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第五十六話「新たなる出発、見えない敵」

丹波篠山に、清々しい秋の風が吹いていた。窓から差し込む夕日が、バー『RETRIEVER』の床を金色に染めている。地下室のメインシステムは、光の心臓と時間の心臓を巡る壮絶な戦いの痕跡を、まるで何もなかったかのように静かに保っていた。如月結人きさらぎ・ゆいとは、最後のメンテナンスを終え、ほっと一息ついた様子で、椅子にもたれかかっていた。彼のモニターには、ミダス・グループの残党と彼らが「創造主」と呼んだ男の身柄が、国際機関の厳重な管理下に置かれたという、最終報告が表示されている。


「これですべての事件は解決しました。咲さん、詩音さん。この数ヶ月間、本当にお疲れ様でした」


結人は、心からの安堵を込めて、そう言った。彼の声には、深い疲労と、ようやく肩の荷が下りたような清々しさが混ざり合っていた。


さきは、カウンターに座り、コーヒーカップを両手で包み込みながら、その温かさを感じていた。彼女の表情は、いつもの不敵な笑みを浮かべているが、その瞳の奥には、師匠であるガーディアンを失った喪失感と、そして、新たな「役割」を背負うことへの、複雑な感情が入り混じっていた。


「ああ、お疲れ。本当に、長かったな。まさか、俺たちの『奪還屋』としての仕事が、世界の歴史をかけた戦いにまで発展するとは、夢にも思わなかったぜ……。でも、それも、師匠が俺たちに託してくれた『真実』を、護り抜くためだったんだな……」


咲は、自嘲気味に笑った。その笑いには、これまでの道のりの途方もなさと、そして、それを乗り越えた者だけが持つ、独特の達成感が滲んでいた。


鳴瀬詩音しおんは、カウンターのグラスを磨く手を止め、静かに答えた。彼女の横顔には、新たな決意と、未来を見据える揺るぎない力が宿っていた。


「ええ。私たちは、伝説の二つの財宝、『光の心臓』と『時間の心臓』を、この世界に『奪還』し、その真の『意志』を、未来へと繋ぐことができた。私たちの手で、この世界の歴史に、新たな一ページを刻むことができたのね。それに、師匠が、かつて乗り越えようとした『悲劇』を、私たちが、今、乗り越えることができた。それが、私にとって、何よりも大切なことだった……。もう、過去の『罪』に囚われることはない……」


詩音は、そう言うと、静かに目を閉じた。彼女の『光』の力は、彼女が背負っていた重い十字架を、希望の光へと変えていた。


その時、地下室のメインシステムが、再び警告音を鳴らし始めた。しかし、その警告音は、これまでのような敵のハッキングや、エネルギー反応を示すものではなかった。それは、国際機関の極秘情報ネットワークから、直接送信された、一つのデータファイルへのアクセス警告だった。そのアクセスは、最高機密レベルであり、通常の方法では、決して開くことのできないものだった。


「これは……! 国際機関の最高機密レベルのデータです! 一体、誰が、こんなものを……!? セキュリティを突破して、直接ここに……まさか、国際機関の内部の人間が……?」


結人が、驚愕の声を上げる。彼の顔から、安堵の表情が消え、再び緊迫感が戻ってきた。


「待て、結人。そのデータは、もしかして……」


咲の脳裏に、師匠のガーディアンが、最後に残した「世界の真実」という言葉が蘇った。それは、光と時間を巡る戦いの、さらに奥に隠された、もう一つの謎を示唆しているようだった。


結人は、恐る恐る、そのデータファイルを開いた。すると、モニターに、一枚の古びた写真が表示された。その写真は、数十年前のものだろうか。ひどく色褪せていたが、そこに写る三人の男の姿は、はっきりと見て取れた。そこには、若き日のガーディアン、そしてミダス・グループの「創造主」、そして、もう一人の、見慣れない男が、皆、穏やかな笑みを浮かべ、仲睦まじく写っていた。彼らは、まるで親友同士のように肩を組み、未来を語り合っているかのような、希望に満ちた表情をしていた。


「この男は……誰だ……? この写真に写る三人……師匠と、創造主、そしてこの男……彼らが、この世界の全ての真実を知っている、鍵なのか……?」


咲が、思わず呟いた。彼女の『光』の能力が、この男の存在に、微かな、しかし確かな反応を示しているのを感じた。それは、光の心臓や時間の心臓とは違う、もっと根源的な、そして恐ろしい何かだった。

「この男は、国際機関の記録にも、ほとんど情報がありません。ただ、彼の名前は……『アダム』。そして、彼の存在は、あらゆる公式記録から抹消されています。まるで、この世に存在しなかったかのように……」


結人の言葉に、二人は息を呑んだ。


「アダム……! まさか、師匠が、かつて『プロジェクト・アダム』の実験体だったというのは……この男の計画だったのか……? 師匠は、この男に、最後まで利用されていたとでもいうのか……!?」


詩音は、驚きを隠せない。彼女の『光』の能力は、その写真に写るアダムという男から、尋常ではないエネルギーの波動を感じ取っていた。それは、光の心臓や時間の心臓とは違う、もっと根源的な、そして恐ろしい何かだった。彼女は、師匠の最期の言葉や行動の全てが、この男の思惑通りだったのかもしれないという疑念に苛まれた。


「はい。そして、この男は、かつて『アダム』というコードネームで呼ばれ、光の心臓と時間の心臓の『真実』を知る、唯一の人物だった、と……。彼こそが、すべての事件の黒幕だったのです」


結人の言葉に、三人の間に、重い沈黙が流れた。彼らが、光と時間を巡る戦いの果てに、ようやく辿り着いた「真実」は、かつて彼らが知っていたものとは、全く違うものだった。それは、まだ終わりの見えない、新たな戦いの始まりを示唆していた。


「なぜ、この男が、国際機関の記録から、全て抹消されているんだ……? 単に危険な能力を持っていたからじゃない。何か、もっと重大な理由があるはずだ……。師匠は、この男に何を見たんだ……?」


咲は、写真のアダムの顔を凝視した。その無表情な瞳の奥に、何か底知れない闇を感じ取った。


「それが、このデータの核心です。この男は、かつて、光の心臓と時間の心臓の力を使い、この世界に、とある『悲劇』を引き起こした。その『悲劇』によって、国際機関は、この男の存在を、歴史から完全に消し去ったのです。そして、この悲劇の記憶は、この世界のすべての人間から消去された。おそらく、光の心臓や時間の心臓の『真実』を知る者は、この世界には、ごくわずかしかいないでしょう」


結人の言葉に、咲と詩音は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。世界の歴史に、彼らが知らない空白の期間があった。そして、その空白を生み出したのが、このアダムという男だというのか。


「『悲劇』……? 一体、どんな……? 私たちには、その記憶が全くない。それほどまでに大規模な悲劇を、一体どうやって引き起こしたの? 師匠は、この悲劇の真実を、私たちに、どうして教えてくれなかったの……?」


詩音が、震える声で問う。彼女の『光』の能力は、その『悲劇』の断片を、まるで幽霊のように感じ取っていた。それは、大規模な破壊と、人々の悲鳴、そして、深い絶望の渦だった。しかし、その記憶は、あまりにも断片的で、全体像を掴むことはできない。


「それは……このデータにも、断片的にしか記されていません。ただ、その『悲劇』は、この世界に、深い傷跡を残した。そして、この男は、その傷跡を消し去るために、再び姿を現そうとしている……。彼は、我々の手によって『奪還』された光と時間の心臓の力を使い、過去の『悲劇』を、完全に『なかったこと』にしようとしているのです」


結人の言葉に、二人は、自分たちの新たな「役割」を再認識した。


「つまり……この男が、ミダス・グループの残党、そして『創造主』を、陰から操っていたのか……? 師匠も、彼の計画の一部だった……? 俺たちは、ずっと見えない敵と戦わされていたってことか……? 信じられない……!」


咲が、その可能性に気づいた。彼女の怒りは、もはや特定の個人に向けられるものではなかった。それは、世界の真実を捻じ曲げ、人々を欺いてきた、このアダムという男の存在そのものに向けられていた。


「はい。そして、彼は、光と時間の心臓が、我々の手によって、『奪還』されたことを知っている。そして、我々の『光』の能力に、興味を持っているようです。彼は、我々を、彼の計画の『最終的なピース』だと考えているかもしれません。我々の『光』の力を使い、過去の悲劇を消し去り、彼の理想とする歴史を創り出そうとしているのです」


結人の言葉に、三人の間に、再び緊張が走る。


「私たちは、もう『奪還屋』ではない。私たちは、この世界の『真実』を守る者……。それが、私たちの新たな『使命』だ。師匠が最後に託してくれた『真実』を、私たちは、守り抜かなければならない。師匠は、この男の存在を、私たちに知ってほしかったのだわ……!」


詩音は、静かに、しかし力強く呟いた。


「ああ。奴の目的を、俺たちの力で、阻止する。そして、この世界の『真実』を、未来へと繋ぐ。それが、俺たちが『光』を手に入れた、本当の意味だ。師匠も、それを望んでいるはずだ。奴に、俺たちの『真実』を、歪ませてたまるか……!」


咲は、力強く頷いた。彼女の『光』は、もはや彼女自身のトラウマを乗り越えるためだけのものではなかった。それは、この世界の『真実』を護るための、希望の光だった。


その時、地下室のメインシステムが、再び警告音を鳴らし始めた。それは、どこからか、微かに、そして、しかし確実に、この街の『記憶』が、歪み始めていることを示す、警告だった。それは、かつて『創造主』が、歴史を改変しようとした時と、同じ現象だった。


「咲さん、詩音さん! 奴は、既に、この街に……! そして、この街の『記憶』を、徐々に書き換えようとしています!」


結人の言葉に、二人は、それぞれの武器を手に、地下室を飛び出した。彼らの前に立ちはだかるのは、伝説の財宝の『真実』を知る、見えない敵。そして、その男は、かつてこの世界に『悲劇』をもたらし、その存在を歴史から抹消された、謎に包まれた男だった。


『奪還屋』の新たな戦いが、今、静かに幕を開ける。

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