第七話「決別と再会」
あれは、夏の終わりの出来事だった。
『奪還屋』としての咲が、その表舞台から姿を消した日。
巨大な失敗――というにはあまりにも理不尽な濡れ衣を着せられ、彼女は裏社会からも、そして愛する街からも追放された。
「行く必要はないわ」
詩音の声は、いつもと同じく平坦だった。だが、その瞳には明らかな動揺が揺れていた。
「これも、私のケジメだ」
咲はそう言い残し、夜の闇へと消えていった。小柄な背中が、どこまでも小さく見えた。
残された詩音は、ただ一人、バー『RETRIEVER』のカウンターで虚空を見つめていた。如月結人は、心配そうに彼女の様子を伺う。
「……どうするんだ、詩音。咲がいないと、奪還屋は――」
「続けるわ」
詩音は、静かに答えた。その声には、一切の迷いがなかった。
「咲が戻ってくる場所を、私が守る」
それが、詩音なりの決意表明だった。
しかし、咲がいない「奪還屋」は、以前のような輝きを放てない。依頼は激減し、裏社会での信用も揺らいでいた。
詩音はそれでも、どんな小さな依頼でも引き受けた。
奪われたペット、盗まれた思い出の品、消えた子供の絵。
報酬は雀の涙ほど。だが、依頼人の「失われたものを取り戻したい」という切なる願いは、彼女の心を支え続けた。
彼女は単独で動く時、レミントンM700を携行することはなかった。代わりに選んだのは、取り回しの良いP90と、片手に収まるCZ75。
長距離での精密な狙撃は、咲の援護があるからこそ最大限に活かせる。咲がいない今、詩音は「動く狙撃手」として、自身の戦闘スタイルを変化させていった。
P90は、その豊富な装弾数と速射性を活かし、複数の敵を同時に無力化する。彼女は走る標的の足元、腕、肩と、素早く弾を散らすことで、相手の動きを確実に止めた。
CZ75は、より危険な近接状況で真価を発揮する。狭いアパートの一室、薄暗い倉庫の中。詩音は敵の気配を読み取り、扉が開くと同時に弾丸を放つ。それは、相手が反撃する間もなく意識を刈り取る、まさに「無音の閃光」だった。
半年が過ぎた頃、裏社会では新たな噂が流れ始めていた。
「『Silent Trigger』は消えたが、その片割れが、『静かなる奪還屋』として暗躍している」と。
依頼内容は、次第に大きくなっていった。
ある日、詩音の元に、以前とは比べ物にならないほど大規模な依頼が舞い込んだ。
『新興マフィア「ブラッドハウンド」に奪われた、証券会社の極秘データを取り戻してほしい』
情報屋の結人ですら、「これは危険すぎる」と眉をひそめるほどの、裏社会を揺るがすビッグゲームだった。
詩音は迷わず引き受けた。
「この依頼を成功させれば、奪還屋の信用は戻る。咲が戻ってくる場所を、揺るぎないものにできる」
彼女はそう、自分に言い聞かせた。
ブラッドハウンドのアジトは、かつての地下要塞を改造した、難攻不落の城塞だった。
詩音は単独で潜入を試みる。
レーザーセンサー、圧力センサー、人感センサー。いくつもの罠を、彼女は研ぎ澄まされた五感と、事前に結人から得た情報で回避していく。
P90を構え、壁の僅かな隙間から侵入した詩音は、最初の関門である監視室へ向かった。
監視カメラの映像をハッキングするため、小型のEMP発生装置を投げ込む。だが、それは予想外にも機能しなかった。
「……バックアップシステムがある」
詩音は小さく舌打ちし、P90を素早く構え直した。
扉の向こうから、複数の足音が迫ってくる。ブラッドハウンドの兵士たちだ。
狭い通路での戦闘。詩音はP90を構え、トリガーを引く。
ダダダダッ!
ゴム弾が高速で飛翔し、兵士たちの膝や胸を正確に打ち抜く。彼らは悲鳴を上げる間もなく、その場に倒れ込んだ。
リロード。新しいマガジンを素早く装填する。この一連の動作に、一切の無駄はない。
さらに奥へ進むと、屈強な兵士たちが待ち構えていた。彼らは単なるチンピラではない。組織の精鋭、元軍人崩れだ。
詩音は銃を構え、冷静に敵の動きを予測する。
一人が突進してきた。詩音は冷静に引き金を引く。P90のゴム弾が兵士の肩を正確に撃ち抜くが、彼は怯まない。防弾ベストの上からでも、その衝撃は強力なはずなのに。
(……効かない?)
その兵士は、特殊なプロテクターと、痛みを感じさせない薬物を投与されているようだった。
詩音は即座に判断を下した。
「CZ75、神経節狙い」
P90を背負い、片手にCZ75を構える。至近距離での精密射撃に切り替える。
兵士が剣を振り下ろしてきた瞬間、詩音は体を低くかわし、CZ75の銃口をその腕のわずかな隙間、尺骨神経が通る部位に正確に押し当て、引き金を引いた。
パンッ!
ゴム弾が神経を直撃し、兵士の腕は痙攣を起こし、剣が手から滑り落ちる。
別の兵士が背後から迫る。詩音は体を回転させ、その首筋にCZ75の銃口を突きつけ、再びゴム弾を撃ち込む。
意識が飛び、兵士が崩れ落ちる。
全てを無力化し、詩音は目的のデータがあるサーバールームへと到達した。
しかし、そこにデータはなかった。代わりに、壁には無数のモニターが設置され、その全てに「咲」の顔が映し出されていた。
咲が、どこかの施設で拘束されている。
「……これは、何かの罠?」
その瞬間、部屋の奥から声が響いた。
「ご名答だ、静かなる奪還屋」
現れたのは、ブラッドハウンドのボス、ドミニク。残忍な笑みを浮かべた大男だ。
「極秘データなど存在しない。お前を誘い出すための餌だった」
ドミニクの背後には、彼の護衛たちが銃を構えている。詩音は冷静にCZ75を構え直す。
「咲を、どこへやった?」
「安心しろ。お前のパートナーは生きている。だが、ここで『静かなる奪還屋』が消えれば、奴も無力になるだろうな」
詩音は引き金を引こうとした。その時――
「詩音、撃つな!」
懐かしい声が響いた。
天井の換気ダクトから、咲が飛び降りてきたのだ。彼女の表情は、怒りに燃えていた。
「咲……!」
「無事か、詩音」
咲はすぐにドミニクの護衛の一人に飛びかかり、その首筋に手刀を叩き込み、無力化した。
「咲……どうしてここに?」
「あんたが、こんな危ない依頼を受けたと聞いて、放っておけるわけないだろ。あんたは一人で背負い込みすぎなんだよ」
咲は苦笑しながら言った。
「それに……『Silent Trigger』は、二人で一つだ」
その言葉に、詩音の心に温かい何かが灯った。
ドミニクは苛立ち、叫んだ。
「何だ、お前は! また奪還屋か!」
「私たちは『Silent Trigger』。そして、お前が奪ったものは、全て取り戻す」
咲はそう言い放ち、ドミニクに迫った。
二人の、完璧な連携が復活した。
咲が肉弾戦でドミニクの護衛たちを次々と制圧する。P90を持つ詩音は、咲の動きを邪魔しないように、そして誤射しないように、正確に護衛たちの足を打ち抜く。
ドミニクは、咲に銃を向けた。
「この小娘が!」
詩音のCZ75が火を吹いた。ゴム弾がドミニクの手首を正確に撃ち抜き、銃が地面に落ちる。
そして、咲の回し蹴りがドミニクの側頭部を捉え、大男はそのまま昏倒した。
「任務完了」
詩音の声が響く。
ドミニクの拘束後、彼のアジトを捜索すると、咲が拘束されていた部屋が見つかった。
しかし、咲は既に自力で脱出していたらしい。詩音は、咲の能力の進化に驚きを隠せないでいた。
全てが終わった後、二人はバー『RETRIEVER』に戻っていた。
「心配かけたな、詩音」
「……いいえ。あなたがいなければ、この依頼は成功しなかった」
詩音は素直に答えた。
「私たちは、一人じゃ無理だ。それが、今回の収穫だな」
咲の言葉に、詩音は珍しく口元を緩めた。
「ええ。だから、これからも……」
「もちろんよ」
夜が更け、都市の灯りが輝く。
『Silent Trigger』――無音の引き金は、再び、二人で引かれることになった。
決別を経て、より強固になった二人の絆と共に。