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第二十三話「心の深淵と最後の試練」

竹林を抜けた先には、深い谷が広がっていた。谷底には、古文書に記された「聖なる泉」が静かに湧き出しており、その水面は、周囲の光を吸い込むかのように黒く、底知れない深さを感じさせた。バー『RETRIEVER』の地下室で、如月結人が、古文書の最後のページを指し示していた。


「第一、第二の試練を突破したことで、古文書の最後のページが完全に顕現しました。第三の試練は、『心の深淵』。ここでは、感情を操作する異能者、『エモーショナル』が待ち構えているはずです」


結人の言葉に、咲と詩音の表情は、これまで以上に真剣なものとなった。


「感情を操作する……か。それは厄介だね」


咲が呟く。肉体的な攻撃や、視覚・聴覚の錯覚とは異なり、感情の操作は、直接「心」に働きかける。


「ええ。ミダス・グループが送り込んできた異能者の中でも、彼は最も危険な存在です。対象の最も深いトラウマや、隠された欲望を増幅させ、精神を崩壊させる。そして、その感情の波長を利用して、物理的な攻撃を行うことも可能だと言われています」


結人が忠告する。


古文書に描かれた地図は、竹林を抜けた先の谷底、聖なる泉のほとりを指し示していた。そこは、周囲の木々が異様にねじ曲がり、まるで生き物の苦しみを表現しているかのような、不気味な場所だった。


「詩音、精神的な揺さぶりに、どう対処する?」


咲が不安そうに問う。


「対処法はない。だが、防御策はある」


詩音は、レミントンM700に特殊な精神波遮断機能付きスコープを取り付けた。彼女の銃は、精神波の干渉を遮断し、標的の真の姿を捉えることができる。


「咲、あなたの精神的な強さが試される。私は、あなたの『盾』になる。だから、あなたは、あなたの心を信じて」


詩音の言葉は、いつも以上に重みがあった。


二人は、静かに谷へと足を踏み入れた。谷底へ降りるにつれて、周囲の空気が重く、湿気を帯びていく。そして、咲と詩音の心の中に、それぞれ異なる感情の波が押し寄せてきた。


咲の脳裏には、過去の任務で、救えなかった命の光景がフラッシュバックする。彼女の心の奥底に眠る「後悔」と「無力感」が、まるで現実のように蘇り、彼女の心を締め付ける。


(いやだ……!あの時の私は、何もできなかった……!)


咲は、歯を食いしばる。彼女は、その感情に飲み込まれまいと、自身の呼吸に意識を集中した。


その時、谷の斜面から複数の足音がした。だが、同時に咲の耳には、救えなかった人々の悲鳴が響き渡る。精神的な揺さぶりをかける狙いだ。


咲は、即座に反応した。**CQCの「精神統一」**で幻聴をシャットアウトし、合気道の研ぎ澄まされた「間合い」の感覚で、足音の熱源を捉える。


「詩音、本物は?」


咲が問う。


「右斜面、一点! 他の幻影はダミーだ!」


詩音が叫ぶ。


咲は、迷わず右斜面へ駆け上がり、**CQCの「予測不能な動き」**で幻影の空間をすり抜ける。そこには、岩陰に隠れたミダス・グループの精鋭兵が、怒りに満ちた表情で銃を構えていた。彼らもまた、エモーショナルの異能によって感情を増幅させられているのだろう。


咲は、兵士が銃の引き金を引く寸前、彼の腕を捕らえ、**合気道の「逆手取り」で銃の狙いを逸らす。兵士がバランスを崩した隙に、咲は彼の脇腹にCQCの「サイドキック」**を叩き込み、無力化した。


「一人、制圧。感情に惑わされても、動きは読める。詩音、ありがとう。詩音の言葉があったから、幻覚に惑わされずに済んだ」


咲が安堵の表情で語りかけると、詩音は静かに頷いた。


谷底へ進むにつれて、感情の波はさらに複雑さを増していった。時には、咲自身の脳内に、過去の任務で得た「達成感」や「喜び」が過剰に増幅され、彼女を油断させようとする。あるいは、詩音の脳裏には、彼女自身の「孤独」や「過去の過ち」が鮮明に蘇り、彼女を苦しめる。


(これは……喜びも悲しみも、全てを増幅させるのか!)


咲は、心の中で呟く。彼女は、感情の波に飲み込まれまいと、自身の「任務」という明確な目標に意識を集中した。


その時、谷全体を揺るがすような、巨大な「怒り」の感情の波が襲いかかった。それは、物理的な衝撃波を伴い、周囲の岩を砕き、木々をなぎ倒していく。


「咲、注意! エモーショナルが、感情の波長を物理的な攻撃に変換している! 直撃すれば危険だ!」


詩音の声がインカム越しに緊迫感を帯びる。


「わかった! なんとかする!」


咲は、P90を構え、岩陰に身を隠す。そして、P90のグリップエンドを地面に強く押し付け、その振動を体で感じることで、感情の波の発生源を特定しようとする。


「P90、特殊弾装填。精神波収束弾」


詩音が指示する。


「詩音、いくよ!」


咲は、詩音の指示に従い、P90のマガジンを交換する。そして、最も強い感情の波が感じられる方向に向けて、引き金を引いた。


ダダダダッ!


P90から放たれたゴム弾は、弾頭部から対象の精神波を収束させる特殊な波動を放ちながら飛翔する。谷の奥にいた敵兵たちは、感情の波長が収束されたことで、激しい混乱に陥り、次々と倒れていった。


「複数、無力化」


咲が報告する。


谷の最深部、古文書に記された「心の深淵の聖域」と呼ばれる場所に辿り着くと、そこは巨大な洞窟の入り口だった。洞窟の入り口は、まるで巨大な口を開けたかのように暗く、その奥からは、様々な感情の波動が渦巻いているのが感じられた。


そして、その洞窟の入り口に、今回のターゲットである異能者、『エモーショナル』が立っていた。彼は全身を黒いローブで覆い、その顔は闇の中に隠されている。彼の周囲には、無数の「感情の幻影」が踊っていた。それは、喜び、悲しみ、怒り、絶望……あらゆる感情が具現化されたものだった。


「ようこそ、奪還屋。ここは私の支配する、完璧な感情の世界だ。お前たちの心は、ここで砕け散る」


エモーショナルの声は、どこからともなく、そして心の奥底から直接響いてくる。彼の異能が、周囲の精神波に干渉し、意識そのものに錯覚を起こさせているのだ。


咲は、目を閉じた。彼女が頼れるのは、詩音の指示だけだ。


「詩音、奴の居場所は?」


「洞窟の入り口、中央! 熱源は一つ! だが、彼の異能が精神波に干渉して、正確な位置特定が難しい!」


詩音の声が緊迫感を増す。詩音は、レミントンM700のスコープ越しに、エモーショナルの微かな精神波の揺らぎと、周囲の空気の僅かな歪みを捉えていた。それは、肉眼では決して見えない、異能の痕跡だった。


詩音は、レミントンM700のトリガーに指をかけた。


ドスッ!


レミントンM700から放たれたゴム弾は、エモーショナルの足元の岩肌を正確に撃ち抜いた。


弾丸の衝撃で、エモーショナルは体勢を崩す。そして、その一瞬の隙に、咲は地面を蹴って洞窟へと駆け寄った。**CQCの「高速接近」**で、感情の幻影をすり抜けるように接近し、エモーショナルの懐に潜り込む。


エモーショナルは、まさか物理的にここまで接近されるとは思っていなかったのだろう。彼は驚愕の表情を浮かべた。


咲は、彼が手をかざして異能を発動させようとする寸前、その腕を掴み、**合気道の「小手返し」で彼の体のバランスを崩す。そして、そのまま彼の側頭部にCQCの「ピンポイント打撃」**を叩き込み、彼を無力化した。


「ターゲット、無力化」


エモーショナルが無力化されると、周囲の感情の幻影は霧のように消え去った。谷底には、静寂が戻り、聖なる泉の水面は、再び穏やかな輝きを取り戻した。


洞窟の奥からは、微かな光が漏れ出していた。


「第三の試練、突破……だね。詩音、手伝ってくれてありがとう」


咲が呟くと、詩音は静かに応えた。


「ええ。そして、その先には、おそらく『光の心臓』が待っています。ですが、ミダス・グループの総力は、まだ尽きていません。彼らは、最後の手段を講じてくるでしょう。気を引き締めて」


二人の『奪還屋』は、伝説の財宝を巡る壮絶な争奪戦の、最後の舞台へと足を踏み入れたのだった。

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