春の婚約破棄劇場
「アップル嬢、お前との婚約を破棄する!」
うららかな春の日が差す王宮の中庭で。
お茶会に招かれた客たちを前に、ベリー王子は、あざやかな赤髪の令嬢を指さし、高らかに宣言した。
彼のわきには、小柄な桃色の髪の少女がよりそっている。
「私に、何か至らぬ点がありましたでしょうか?」
赤髪のアップル嬢が、そう返すと、
「しらばっくれるな! 学園で、お前は、このピーチ嬢をいじめただろう!」
と、紫の髪をなびかせ、いきり立つベリー王子。
「ピーチ様をいじめるだなんて。私、そんなことはしていません」
そう言って否定するアップル嬢に対して、
「いいえ。たしかに私は、アップル様に、いじめられました。
悪口を言われたり、教科書を破られたり・・・。私、とっても怖かったんです」
と、ピーチ嬢がおびえた様子で口を挟む。
そんなピーチ嬢を痛ましげに見やりながら、
「かわいそうに・・・。アップル嬢、ピーチ嬢に謝れ!
そして、いじめをするような令嬢との婚約は、破棄だ!」
と、続けるベリー王子。
「お待ちください。私がピーチ様をいじめたという証拠はあるのですか?」
と、アップル嬢が問いただすと、
「ピーチ嬢が『アップル様にいじめられた』と、泣いていた。それが証拠だ!
証人もいるぞ。ピーチ嬢の友人が、お前が教科書を破くのを見たと、言っていた!」
「私には、まったく身に覚えがありません。
それから、ベリー王子。私たちの婚約は、王命によって結ばれたものですが、国王陛下は、この婚約の破棄をお認めなのでしょうか?」
「ふん。いじわるなお前との婚約を破棄したら、俺はこの、明るくて可愛らしいピーチ嬢と、新たな婚約を結ぶのだ。
俺とピーチ嬢は“真実の愛”で結ばれている! 父上も、この“真実の愛”を、きっと祝福して下さるだろう」
そう言って、ピーチ嬢の手を握り、胸を張るベリー王子。
――ポロロン♪
と、突然。
それまでゆるやかに流れていたピアノの音が、みなの注意を引くような高い音を出した。
「――はい。まずは、ここまで」
続けて、よく通る夫人の声が響くと、ベリー王子とアップル嬢、ピーチ嬢は、その場でピタリと動きを止めた。
「ここまでを見て、皆さんはどう思いましたか?
気づいたこと、おかしいなと思ったことなどを、教えてください」
明るい金髪に、丸みを帯びた体の夫人が、にこやかな笑顔でお茶会のお客様たちに声をかける。
すると、
「はい!」と元気な声とともに、ひとりの少年が小さな手を勢いよく上げた。
「はい。まずはトーマス君。何に気づきましたか?」
「はい、シトラス夫人。
僕は、ベリー王子が『ピーチ嬢が泣いたのが、いじめの証拠だ』と言ったけど、それはおかしいと思いました。
だって、それじゃあ、泣いた子は、何をしたって許されることになってしまいます」
なるほど。と、うなずくシトラス夫人に、
「はい」と今度は、オレンジ色のリボンで髪を飾った少女が手を上げる。
「はい。エリーさん、どうぞ」
「はい。私も、トーマス君と同じことを思いました。
前に、お兄様とケンカをしたとき、私、ちょっと泣いたんですけど、お母様は許してくれませんでした。
でもそれは、私が、お兄様の大切なご本を、勝手に持ち出して汚したのだから、当たり前なんです。
悪いことをしたら、泣いたってダメ。『ごめんなさい』をしなければ、許してもらえないんです」
まぁ、公平なお母様ですね。と、答えるシトラス夫人の前で
『僕のお父様もそうだった!』
『泣いて許されるなら、どろぼうとか、悪いことをし放題になっちゃうよね』
と、小さなお客様たちが、口々に声を上げている。
そのざわめきのなかで、
「はい!」と、黒髪の少年が手を上げる。
「はい。ケント君、どうぞ」
「はい。僕は、ベリー王子が『ピーチ嬢の友達が証人だ』と言ったのが、気になりました。
僕のパ・・・ごほん。父上は、『証人や証拠は、誰が見ても納得がいくものでなければならない』と教えてくれました。
ピーチ嬢の友達なら、『ピーチ嬢が言ってほしいこと』を言ったのかもしれません」
なるほど。ケント君のお父様は、立派な裁判官ですものね。とシトラス夫人。
その後も、小さなお客様たちからは
『王子様でも、「王命」は守らないといけないと思います』
『ご令嬢を指さして「お前」と呼ぶのは、礼儀正しくないと思います』
といった声が上がった。
さらに、
「はい」と、胸に黄色い花のブローチをつけた少女が、小さく手を上げる。
「私は、ベリー王子の言った“真実の愛”が気になりました。
愛が、真実か、そうでないかって、どうしたら、わかるんでしょう?」
そう言って、小首をかしげる少女に、シトラス夫人は、ふっくらとしたほおに手をあてながら答える。
「そうですね。どうしたら“真実の愛”を、見分けられるのかしら。
では、この質問は、ベリー王子に答えてもらいましょう」
ベリー王子、お願いします。
そのシトラス夫人の言葉とともに、再び静かに、軽やかに流れ始めたピアノの音のなかで、
『――もう、勘弁してくれ・・・!』
と、ベリー王子こと、この国の第一王子・ジェフリーは、内心、頭を抱えていた。
※
ことの発端は、1ヵ月前。貴族学園の卒業パーティーまで遡る。
ジェフリーは、このパーティーで、自身の婚約者であるオルコット公爵家の長女・アビゲイルとの婚約破棄をもくろんでいた。
ジェフリーから見たアビゲイルは、ひと言でいうと“卒のないご令嬢”だ。
アビゲイルは、マナーも教養も外見も、王族の婚約者としては申し分ない。
だが、ただそれだけだ。
観劇やお茶会などで何度も同じ時を過ごしたが、アビゲイルにジェフリーの心が揺さぶられることはなかった。
アビゲイルとの婚約は、国内外の情勢を見極めた結果、5年前に王命によって結ばれたものだ。
しかし、この婚約は本当に正しいのだろうか――と、いつしかジェフリーは思うようになっていた。
未来の王の伴侶は、国家の象徴でもあり、顔でもある。
その伴侶には、周囲の心を和ませ、楽しませ、浮き立たせるような、魅力も必要なのではないか――。
そんなとき、学園で出会ったのが、ダーリング侯爵家の娘・プリシラだった。
ダーリング家は、数年前に新たな貴金属の鉱山が発見されたことと、その高い加工技術によって、伯爵から侯爵へ昇爵された家だ。
領地が隣国と接していることもあり、現在、王家が着目している家でもある。
そして。
プリシラ自身が、非常に魅力的な令嬢であった。
些細なことでもコロコロと、はじけるように笑う大らかさ――
難しい課題に眉をしかめ、淡く色づく唇を尖らせる素直さ――
友人たちの間をくるくると飛び回る、命の躍動を感じさせる快活さ――
そんなプリシラに、いつしかジェフリーは心惹かれるようになっていた。
そのプリシラが、ある日の放課後、校舎の陰で泣いていたのだ。
聞けば、あるお茶会でアビゲイルに、高位貴族らしからぬ粗雑な言動を注意されたのだとか。
プリシラの魅力を“粗雑”のひとことで消しにかかるとは――!
アビゲイルを不快に感じたジェフリーは、彼女と距離を置くように。
反対に、アビゲイルの非情におびえるプリシラとは距離が縮まって――
やがて、二人は恋に落ちたのである。
これこそが、“真実の愛”だ。
ダーリング侯爵家の娘であれば、父も許してくれるはず――
そう考えたジェフリーは、まずは周囲に、おのれの揺るがぬ姿勢を示すため、卒業パーティーで、アビゲイルとの婚約破棄を宣言することにした。
そして。
卒業パーティーの会場で、高らかに婚約破棄を宣言し、“真実の愛”の相手としてプリシラの名を上げた時点で――
なぜか、ジェフリーののどから、声が出なくなってしまったのである。
「さぁ! 芝居はここまでだ!」
戸惑うジェフリーの後ろから、大音量でそう告げたのは、彼の側近のブラッドだ。
「紳士淑女の皆さん! 卒業パーティーの場を騒がせて、まことに申し訳ない!
だが、これには、重大な訳がある!
ジェフリー殿下と我々、そしてアビゲイル嬢は、ダーリング侯爵家の疑惑を暴くため、たったいま、この瞬間まで、芝居を続けていたのである!
ダーリング侯爵家には、隣国のスパイ疑惑をはじめ、いくつかの不正が疑われる!
詳細は、王家から追って通達されるだろう!――」
剣の達人でもあるブラッドは、大柄で、肺活量がすさまじく、声がでかい。
その大声と、大げさな身振り手振りにみなが気を取られるなかで、声が出なくなったジェフリーとプリシラは、他の側近と護衛たちに腕を取られて、そそくさと会場から連れ出されてしまった。
そして。
会場をあとにしたジェフリーを待っていたのは――
激怒する王と王妃による大説教会であった。
※
『どうして、こんな“甘ちゃん”に育ったのかしら――!』
王妃・ローレッタは、紫のかつらをかぶり、“ベリー王子”としておのれの愚行を再現するジェフリーの姿を見ながら、内心で毒づいていた。
会場は、毎春、王宮での開催が恒例となっている“若葉のお茶会”だ。
“若葉のお茶会”では、王妃が主催となり、7歳の誕生日を迎えた貴族の子女を王宮に招いている。
7歳まで無事に育ったことへの祝意を伝え、この国の貴族の一員である自覚を促すための、お茶会だ。
現在、この国は、隣国と微妙な緊張関係にある。
原因は、隣国にいる一部の過激派だ。
彼らは、とっくの昔に清算済みである過去のトラブルを引き合いに出して、この国へ大なり小なりの攻撃を仕掛けてくる。
隣国の王家は、基本的には平和主義なのだが、いまは声の大きな過激派に、政策も商取引も押されがちだ。
さらに悪いことに。
近年、この国の貴族たちのなかに、隣国の過激派に迎合する者が出始めた。
彼らに、賠償として金や領土を与えるべきと言い出すものまで現れたのだ。
両国の王家は、争いをまったく望んでいない。
そこで、内外に両国の友和の姿勢を示すために、結ばれたのが、ジェフリーとアビゲイルの婚約だった。
アビゲイルの祖母は、隣国の王家から嫁いできた姫だ。
だが、アビゲイルを含めたオルコット公爵家は、王家への忠誠心が厚い。
王家にとっては、隣国の過激派や国内の迎合派を抑えるのに、アビゲイルとの婚約はうってつけだったのである。
この婚約の実現のために、ローレッタは、自身の実家をはじめ、あちこちに頭を下げて回った。
ローレッタの実家は、オルコット公爵家と敵対する派閥に属している。
実家は、自分たちの派閥か、最低でも中立派から第一王子の婚約者を出したいと考えていた。
そこを、いまは両国の友和のために、どうか! と、頭を下げて結んだ婚約だったのに――
『――この“バカ息子”は、危うくすべてを台無しにするところだった!』
と、ローレッタはにこやかな笑顔の下で奥歯をギリリとかみしめる。
ジェフリーには、最初からすべてを話し、アビゲイルとの婚約の重要性を伝えてはいた。
だが。ジェフリーは、その重要性を、真に理解はしていなかったようだ。
だから、国家の安寧よりも、自身の恋心を優先したのである。
『――しかも、よりによって、その相手がダーリング家の娘とは!
隣国迎合派の急先鋒の家じゃない!
なぜ、ハニートラップを、疑わない!』
学園でプリシラとの距離が縮まったとき。
ジェフリーの側近たちは、当然、その浅慮をいさめたという。
だが、恋に溺れたジェフリーの耳には、彼らの言葉が、なぜか「ダーリング家は国家にとって重要」と変換されてしまったのだ。
側近たちと、ジェフリーを刺激しないよう、あえて距離を取っていたアビゲイルからの報告を受けて、ローレッタと父王は再度、ジェフリーに隣国との関係やアビゲイルとの婚約の重要性を説いた。
しかし、ジェフリーから返ってきた言葉は――“未来の王妃に必要な魅力”だったのである。
このジェフリーの反応を受けて、王家とオルコット公爵家は、すぐさま方針を変えた。
ジェフリーの意志が変わらないのであれば、その意志を“利用”するまでである。
ジェフリーの側近たちは、文武に優れた精鋭ぞろいで、みな非常に優秀であった。
彼らはアビゲイルや周囲の協力を得ながら、ジェフリーと一緒にプリシラとその友人たちのハニトラに引っ掛ったふりをして、ダーリング侯爵家の内情を探ったのである。
彼らの密やかな奮闘の結果。
信頼できる内通者も得ることができ、ダーリング侯爵家の、いくつかの不正――隣国迎合派への不自然な優遇――を暴くことができた。
残念ながら、スパイ疑惑までは暴くことはできなかったが。
結果として。ダーリング侯爵家と、隣国迎合派の力を大いにそぐことに成功したのである。
ちなみに。
卒業パーティーで、ジェフリーとプリシラの口をふさいだのは、大金を積んで呼び寄せた魔法使いのかけた魔法であった。
魔法を解除したあと。
怒れる王とローレッタ、彼らの怒りを抑える役目のオルコット公爵らで、ジェフリーに再度、現状の説明がなされた。
その後。
ダーリング侯爵家の不正の証拠と、教会送りが決まったプリシラの『お父様の命令でなければ、あんたみたいなモヤシに媚びたりしないわよ!』という自白を前にして、ジェフリーは、ようやく自分のしでかした“あやまち”を理解したのである。
しかし。
ローレッタは、息子がまだ、“頭では理解していても、心では納得がいっていない”ことに気がついていた。
側近全員に欺かれたこと。公の場で、力技でギリギリごまかされたとはいえ、恥をかいたことで、傷ついたプライドが、納得を阻んでいるのだろう
だから。
ローレッタは、この際、バカ息子のプライドを、とことんへし折ってやることにしたのである。
“若葉のお茶会”で、ジェフリーに、おのれの愚行を再現させる。
その愚行が、幼い貴族の子女らの目にどう映るのか。忖度なしの素直な感想を直接、ジェフリーに聞かせる――
ローレッタの提案したその荒療治に、王やオルコット公爵、アビゲイルらは『王家の権威が損なわれる』と、当初は難色を示した。
しかし、表向きは、ジェフリーの婚約破棄宣言は、芝居であって、なかったことになっている。
さらに、一時とはいえ隣国王家や、国内の反隣国迎合派貴族らの不興を買ったこと。ジェフリーに道化を演じさせるという事実は、その彼らの不興を、多少なりともやわらげるだろう。
そもそも、この程度の苦境を乗り越えられずして、王位を継承できるのか。という判断もあり――。
最終的に。
“若葉のお茶会”で、“ベリー王子から学ぶ、正しい貴族のありかた教室”が開催されることに決まったのである。
『まぁ一番の理由は、私自身が、この怒りを発散させたかったから、なんだけど・・・』
しぶしぶと“ベリー王子”を演じる息子を、笑顔の仮面で眺めながら、ローレッタは小さくため息をつく。
アップル嬢とピーチ嬢は、ジェフリーの側近たちの婚約者だ。
彼女たちも、いろいろと思うところがあったのか、派手なかつらをかぶり、ノリノリで演じている。
進行役は、幼児教育の権威である、シトラス夫人こと、バイロン子爵夫人。
ピアノの伴奏は、なんと、アビゲイルである。
ダーリング侯爵家は、不正の数々と王家に対する不敬により、爵位を伯爵位まで下げ、新鉱山は王家との共同管理と決まった。
その結果。国内の隣国迎合派は、金づるを失い、勢いを大いに落としている。
王とローレッタは、ジェフリーがプリシラのハニトラに引っ掛った時点で、ジェフリーの妹で、現在、10歳のオリビアに王太子教育を始めた。
ジェフリーは、この先、王位に不適当と判断された場合、臣下に身を落とすことになるだろう。
つまり。
隣国迎合派が力を落とし、ジェフリーの代わりが育ち始めたいま、アビゲイルが、ジェフリーとの婚約を無理に維持する理由はなくなったのである。
“若葉のお茶会”の前に開かれた王家とオルコット公爵家との会合で、王とローレッタは、アビゲイルに頭を下げた。
この先は、無理にジェフリーとの婚約を維持しなくてもよい。
アビゲイルが望むなら、数年後、自然な形で婚約を解消し、新たな嫁ぎ先を王家が用意する、と――。
オルコット公爵も、娘に自身の未来を好きに選ばせることにした。
アビゲイルが、ピアノを心底愛しており、ジェフリーとの婚約が決まる前は、ひそかに演奏家の道を志していたことを知っていたからだ。
だが、そんなローレッタたちの提案に、アビゲイルは『このままで、構わない』と笑って答えたのである。
「はじめは、お国のためとの思いが勝っておりましたが、いまは、こう見えて、ジェフリー殿下への“情”は、それなりにございます。
不敬を承知で申し上げれば――“愚かな子供ほど、可愛い”といったところでしょうか」
くすくすと、品よく笑うアビゲイル。
「もしも、ジェフリー殿下が王位を継げなかったときは、国営で、小さな音楽学校を作ってくださいませ。
そこで、殿下と二人で、子供らに音楽を教えましょう」
※
「“真実の愛”の見分け方か・・・。これは、難しい質問だ」
紫のかつらをかぶった“ベリー王子”が、腕を組んで考える。
『さっき、自分でそう言ったのに!』などとはやし立てる子供たちに、
「・・・そのときは、これが“真実の愛”だと思ったのだ。彼女が笑ったり、泣いたりする様子が、たまらなく愛しい、と・・・。
だが、その思いが、本当に“真実”だったのかと聞かれると・・・いまは、よく、わからない」
『そんな答えじゃ、こっちが、わからないよー』と、さらにはやし立てる子供たち。
そこへ、
――ポロロン♪
と、高いピアノの音が響く。
「“真実の愛”は、見つけるのが難しいのかもしれませんね。
では、ほかに、ベリー王子に聞いてみたいことがある人ー?」
シトラス夫人のその言葉に、
『はい!』『はい!』と、小さな手がいくつも上がる。
『――まだ、続くのかー!』
腕を組んだまま、天を仰ぐ“ベリー王子”。
その横のピアノで、小さく軽やかな曲を奏でながら。
『がんばって』
笑みを浮かべたアビゲイルの唇が、そう形づくっていた。




