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第五十三話「真実のメモリー、アダムの胎動」

丹波篠山に、ようやく平穏な日常が戻ってきた。バー『RETRIEVER』の地下室は、光の心臓と時間の心臓を巡る壮絶な戦いの痕跡を、まるで何もなかったかのように静かに保っていた。如月結人きさらぎ・ゆいとは、メインシステムの最終的なメンテナンスを終え、心底安堵した様子で椅子にもたれかかっていた。彼のモニターには、国際機関がミダス・グループの残党と「創造主」の身柄を確保し、厳重な管理下に置いたという最終報告が表示されている。


「これで、本当にすべての事件は解決しました。咲さん、詩音さん。この数ヶ月間、本当にお疲れ様でした」


結人は、心からの安堵を込めて、そう言った。彼の声には、深い疲労と、ようやく肩の荷が下りたような清々しさが混ざり合っていた。


さきは、カウンターに座り、コーヒーカップを両手で包み込みながら、その温かさを感じていた。彼女の表情は、いつもの不敵な笑みを浮かべているが、その瞳の奥には、師匠であるガーディアンを失った喪失感と、そして、新たな「役割」を背負うことへの、複雑な感情が入り混じっていた。


「ああ、お疲れ。まさか、俺たちの『奪還屋』としての仕事が、世界の歴史をかけた戦いにまで発展するとはな……」


咲は、自嘲気味に笑った。その笑いには、これまでの道のりの途方もなさと、そして、それを乗り越えた者だけが持つ、独特の達成感が滲んでいた。


鳴瀬詩音しおんは、カウンターのグラスを磨く手を止め、静かに答えた。


「ええ。私たちは、伝説の二つの財宝、『光の心臓』と『時間の心臓』を、この世界に『奪還』し、その真の『意志』を、未来へと繋ぐことができた。私たちの手で、この世界の歴史に、新たな一ページを刻むことができたのね」


詩音の横顔には、新たな決意と、未来を見据える揺るぎない力が宿っていた。彼女は、もはや過去の「罪」に囚われることはなかった。彼女の「光」の力は、彼女が背負っていた重い十字架を、希望の光へと変えていた。


その時、咲は、懐から、光と時間の心臓が融合した存在から託された、小さなメモリーカードを取り出した。


「なあ、結人。このメモリーカード、解析してくれないか?」


咲が、メモリーカードを差し出す。


「分かりました。僕のシステムなら、解析できるはずです」


結人は、メモリーカードをメインシステムに差し込んだ。すると、モニターに、一枚の古い写真が表示された。そこには、若き日のガーディアン、そしてミダス・グループの「創造主」、そして、もう一人の、見慣れない男が、皆、穏やかな笑みを浮かべ、仲睦まじく写っていた。


「この男は……誰だ……?」


咲が、思わず呟いた。彼女の『光』の能力が、この男の存在に、微かな、しかし確かな反応を示しているのを感じた。


「この男は、国際機関の記録にも、ほとんど情報がありません。ただ、彼の名前は……『アダム』。そして、彼の存在は、あらゆる公式記録から抹消されています。まるで、この世に存在しなかったかのように……」


結人の言葉に、二人は息を呑んだ。


「アダム……! まさか、師匠が、かつて『プロジェクト・アダム』の実験体だったというのは……この男の計画だったのか……?」


詩音は、驚きを隠せない。彼女の『光』の能力は、その写真に写るアダムという男から、尋常ではないエネルギーの波動を感じ取っていた。それは、光の心臓や時間の心臓とは違う、もっと根源的な、そして恐ろしい何かだった。


「はい。そして、この男は、かつて『アダム』というコードネームで呼ばれ、光の心臓と時間の心臓の『真実』を知る、唯一の人物だった、と……。彼こそが、すべての事件の黒幕だったのです」


結人の言葉に、三人の間に、重い沈黙が流れた。彼らが、光と時間を巡る戦いの果てに、ようやく辿り着いた「真実」は、かつて彼らが知っていたものとは、全く違うものだった。それは、まだ終わりの見えない、新たな戦いの始まりを示唆していた。


「なぜ、この男が、国際機関の記録から、全て抹消されているんだ……? 単に危険な能力を持っていたからじゃない。何か、もっと重大な理由があるはずだ……」


咲は、写真のアダムの顔を凝視した。その無表情な瞳の奥に、何か底知れない闇を感じ取った。


「それが、このデータの核心です。この男は、かつて、光の心臓と時間の心臓の力を使い、この世界に、とある『悲劇』を引き起こした。その『悲劇』によって、国際機関は、この男の存在を、歴史から完全に消し去ったのです。そして、この悲劇の記憶は、この世界のすべての人間から消去された。おそらく、光の心臓や時間の心臓の『真実』を知る者は、この世界には、ごくわずかしかいないでしょう」


結人の言葉に、咲と詩音は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。世界の歴史に、彼らが知らない空白の期間があった。そして、その空白を生み出したのが、このアダムという男だというのか。


「『悲劇』……? 一体、どんな……? 私たちには、その記憶が全くない。それほどまでに大規模な悲劇を、一体どうやって引き起こしたの?」


詩音が、震える声で問う。彼女の『光』の能力は、その『悲劇』の断片を、まるで幽霊のように感じ取っていた。それは、大規模な破壊と、人々の悲鳴、そして、深い絶望の渦だった。しかし、その記憶は、あまりにも断片的で、全体像を掴むことはできない。


「それは……このデータにも、断片的にしか記されていません。ただ、その『悲劇』は、この世界に、深い傷跡を残した。そして、この男は、その傷跡を消し去るために、再び姿を現そうとしている……。彼は、我々の手によって『奪還』された光と時間の心臓の力を使い、過去の『悲劇』を、完全に『なかったこと』にしようとしているのです」


結人の言葉に、二人は、自分たちの新たな「役割」を再認識した。


「つまり……この男が、ミダス・グループの残党、そして『創造主』を、陰から操っていたのか……? 師匠も、彼の計画の一部だった……? 俺たちは、ずっと見えない敵と戦わされていたってことか……?」


咲が、その可能性に気づいた。彼女の怒りは、もはや特定の個人に向けられるものではなかった。それは、世界の真実を捻じ曲げ、人々を欺いてきた、このアダムという男の存在そのものに向けられていた。


「はい。そして、彼は、光と時間の心臓が、我々の手によって、『奪還』されたことを知っている。そして、我々の『光』の能力に、興味を持っているようです。彼は、我々を、彼の計画の『最終的なピース』だと考えているかもしれません」


結人の言葉に、三人の間に、再び緊張が走る。


「私たちは、もう『奪還屋』ではない。私たちは、この世界の『真実』を守る者……。それが、私たちの新たな『使命』だ。師匠が最後に託してくれた『真実』を、私たちは、守り抜かなければならない」


詩音は、静かに、しかし力強く呟いた。


「ああ。奴の目的を、俺たちの力で、阻止する。そして、この世界の『真実』を、未来へと繋ぐ。それが、俺たちが『光』を手に入れた、本当の意味だ。師匠も、それを望んでいるはずだ」


咲は、力強く頷いた。


その時、地下室のメインシステムが、再び警告音を鳴らし始めた。それは、どこからか、微かに、そして、しかし確実に、この街の『記憶』が、歪み始めていることを示す、警告だった。


「咲さん、詩音さん! 奴は、既に、この街に……! そして、この街の『記憶』を、徐々に書き換えようとしています!」


結人の言葉に、二人は、それぞれの武器を手に、地下室を飛び出した。彼らの前に立ちはだかるのは、伝説の財宝の『真実』を知る、見えない敵。そして、その男は、かつてこの世界に『悲劇』をもたらし、その存在を歴史から抹消された、謎に包まれた男だった。


『奪還屋』の新たな戦いが、今、静かに幕を開ける。

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