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煙草を吸う理由

作者: 二木公子
掲載日:2025/11/24

「吉井、お前なんで煙草吸ってんの?」


 茶わんに残った数粒の米を口に運びながら、栗田は何となく、向かいに座る相手に尋ねた。


 昼時を過ぎた店の中は静かだ。店内には、2人の他に客がなく、店主は昼時のバラエティ番組が終わると、テレビを消してしてしまった。


 尋ねたことに大した意図があったわけではないし、本気で知りたかったわけでもない。

 単に暇だっただけだ。


「んー。忘れたくないから。」


 返ってきた答えは少々以外な言葉だった。

 思わず吉井に視線を向けるが、彼はちまちまと小鉢の底に付いたひじきを食べるのに忙しそうである。


 栗田としてはもっと平凡な、美味いからとか、なんとなくとか、やめられないだけとか、そんな適当な返事が来ると思っていたし、そんな適当な会話をするつもりだった。


「何を?」


「昔のこと?」


 栗田が聞くと、吉井に聞き返されてしまった。雑にはぐらかされた、とも言う。


「それより、終わった?」


 吉井の人差し指は栗田の御膳に向けられている。

 栗田が頷くと、吉井は店の奥に向かって声を張った。


「おばちゃん、ごちそうさま!」


 吉井の声は閑散とした店内に意外なほど響く。


 声が届いたのだろう。店の奥で鳴っていたカチャカチャという音が止み、骨ばった老婆が手を拭いながら出てきた。

 老婆は、ちょっと待ってね、と言いながら品名だけの会計表を見て金額だけをレジに打ち込んでいく。


 会計を終えると、いつもありがとうね、と言いながら、お釣りと一緒に飴玉を渡してくれた。


「ごちそうさまでした!」「ごちそうさま。」


 カラカラと音をたてる戸を閉めて店を出ると、ひやりとする風がセーターの下まで入ってきた。


 吉井は「こっち」とだけ言い、南へ向かって歩き出す。

栗田は上着を羽織りながらその背中を追いかけた。


 普段はゆっくり話しながら北へ行く。駅に近く、繁華街があるのだ。


 途中、吉井は喋ることをしなかった。黙々と歩いてゆく。

栗田も吉井の後ろを黙ってついていった。

 

 別にこの後の予定を決めていた訳ではないので、どこへ行こうと構わないのだが、しかし、説明くらい欲しいものだとは思う。が、吉井には説明する気がなさそうだ。

 いつもはへらへらと取り留めの無いことを言ってばかりいるのに、今日は何も言わない。



 しばらく歩いて着いたのは、はけ上にある公園だった。


 一歩だけ先に公園に入った吉井は入り口にある自販機で缶コーヒーを一本買い、栗田に向かっておもむろに放り投げてよこした。 


「奢る。」


 黙って連れてきた詫びだろうか。


「ありがとう。」


 吉井は見晴らしの良いベンチまで行き、腰掛けてから煙草を一本取り出した。

 咥えた煙草を手の風邪避けで覆うと、赤い蛍が呼応し始めた。

 ひとつ吸ってから吐いた煙がゆっくりと空気に溶け、それが溶けるか溶け切らないくらいに次が吐かれる。


 緩い風に流れるそれを二人で見ながら、しばらくは黙っていた。


「忘れたくないから、というか供養。」


 煙草が短くなった頃、唐突に吉井が言った。

 突然の言葉に困惑している栗田に吉井は、悪い、と謝りながら説明してくれた。


「さっきの、定食屋での話。なんで煙草吸ってんの?って聞いてきたじゃん。」


「あぁ、あれ。大分時差あるな。」


「悪い。でも、あそこで話すような話じゃなかった。」


 吉井をみても目は合わない。タバコのを見つめながら灰を灰皿の中へと落としている。


「そうか。なんか、気軽に聞いてごめん。供養とかそんな言葉出てくると思ってなくてさ。」


「良いよ。別に。」


 栗田は紛らわすために間を開け、コーヒーを一口飲んだ。思っていたよりも冷めている。

 それから近くにあったステンレスの柵に寄りかかる。

 こちらも思っていたより冷えていて背に冷たい線が通った。


 ベンチでは吉井が短くなった煙草を携帯灰皿にしまい、二本目に火をつけた。


 気になるが聞いて良いのか迷う。


「俺の高校の時の同級生なんだ。」


 何がとは聞かなくてもわかる。


 吉井と栗田は小学校の頃からの付き合いだ。

 小学校、中学校をともに過ごし、高校だけ別の学校に通った。大学でまた一緒になった。

 なんだかんだ馬があって、社会人になった今でも良くつるむ。


「高校の時、ある日遅刻してさ、もう一限はサボりでいいやって、そのまま教室の近くで待ってたんだよね。そしたらさ、他のクラスの遅刻したやつもいたんだ。そこからたまに遅刻したときにそいつと会うようになったんだ。話しするほどじゃないけど、お互い認識してて、なんとなく目で挨拶する仲になったんだよね。」


「なんだその微妙な距離感。」


「な。今思えばなんだろうなって思うよ。」


「でも当時は、それが心地よかった。」


「そうか。」


「向こうも、心地よかったんだろうなって思うよ。なんでか分かんないけど確信がある。」


 吉井は、ははっと笑ってから続けた。


「それでな、ある日放課後にばったり出くわしたんだ。何でだか忘れたけど、人の少ないところ通ったら、そこの物陰ににあいつがいて、タバコ、吸ってたんだ。」


「学校?」


「そう。校内。それでまぁ、目が合ったから声かけたの。『吸うんだ』って一言だけ。そしたら、『いる?』って聞かれてさ、高校生じゃん? だから『いらない』って断ったんだよ。それがはじめての会話だった。」


「ふーん。」


「で、そっからは会わなくなった。ある日さ、帰ろうとしたら、下駄箱に入れといた靴の中にタバコが一本入ってたんだよね。で、そのタバコ、あいつが吸ってたのだなってわかったんだ。当時タバコに詳しく無いのに何でか知らんけどわかったんだよ。だからその時は次に会ったら、押し付けんなって、返してやろうと思って持ってたんだ。でも、その後からあいつを見かけることはなくなった。」


 吉井はそこでタバコを吸って煙を吐く。

 そしてためらように口を開きもう一度吸ってから続けた。


「それから、しばらくして、あいつが自殺したことを噂で聞いた。」


 ここでも吉井は蛍を灯した。


「イジメはないけど、クラスの中で孤立してたらしい。それで大学卒業した後に、これと同じタバコ吸ってる人見つけてさ、箱見せてもらって、やっとちゃんとした銘柄を知れたんだよ。そこから。そこから吸い出した。なんとなくこれ吸ってると、…いや、何でもない。」


「そうか。」


 ふわりと風が吹いた。その冷たさに、今日は珍しく風が弱い日なのだと思い出した。


 吉井はベンチから立ち上がり一つの方向を指さした。


「あそこ、あれ俺の行ってた高校。見える?」


 夕暮れの中、遠くに学校らしい建物が見える。

 なるほど、吉井がここへ来たのには理由があったのだ。


「いつまで吸い続けるの?」


 なんとなく口からこぼれて焦った。供養をやめろと言う意味で伝わってしまうかもしれない。


 けれど吉井は気にすることなく、けらけらと笑いながら答えた。


「さぁ、かっこつけたけど今は依存してるからなぁ。」


 吉井の視線は高校に向いている。どちらが本当なのか? どちらも本当なのか。


 吉井は二本目のタバコを携帯灰皿に入れ、三たび箱を取り出す。

 もう一本取り出すのかと思ったら、そのまま箱を栗田へ向かって差し出してきた。


「吸う?」


「いや、遠慮するよ。」


「旨いのに。」


 そう言って、今度はステンレスの柵に寄りかかり高校に背を向けた。


 吉井は持っていた箱からもう一本タバコを取り出そうとしてやめ、ポケットにしまうと、そのまま黙ってしまった。


 そのまま五分は待った。しかし吉井は動かない。

 記憶に浸る友を邪魔したくはないが、いかんせん体が冷えてきたため、栗田は吉井に声をかけた。


「帰るか。」


「あぁ。悪い。」


「奢れよ。」


「またかよ。」


「まだだよ。」


 軽口を叩きながら二人で公園を出る。

 出る瞬間、一瞬だけ吉井が公園を…公園から見える高校を振り返った。が、それだけだった。


 帰りの道は黙ることなく横並びでとりとめのないことをしゃべりながら帰った。


 歩きながらふと思った。何かを知ったところで、知られたところで、変わらないでいられるから栗田は吉井といるのが好きなのかもしれない。

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