CASE8.混沌トスル感情
「ちっ…」
教室で一人残っていた日向は小さく舌打ちをする。
不味い状況になった。
誰とも関わり合わなければ『ダウト』されないだろうと高をくくっていた日向にとって、先程の放送は余りにも不利だ。
このままでは確実に六美に『ダウト』されるのは自分だろう。
硫酸で肌を焼かれるなんて、考えただけでゾッとする話だ。
しかし、六美が用紙を持っている以上日向に打つ手は無い。
恐怖に支配されたまま、20分後を待たなければならない。
「どうすれば良いのよ…ッ」
独り言のつもりで呟いた言葉は、乱暴に開けられたドアの音でかき消された。
入ってきた人物に日向は目を見開く。
「日向…ッ」
「秀、水…」
「時間が無い!早く行こう!」
日向の手を引いて秀水は走り出す。
その足は真っ直ぐ保健室に向いている。
「ちょっ、秀水ッ!?」
「大丈夫…」
秀水が何をしようとしてるのか六美には解らない。
ただ伝わるのは繋がれた手の熱だけだった。
「土橋…お前の気持ちは解らんでもないが、余り憎しみに支配されるな、」
残り10分。
火野が言葉を切り出した。
相変わらず何処か冷めた物言いと視線。
それが余計に六美の神経を逆撫でた。
火野を睨み付け、絞り出す様に六美は言葉を吐き出した。
「…初めから…大切な人が居ない火野に…私の気持ちが解る!?」
「……」
「貴方は生徒会長として言葉を述べてるだけよ!建前だけの言葉で私の金弥に対する気持ちを否定しないで…!」
火野は何の反論すらせず、じっと六美を見詰めている。
対する六美の言葉は止まらない。
「私を生徒会に入れたのだって、金弥を自分の思い通りにしたかっただけよね?火野は結局自分の立場しか…」
「言い過ぎだよ…!火野はちゃんと考えて…」
「良いんだ、一宮…。あながち、土橋が言う事も外れていない。」
眼鏡のブリッジを指で押さえながら火野は抑揚の無い声で言った。
あくまでも火野は冷静だ。
六美の感情を爆発させるギリギリ手前の言葉を選んでいる。
「お前がどれ程金弥を大切にしているかは良く知っている。それを学園の為に利用したのは事実だ…」
「…ッ」
「しかし、俺はお前の能力を買っている。お前以外を副会長に据えるつもりが無い程にな。」
そして次の一言に、六美の心は大きく揺さぶられた。
「土橋…人として堕ちるな。」
その時…
無情にも、『解答時間』を告げる『声』が響く。
『解答時間ダヨ!『ダウト』シテネ!解答者ハ土橋クンダネ?』
「ぅ…ぁ…」
『早ク『ダウト』ヲ!!』
六美が頭を抱えて掻き毟る。
酷く混乱しているようだ。
--土橋家の者として、お前は正義を貫き通さねばならん。
(嫌…!!やめて…!!)
--五木君とは縁を切りなさい。お前には相応しい相手を用意してやる。
(やめて…それ以上は駄目…!)
--お前は五木君とは違う。人として、堕ちるな。
「ぅ…うああああぁぁっ!!」
慟哭が保健室に響き渡る。
「嫌!嫌よ!!金弥が居ない世界は嫌!!」
「六美!!」
「嫌…ッ、私から金弥を奪わないで!!」
髪を振り乱し、六美が叫ぶ。
そんな六美を金弥が駆け寄り抱き締めた。
「六美!!俺は此処にいる!!」
「誰!?私から金弥を奪うのは!!」
「落ち着け!!」
「貴方ね、貴方が悪いのよ!!」
六美の指が真っ直ぐ火野を指差す。
「土橋さ…ッ!!」
「『ダウト』!火野廉二よ!!」
名前がコールされる。
驚きに目を見開く紫月達。
しかし、コールされた火野は顔色一つ変えない。
『『ダウト』、火野廉ニ。受理致シマシタ。審議シマス』
そこで紫月は、ふとした疑問を覚えた。
果たして、火野は『審議』が『受理』される人間なのだろうか?
果たして、火野は『臆病者』と見なされるのだろうか?
そして、もし『ダウト』不成立になれば一体どうなるのだろう?
しかし、そんな疑問は直ぐに解決した。
『不正~解!『ダウト』不成立デス!!』
「どうして!?」
『残念デスガ審議ノ結果、『火野廉ニ』ハ『臆病』トイウ分類ニハ当テハマリマセン。』
再び現れたあの『黒子』達。
手には茶褐色の瓶が握られている。
金弥を引き剥がし、黒子達が六美を押さえ込む。
『『ダウト』不成立ノ場合、不正解者ガ逆ニ『ダウト』サレマス』
「おい!冗談だろ!?やめろ!!」
『マァ…女性ナノデ、『顔』ハ勘弁シテアゲマショウカ。』
必死に金弥がそれを止めようとするが、痛め付けられた指では黒子達を引き剥がす事すら叶わない。
使える足を振り上げ、一番手前に居る黒子を蹴り上げた瞬間…
パァン!!
乾いた音。
立ち上る硝煙。
金弥の身体は後ろへ吹き飛んだ。
「ッ…かな、や?」
「六、美…!」
制服の脇腹部分がみるみる内に赤く染まっていく。
本当に撃たれたのだ。
『『他人』ヲ気ニシテル暇ハ無イヨ?』
「!!!?」
次の瞬間、六美の首を狙って薬品が打ち撒けられた。
「ああああああああぁァッ!!」
みるみる内に赤く爛れていく皮膚。
首から服の中を伝い、『硫酸』は六美の皮膚を焼いていく。
僅かに飛んだ滴も、驚異の力でその頬に赤い爛れを作っていった。
「土橋さん!!」
真っ先に動いたのは紫月だった。
手早くカーテンを引き、六美の制服を剥ぐ。
そして蛇口を捻り出口を指で軽く塞ぐ。
痛みに悶える六美目掛けて水を掛けたのだ。
「…ゥ…ア!」
「我慢して!」
「ハァ…ハァ…」
そのまま30分程掛け続けて。
火傷の拡がりが収まる頃、六美は頭から水浸しになっていた。
陶器の様だった六美の肌は見るも無惨な状態だ。
赤い肉が剥き出し、まるで理科室の人体模型だ。
相当な痛みを伴っている筈なのに…
「は…ッ、金弥、は…?無事なの!?」
凄まじい執念だ。
自らの痛みより幼馴染みの安否の方が気になるらしい。
「火野達が看てくれてる。死んでないから…」
「良かっ、た…生きてる、のね…?」
それだけ確認すると、糸が切れたように六美はその場に倒れ込んだ。
「火野!手当はどうしたら良い?」
「油性の軟膏…出来れば消毒効果のあるものが良い。それをガーゼに延ばして傷を覆え。」
「…わかった…!」
あんなに綺麗だったのに。
目の前で横たわる六美を見て、自然と紫月の目に涙が溜まっていった。
こんなにも簡単に人が傷付けられていく事実。
6並びの日付だとしても、余りに酷すぎるんじゃないか…
仮に生きて此処から出たとして。
この先の一生、六美はこの傷と共に生きなければならないのだ。
溢れる涙を袖で拭って、紫月は六美の肌に軟骨を塗ったガーゼを貼ることに専念した。




