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第五十七話「記憶の海、喪失の街」

丹波篠山に、不気味な秋の夕闇が迫っていた。夜の帳に包まれた街は、一見すると平穏に見えたが、その静寂は、不気味な異変によって破られようとしていた。バー『RETRIEVER』の地下室から飛び出したさき鳴瀬詩音しおんは、街の様子に言葉を失った。行き交う人々の顔は、皆、どこか虚ろで、まるで夢遊病者のように、同じ場所を何度も何度も行き来している。そして、街の風景そのものが、微かに、しかし確実に変化し始めていた。


「おい、あれを見ろ……!」


咲が指差す先には、数日前に開店したばかりのパン屋が、まるで最初から存在しなかったかのように、古い空き地に戻っていた。その空き地には、錆びついた自転車と、埃まみれの看板が、まるで過去の残骸のように転がっている。


「信じられない……! こんなことが……!」


咲は、驚きを隠せない。彼女の『光』の能力が、この異変に、激しく反応しているのを感じていた。彼女の心に、過去の記憶が、まるで幽霊のように、よみがえってくる。しかし、それは、彼女が覚えている記憶とは、微かに、そして確実に、違っていた。


「そして、この街路樹……。私が覚えているものと、違うわ……。これは……! 結人が言っていた、この街の『記憶』が、歪められているんだわ……!」


詩音は、自身の『光』の能力で、街に流れる『記憶』の波を分析していた。彼女の瞳には、人々の心に宿る『記憶』が、まるで水面に描かれた波紋のように、不規則に歪められているのが見えた。


「これは、アダムの能力……! 奴は、この街の『記憶』を、徐々に書き換えているんだ!」


詩音は、声を震わせながら言った。彼女の心に、過去の戦い、そして、光の心臓が引き起こした記憶の改ざんの恐怖が、再び蘇ってきた。しかし、今回の異変は、過去のそれとは、全く違うものだった。それは、もっと深く、そして広範囲に及んでいた。


「くそっ……! 見えない敵と、どうやって戦えばいいんだ!」


咲は、焦りを隠せない。彼女の『光』は、物理的な攻撃や精神波には対応できるが、このように、空間そのものを、そして人々の『記憶』を書き換える能力には、どう対処すればいいのか分からなかった。


その時、二人のインカムに、如月結人きさらぎ・ゆいとの緊迫した声が響いた。


「咲さん、詩音さん! やはり、アダムは、街の『記憶』を書き換えています! 彼の能力は、光と時間の心臓の力を、さらに昇華させたもののようです! 彼は、この街の『記憶』の奔流に干渉し、人々の『過去』と『現在』の情報を、歪ませています!」


結人の声は、焦りと、そして深い恐怖に満ちていた。彼のシステムでも、この異変を、完全に解析することはできないでいた。


「結人、奴の居場所は!?」


咲が問う。


「それが……分からないんです! 奴の能力は、自身の存在を『時間軸』から切り離している。だから、僕のシステムでも、奴の居場所を特定できないんです!」


結人の言葉に、二人の心に、絶望がよぎる。しかし、詩音は、自身の『光』の力を信じ、冷静に分析を続けた。


「待って、結人……! 奴の能力には、きっと、何らかの『法則』があるはずよ! 『記憶』を書き換えるためには、その『記憶』の源に、干渉しなければならない。その源とは……この街の、人々の『心の記憶』そのものだわ! 奴は、きっと、人々の『心の記憶』の集合体に、直接干渉している!」


詩音は、そう言うと、自身の『光』の力を、街を流れる『記憶』の波に、同調させた。彼女の脳裏に、街の人々の、ごく個人的な、しかし、確かな『記憶』の断片が、まるで洪水のように流れ込んできた。それは、親子が公園で遊んでいる記憶、恋人たちがカフェで語り合っている記憶、友人が笑い合っている記憶……。それらの記憶は、まだ歪められていない。


「これらの『記憶』は、まだ歪められていない……! アダムは、この街の全ての『記憶』を、一度には書き換えられないんだわ! ならば……!」


詩音は、一つの仮説にたどり着いた。


「ならば、奴は、この街の『記憶』を、より効率的に書き換えるために、ある『場所』を、拠点にしているはずだ……! そこは、この街の『記憶』が、最も深く、そして強固に刻まれている場所……! その場所は、この街の人々の心に、最も深く、そして広く共有されている『記憶』の場所……!」


詩音は、その『場所』がどこなのか、直感で理解していた。それは、彼女自身も、この街で、たくさんの『記憶』を刻んだ場所だった。


「咲……! 奴の居場所が分かったわ!」


詩音は、咲に呼びかけた。


「どこだ、詩音!?」


咲が問うと、詩音は、はっきりと答えた。


「この街の、一番高い場所……! かつて、この街の全てを見下ろしていた場所……! 丹波篠山城だわ!」


詩音の言葉に、咲は、ハッと息を呑んだ。丹波篠山城は、この街の歴史そのものだ。そこに、この街の全ての『記憶』が、深く、そして強固に刻まれている。アダムが、そこを拠点にするのは、理にかなっていた。


「よし、行こう! 奴を止める!」


咲は、そう言うと、丹波篠山城へ向かって走り出した。彼女の心には、新たな戦いの火が灯っていた。


しかし、その道は、容易ではなかった。街の『記憶』が歪められた影響で、道は迷路のように変化し、行く手を阻む。商店街の道が、突然、見慣れない住宅街に変わり、行く手を阻む。


「くそっ……! 道が……! まるで、街全体が、俺たちを拒絶しているみたいだ……! お前は、この街の記憶を歪ませて、俺たちの行く手を阻もうとしているのか……!」


咲が、焦りを露わにする。彼女のP90の銃口は、迷路のように変化する道に、行き場を失っていた。


「大丈夫よ、咲。私の『光』が、道を示すわ! 奴の能力は、この街の『記憶』を歪ませるもの。でも、私たちの『光』は、この世界の『真実』を護るためのものよ! 迷路に迷わされるな、咲!」


詩音は、自身の『光』の力を使い、街の歪んだ『記憶』の中にある、唯一の『真実』の道、つまり、丹波篠山城へと続く、正規の道筋を、咲の脳裏に描き出した。それは、まるで、暗闇の中を照らす、一筋の光の道だった。


「ああ! 見える……! 光の道が……! 詩音、お前を信じるぜ……!」


咲は、その光の道を信じ、迷うことなく駆け抜けていく。彼女の足は、迷うことなく、詩音が示す光の道を進んでいく。


そして、二人が、丹波篠山城にたどり着くと、そこには、一人の男が、城の天守閣の屋根に立っていた。彼の顔は、夜の闇に包まれ、その姿は、まるで幽霊のようだった。


「アダム……!」


咲は、男に向かって叫んだ。彼女のP90の銃口は、アダムに狙いを定めた。


アダムは、静かに振り返ると、二人に微笑みかけた。その微笑みは、温かく、しかし、どこか悲しげだった。


「ようこそ、我が『記憶の海』へ……。私は、君たちのことを、ずっと待っていた。君たちが、この世界の『真実』を知る、最後の『光』であることを……」


アダムの声は、静かで、しかし、二人の心に、直接響いた。それは、まるで、世界そのものが、語りかけているかのようだった。


「お前が……この世界の『悲劇』を引き起こしたのか……!?」


詩音が、怒りを込めて問う。


「『悲劇』……? それは、君たちがそう呼んでいるだけだ。私は、ただ、この世界の『過ち』を正そうとしているだけだ。この世界は、過去に、あまりにも多くの悲劇を繰り返してきた。私は、その悲劇の『記憶』を、全て消し去り、この世界を、完璧な、そして平和な世界へと、再構築しようとしている」


アダムは、そう言うと、右手を天に掲げた。すると、彼の掌から、光と時間の心臓の力を統合したような、強大なエネルギーが放出された。それは、夜空に不気味な渦を巻き起こし、街全体を、彼の『意志』のままに、書き換えようとしていた。


「この力を使えば、過去の悲劇は、全て『なかったこと』になる。人類は、悲しみを忘れ、憎しみを忘れ、ただ、平和な世界で生きることができる。それが……私の『理想』だ」


アダムの言葉は、まるで、世界を救うための言葉のように聞こえた。しかし、その言葉には、どこか狂気が宿っていた。


「違う……! 悲しみを忘れれば、また同じ過ちを繰り返すだけだ! 憎しみを忘れれば、また新たな憎しみが生まれる! 過去は、消し去るものではない! 乗り越えるものだ! 俺たちは、師匠を失った悲しみも、お前に記憶を奪われた苦しみも、全て乗り越えてきた! それが、俺たちの『真実』だ!」


咲は、力強く叫んだ。彼女は、自らの『光』の力で、過去のトラウマを乗り越え、未来を切り開いてきた。だからこそ、アダムの言葉は、彼女の『意志』に反するものだった。


「そうだわ。過去は、私たちの『真実』よ。その『真実』を消し去ることは、私たちの存在そのものを、否定することになる……! 師匠が、私たちに託してくれた『真実』も、全て無意味なものになってしまう! 私たちは、その『真実』を護り、未来へと繋ぐために、ここにいる!」


詩音もまた、アダムの『理想』を、否定した。


アダムは、二人の言葉を聞くと、悲しげに首を振った。


「君たちは……まだ、子供だ。いつか、君たちも、この世界の悲劇を知り、絶望するだろう。その時、君たちは、私の『理想』が、唯一の『正解』だったと、気づくはずだ」


アダムは、そう言うと、再び、二人の心を、過去の悲しい記憶で満たそうとした。しかし、咲と詩音は、もう、その幻影に惑わされることはなかった。


「もう、俺たちの心は、お前には操れない! 俺たちの『光』と『絆』は、お前の『記憶』の力に、負けることはない!」


咲は、力強く叫んだ。そして、彼女は、自身の『光』の力を、詩音へと送り出した。


二人の『光』が、アダムの精神波をかき消し、二人は、それぞれの武器を構えた。


「アダム……! 俺たちの『奪還屋』としての仕事は、お前の『歪んだ理想』を、この世界から『奪還』することだ! 師匠の遺志を、俺たちが、今、引き継ぐ!」


咲は、力強く叫び、アダムに向かって、最後の戦いを挑んだ。

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