第二十六話「漆黒の襲撃者」
丹波篠山に、不穏な夜が訪れていた。重苦しい雲が月を覆い隠し、街灯の光すら届かないかのような漆黒の闇が、バー『RETRIEVER』を包み込んでいる。
バーのカウンターで、鳴瀬詩音は静かにグラスを磨いていた。隣のソファでは、如月結人がノートPCを操作し、情報収集に勤しんでいる。光の心臓の事件以降、ミダス・グループの動きは沈静化していたが、結人の情報網は、新たな「影」の接近を感知していた。
「結人、最近、妙なデータが散見される。未登録の暗号通信、そして、極めて高いレベルのセキュリティを掻い潜って、各地の要所にあるデータが抜き取られている痕跡が……」
詩音の声には、普段の冷静さの中に、わずかな警戒の色が混じっていた。
「ええ、詩音さん。私もそのことで、あなたたちと話そうと思ってたんです。どうやら、新たな組織が動き出したようです。その名は……『ナイトレイダー』」
結人の口から出たその名に、詩音の表情が引き締まった。
「ナイトレイダー……その名を聞くのは初めてだが」
詩音はグラスを置いた。
「彼らは、裏社会でもここ数ヶ月で頭角を現してきた新興勢力です。特徴的なのは、その高度な情報戦能力と、特殊な暗器、そして異能者との連携。特に、彼らが好んで利用する夜間の奇襲は、これまでのどの組織よりも厄介です」
その時、バーの照明が、突然、不規則に点滅を始めた。そして、店内のBGMがノイズ混じりの不協和音へと変わる。
「何だ!?」
結人が顔を上げる。
「電磁波攻撃……まさか!」
詩音は即座にCZ75を構え、周囲を警戒する。
その瞬間、バーのドアが音もなく吹き飛び、漆黒の戦闘服に身を包んだ数人の男たちがなだれ込んできた。彼らの全身は、夜闇に溶け込むような特殊な素材でできており、まるで影そのもののようだ。彼らの目には、不気味な赤色の光が宿っている。
「咲は!?」
詩音が叫ぶ。咲は二階の自室で休息を取っていたはずだ。
「咲さんは、おそらく彼らの標的になっているはずです! これは、我々バー『RETRIEVER』を狙った、明確な強襲!」
結人の声が響く。
ナイトレイダーの先頭に立つ男が、冷たく言い放った。
「ターゲットは『沈黙の守護者』。そして、その相棒だ。抵抗は無駄だ」
詩音は、素早くカウンターの影に身を隠した。
「結人、情報は?」
「彼らは、視覚・聴覚に加えて、思考波に干渉する異能者を擁しています! 脳波を乱し、判断力を奪う。そして、その特殊な戦闘服は、電磁波を遮断し、熱源すらも曖昧にする効果を持つ!」
結人の分析が続く。
ナイトレイダーの兵士たちが、無数の暗器を投げてくる。それは、ナイフやダーツのようなものではなく、不規則な軌道を描いて飛来する、漆黒の金属片だった。詩音は、カウンターの陰からCZ75を構え、正確な射撃でそれらを撃ち落とす。
パン、パンッ!
しかし、金属片は、まるで意思を持っているかのように、詩音の射線を避け、バーの壁や棚に突き刺さっていく。
その時、二階から激しい物音がした。咲の部屋だ。
「咲!」
詩音が叫ぶ。
咲の部屋は、既にナイトレイダーの兵士たちによって包囲されていた。彼らは、特殊な繊維で編まれた縄のようなもので、部屋の窓から侵入してくる。
咲は、寝間着姿のまま、身構える。彼女の目の前には、五人のナイトレイダー兵士。彼らの動きは、これまで対峙したどの組織の兵士よりも、素早く、そして予測不能だった。
兵士の一人が、音もなく咲に接近し、暗器のナイフを振りかざす。
咲は、即座に反応した。**CQCの「カウンターアタック」**でナイフを払い、その兵士の腕を掴もうとする。
しかし、兵士の体は、まるで煙のようにすり抜ける。それは、光学迷彩によるものではなく、**思考波を乱す異能による「予測の混乱」**だった。咲の脳が、相手の次の動きを正確に予測できず、体が反応しきれない。
「くそっ!」
咲は、歯を食いしばる。彼女の格闘術は、相手の動きを「読む」ことに大きく依存する。その読みが狂わされることは、彼女にとって致命的だった。
別の兵士が、咲の死角から飛びかかってくる。咲は、寸前で身を捻り、かろうじて攻撃をかわすが、腕にわずかな切り傷を負った。
「咲! 大丈夫か!」
詩音の声がインカム越しに響く。彼女も階下で、ナイトレイダーの兵士たちと交戦していた。
「だ、大丈夫……じゃないかも。詩音、この人たち、変だよ! 私の動きを読んでるみたいで、全然掴めない!」
「落ち着いて、咲! それは敵の異能だ! 視覚や聴覚だけでなく、思考波に干渉して、あなたの予測を狂わせている! 相手の動きを読もうとしないで、本能で動いて!」
詩音の言葉に、咲はハッと顔を上げた。
バーの店内は、照明の点滅とノイズ、そして奇妙な思考波によって、完全に混乱状態に陥っていた。結人のPCも、強力な電磁波によってほとんど機能していなかった。
「詩音さん、通信が不安定です! 敵の電磁波攻撃は、予想以上です!」
詩音は、レミントンM700を構え、壁に突き刺さった暗器の金属片に照準を合わせた。
「この金属片……ただの暗器じゃない。電磁波を放出している」
彼女は、レミントンM700にEMP(電磁パルス)弾を装填した。非殺傷ながら、電子機器を一時的に麻痺させる特殊な弾丸だ。
ドスッ!
詩音の放ったEMP弾が、金属片を撃ち抜き、小さな電磁パルスを発生させる。バーの照明が、一瞬だけ正常に戻り、BGMのノイズも消えた。
その隙に、詩音は階下にいる兵士たちに向けて、P90の指向性音波弾を連射する。
ダダダダッ!
兵士たちは、突如として襲いかかった音波の衝撃に、頭を抱えて倒れ伏した。
しかし、その効果は長くは続かなかった。すぐに照明は再び点滅し始め、思考波の混乱が再開する。
「詩音、無理をするな! 敵の数は……」
結人の声が途切れる。
二階では、咲が苦戦していた。思考波によって予測が狂わされる上に、特殊な戦闘服は熱源を隠すため、詩音からの正確な位置情報も得にくい。
咲は、自分の勘と、兵士たちが発するわずかな足音のずれだけを頼りに戦っていた。
「はあっ!」
兵士の一人が放った暗器のナイフを、紙一重でかわす。咲は、彼の死角に回り込もうとするが、予測がずれて、別の兵士の攻撃を受けてしまう。
肩に深い切り傷を負い、血が滲む。
「咲!」
詩音の叫びが、インカム越しに響く。彼女は、階下から咲の元へ駆け上がろうとするが、ナイトレイダーの兵士たちがそれを阻む。
詩音はP90で兵士たちの足元を撃ち、進路を確保しようとするが、彼らの動きは電磁波の影響でさらに加速しているように見えた。
ナイトレイダーの襲撃は、これまでのどの任務よりも熾烈だった。
彼らの特殊な異能と、練り上げられた連携、そしてバー『RETRIEVER』という彼らの拠点への奇襲。
咲と詩音は、かつてないほどの窮地に立たされていた。




