第六十七話「無秩序の支配者、終焉の舞台」
東京の夜空を、不気味な暗雲が覆い始めていた。それは、街の光を吸い込むかのように、ゆっくりと、しかし確実に、その範囲を広げていく。バー『RETRIEVER』の地下室では、咲と鳴瀬詩音が、最後の戦いへの準備を整えていた。如月結人がモニターに映し出した、新たなデータファイルは、『カオス』と呼ばれる男の恐るべき計画を、明確に示していた。
「この男は、これまでの『カオスの使徒』とは、比べ物にならない……。彼の能力は、あらゆる『秩序』を、根本から破壊する……。僕たちの『光』の能力でさえ、奴の『無秩序』の前では、無力になるかもしれない……」
結人は、震える声で言った。彼のモニターには、東京の都心部に位置する、複数の重要施設が、彼の『無秩序』の能力によって、不可逆的に崩壊していく、シミュレーション画像が表示されていた。
咲は、カウンターに座り、P90の感触を確かめるように、軽く握りしめていた。彼女の心は、これまでの戦いを乗り越えてきた、確かな『意志』で満たされている。しかし、同時に、彼女の『光』の能力が、この男の存在に、微かな、しかし、底知れない恐怖を感じているのを感じていた。
「くそっ……! 奴は、俺たちの『絆』さえ、物理的な力で、引き裂くことができる……? そんな化け物と、どうやって戦えばいいんだ……!」
咲は、焦りを隠せない。彼女の『光』の能力は、物理的な事象に干渉することはできるが、このように、概念的な力を、物理的な形で、破壊する能力には、どう対処すればいいのか分からなかった。
鳴瀬詩音は、レミントンM700を構え、静かに答えた。彼女の横顔には、新たな決意と、未来を見据える揺るぎない力が宿っていた。
「大丈夫よ、咲。奴は、確かに、あらゆる『秩序』を破壊する力を持っている。でも、奴の能力は、あくまで、この世界の『秩序』を、無秩序へと変えること……。ならば、私たちは、奴の『無秩序』を、私たちの『光』で、打ち破ればいい!」
詩音は、そう言うと、静かに目を閉じた。彼女の『光』の能力は、この街の『秩序』の波形を正確に捉え、その本質が、人々の『意志』の集合体であることを見抜いていた。
その時、地下室のメインシステムが、再び警告音を鳴らし始めた。しかし、その警告音は、これまでのような敵のハッキングや、エネルギー反応を示すものではなかった。それは、この東京の街の、複数の場所で、同時多発的に発生した、不可解な『現象』を知らせるものだった。
「どうした、結人!?」
咲が問うと、結人は、モニターに表示された現象のログを、信じられない、という表情で凝視していた。
「これは……! 都心の複数の場所で、まるで、空間が『無秩序』に崩壊していく現象が起きています! 場所は、東京タワー、東京駅、そして、国会議事堂……!」
結人の言葉に、咲と詩音は、息を呑んだ。
「これは……『カオス』の能力だわ……! 彼は、この街の『秩序』を、完全に破壊しようとしている……!」
詩音は、そう言うと、レミントンM700を背負い、駆け出した。
「くそっ……! やっぱり、奴が、本命だったか……!」
咲は、P90を構え、詩音の後に続いた。
二人が地下室を飛び出すと、東京の街は、既に、無秩序の渦に飲み込まれようとしていた。
東京タワーの鉄骨は、まるで、折り紙のように不規則に歪み、東京駅のレンガは、まるで、生きているかのように、不規則な模様に変化し、通行人たちの目を眩ませる。
「信じられない……! こんなことが……!」
咲は、驚きを隠せない。彼女の『光』の能力が、この異変に、激しく反応しているのを感じていた。
「これは、これまでの『カオスの使徒』の能力を、全て統合した能力だわ……! 彼は、この街の『秩序』を、徐々に、そして確実に、破壊している!」
詩音は、自身の『光』の能力で、街に流れる『無秩序』の波を分析していた。彼女の瞳には、人々の心に宿る『秩序』が、まるで水面に描かれた波紋のように、不規則に歪められているのが見えた。
「くそっ……! 見えない敵と、どうやって戦えばいいんだ!」
咲は、焦りを隠せない。彼女の『光』は、物理的な攻撃や精神波には対応できるが、このように、空間そのものを、そして人々の『意志』を破壊する能力には、どう対処すればいいのか分からなかった。
その時、二人のインカムに、結人の緊迫した声が響いた。
「咲さん、詩音さん! カオスは、この街の『中心』にいます! 彼は、この街の『無秩序』を、彼の『意志』のままに、操ろうとしています!」
結人の声は、焦りと、そして深い恐怖に満ちていた。彼のシステムでも、この異変を、完全に解析することはできないでいた。
「結人、奴の居場所は!?」
咲が問う。
「それが……分からないんです! 奴の能力は、自身の存在を『概念』へと変えている。だから、僕のシステムでも、奴の居場所を特定できないんです!」
結人の言葉に、二人の心に、絶望がよぎる。しかし、詩音は、自身の『光』の力を信じ、冷静に分析を続けた。
「待って、結人……! 奴の能力には、きっと、何らかの『法則』があるはずよ! 『無秩序』は、『秩序』がなければ存在しない……! 奴は、きっと、この街の『秩序』が、最も強く、そして広く共有されている場所に、潜んでいるはずだわ!」
詩音は、そう言うと、自身の『光』の力を、街を流れる『秩序』の波に、同調させた。彼女の脳裏に、この街の人々の、ごく個人的な、しかし、確かな『秩序』の断片が、まるで洪水のように流れ込んできた。それは、通勤路、通学路、そして、買い物の道……。それらの『秩序』は、まだ歪められていない。
「これらの『秩序』は、まだ歪められていない……! カオスは、この街の全ての『秩序』を、一度には破壊できないんだわ! ならば……!」
詩音は、一つの仮説にたどり着いた。
「ならば、奴は、この街の『秩序』を、より効率的に破壊するために、ある『場所』を、拠点にしているはずだ……! そこは、この街の『秩序』が、最も強く、そして広く共有されている場所……! その場所は、この街の、全ての『秩序』の源……!」
詩音は、その『場所』がどこなのか、直感で理解していた。それは、彼女自身も、この街で、たくさんの『秩序』を、護ってきた場所だった。
「咲……! 奴の居場所が分かったわ!」
詩音は、そう言うと、走り出した。彼女の瞳は、一点を見つめている。その場所は、日本の『秩序』を護る、最後の砦だった。




