第七十三話「幻影の迷宮、浅草の戦い」
東京の夜空は、不気味な暗雲に覆われ、静かな緊張感が街全体を包み込んでいた。バー『RETRIEVER』の地下室では、咲と鳴瀬詩音が、結人がモニターに映し出した、新たな敵のデータファイルに言葉を失っていた。それは、裏社会の頂点に立つ、**『七つの屋号』**と呼ばれる者たちだった。その時、地下室の入り口が、何者かによって、物理的に、そして概念的に、開けられたことを知らせる警告音が鳴り響いた。
「くそっ……! いきなり、本丸かよ……!」
咲は、そう言うと、P90を構え、地下室の入り口へと、銃口を向けた。しかし、そこに現れたのは、敵ではなかった。そこに立っていたのは、二人の男女、**『探し屋』(さがし屋)の明里 芽生と、『運び屋』(はこびや)の黒崎 悠真**だった。彼らは、まるで、この地下室の存在を、最初から知っていたかのように、そこに立っていた。
「あなたがたが、『奪還屋』の……。私たちは、あなたたちに、依頼があって、ここに来ました。私たちを、**『横取り屋』(よこどりや)の狐崎 幻**から、護ってほしいのです」
悠真は、深い疲労と、しかし揺るぎない決意を滲ませて、そう言った。彼の言葉は、二人の心に、新たな使命への火を灯した。
咲と詩音は、顔を見合わせた。彼らは、これまでの戦いで、多くの『カオスの使徒』と戦ってきた。しかし、裏社会の頂点に立つ者たちから、直接、依頼を受けるのは、初めてのことだった。
「どうする、詩音。俺たちの『奪還屋』としての仕事は、もう終わったはずだぜ……」
咲は、そう言うと、詩音に、選択を委ねた。彼女の心の中には、まだ、深い疲労と、そして、これ以上、戦うことへの絶望感が、渦巻いていた。
「いいえ。私たちの『奪還屋』としての仕事は、まだ終わっていないわ。彼らは、私たちと同じ、この世界の『真実』を護るために、戦っている……。ならば、私たちは、彼らを、護らなければならない」
詩音は、そう言うと、力強く、そして静かに、そう言った。彼女の『光』の能力が、二人の心に、深い悲しみと、そして、しかし、揺るぎない希望が宿っていることを、正確に読み取っていた。
「分かったぜ、詩音。お前が、そう言うなら……。俺たちの『奪還屋』としての、最後の仕事を、始めようぜ!」
咲は、そう言うと、力強く頷いた。彼女の心は、もはや、過去のトラウマに囚われることはなかった。彼女は、師匠から託された『真実』を胸に、新たな戦いへと、向かうことを決意した。
「ありがとうございます……! あなたたちの『光』が、私たちの『希望』です……!」
悠真は、そう言うと、安堵の表情を浮かべた。
「でも、どうやって、奴を、見つけ出すんだ? 奴は、相手の『記憶』に干渉し、完璧な『幻影』を見せることができる……。奴の居場所を、特定することは、不可能だぜ……!」
咲が問う。
「大丈夫です。私の能力は、この世界の、あらゆる『情報』を、瞬時に『探し出す』ことができる……。そして、私の能力は、奴の『幻影』を、見破ることができます。奴は、今、この街のどこかに、潜んでいる……。私が、奴の居場所を、探し出します」
芽生は、そう言うと、静かに目を閉じた。彼女の『探索』の能力が、この街に潜む、見えない『幻影』の波形を、正確に捉え始めた。
「見つけました……! 奴は、この街の、最も古い『記憶』が残されている場所に、潜んでいる……! その場所は……浅草寺です!」
芽生の言葉に、二人の心に、新たな緊張が走る。
東京の夜空に、浅草寺の雷門が、不気味に浮かび上がっていた。その門をくぐると、まるで、そこだけが、時間の流れから取り残されたかのように、古めかしい、しかし、どこか懐かしい風景が広がっていた。それは、狐崎 幻の『幻影』の能力によって、作られた、完璧な『迷宮』だった。
「ようこそ……。我が『幻影』の迷宮へ……。この迷宮は、お前たちの『記憶』を、過去の『幻影』で、埋め尽くす……。お前たちは、この迷宮から、永遠に出ることはできない……!」
狐崎 幻は、そう言うと、不気味な笑みを浮かべ、二人に話しかけた。彼の顔は、夜の闇に包まれ、見えない。しかし、咲は、その男から、底知れない、そして、しかし、どこか無機質な『幻影』の波動を感じ取っていた。
「くそっ……! ここは、まるで、俺たちの『記憶』が、具現化したみたいだぜ……!」
咲は、焦りを露わにする。彼女の周囲の空間が、万華鏡のように歪み、どこが現実で、どこが幻影なのか、分からなくなっていた。彼女の脳裏に、師匠との、楽しかった日々が、まるで、走馬灯のように、蘇ってくる。それは、彼女の心を、深い悲しみと、そして、しかし、揺るぎない闘志で満たしていた。
「咲! 落ち着いて! この『幻影』は、あくまで、私たちの『心の秩序』を揺さぶるためのものよ! 奴は、私たちの『記憶』が、壊れるのを待っているんだわ!」
詩音が、叫ぶ。彼女の『光』の能力は、幻の能力によって、激しく揺れ動いている。しかし、詩音は、自身の『意志』を信じ、決して揺らがなかった。彼女は、幻の能力の波形を正確に読み取り、その本質が、物理的な力を伴うものではないことを見抜いていた。それは、あくまで、人々の『記憶』を、無秩序へと変えるための、精神的な攻撃だった。
「そうだ……! 俺たちの『秩序』は、俺たち自身が、護り抜かなければならない! 俺たちの『絆』が、俺たちの『秩序』だ!」
咲は、そう言うと、自身の『光』の力を、詩音へと送り出した。
二人の『光』が、一つになる。それは、幻の『幻影』の力を、はるかに凌駕する、強大な輝きだった。
「馬鹿な……! なぜ、君たちの『光』が、私の『幻影』を……!」
幻は、驚愕の表情を浮かべた。彼の『幻影』は、二人の『絆』によって、完全に無力化されていたのだ。
「お前の『幻影』は、俺たちの『絆』の前では、無意味だ! 俺たちは、どんな迷路にも、迷わない!」
咲は、力強く叫び、幻に向かって駆け出した。
しかし、その時、幻の姿が、一瞬にして、夜の闇に溶け込み、彼の声が、浅草寺のあちこちから、まるで反響するように、聞こえてきた。
「フフフ……。君たちは、私を倒すことはできない……。私は、この街の『記憶』を、完全に消し去るまで、君たちの前に、姿を現すことはない……!」
幻の声は、不気味な笑い声と共に、夜空へと消えていった。
「くそっ……! 奴は、この街の『幻影』に、溶け込んでしまったのか……!」
咲は、怒りを隠せない。彼女は、もはや、どこに幻がいるのか、分からなかった。
「大丈夫よ、咲。奴は、この街の『記憶』を、全て消し去るまで、姿を現さないと言った……。ならば、私たちは、奴が、この街の『記憶』を消し去る前に、奴を見つけ出し、倒せばいい!」
詩音は、冷静に言った。彼女の『光』の能力は、幻の能力の波形を正確に捉え、その本質が、この街の『記憶』を、無秩序へと変えることにあると見抜いていた。
「どうやって、奴を見つけ出すんだ、詩音? 奴は、この街のどこにでもいる……!」
咲が、焦りを露わにする。彼女のP90の銃口は、不気味な幻影で満たされた街を、彷徨っていた。
「奴の能力は、この街の『記憶』を、無秩序へと変えること……。ならば、私たちは、奴が、この街の『記憶』を消し去る瞬間を、私たちが、見つけ出せばいい!」
詩音は、そう言うと、自身の『光』の力を、街を流れる『記憶』の波に、同調させた。彼女の脳裏に、この街の人々の、ごく個人的な、しかし、確かな『記憶』の断片が、まるで洪水のように流れ込んできた。それは、親子が手をつないで歩く『記憶』、恋人たちが語り合う『記憶』、そして、この街の未来を夢見る人々の『記憶』……。それらの『記憶』は、まだ歪められていない。
「これらの『記憶』は、まだ歪められていない……! 幻は、この街の全ての『記憶』を、一度には消し去れないんだわ! ならば……!」
詩音は、一つの仮説にたどり着いた。
「ならば、奴は、この街の『記憶』を、より効率的に消し去るために、ある『場所』を、拠点にしているはずだ……! そこは、この街の『記憶』が、最も強く、そして広く共有されている場所……! その場所は、この街の、全ての『記憶』の源……!」
詩音は、その『場所』がどこなのか、直感で理解していた。それは、彼女自身も、この街で、たくさんの『記憶』を見出した場所だった。
「咲……! 奴の居場所が分かったわ!」
詩音は、そう言うと、走り出した。彼女の瞳は、一点を見つめている。その場所は、日本の『秩序』を護る、最後の砦だった。




