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人類は逃げるしかなかった。その暑さから。
人間は進化のできない脆弱な生き物へとなり下がっていた。その頭脳は肉体的な進化を遅らせた。だから人々は一斉移住計画を行う必要があったのだ。
南の端、南極大陸へ。
地球温暖化。
問題視されるようになってから約一五〇年。人類はできる限りの最善を尽くしたが、誰一人としてそれを食い止めることはできなかった。
しかし僥倖と言っていいものか、半分も解けた南極大陸の氷の下から大きな穴が出現した。各国が協力体制に入り、ドローンでの大穴調査に踏み切った。そうすればどうだろう。その大穴の途中から横に空間が広がっており、その奥には植物よりもずっと効率的に二酸化炭素を吸収する鉱石が見つかったのだ。しかしそこへ向かう道中には、まるでその鉱石を守るように地下生物たちが跋扈していたのだ。もちろん、侵入者であるドローンはそれらによって破壊された。
しかし、その程度の障害で世界が諦めるはずがない。
各国は世界を救うその鉱石を回収して母国を取り戻すため、国際組織『アンターティック・フロンティア』を結成した。
それから五〇年。
『アンターティック・フロンティア』付属養成訓練学校、七期生の卒業式が行われようとしていた。
「七期生パイロット科、二十一名。敬礼!」
指示に合わせて性別年齢国籍様々な人々が、壇上に向かって敬礼をする。
その中に、シュンロウ・ハイカワはいた。二十一名の中で数少ない、日系南極首都人の一人。十一位卒業という良くも悪くもない成績でシュンロウは今日、卒業を迎えた。
シュンロウはこの黒い軍服を着るのも今日が最後だ、と前の生徒の背中を見て思った。訓練学校を卒業すれば、その日のうちに『アンターティック・フロンティア』の講堂へ移動し、真新しい白の軍服を身にまとう。
「七期生パイロット科首席卒業、シルヴィア・ラビノヴィッチ。壇上へ」
「はい」
透き通るようなその返事に、誰もが視線を奪われる。それはシュンロウも例外ではなかった。そのつややかな銀髪がかったブロンドと、氷が張った湖のような瞳。
陶器に咲く花のようだ、と今日までのクラスメイトの誰かが詩人ぶって、そう言っていた。その時は苦笑いしたものだが、やはりこういった荘厳な場で彼女の美しさは引き立つ。それでいてこのパイロット科で最も優秀なのだから非の打ち所がない。
ひとしきり心中で彼女を称賛すると、シュンロウは気を引き締め直して壇上を見上げなおした。
すると何やら彼女の様子がおかしい。渡された紙切れの内容を見て、いつも表情を少しも崩さない彼女が息を止め目を小さく見開いたのがわかった。
「……」
「ラビノヴィッチ、読み上げなさい」
シュンロウを含む卒業生らは、それがただの卒業の挨拶だと信じてやまなかった。いや、それはシルヴィアもだろう。だから彼女はこうやって驚いている。
「……『七期生の卒業、および『アンターティック・フロンティア』入軍に伴い、大幅なチーム体制の組み換えを行う。入軍式は中止、十分後講堂へ集まること』……」
シルヴィアが読み上げ終えてもあたりはしんとしていた。しかし明らかに全員が動揺を見せていた。
チーム体制の組み換え。それは意図なしには行われない。そうしないといけない何かが、あったということ。それから何よりも、この文をシルヴィアに読ませたのは──。
「なにぼうっとしている、パイロットども。指示の一秒後には足を動かせ!」
これは一種の洗礼だ。
いち早くシルヴィアが上官へ敬礼を繰り出し、壇上から飛び降りた。
それから堰を切ったように、同じく敬礼を済ませ全員が飛び出してゆく。ここから講堂までは全速力で走って約七分かかる。白軍服への着替えには一分しかかけられない。全員が更衣室に飛び込み、着替えを始めた。駄弁っている暇もない。乱暴にロッカーを閉める音だけが響いて、異様だった。
それは新人らに「今からお前たちが向かうのは戦場だ」と言う銃声のようで、空気が肌をひりつかせる。
七期生たちが飛び込んだ時、講堂にはゼロ期生から六期生までのパイロットや司令官がすでに並んでいた。七期生らは一斉に彼らから「何もたもたしているんだ」という視線を浴びせられ、背中を丸めながら端に隊列を組む。そしてその数分後には新しい上官が上段に立った。
「緊急集合命令に迅速な対応、さすがは前線に立っているだけある。七期生、乱れている襟元を正しなさい」
鋭い目つきにおびえながら、数名が曲がった襟やネクタイに手を伸ばす。
上がった吐息が全く聞こえなくなってから、やっとその人は口を開いた。
「先に局内放送した通り、大幅なチーム体制の組み換えを行う。名を呼ばれたものから前に出なさい」
広い講堂に名前を呼ぶ声が響き始める。そして五人か六人、一区切りをつけると廊下へ出るように指示がなされた。
チーム編成の意図はシュンロウでも徐々に理解できた。
優秀な順に名を呼ばれている。もちろん相性なども考慮の上だろうが、学校の方へも噂が流れてくるような優秀なパイロットや司令官が、優先的に呼ばれていく。
ついにその広い空間を持て余す五人だけが残った。
シュンロウはその中の一人にいた。
「リーダー、二期生パイロット部ズー・ジン」
紫がかった銀髪が視界の端でなびく。
「はい」
その人はシュンロウが見上げるほどの長身で、柔らかい顔つきの男性だった。口元に笑みをたたえて毅然とした態度で前に立つ。
残されたものにしてはずいぶんと優雅に見えた。そう見せているのかもしれないが。
「サブリーダー、四期生パイロット部リリス・クライン」
次に、釈然としない、と言いたげな顔つきの小柄な少女が前に出る。ツインテールを揺らして、まるでファッションショーのように講堂をランウェイする。表情からしても少し好戦的らしい。
「司令官、六期生司令部白縫櫻子」
「はい」
シュンロウと同じ年頃──二十三ほどの女性が前に出る。司令官と言うことは、彼女がこのチームの目となる人物だ。黒髪を顎のあたりで切りそろえていて、大和撫子という言葉がまさに似合う。
シュンロウは微かに目が合ったような気がして、慌てて前を向いた。今の名前の響きは後に呼ばれた名前の方がファーストネームだ。つまりジャパニーズタウン出身の日本人。日系南極首都人のシュンロウは少しだけ後ろめたくなった。もちろん、偽物だとかそう思うわけじゃないが、幼少期からの教育と言うものがある。
シュンロウはすぐ呼ばれるだろう自身の名前を待ち構えて、足の横にそろえた拳に力を込めた。
拍子抜けしたのは言うまでもない。
「メンバー、七期生パイロット部シルヴィア・ラビノヴィッチ」
シュンロウは思わず首を動かして、斜め前に存在感を消して立っていた人物へ目を向ける。思わず声を出してしまうのは逃れられた。
「はい」
左遷先に首席卒業生がなぜ。
シュンロウの戸惑いに関わらず、彼女は迷いない足取りで歩きだす。
「メンバー、七期生パイロット部シュンロウ・ハイカワ」
「は……はい!」
最後の一人は自分だった。この異様な選別にどんな意図があるのかわからないが、少なくともシルヴィアは自分と同じチームにいるべきではない。
シュンロウは混乱しながらチームメンバーたちと廊下に出る。全員が沈黙に落ちるなか、このチームのリーダーの声はやけに明るく聞こえた。
「はじめまして、このチームのリーダーに任命されたズー・ジンです。みんなこのチーム編成に不満があるようだけど、無駄な役割っていうものはこの組織には存在しない。……サブリーダー、特に君のことだよ」
ポジティブな声色で、だが彼の声は年長者らしさを感じさせられた。ズーは表情に笑みをたたえたままサブリーダーに目を向ける。小柄な彼女は恨めしそうに上目で彼を睨む。
「自分の印象を上げようとしてるなら無駄よ」
「ちがう。これはパフォーマンスに関わるんだ。メンバー全員が気軽に意思疎通できる環境でないと、任務は必ずと言っていいほど失敗する。リリス・クライン、君は四期生らしいから大きな怪我を負ったことがあるだろう。その時のことを思い出してみたらいい」
リリスと言う名前の少女は、かわいらしい顔に似合わず舌打ちをすると目を逸らした。そして何かを思い出したかのように左の二の腕をさする。
「ここには七期生もいるからね、先に行っておこうと思うけれど。ここで言う任務の失敗は高確率での死、だよ」
ズーは含みを持たせて静かに言うと、すぐに明るい表情に切り替える。
「まあ、新人をおびえさせるのもよくないからね。あの調子だと明日から普通に任務がありそうだ。今からパイロットスーツに着替えて、飛行確認をしよう」
ざっとシルヴィアがズーに向かって敬礼をする。
「ラジャー」
慌ててシュンロウも続けて敬礼をすると、少し遅れてサクラコが同じように敬礼した。サクラコの敬礼は少し慣れたようなもので、新人特有の硬さがない。さすが先輩だ。
サクラコはその姿勢のまま口を開いた。
「指令室に到着次第、無線番号をお伝えします」
「よろしく頼んだ。じゃあ、リリスはシルヴィアについて。僕はシュンロウだ。シルヴィアは首席卒業と言うし、リリスの手を煩わせることはないと思う」
リリスはすぐにでも抜け出してしまいそうだった。しかし、一端の理性がしっかりと残っていたらしい。
「はあ……行くわよ。シルヴィア、だっけ。次席卒業のあたしを落胆させないでね」
「はい」
廊下の先の更衣室を目指す背中を、シュンロウは何気なく目で追っていた。ズーはぼうっとするシュンロウに声をかける。
「僕たちも行こう」
「あ、はい」
プロ初日。初めての地下世界。訓練場でない場所での飛行。
シュンロウは緊張感をすっかり失っていた。やっとその緊張感を思い出したのは、コックピット内で操縦桿を握った時だった。
「ええと」
機体の安定具合には訓練と比べて大きな違いがあった。不規則に吹く風や、地形による圧力と言ったもの。急に額に滲み出す汗に、シュンロウは下唇をかんだ。
オロチJ―07K。
それがシュンロウのために用意された飛行型戦闘機の名前だ。
この飛行型戦闘機は、地球上でもっともしぶとく、そして誰よりも嫌われている虫から着想を得たらしい。そんな平たい卵型の機体には羽のようなプロペラがついている。そしてその前方にはコックピットがあり、シュンロウはそこでその機体で初の地下世界を目にしていた。
感動よりも焦りが前に出る。洞窟のような雰囲気の穴はシュンロウの少年心を擽る前に、大人としての自分に恐怖感を植え付けていた。死と隣り合わせの、まるで異世界。
目の前の暗闇が地獄への入り口に見えて仕方がない。
「落ち着くんだ。訓練と違うのは臨場感だけだよ。君は数少ない卒業生なんだ。みんな途中の試験で落ちていく中、君は生き残った。操縦桿を握りなおして」
「は、はい!」
斜め前に安定した飛行っぷりを見せる機体に、思わず視線が揺らぐ。そちらは今シルヴィアが操縦し、後ろにリリスが座っているはずのものだ。
「よそ見をしない」
「は……はい!」
「威勢がいいのは悪いことじゃないけれど、声を張ると集中力が切れるからね」
ズーに痛い指摘をされながら、機体は徐々に安定を見せる。シュンロウはその隙に張り詰めた息を吐いた。そしてゆっくりと呼吸の調子を整えていく。
『機体オロチJ―07K。二時の方向、草に隠れていますが地形が盛り上がっています。気を付けてください』
「ラジャー」
シュンロウは無線でのサクラコの忠告に、操縦桿を強く握りなおす。じっくりと焦らずに機体を少しずつ傾けて、些細な危険を回避することに成功した。
司令官のサポートは必須だ。
地下世界には天井に薄く発光するだけの鉱石しかなく、強い明かりがほとんどないために、機体についたライトしでしか視界が開けない。そのうえ、地面にはよくわからない種類の草が茂っている。機体に内蔵されているエコーロケーションの技術で、司令官が地形を分析するというのは重大な作業だった。だから司令官はパイロットの目と称される。
「このあたりで引き返そう。これより先はD地区だ。先頭を余儀なくされ始める」
ズーの言う通りにシュンロウは機体を旋回させた。それから前を飛んでいたシルヴィア達にも、ズーは無線マイクを引っ張って告げる。
「機体ヴァヴェルP―07A。リーダーより引き返すことを命令する」
『……ラジャー』
少しノイズの混じった音で、シルヴィアの落ち着いた声がコックピット内に響いた。
シュンロウはノイズがいかに重大な問題かと言うことを知らなかったが、ズーは経験値から眉をひそめた。
「このあたりで無線の調子が悪くなることはあまりないはずだけどね。とりあえず帰ったら技術部に行こう」
「わかりました」
シュンロウは日の光が差す縦穴の中心で慎重に機体を安定させると、そのまま重力に逆らって上昇した。
シュンロウはパイロットスーツに外套を羽織って、食堂でコーヒーを啜っていた。コックピット内は温度調節がなされていたとはいえ、地下では体中にじめじめとした寒さがまとわりついてくる。
その隣ではシルヴィアがココアに息を吹きかけていた。
「もしかして、猫舌なんですか?」
シュンロウの目の前に座っていた白軍服姿のサクラコがシルヴィアに問いかける。
「猫?」
シルヴィアは手招きして猫の真似をしてみせた。
「あーえっと。猫舌って、英語でなんて言うんでしょう」
シュンロウはサクラコが言った日本語らしい言語の意味が分からなかった。
残念ながらシュンロウは日本語教育を受けていない。というか、南極首都人はみな○○系と名乗っているが、母国語が話せる人は少ないだろう。ほとんどの人間が英語で事足りているのだ。
「すみません。俺、日本語わからないんです」
「あら、それは残念です。名前から同郷の方かと思っていました。猫舌っていうのは、熱いものが苦手な舌ってことです。直訳しても通じないんですね……」
「じゃあ、私は〝cat tougue〟だ。こんな感じであってる? サクラコ」
ココアに舌を近づけながらシルヴィアが言う。サクラコは笑顔を咲かせると「そうです」と嬉しそうにした。
「言語の壁っていうのは時に厄介だけど、ある時にはその国の感性が詰まっていてすごく文学的になる」
シルヴィアはそれだけを言うと、席を立って食堂のカウンターに歩みを進める。氷をもらいに行ったのだろう。熱い飲み物に挑戦するのはあきらめたようだ。
「なんだか、シルヴィアちゃんって年齢にそぐわず、大人っぽいこと言うんですね。十六歳ってあんな感じだったかなぁ」
「そうですか?」
サクラコはシルヴィアの背中を見つけて呟いた。
シュンロウはサクラコの意見に少しだけ驚いた。シュンロウはまったく逆のことを思ったからだ。随分優秀な人間が妄想じみたようなことを言うものだと。
「何の話してた? 私の噂とか?」
「シルヴィアちゃんがかわいいって話です」
「ふうん。氷もらってきたからこれで飲める」
シルヴィアはサクラコからの誉め言葉にあまり頓着せず、ココアの中にぽちゃぽちゃと氷を落とす。やっと飲める、そんなタイミングに廊下の先の方から外套をはためかせたズーが歩いてきた。その後ろには陰になって隠れて、小柄なリリスがついてきている。
「初めての本番飛行お疲れ様。無線の不調について技術部に報告してきたけど、目立った問題点はなかったから、明日もこの調子で任務にあたる予定。いいかな?」
ズーが確認をとると、誰も否定する者はいなかった。
「ご苦労様です、リーダー。コーヒーを持ってきましょうか」
サクラコが気を使ってズーに尋ねると彼は快く頷いた。
「じゃあ、いただこうかな。反省会もしたいし……ってあれ、リリスは?」
誰もが気づかない一瞬のうちにツインテールが姿を消している。きょろきょろと見渡すが痕跡一つない。
「……彼女はちょっと難儀だね」
苦笑いを見せながらズーは席に腰を下ろす。
「今までは大した悪いうわさも聞かなかったし、今回のチーム分けに拗ねているだけだろうけど。……じゃあ、会議を始めようか」
コーヒーを持ってきたサクラコに軽く会釈すると、ズーは目の前にB5サイズの紙を数枚広げた。紙の右上にはそれぞれメンバー五名の名前が記入されている。
シュンロウは自身の名前が書かれている紙を目の前に寄せられて、それをのぞき込んだ。
「飛行の度に算出される君たちの能力値だ。わかりやすくグラフにされたものを用いて会議を進めて行こうと思う」
項目は五つに、レーダーチャートの形式で示されている。シュンロウは自身のチャートは凹凸の差が大きいことに肩を落とした。逆に言えばこのへこんだ部分を伸ばせと言うことなのだろうが。
シュンロウは少し周囲の評価も気になって、横目で盗み見た。
シルヴィアはかなり安定しているきれいな五角形に近いグラフだ。しかし備考欄に、会話が少ないため意思疎通が図りづらいと書かれていた。シルヴィアは真剣な目つきでその短い一文を見つめている。
リリスはこのチームに配属されたことに不満を持つだけあって、十分なパイロットとしての能力を持っているらしい。これはズーが作成したグラフではなく、前のチームで作成されたものらしいが。
最後はサクラコ。
シュンロウが少しだけ視線をずらすと、それに気づいたのかサクラコが素早く手前に引き乗せて紙を取り上げた。
「……わかりました。会議はどんな内容で進めていくんですか?」
サクラコは一瞬闇が差したような表情を見せたかと思うと、いつも通りの優しい表情に戻ってズーに尋ねた。
ズーは腕を組み全員の能力値をざっと流し見る。
「とりあえずグラフから苦手分野を分析して、明日の任務で何か一つ達成するための目標を立てよう。次の日はそれがうまくできたかどうかも話し合えるといいかな」
「なるほど」
シュンロウは頷く。着実な方法だ。訓練学校でも同じようなことをやっていたが、あの時は時間に追われていて、部分的におろそかになりがちだった。ここで克服できるのなら、うれしいことはない。
「じゃあ、まずシルヴィアから。簡単なことでいいよ」
「……自分から話しかけてみる」
「いいね。もう少し簡単なことでもいいよ。例えば、進んで相槌を打つとか」
「相槌……。わかった」
シルヴィアはこくんと頷くと、ボールペンを取り出して紙面の目標欄に書き込んでいく。きれいな筆記体だ。今時珍しい。
「じゃあ、次。シュンロウ」
「俺は……深呼吸を心がけます。できるだけ焦らないように」
「具体的にできたかできていないかで分けられる目標がいいね。例えば、アドバイスや忠告を受けたらその都度声に出して繰り返してみるとか」
目標を達成できたか、できていないかは数値的にはっきりと分かった方がいい。
シュンロウはじゃあそれで、と頷きながらシルヴィアと同じように書き入れた。
「サクラコは目標の立て方わかってるよね?」
「……はい」
「じゃあ、考えたら僕の部屋に持ってきて。君は司令官だから個別に見よう」
ここで目標を立ててもいいのに、シュンロウはそんな考えがよぎったが首を横に振った。リーダーなりの考えがあるのだろう。
「こんな感じの軽い会議だけどね。必ずした方がいいから、毎日やっていこうと思う。今日はこれで解散」
ズーはマグを空にすると音もなく立ち上がって、サクラコに軽い目配せをした。
ただ、目標を自室に伝えに来いと言う合図なのだと、シュンロウは信じて疑わなかった。
サクラコが静々と自室にやってきて目標を淡々と告げ、去っていったあと。ズーは自身の濡れた長い髪を結いあげながら、鏡の中の自分と問答を繰り広げていた。
新しいチームの、それも初めてリーダーとして任命されたズーはかなり、というか不安でしかなかった。風呂上がりのせいで髪からしずくがしたたり落ちる。切るタイミングを失ってしまって長らくになる髪をちらりと見やって、タオルで水気を拭った。
新人の二人は優秀だ。
シルヴィアは意思疎通が苦手そうだが、他人の意図をくみ取ることを困難としない。問題点も模範解答を見つけて自身の処理できてしまうので、首席卒業なだけある。
シュンロウは自己評価があまり高くないように見えるが、実際の能力値は悪くない。とんでもない何かをしでかすのではないか、そんな懸念が湧いて出てこない堅実なパイロットだ。
問題はサクラコだった。白縫櫻子。
「今日の僕たちの任務は確認した?」
食堂前に張り出された任務表は、各自に配布されているウェアラブル端末に今朝送られてきていたものと同様だ。
ズーは食堂前の人だかりを横目で見て、チームメンバーへ思い出したかのように言った。全員がそれぞれに頷いたのを確認すると、朝食の食パンを齧りながらズーが紙の地図を広げる。
「今日の任務場所であるD地区っていうのは、昨日僕たちが戦闘機で差し掛かったあたりだ。比較的敵も少ない場所だけど、今から二週間前に大規模な戦闘があった」
「異常発生」
「そう。シルヴィアの言う通り、その時は好戦的な地下生物たちが大量発生するという異常事態に見舞われた。今日はそれの回収に向かう」
シュンロウは地図をのぞき込みながら、いつもより手元が慎重になってロールパンにバターを塗り広げた。
任務は遺骸回収なので、戦闘にまで至るかは不明だが、昨日の飛行の緊張感が思い返される。
「僕もそれに参加していたけれど、体感的には百を超える回収になるだろうと思う。一度に回収できるのは大体五体分だから、四往復だね」
「つまり早く見積もっても二、三時間かかるわね」
「そうだね。それに物事はたいてい計画通りに進まない。四時間で終わればいい方だと思う」
ズーはいつの間にか朝食を食べ終えていて、食後のコーヒーを素早く飲み干すと、トレーを持って立ち上がった。
「九時にロビー集合でいいね。遅れないように」
紙の地図を横着して掴むと、ズーは返却カウンターの方へと向かった。
シュンロウはロールパンをちぎって口に放り込む。そのまま無意識に腕時計に目をやった。時刻は七時半。これから機体の点検に向かって、任務の流れを整理して、九時に集合。そう順序立てるうちに、シュンロウは慌てて口に残りを詰め込んだ。
自分はまだ新人なのですべてがスムーズに進むはずがない。
シュンロウもまたコーヒーのマグを空にすると、立ち上がった。
「お先に失礼します」
シュンロウは自身が誰よりも劣っていることを知っている、というところが自身の長所であることをまだ自覚していない。
リリスがふうん、とどこか認めたような目つきでシュンロウの背中を追っていることに、シュンロウ自身が気づくことはない。
シュンロウがパイロットスーツ姿で、機体点検を行っていると声を掛けられた。機体の下にもぐっていたので、シュンロウは驚きで体を起こすとそのまま機体に身体をぶつけてしまった。いつもならこんな漫画のようなドジをやらかさないのだが、やはり緊張しているらしい。シュンロウはぶつけた肩をさすりながら、機体の下から顔を出した。
「なんでしょう」
「点検を欠かしてないね」
「リーダー」
シュンロウが慌てて機体から出て敬礼をしようとすると、ズーはいやいやと引き留めた。
「そうかしこまらなくていい。点検も続けて。僕のこともズーと呼んでくれていいし、むしろそちらを推奨するよ。短くて簡潔だしね」
「わかりました」
ズーは少し仕切り直しにと咳払いをして、ところでと話題を変えた。
「君から見てメンバー全員の印象を教えてくれるかな」
「印象ですか?」
「そう。チーム作りの参考しようと思ってね。もちろんほかのメンバーにも聞く予定だ」
シュンロウは遺骸回収のための空間の扉を開いて、中を覗き込んだ。
傷なし。開閉時の軋みなし。ロックもきちんとかかる。よし。
「リリスさんは協調性がないですけど、結構わかりやすい性格ですよね」
「詳しく聞いてもいいかな」
「……なんというか、反抗期みたいな」
シュンロウの意見に言い得て妙と思ったのか、ズーは肩を揺らした。
「うん、確かに」
「それからシルヴィアは……、学校時代よりずっと凄さが身に沁みます」
「学校でも結構な噂だったんだね? 確かに彼女は冷静で、脳内予想と現実のブレが少なそうだ。まさに理想的なパイロット像」
「はい」
シュンロウは機体から少しだけ顔を覗かせて、機体に顔を近づけるズーを見上げた。
「ズーさ……ズーはしっかり者だと思います。親しみやすいし、リーダーに任命されたのも納得がいきます。それからリリスさんと同じチームに組まされたのも」
「実は、それは僕も思ってる」
ズーは肩をすくめて笑う。リリスの持つとげの隙間にうまく入り込んで、他の丸い分子とくっつける役割。それがズーの隠された任務だと思う。
「サクラコは?」
ズーは少しだけ声色を暗くしてシュンロウに尋ねてきた。
「サクラコさんですか? 彼女は……彼女はいい人だと思いますけど。でもあれ? ズーと違ってそこまで柔軟性があるとも思えないというか……。よくわからなくなってきました」
「うん」
ズーはシュンロウのその回答を想定していたようだった。別段言葉に詰まったことに咎めもせず、頷くだけをする。
「面倒なことには関わりたくないだけ、というのも違うような……」
シュンロウが機体に焦点を合わせることなく、サクラコの昨日の言動を思い返してみる。しかしうまく像が結んでくれない。
ズーはもう一度深く頷くと、じゃあと口を開いた。
「はい」
「君の一週間の個人的な課題にしてもいいかな? サクラコの性格や特性を簡潔にまとめる、という課題名で」
「……」
シュンロウは新しい課題が増えたことに沈黙した。実験的な課題なのか、逆に自分が測られているのかは不明だが、ともかく課題が増えるのはあまりよろしくない。
「返事は?」
ズーの聞き返しに、シュンロウは慌ててイエスと答えた。リーダーの命令だ。拒否権はない。
「は、はい」
「よし。話しかけて悪かったね。また後で」
「はい」
ズーはさっさと部屋を出ていった。シュンロウはぼんやりとしながら機体の下から出ようとして、また肩をぶつけた。注意散漫になっている。
シュンロウは頬を手のひらでたたいて、集合前にもう一杯コーヒーを飲んでおこうとプランを組み替えた。
「このチーム分けは意図的だと考えた方がいいかもしれない。管理部はきっとすでにこの問題に気付いているだろうからね」
ズーは真剣な面持ちで腕を組んだ。
「……あたしたちを試してるって言いたいの?」
「いや。どちらかと言えば、秘密裏に調査を進めるための部隊が欲しかった、ってところじゃないかな。急なチームの組みなおしはある種のダミーだったってわけだよ」
リリスは眉間にしわを刻むが、ズーはいたって冷静に切り返した。
ダミー。
シュンロウは口の中で反芻した。
つまり、よく言い換えれば選抜メンバーと言うわけだ。ならばなぜ、シュンロウとサクラコのがこのチームに配属されているのか、それが疑問だった。
ズーの優秀さはこの数日間で十分に分かった。リリスも態度は反抗的だが、横着なことをせず、プライドに見合った実力の持ち主だった。小柄な体格に負けず、トレーニングも欠かしていない。シルヴィアには実験要素が多少なりともあっただろうが、学生時代の成績は卒業を早送りにしようという声もあったほどだ。
ならシュンロウとサクラコには何がある?
サクラコはまだ少し危なっかしいところがあるし、シュンロウはこのプロの世界に足を踏み入れてから平均ですらなくなった。
「このメンバーには何らかの意図がある。きっといいように作用させるためにね」
「ズーは能天気よね。まったく、この中から犯人捜しをさせるためだと思わないの?」
リリスは煽りながら鼻で笑った。
「そうかもね」
「こういう時、ずっといい人ぶってるズーが一番怪しいものだし」
「やめてください!」
ズーは一貫して表情を崩さなかった。その前にサクラコが叫んだからだ。サクラコはまるで自分が責められているかのように、今にも泣きだしそうだ。
「やめてください。こんな……不毛です、犯人探しなんて。とにかく憶測で動き続けるのは危ないと思います。……わたしは、ですけど」
リリスの睨みに怖気づきながらもサクラコは主張する。これにはシュンロウも賛成だった。
「俺もサクラコの言う通りだと思います。変に言い争っても物事は進展しないので、まずはもっと調査を進めましょう」
「私も賛成」
シルヴィアのささやかな同意もあって、リリスは面白くなさそうに下唇を噛んだ。
「何それ。あたしが悪いみたいじゃない」
「みんな一晩頭を冷やした方がよさそうだし、とにかく今日は解散しよう」
再び火種を撒き始めたリリスを遮って、ズーは強引に話を終わらせた。
シルヴィアはリーダーの命令と捉えたようで、迷うことなく礼をして背中を向ける。リリスは軽く地団駄を踏んで、サクラコは相変わらず悲しそうな顔で頭を下げて去っていった。
残ったズーはシュンロウに少しだけ申し訳なさそうな視線を向けると、それにしては大股にどこかへ消えて行った。
シュンロウは崩壊しかけているチームバランスへの言い得ぬ不安をかき消そうと、人少なく寂しい廊下から抜け出すべく、駆け足気味に誰とも違う方へ歩き出した。