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第二十一話「深まる影と第一の試練」

丹波篠山の山々は、朝日の光を受けて幻想的な輝きを放っていた。しかし、バー『RETRIEVER』の地下室では、その光とは裏腹に、張り詰めた緊張感が満ちていた。如月結人が、複数のモニターに映し出された情報を指し示している。


「『光の心臓』に関する古文書の情報は、すでに裏社会全体に漏洩し始めています。特に、ミダス・グループの動きが活発化している。彼らは、すでに丹波篠山周辺に前線基地を設営し、財宝の探索を開始している模様です」


結人の言葉に、咲の表情が引き締まる。鳴瀬詩音は、レミントンM700を手に、その銃身を静かに撫でていた。


「ミダス・グループ……彼らは、異能者も雇用していると聞いたけど、本当?」


咲が問う。


「ええ。今回の任務に投入されているのは、視覚を錯覚させる異能者、『ファントム』とその配下の精鋭部隊です。ファントムの異能は、光の屈折を操作することで、自身の姿を周囲に完全に溶け込ませたり、虚像を作り出したりする。以前対峙した『イリュージョン』よりも、さらに高度な擬態能力を持っています」


「光学迷彩……か。厄介な相手だね」


咲はそう呟きながら、自分の手のひらを見つめた。敵の姿が見えないとなると、頼れるのは自分の勘と、詩音の言葉だけだ。


詩音は、レミントンM700のスコープに、特殊なフィルターを取り付けた。


「光学迷彩は完璧じゃない。熱源は隠せない。それに、物理的な接触をすれば、擬態も意味をなさない」


詩音は淡々とそう言い放ったが、その瞳にはわずかな緊張の色が宿っていた。


「しかし、敵は精鋭部隊だ。単純な突破は危険を伴います」


結人が忠告する。


「古文書によれば、『光の心臓』に至るには**三つの『試練』**を突破する必要がある。第一の試練は、『偽りの森』。光学的な幻影と、それによって誘導される罠が仕掛けられているはずです」


古文書に描かれた地図は、丹波篠山のさらに奥深い山中を指し示していた。そこは、地元住民ですら滅多に足を踏み入れない、手付かずの原生林が広がる場所だ。


「よし。行くぞ、詩音」


咲が立ち上がる。


「ええ」


詩音も頷いた。二人は、いつもの制服ではない、山岳地帯用の装備を身につけた。咲は軽量で動きやすい特殊な迷彩服、詩音は光学迷彩にも対応できるサーマルビジョン搭載のゴーグルを装着した。


原生林の入り口は、異様な静けさに包まれていた。セミの声も、風の音も聞こえない。一歩足を踏み入れた瞬間、咲の目に飛び込んできたのは、無数の錯覚と幻影だった。木々の間に、兵士の影が揺らめき、動くはずのない岩が突然動くように見える。


「うわっ……すごい。まるで目の錯覚を利用した、巨大なイリュージョンみたいだ」


咲は思わず声を上げた。


「咲、落ち着いて。これは敵の狙いよ。幻影に惑わされないで」


詩音の声がインカム越しに響く。


「大丈夫だよ、詩音。左前方、兵士の幻影を確認。でも、熱源はない。フェイクだね」


咲は、自身の視覚をあえて「信頼しすぎない」ことを選択した。彼女が信じるのは、肌で感じる空気の振動、足の裏で感じる地面の僅かな揺らぎ、そして詩音の言葉だけだ。


その時、右方向から枯れ枝を踏む音がした。音は一つだが、目の前には五体の兵士の幻影が現れ、咲を取り囲むように迫ってくる。

「咲、本物は?」


咲は、即座に反応した。合気道の研ぎ澄まされた「間合い」の感覚で、幻影の奥に隠された「本物の敵」の気配を捉える。


「右後方、一点! 他の幻影はダミーだ!」


詩音が叫んだ。彼女は、レミントンM700のサーマルスコープで、幻影の奥に隠された「本物の熱源」を捉えていた。


咲は、迷わず右後方へ振り向き、**CQCの「予測不能な動き」**で幻影をすり抜ける。そこには、光学迷彩で姿を消したミダス・グループの精鋭兵が、ナイフを構えていた。


咲は、兵士がナイフを振り下ろす寸前、彼の腕を捕らえ、**合気道の「小手返し」で体勢を崩す。兵士がバランスを崩した隙に、咲は彼の脇腹にCQCの「サイドキック」**を叩き込み、無力化した。


「一人、制圧。光学迷彩は、触れれば意味をなさないって、詩音の言う通りだったね」


咲がそう報告すると、詩音の声に安堵の色が混じった。


「油断しないで。まだ、先があるわ」


原生林の奥へ進むにつれて、幻影はさらに複雑さを増していった。時には、咲自身の姿が目の前に現れ、彼女を惑わせようとする。あるいは、詩音の幻影が現れ、錯乱させようとする。


(これは……精神的な揺さぶりもかけてきている)


咲は、心の中で呟く。彼女は、自らの記憶と感情を奪われた経験があるからこそ、この種の精神的な攻撃には強い耐性を持っていた。彼女は幻影を無視し、ただ前へと進んだ。


その時、頭上から複数の足音がした。樹上を移動する敵だ。


「咲、上空、複数の熱源! 三体!」


詩音の声が緊迫感を帯びる。


「了解!」


咲は素早くP90を構え、樹上の敵に標準を合わせた。しかし、光学迷彩を施した敵は、木々の葉と枝の隙間に溶け込み、視認が困難だった。


「P90、指向性音波弾を装填。弾頭は散弾タイプだ」


詩音が指示する。


「詩音、さっきから、なんで私の武器に合った弾薬を持ってるって分かるの?」


咲が、素朴な疑問を投げかけた。


「……私の『真理の目』が、あなたの身体能力と武器の相性を瞬時に分析しているの。それに、あなたの動きを見れば、次に何が必要か、大体は分かるわ」


詩音はそう言って、わずかに頬を緩ませた。


咲は詩音の言葉に少し驚きながらも、指示に従い、P90のマガジンを交換する。そして、樹上の敵が最も密集しているであろう地点に向けて、引き金を引いた。


ダダダダッ!


P90から放たれたゴム弾は、弾頭部から人間には知覚できない指向性音波を放ちながら、広範囲に散らばる。樹上の敵は、音波による脳への刺激でバランスを崩し、次々と木から落下していった。地面に落ちた敵兵たちは、もがき苦しみながら倒れ伏す。非殺傷ながら、一時的に行動を完全に不能にする効果がある弾薬だ。


「三体、無力化」


咲が報告する。


原生林の中心部、古文書に記された「偽りの森の聖域」と呼ばれる場所に辿り着くと、そこは巨大な岩が屹立する空間だった。岩肌には、古文書と同じような紋様が刻まれている。


そして、その岩の上に、今回のターゲットである異能者、『ファントム』が立っていた。彼は全身を光学迷彩で包み、まるで透明な存在のように見えた。


「ようこそ、愚かな奪還屋。ここは私の庭だ。お前たちの視覚は、もう機能しない」


ファントムの声は、空間のあちこちから響いてくる。彼の周囲には、無数の兵士の幻影が踊っていた。


咲は、目を閉じた。彼女が頼れるのは、詩音の指示だけだ。


「詩音、奴の居場所は?」


「岩の頂上、中央! 熱源は一つ! だが、光学迷彩で完璧に姿を消している!」


詩音の声が緊迫感を増す。詩音は、レミントンM700のスコープ越しに、ファントムの微かな体温の揺らぎと、周囲の空気の僅かな歪みを捉えていた。それは、肉眼では決して見えない、異能の痕跡だった。


詩音は、レミントンM700のトリガーに指をかけた。


ドスッ!


レミントンM700から放たれたゴム弾は、ファントムの足元の岩肌を正確に撃ち抜いた。


弾丸の衝撃で、ファントムは体勢を崩す。そして、その一瞬の隙に、咲は地面を蹴って岩を駆け上がった。CQCの**「壁走り」**で岩肌を垂直に駆け上がり、頂上へと到達する。


ファントムは、まさか物理的にここまで接近されるとは思っていなかったのだろう。彼は驚愕の表情を浮かべた。


咲は、光学迷彩で姿を消した彼の姿を、合気道の「間合い」の感覚と空気抵抗の変化で捉え、その首筋に手刀を叩き込んだ。


「ターゲット、無力化」


ファントムが無力化されると、周囲の幻影は霧のように消え去った。


岩の側面には、新たな紋様が浮かび上がっていた。それは、古文書に描かれていた「試練」の紋様と一致する。


「第一の試練、突破……だね。詩音、手伝ってくれてありがとう」


咲が、安堵の表情でインカムに語りかけた。


「当然よ。それに、これは始まりに過ぎないわ。ミダス・グループは、すでに次の部隊を送り込んでいるようです。そして、古文書には、まだ二つの試練が残されています」


詩音の声には、わずかながら、これからの戦いへの覚悟がにじんでいた。


二人の『奪還屋』は、深まる影の中で、伝説の財宝を巡る壮絶な争奪戦の、第一歩を踏み出したのだった。



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