晴れた日に永遠が見える ~ On A Clear Day
#12
「ジャムズの関係者はこれでそろったのかな」
結香がデジカメを片手にみんなに声を掛ける。昨日までの雨が嘘のように晴れ上がった高い空のもと、それぞれが思い思いに着飾って教会の建物の前に集まっていた。
建物自体は小さいが白壁と高い紺色の屋根とのコントラストが美しく、よく撮影にも使われると言われるその教会は、今日はただ一組の結婚式を祝って、そこだけ華やいでいた。
木々の緑も雨に洗われて、その輝きを増していた。タキシードの前島と勇次、淡いピンクのワンピースにストール姿の結香、親に借りてきたという礼服を着込んだ広大が上着の丈をずいぶん気にしている。中庭には二人の親族と友人達が、もう既にお互いあいさつを交わしているようだった。
「あれ、一樹さんは?一樹さんが来てませんよ」
広大が大声を出す。日頃の天敵もいないとなると物足りないのだろうか。
「何やってんだろうね、この期に及んで寝坊か」
「一樹くんならやりかねない」
前島が結香と笑い合っている。見てきます、と言う広大を勇次が止める。
「大丈夫ですよ、まだ式までには間があるから」
「マスターは控え室に行かなくていいんですか」
広大がそう聞き返す。花嫁の父はいろいろとやることがあるのではないだろうか。しかし勇次は急ぐ様子も見せず、ゆったりと構えていた。前島がそんな勇次に声を掛ける。年代の近い二人は気も合うのだろう、のんびりと釣りの話なんかしている。広大は一人、気を揉んでいた。
建物の中から篠原が出てきた。白いタキシードの胸元に小さな生花をつけている。小さな青い花びらが彼の動きに合わせて揺れていた。心なしか頬を上気させ、緊張気味の様子だ。
「みんなそろった?桃子さんの方の準備がまだ少しかかりそうなんだけど」
「一樹さん以外はみんなそろってますよ」
広大は道路と玄関アーチを行ったり来たりしながらそう答えた。やはりどうしても気になるらしい。
「一樹くん?」
「ホントに来れるんですか?来るって言ったんですか」
広大が不安げに篠原にそう問いただす。集合時間はもうとうに過ぎていた。ジャムズの方にも顔を出していない。会場に直接来るのかと、誰もがそう思っていたのに。
「来る、と思うよ。メール出した時にOKって返事が来たから」
「OK?それだけ?」
うん、篠原があっけらかんと答える。本当にそれだけですか?何か他の文字はなかったんですか、広大が大きな声を出す。
「あはは、本当にOKだけだったよ。一樹くんらしいと言えばらしいよね」
「あきれた。おめでとうございますとか喜んで出席させていただきますとか、いろいろ返事の仕方はあるでしょうに。招待状の返事は来たんですか」
篠原が笑いながらかぶりを振る。招待状と言ってもきちんとした披露宴ではないからと、簡単なメッセージカードを送り返せるようにしたのだ。
もう本当に一樹さんったら、広大がいつもの調子でぼやき始めた。それを結香がまあまあとなだめる。
花婿を囲んで、思いのほかゆったりとした時間が流れていた。みんなこの日を心待ちにしていたのだ。自然と笑みがこぼれる。
教会の大きな扉が遠慮がちに開いて、白いドレスの裾がほんの少しのぞいた。結香がめざとくそれを見つけてドアに走り寄る。桃子だ。後込みする桃子を結香はその腕を取り、こちらへと引っ張ってくる。みんなから歓声が上がる。
「桃子さん綺麗」
「そんなに見ないで、ちょっとこのドレス派手すぎない?」
桃子はベールの端を指で押さえながら、うつむきがちに小声で訊いた。全然!すっごく似合ってる、結香が言葉に力を込める。
喉元まで細かい目の込んだレースを使い、胸元がシースルーになっている。広がりすぎないマーメイドラインのドレスが桃子の華奢で線の細い身体を引き立てていた。ベールは小さな花柄模様がちりばめられていて、ふんわりと顔周りに淡い影を落としていた。
「綺麗だなあ桃子さん」
篠原がしみじみとそうつぶやく。周りから思わず笑いが起こる。篠原が照れたように頭をかいた。
「どうですか、こんな綺麗な花嫁と結婚できる今の心境は」
前島からそう冷やかされて、ますます篠原は照れてしまった。頬が真っ赤だ。
「もう行こうか、みんなもそろったし」
篠原が桃子の肩を押す。クラシカルなデザインのウエディングドレスは、袖全体までに美しいレースで覆われていた。その品のよさが桃子には本当にお似合いだった。
あの、一樹さんが来てません、広大が言っていいのか悪いのか迷いながら小さい声でつぶやく。扉に向かって歩き出した二人の足が止まった。桃子が振り向く。
「一樹は、来ないわ」
その言葉に篠原がはっとしたように桃子を見つめた。思わず皆の視線も彼女に集まった。それに気づくと桃子はあわてて言葉を続けた。
「だってリハだのライブだの忙しそうじゃない。一樹一人の都合でどうこうできることでもないだろうし。きっと無理よ」
「でも、桃子さんの結婚式なんですよ!大事な大事な式じゃないですか」
広大が言い返す。桃子と篠原は目を見合わせるとお互い微笑んだ。篠原が諭すように広大に言う。
「大丈夫だよ、今日会えなくてもいつでも会えるし。忙しかったら無理は言えないよ」
「でも…」
広大が言いかけたその時、花のアーチの向こうに人影が見えた。
一樹だ。
息を切らせて走ってくる。黒のタキシードにクロスタイを締めて、肩にはいつもの革のソフトケースを背負っていた。走るたびそのケースがわずかに揺れる。皆のいる石階段の所まで来ると膝に手を置き、大きく肩で息をした。
「遅くなって、ごめん。そこまで来たんだけど渋滞でちっとも車が動かなく……て。タクシー降りて走ってきた」
「遅いですよ一樹さん!みんなどれほど心配したことか!メールでも電話でもいくらでも出来るでしょうが!」
広大の抗議にわりいと頭を下げる。ぎりぎりまでスタジオにいたんだ、息も絶え絶えにそう告げる。携帯も忘れたんですか、もう本当に一樹さんは、どこかほっとしながら広大はまだぶつくさ言っていた。
「忙しいのにわざわざ来てくれたんだね」
篠原が階段の下まで降りて一樹の手を取る。一樹は顔を上げた。篠原をまっすぐに見る。精一杯の笑顔を見せた。
「おめでとう篠原さん。よかったね」
一樹の右手を両手でしっかりと握り、ありがとう、と篠原がそう返す。
「ほら、もう一人おめでとうって言わなきゃいけない人がいるでしょう?」
結香が一樹の肩を押して向きを変えさせた。何だよ、一樹が抵抗する。足取りが重い。それを無理矢理結香が細腕で押す。
「じゃーん!どうよ、桃子さんのウエディング姿!」
階段の上に一人残された形になった桃子が、怯えたような表情で一樹を見た。
一樹もまた、息を飲む。二人とも何も言えないでいた。
笑顔を作らなくちゃと理性では思っていても、自分の身体が言うことを聞かなかった。顔がこわばる。唇をぎゅっと結び、こみ上げてくる思いを必死に押し戻す。
「あれ、あまりの美しさに声も出ないか」
結香が明るく声を掛ける。前島も勇次も微笑んでいる。桃子がゆっくりと階段を下りる。そのまま篠原の隣にそっと寄り添う。篠原が桃子の右手を優しく掴む。桃子は一樹から目をそらせないまま、篠原の手にすがりついた。
一樹の胸の奥が小さく痛んだ。それを払いのけるかのように何か言おうとしたが、声にはならなかった。革のソフトケースの取っ手を握りしめる。黙っていては変だと思われる。 何か言わなければ、何か。一樹は一人葛藤の中にいた。
「お…めで…とう」
ようやくそれだけの言葉を絞り出す。周りに聞こえたのだろうか。自信はなかった。
桃子はそれを聞くと、そっと目を閉じた。涙が一筋、頬を伝った。
(つづく)
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