや、おそらく紫陽花の一方的で狂気的な兄妹(愛)だと思うけれど(つまりは、ブラザーコーポレーションじゃなくてブラザーコンプレックス)。
『何してたって……見て分からない? そこいらでこの子と(不)健全な水遊びをしてたのよ。それに、私がにぃにから目を離しているスキにって……秋桜はあんたの所有物か。そろそろ、あんたもいい歳なんだからオトコノコ離れしなさい……じゃなくて、お兄ちゃん離れしなさい』
「な、なんだとぅ!? そ、そんなむつかしいことばっかり言って、私を煙に巻こうだなんてそうは問屋が卸さないぞっ!!」
紫陽花は私の言葉が理解できなかったのか、茹で蛸のように真っ赤な顔して憤怒している。
ど、どこが難しいのよ、こら。何よ、この子にはニホンゴが通じないのかしら。ていうか、私の目の前にいる見た目幼女の双子は本当に人間なのかしら。私は人間と思って接してるけれど、もしかしてその薄皮剥いだ下にはたーみねーたーよろしく、精巧な阿笠ナンタラ博士が発明した次世代型人間式自動販売機うんたらかんたら……何よ、冗談だと思っているでしょ?私は本気なのよ……多分。
「紫陽花、本当に私と向日葵は只の水遊びしてたの」
「で、でも……」
私と紫陽花の様子を横で見ていた秋桜は堪らず口を出す。
ふぅん、やっぱり秋桜もあのことは隠しておきたいのね。まぁ、確かにあんまりあのことはよろしくないことだし、暴走が服を着て歩いているような紫陽花にあのことが耳に入れば、ややこしいことこの上ないのよ。……けれど、なんだかなぁ。さっきも言ったけれど、どことなく秋桜の紫陽花に対する態度はオカシイ気がする。何がオカシイのかよく分からないけれど……乙女の勘って奴ね。
…………うっぷ。
自分で自分のことを乙女とか言ったら、吐き気がしてきたのよ。やっぱり自分の身の丈に合わない言葉を使用するのは身体に悪い……。ほら、ちょっと違うかもしれないけれど、自分で自分のことをいちいち名前で呼ぶオンナノコいるじゃない?《私、ビールとツマミがあればご飯はいらないの!》で言えば良いところを《向日葵、ビールとツマミがあればご飯はいらないの!》って言うオンナノコ。……うぇっぷ、また吐き気が。
自分の名前に誇りがある人にとっては、じゃんじゃか使うのは気にならないと思うけれど。
私の場合は自分の名前が嫌いだから、自分の身の丈に合っていない名前が嫌いだから、思い出したくない。
何らなら、花子とか、やすべぇとか、クソ丸とかでもいいのよ。
……けれど、自分の意に沿っていなくても、この地に生まれ、この地で育ち、そして今日まで背負ってきた名前だ。
親から名付けられた名前は捨てられない、捨てるわけにはいかない。これは個人の感情の問題じゃあないのだ。訂正、さっきの人間は感情の~ところは忘れて。
義務、戒め、償い。
それは自分自身に対しての、自分にとっての、『そうではない』名前。
「水遊び、してたの」
「に、にぃにぃ……」
「し て た の」
「ううぅ、はいぃ……」
秋桜の容赦の無い言葉的な圧力に屈した紫陽花は、反省猿のように秋桜の目の前で小さくなっている。
ふふん、ザマーミロ、なのよ。何がザマーミロなのか自分ではよく分からないけれど、生意気なガキがシュンとしている所を見ていると何だか肩の荷が下りたようでスッキリするのよ。……別に、だからってワンパク小僧が嫌いってわけじゃあないのよ。
「うぅうう……! お、覚えていろぉ、か、必ず、仕返ししてやるからなぁ……!!」
紫陽花は私のドヤ顔が気に入らなかったのか、またまた懲りずにと私を睨んでくる。
へぇ……仕返し、ね。どーせ、あんたの仕返しなんて、歯磨き粉と練り辛子を入れ替えたり、私の大好物のちーずはんばーぐをほうれん草に入れ替えたり、トイレの便座カバーを外したりとか、そんなちっちゃな悪戯でしょ?
…………。
まて……よ。大好物のちーずはんばーぐが身の毛もよだつほうれん草に入れ替わっていたらやだな……。
トイレの便座カバーも……あれ、ないと落ち着かないし、冬場だと冷たいし、辛い……。
どうしよう、どうしよう……うーん、うーん。あ、あれれ?こんなちっちゃな事をきにする私もちっちゃな人間?
…………。
こら、誰よ。今、違うところがちっちゃいなとかいった破廉恥ボーイズ。出て来なさい。
「じゃあ、向日葵、紫陽花、河原に戻ろ」
そして、秋桜の言葉を皮切りに私達三人は元いた下流付近まで戻るのであった。
『呪ってやる、いつかおまえんちに火を放ってやるぅ……』という不穏な台詞を背中で感じ取りながら……。あながちさっき考えてた心中ルートはアリエンてぃな話ではないな、と内心冷や汗たらたらなのでした。
「あれ……? この匂い……くんくん、お肉の匂いがする……」
元いた河原付近まで歩くと、今まで呪いの言葉を小声で私にブチ撒けていた紫陽花が鼻をクンクンさせる。
……確かに、何か焼いている匂いがするのよ。まぁ、この香ばしい匂いからして、バーベキュー的なモノであるのは間違いないだろう。家族連れのグループが河原でバーベキューをやっているのだろうか。……いや、ここいらは地元でも穴場らしく、そうそうに人は来ないだろうと……あの男の娘から聞いたからそれは考えにくいのよ。つまりは、残ったメイドとバイセクシャルなホモがバーベキュー大会をおっぱじめているのだろうか。二人でバーベキュー大会とか空し過ぎるのよ……。
クゥ
といろいろアフォなことを考えていると、突然、私の隣からかぁいらしい音が鳴り響いた。
……腹の虫?そして、私は音の発信源であろう双子に目をやる。紫陽花は……特に変わった様子なし。
秋桜は……何故か、白い頬がアルコールの入ったハゲおやぢのようなほっぺに変化していた。
「……にぃに」
「……私じゃ、ない」
「いや、でも……」
「わ た し じ ゃ な い」
「うぅ、ごめんなさい……」
お腹の音の犯人は言うまでもないが、その犯人に力技で圧倒される紫陽花。
……この二人の力関係は何となく分かってきたのよ。弟に勝る兄などいない、という言葉を聞いたことがあるけれど、まさにソレね。秋桜は可愛らしい顔をしているけれど、自分の妹に対しては言うことは言う。紫陽花は、それに対して逆らうことができないから、私に当たる。……こら、これじゃあまるで私が紫陽花の避雷針みたいな役割になっているじゃないのよ。
「おー、向日葵。俺の酒を飲まないか?」
そして河原付近まで行くと、真っ赤な顔した父がビールの缶を片手にいきなり意味不明なことを言う。
何時の間にこんなところに……お肉の香りに釣られてきたのかな。まさか、そんなその辺を徘徊している飢えたどら猫じゃあ、あるまいし。……どちらかと言うと、どら猫の方がかぁいらしいのよ、けっ。
「秋桜たんに紫陽花ちゃんも、おいちゃんのお酒……飲まないか?」
秋桜……たん?
うん、この言葉は聞かなかったことにして、自分の胸に納めておこう。
きっと、今の私のおやぢは酒を飲んでいるのではなくて、酒に呑まれている状態なのだから、変なことをついつい言っちゃうお茶目なお年頃な状態になっているのだろう。うんうん、父の失言をうまいこと誤魔化してなかったことにしようとする私は、あー何て心優しい娘なのだろう。
けれど、第三者から見た印象は全然なかったことにできないし、記憶から削除もできないからから勘弁してね、おやぢ。
「叔父さん、皆でばーべきゅーしてるの?」
「おーう、びーびーきゅーやっちゃってるよー、ぐびぐびぐびぐびぐびぐびぃ」
秋桜はそんな父の失態を意にも介さない無表情で問うが、それに対して父は何が可笑しいのか、ケラケラと餓鬼のように大口を開けてビール缶を一気にあおぐ。薄めの白髪をハゲ散らかしながら、自己主張の激しいドテッパラと黄色い歯が夏の太陽と清流の環境下で私と秋桜と紫陽花の三人にさらけ出している……。
こぉら、いい加減にしろ、馬鹿おやぢ。
いつまで、人前で醜態を晒すつもりだアホ、アフォ、ボケェ。
何よ、もしかして自ら身体を張って、ゲイ……じゃなくて芸に走って、間接的に私に恥をかかせたいとかそういう……いわゆる大魔神的な変化球の入った変態羞恥プレイなの?全くもっていらないのよ、そんな出血大サービス。
「あれあれぇ? みなシャン、もう戻って来たのでちゅかー? くちゃくちゃ……」
そして、今度は変態メイドの瑠羽がくっちゃらくっちゃらと音を立てながら話しかけてくる。瑠羽は片手に豚のエサのように盛ってある肉の紙皿を持っており、そして口の周りは肉汁やタレやらでベトベトでてかっている。
いや、こいつもおやぢに負けず劣らず、大概酷いのよ。
ていうか、この子は本当にメイドなの?ただただ、皆に交じって遊びたい今どきのそこいらの若者と変わらないじゃない。メイドの躾がなっていないのよ、躾が。メイドの躾って別にエロいことじゃないのよ。
「お、おいしそうだ……ごっきゅん」
山盛りの肉に目を奪われた紫陽花は、涎という涎を滝のように流し、目をキラキラさせている。
……肉がそんなに好きか、あんたは。
ていうか、あんたはさっきお情けで海蔵のおやぢからもらった鮎を食べていたじゃない、それはもう獰猛類の眼つきでむさむさと。それなのに、まだ食べる?食べますか?肉はべっぱらですか、そうですか。ぷぅーぷぅー鳴く豚のようにプクプク肥えさせて、貪り喰ってやろうか。
「むきゅむきゅ……紫陽花様、あげませんよー、むさむさむさむさー」
「あっ、あぁー!? 私の肉ー!! 貴様ッ、メイドの分際で主人の肉をこれ見よがしに喰うとは何ごとかぁー!!」
「なーにぉーう! 瑠羽は紫陽花様のメイドになったつもりはないのですぅー!! 私の主人は心の中にいるなるしすと王子様だけですぅー!!」
そして、瑠羽はこれ見よがしに、むさむさと一気にクマさんのように手で貪り食う。
げ、下品すぎる……。育ちが知れるのよ。ていうか、女子のやることじゃあないのよ。
しかし、そういう私もちょっとお腹が空いたのよ。だって鮎なんか全然釣れなかったから、お腹の足しにならなかったし、こんな香ばしい匂い嗅いでたら食欲がわくというのも道理なのよ。
「…………」じゅう…じゅう…
何か、悲壮な顔してひたすら肉を焼き続けている男がいる……。
ああ、やっぱりそういうポジションなのね……六花。見てはいけない、見たらどういけないかは分からないけれど、私はソレ以上奴を視界に入れるのを止めることにした。
むむ、最近はあまりスーパーで見かけないタン塩があるじゃないの。
よーし、ではこのお肉ちゃんをいただき……
ぱくっっ
!?
「もぐもぐ……おいしいの」
割り箸で掴んだはずの獲物(タン塩)がいつの間にか、秋桜の口に収まっていた。
正確には、私の箸の先を小動物のように秋桜が喰いついていた。……こ、この野郎。
「タン塩は美味い、美味すぎる。さぁ、次はこのハラミちゃんを……!?」
シュッ、シュババッ
私は手で掴もうとした秋桜の次なる獲物を素早い動作で箸で奪い取り、自分の口の中に納める。
口の中で肉の脂身が踊る踊る……甘美な味に私は最後に秋桜に向かってドヤ顔で決める。どうよ、これは仕返しよ。
『やったらやり返す』『目には目を、歯には歯を』『弱肉強食』
三位一体の功を持って、相手を制するが私のやり方よ。
……え?被ってるのがある、って?細かいことは気にするな少年。人生は楽しく生きようね。
「…………っ」
そして、秋桜は私の予想に反してもじもじし出す。
こ、こら、何故頬を染めるのよ……そんな反応をされたら意味もなくときめいちゃうじゃないの。
しーしーか、またしーしーなのか。
『……トイレ行きたいのなら行ってきなさいよ、おしめでもしてるの?』
「……ち、違う。その、向日葵のその箸……私が口付けた……間接……ちゅー……」
秋桜は乙女のように、つんつんと両の人差し指をつつき、真っ赤な顔してたじたじと呟く。
…………。
ぷっ、か、間接……き、キッス……ぷぷぷぷっ。
「わ、笑った……笑った……心の中で笑ったぁ!!」
秋桜は瞳に涙を溜めて、ハムスターのような瞳で私を睨む。
か、関節キスだなんて……恋する中学生か、お前は。そんなのよりも激しいの、したじゃない……。
……何かイヤラシイ表現になっちゃった。秋桜って普段はクールなナイスガイを装っているけれど、自分のことを馬鹿にされる度に素の表情が出るのよ。それが可愛らしいというか、何というか……やだ、これじゃあまるで私が秋桜の観察日記をつけているストーカーみたいじゃない。
『ごめんごめん……まさかコンプレックスの塊のようなあんたの口から間接……間接、ちゅーだなんて……ぶふっ』
「……っ、し、知らないモン!! 向日葵のばかっ」
秋桜は羞恥に耐えきれなくなったのか、その場から駆け足で町の方向へ去っていく。
あ、まずっ、やりすぎたのよ……と、とりあえず追うのよ。フォローは大切だし、そのためにクーリングオフというのもあるのよ。あれ、何か違う?そして私もその場から離れようと試みたが、去り際にちらっと後方の様子を確かめる。
「おい……嬢ちゃん……ワイの、酒……飲まないか?」
「吐くんだっ、吐くんだジョー!!」
「むがっ、むがむがむががっ、や、やめへくらはいっ、る、るぅのゲロがおげろげろげろげろ~~~~!!!!」
「…………」じゅう…じゅう…
…………。
あの連中はしばらく放っておいても問題なさそうね。違う意味で問題はあるけれど。
こうして、過酷なる秋桜捜索大作戦(仮)が始まったのである。