第二十七話「絶望の淵、反撃の灯火」
丹波篠山の夜は、未だ漆黒の闇に包まれたままだった。バー『RETRIEVER』は、ナイトレイダーの襲撃によって、戦場と化していた。照明は不規則に点滅し、思考波によるノイズが、空間全体を狂わせる。
二階の自室では、咲が激しく息を切らしていた。肩の切り傷からは血が滲み、痛みが全身を駆け巡る。目の前のナイトレイダー兵士は、思考波の異能によって咲の予測を乱し、完璧なCQCの動きを封じていた。
「くっ……!」
兵士の一人が、再び不規則な動きで咲に迫る。ナイフが唸りを上げて迫るが、咲の脳は次の動きを正確に捉えきれない。彼女は咄嗟に体を捻り、かろうじてナイフをかわすが、腕をかすめ、新たな裂傷が走る。
「咲! 耐えてくれ!」
如月結人の声が、ノイズ混じりのインカム越しに響く。
「敵の思考波は、脳の運動野に直接干渉し、身体能力の出力まで阻害している!」
その情報に、咲は愕然とする。ただ予測を狂わせるだけでなく、体の反応速度まで落とされているというのか。これでは、これまでの戦い方では通用しない。
(どうすれば……!? このままじゃ、やられる!)
階下では、鳴瀬詩音が苦戦を強いられていた。バーの入り口から侵入したナイトレイダーの兵士たちは、電磁波を遮断する特殊な戦闘服に加え、闇の中で視界を確保する暗視ゴーグルを装着している。詩音のレミントンM700のサーマルスコープも、電磁波の影響で精度が落ちていた。
「(ターゲットの熱源が、曖昧すぎる……!)」
詩音は、レミントンM700を構え、闇の中に目を凝らす。兵士の一人が、物音一つ立てずに詩音の死角へと回り込もうとする。
詩音は、即座に反応した。レミントンM700のスコープに搭載された、僅かな空気の振動を捉える超音波探知機能を頼りに、兵士の位置を特定する。
ドスッ!
レミントンM700から放たれたゴム弾が、兵士の足元を正確に撃ち抜き、バランスを崩させる。
しかし、別の兵士が、詩音の思考波に干渉してきた。詩音の脳裏に、かつて任務で負った仲間の幻影が、苦しそうに歪む。
「……っ!」
詩音は、一瞬、呼吸が止まる。冷静沈着な彼女の精神にも、ナイトレイダーの異能は確実に影響を与え始めていた。
その隙を突き、兵士が詩音に向かって突進してくる。詩音は、咄嗟にCZ75へと持ち替え、至近距離から連射する。
パンッ!パンッ!パンッ!
ゴム弾が兵士の関節部を正確に捉え、動きを止める。
だが、詩音の心は、激しく波立っていた。
結人は、地下室で、必死に情報戦を繰り広げていた。彼のノートPCは、電磁波攻撃によって頻繁にフリーズし、思うように情報が引き出せない。
「くそっ! 敵のハッカーは、私の解析を上回るレベルだ……! このままでは、バー全体のシステムが乗っ取られる!」
結人の額には、汗が滲んでいた。
二階では、咲が再び窮地に陥っていた。彼女の動きは鈍り、思考波による混乱は激しさを増す。
「はあっ……はあっ……!」
兵士たちが、円形に咲を取り囲む。逃げ場はない。
その時、咲の脳裏に、師の言葉が蘇った。
『相手の動きを「読む」のではなく、「感じる」のだ。身体が覚えている技は、思考を超越する。』
咲は、ゆっくりと目を閉じた。視覚も、聴覚も、そして思考波によって乱される脳の予測も、全てを捨て去る。
彼女が頼るのは、自身の肉体と、長年の訓練で培われた**CQCと合気道の「本能」**だけだった。
兵士の一人が、ナイフを振り下ろす。そのナイフが空気を切り裂く微かな「音」ではない、「振動」を、咲の皮膚が捉えた。
咲は、目を開けることなく、身を翻す。そして、兵士の腕を掴み、**合気道の「呼吸投げ」**でその体を宙に舞わせる。
ドオン!
兵士の体が、別の兵士に激突し、二人まとめて床に倒れ伏す。
「(そうだ……! 考えるな、感じろ……!)」
咲の全身に、新たな力が漲る。彼女の動きは、再びしなやかさを取り戻し、兵士たちの予測不能な動きにも対応できるようになっていた。思考波による混乱は続くが、咲はそれを「ノイズ」として処理し、自らの感覚を研ぎ澄ます。
階下では、詩音もまた、反撃の糸口を探っていた。
「結人、敵の異能者は、どこにいる?」
「分かりません! 電磁波の影響で、個別の異能者の正確な位置が特定できない!」
結人の声が焦りを帯びる。
詩音は、ふと、あることに気が付いた。バーの照明の点滅、BGMの不協和音。そして、思考波による脳の混乱。これらは全て、「特定の周波数」によって引き起こされているのではないか?
「(電磁波と思考波の周波数を、逆転させることはできないか……?)」
詩音の脳裏に、ある作戦が閃いた。
彼女は、レミントンM700を精密射撃モードに切り替え、その銃身を天井に向ける。
「結人、バーのメインブレーカーの位置はどこだ?」
「詩音さん、何を……!? 今、メインブレーカーを切れば、全てのシステムが停止します! 僕の情報収集も完全に不可能に!」
「構わない! 敵の電磁波攻撃と思考波異能は、電力システムに依存しているはずだ! 一度完全に遮断すれば、彼らのシステムも一時的にリセットされる!」
詩音の判断は、大胆かつ的確だった。
「メインブレーカーは、カウンターの奥、壁面だ! だが、警備兵が複数いる!」
「私がやる!」
詩音は、レミントンM700を構え、カウンターを飛び出す。そして、兵士たちの攻撃をかわしながら、P90の指向性音波弾で進路を確保する。彼女はメインブレーカーの前に立つと、躊躇なくP90のストックでブレーカーのカバーを叩き割った。
バキッ!
そして、露出したブレーカーのレバーに、CZ75のグリップエンドを叩き込む。
ガシャン!
その瞬間、バー全体の照明が完全に消え、漆黒の闇が支配した。同時に、ノイズが消え、思考波による混乱も収まる。詩音は、素早くレミントンM700にサーマルスコープを取り付け、闇の中の熱源を探した。
そして、彼女の視界に、複数の熱源が鮮明に浮かび上がった。ナイトレイダーの兵士たちだ。彼らの暗視ゴーグルは、急な停電によって機能不停止に陥っている。
「咲! 今だ! 敵は一時的に無力化された!」
詩音が叫ぶ。
二階では、咲の動きが再び加速していた。思考波による干渉が消え、彼女の肉体は本来の反応速度を取り戻した。
咲は、闇の中、兵士たちが発するわずかな呼吸音と、熱源を頼りに動く。
「はあっ!」
P90を構え、兵士たちの膝や肩にゴム弾を連射する。
ダダダダッ!
正確な射撃が、兵士たちの関節を破壊し、次々と無力化していく。
しかし、その間に、ナイトレイダーの異能者が、再び異能を再構築しようとしていた。
結人の声が、再びインカム越しに響く。
「詩音さん、敵の異能者が、電力を再接続しようとしています! メインブレーカーを破壊されたことで、彼らのシステムもリセットされたようですが、再生は時間の問題です!」
詩音は、レミントンM700を構え、サーマルスコープで洞窟の奥にいる異能者の熱源を狙い定めた。
「P90、特殊弾装填。集中EMP弾」
詩音が指示する。彼女は、レミントンM700から放たれる精密なEMP弾を、異能者の足元に撃ち込んだ。
ドスッ!
EMP弾が炸裂し、異能者の周囲の電子機器がショートする。異能者の体から、電流がスパークする。
「咲! 今だ!」
詩音が叫ぶ。
咲は、二階の窓から飛び降り、階下へと着地した。そして、躊躇なく異能者の元へと駆け寄る。
異能者は、EMP弾の衝撃で体が麻痺しているようだったが、最後の力を振り絞り、咲に最後の攻撃を仕掛けようとする。
だが、咲のCQCの「高速接近」は、その異能の発動よりも速かった。
彼女は、異能者の懐に一瞬で潜り込み、その首筋に手刀を叩き込み、彼を無力化した。
「ターゲット、無力化」
ナイトレイダーの兵士たちは、次々と倒れ伏し、残された者たちは、撤退を始めた。
バー『RETRIEVER』の内部は、静寂を取り戻した。照明は消えたままだが、夜空から差し込む月明かりが、店内に微かに差し込んでいる。
「ふう……ギリギリだったな」
咲が、肩の傷を押さえながら呟く。
「ええ。彼らの能力は、これまでの敵とは一線を画していた」
詩音も、CZ75を腰に戻しながら、疲れたように息を吐いた。
結人が、地下室から上がってきた。彼の顔は蒼白だが、安堵の表情が浮かんでいる。
「システムは、まだ完全に復旧していませんが……なんとか、追い払いました」
今回の襲撃は、咲と詩音にとって、大きな教訓となった。
ナイトレイダーは、これまで対峙してきたどの敵よりも、高度な技術と連携、そして予測不能な異能を持っていた。彼らは、咲と詩音の弱点を見抜き、バー『RETRIEVER』という彼らの「日常」の場を、直接的に脅かしてきたのだ。
「彼らは、何を狙っているんだ?」
咲が問う。
「不明です。しかし、今回の襲撃は、ただの妨害ではありません。何か、大きな目的があるはずです」
結人が答える。
バー『RETRIEVER』の窓から、月明かりが差し込む。
「これで終わったわけではないな」
詩音が呟いた。
「ええ。これは、始まりに過ぎない」
咲も頷いた。
新たな脅威、「ナイトレイダー」との戦いは、まだ始まったばかりだった。




